こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

もはやこれで思い残すことはござらん@杜けあき×南風舞40周年記念ディナーショー

11/30(土)宝塚ホテル 琥珀の間 18:00

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出演

杜けあき

南風舞

朝峰ひかり

天羽珠紀

ピアノ

吉田優子

 

みなさんは「ディナーショー」というものに行かれたことはありますか?

宝塚ファンの方々は参加されたことがある方が多いと思いますが、なんとわたしは初めてでした。

しかも一人で参加のため、勝手がわからず始まるまではドキドキソワソワ。

そんなわけで「はじめてのディナーショー」へ行かれる方への参考にもなれば、という視点も含めながら感想をつづりたいと思います。

(感想だけでいいよ、な方は目次より「5.ショーについての感想」へジャンプしてください)

 

 1.ディナーショーの予約

 

 当初、宝塚ホテルの専門電話での予約しか今回はなかったため、発売日当日に電話しました。

開始から30分くらいでホテルにつながり、予約が可能である、とのことでしたので、夜の部を希望。

名前・住所・参加人数を聞かれるままに答え、チケット発送費用と消費税を含めた金額と、振込先、振り込む際に入力する番号の案内がありました。

電話予約の場合、ペンとノートは必須です。

そして待つこと数か月。ディナーショー当日の約1週間前にやっと待ちに待ったチケットが届きました。

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ちなみに後日杜さんのファンクラブサイトでの取扱いもはじまりました。

当日の受付を見る限り、チケットの入手ルートは「ホテル」か「各出演者経由」の二択だったようです。

 

2.ディナーショーの服装

 

友人より「結婚式二次会」くらいの勢いで行け、とのアドバイスをいただき、友人の結婚式で着たワンピースを引っぱり出して、髪も一応セットしてもらって赴きました。

実際行ってみると、年齢層的にもお着物の方がちらりほらり。

でも寒かったこともあって、「お出かけ着」くらいの服装の方が多かったです。

ただ男性は皆さんスーツだったので、「セミフォーマル」くらいを意識しておけば、とりあえず浮くことはなさそうです。

 

3.受付から入場まで

 

クロークは宴会場前に用意されていることが、ホテルクロークに案内掲示されていたので、そのまま会場へ。

この時点で開始45分前くらいでした。

コートと大きな荷物を預けて番号札を2枚もらいました。

そして本来ならばここで、受付をしてディナーテーブルの番号札をもらいます。

宴会場の前に「ホテル受付」、「各出演者経由の受付」テーブルが設けられていました。

わたしの場合「ホテル受付」で席番号をもらわなければならなかったのですが、置いてある封筒が送られてきたチケットと同じものだったため、「チケットは手にあるしな。チケットに書かれている番号で席がわかるんだろう」と気楽に開場を待っていました。

そして食事開始30分くらい前に開場。

チケット半券をドアでちぎられていると後ろの方で「お席は事前に案内図で確認ください」とのこと。

しかし、案内図まで戻っても席はわからない。

スタッフさんに確認して、ようやく「ホテル受付」で席番号券が必要なことが判明。

受付までスタッフさんが同行してくれて、席まで案内してくださり、お手数をかけてしまいました。

事前にいろいろ調べていたら、宝塚の場合「ホテル受付」より「ファンクラブ経由」の方が席がいい、という情報も出てきましたが、今回はOGということもあってか、そういうわけでもなさそうでした。

「ホテル受付」したわたしの席は二列目の真ん中より。各テーブル6席設けられていたのですが、その中でも一番見やすい席でした。

それでも同テーブルの方は双眼鏡をもっていらしたのに驚きました。

とりあえず双眼鏡も全然OKなようです。

 

4.食事について

 

事前に友人よりアルコールを含め飲み物は飲み放題と聞いていましたが、そのとおりでした。

今回は、下記が飲み放題。

アルコール→ビール、ウィスキー、白ワイン、赤ワイン

ソフトドリンク→コーラ、ジンジャーエール、オレンジジュース、ウーロン茶

そしてテーブルにつくと同時に、テーブルに各自分置いてあったカード的なものを開いて見せられ、ファーストドリンクをきかれましたので、「ウィスキーのソーダ割」をオーダー。(シュワシュワしたアルコールが飲みたかったのです)

このカードにはショーのセットリストとコースの食事内容が記載されていました。

今回は前菜、魚料理、肉料理、デザートの4コースディナー。

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個人的な事情で久しぶりのまともな食事だったため、どれもおいしくいただきましたし、量も少なめでちょうどよかったです。

物足りない方はパンは食べ放題で、すぐにサーブされていましたので、パンをひたすら食べるか、先に軽く小腹を満たしておいてもいいかと思います。

それから料理は全員一律なので、アレルギーがある方は予約の際にホテル側にお伝えしておくといいかもしれません。

(今回同じテーブルの方がアレルギーがあるとのことで、料理内容の対応についてどうするか、スタッフさんと相談されていて、事前にお知らせいただくと別の料理で対応することもできる的なことが聞こえてきました。確かではありませんが、一旦事前に相談してみる選択はありそうです)

ドリンクは自分の好きなタイミングで飲み始めてよし。シェフから料理の案内があって、前菜が振る舞われました。

肉料理の前に赤ワインをオーダー。

そして、デザートの前くらいに「ショーの間のドリンク」が聞かれましたので、再び「ウィスキーのソーダ割」を頼むわたし^^;

デザートとともにコーヒーのサーブがありましたが、わたしの胃がコーヒーを拒否しがちなため、「コーヒーが飲めないので結構です」とお伝えしたところ「紅茶をお持ちしましょうか」と言っていただきました。

ということでコーヒー→紅茶への変更も可能。

飲み方もきかれたのでミルクティーをリクエストしたら、ちゃんと牛乳のミルクティーでした。感謝。

そしてコーヒーはお代わりも可能でした。

 

料理が終わったあと、ショーの開始まで30分くらいあったので、お手洗いへ。当日は男性用トイレも女性用に変更されていました。男性は違う階まで行かなければならないこともあるのでご注意を。

5.ショーについての感想

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ステージが暗くなって、ピアノの吉田優子先生が登場され、ベルばらの前奏曲が流れると、なんと杜さんが客席から登場!

ぐるっと客席を歩きながら「愛あればこそ」を歌ってくださいました。

こんな至近距離で歌われる杜さんを見るのは初めてで、初心者らしくしょっぱなから、心臓の音マックスへ!

空色レース地のふんわりしたパンツドレスでした。

杜さんのほっそりした白い腕が、肉眼でレースから透けて見えるのに感動していると、南風舞さんも同系色の上半身レース地の美しいドレスで客席に登場され、最終的にステージ上でデュエット。

ステージ上にはコーラスとして朝峰ひかりさんがドレス姿で、天羽珠紀さんはドレッシーなパンツスタイルで登場されていました。

ご挨拶があって、朝峰さんと天羽さんの紹介がありました。

朝峰さんは現在「歌って踊れるマグノリアホールの支配人」、天羽さんは現在「歌って踊れる鍼灸師」だそうです。

お2人のみごとな転身ぶりに杜さんは「わたしたちは相変わらず同じことをやってます」とのこと。

そんな今年芸能生活40周年のお二人と同じく音楽家生活40周年の吉田優子先生の紹介があり、お二人に因んだ曲をメドレーで5曲歌われました。

最後に歌われた「彷徨のレクイエム」は杜さんが入団3年目のときに「新人公演」ではじめて主演された曲。

革命に生き、恋にも生きた役のようなのですが、若くてその気持ちがわからず、会う男性みんなに「どっちが大事?」と聞いて回ったというエピソードは、杜さん自身よくお話されていたので、覚えていたのですが、この日はこのエピソードを紹介される前に「ちょうどいらっしゃるから聞いちゃおう」と客席の男性に「仕事と家庭、どっちが大事ですか」とマイクを向けると、客席の男性はすぐさま「両方」とお答えになられました。

すると杜さんが「そうでしょ。そうなんですよ。」と。

当時の杜さん調べで「仕事は本能。家庭とは次元の違うもので、比べることができない」らしいのです。

杜さんも大石内蔵助を演じる頃には、同じ感覚に到達していたとのことでした。

今の若い人たちにアンケートしてみたら、また違った答えが返ってきそうではあります。

 

そして今年お亡くなりになられた柴田侑宏先生の作品メドレーが続きました。

客席には柴田先生の奥様とお嬢様がいらしているとのご紹介があり、本当に親しくお付き合いされていたんだなあとしみじみ。

このメドレーの中で一番嬉しかったのが、南風さんと「炎のボレロをデュエットしながら回ってくださったこと。

映像でしか見ていませんが大好きな作品で、南風さんは続投でしたが、日向薫さんとの新トップコンビお披露目作品でもありました。

客席回りはじめのときに、杜さんが軽くじゅうたんにつまずかれて、大丈夫かなと思ったのですが、全然普通に歌っていらしたので「ステキ…!」とか思いながら聞いていたら、なんと後でその瞬間に歌詞がすっこ抜けたことを告白。

「柴田先生の歌詞の言葉の美しさをお楽しみくださいとか言っときながら、作詞しちゃった。今、先生、怒ってるかも」とのこと。でも逆に歌詞がポーンと抜けちゃっても気付かせないほどスラスラ歌う杜さんに、トップスターのスキルを見ました。すごい。

「あかねさす紫の花」から「紫に匂う花」、「大江山花伝」から「うす紫の恋」、「たまゆらの記」から主題歌の3曲は朝峰さんと天羽さんで。

この3作品は特に日本語の美が際立つ歌詞で、改めて柴田先生の紡がれる言葉の美しさを堪能しました。

この間に杜さんと南風さんは、黒ベースに柄の入ったパンツスーツとドレスに衣装替え。

杜さんと南風さんは同期生ですが、組が違うし、杜さんがトップになられたときには、南風さんは卒業されていて、現役中はなかなか一緒に組む機会がなかったそうです。

南風さんが「一度カリンチョ(杜さんの愛称)とお芝居してみたかった」とおっしゃってくれたのが嬉しかったと杜さん。杜さんも歌姫の南風さんと一度デュエットしたかったとのことで、ここからは芝居込みで歌われることを告げられました。

セットリストを見ると、先ほど柴田先生メドレーだったのに、ここからもどう考えても柴田作品ばかり。

マイマイ(南風さんの愛称)とどれにしようかなといろいろ考えたあげく、やっぱり柴田先生の作品ばかりになってしまった」とのことでした。

ということで、1つ目が「星影の人」。

 

 

「一度やってみたかったんです、沖田総司」と杜さん。

南風さんの玉勇との逢瀬のシーンからはじまったのですが、杜さんの沖田総司がすごかった。

声の高さからセリフの言い方まで全て「若くて無垢な男の子」だったんです。でもその中に「鬼」がいて、玉勇と会うときは自分の中の「鬼」がいなくなる、みたいなそんな人物が目の前に立っていたんです。

久しぶりに新しい役を演じている杜さんを目の当たりにして、ああ、杜さんの芝居が本当に好きだったんだなあ、と改めて思いました。

南風さんの遊女の切なさも伝わって、3曲だけなのに「星影の人」という作品を一気に体感した感じでした。

次がうたかたの恋

 

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「星影の人」は映像でしか見たことがありませんでしたが、こちらは1993年星組大劇場版、2003年宙組全国ツアー版を見たことがあります。

杜さん自身も新人公演で演じられた役ですが、これも素晴らしかった。

マイヤーリンクのことをマリーに話すシーンからはじまったのですが、マイヤーリンクの風景が見えるんですよね。

(マイヤーリンクをマイエルリンクとおっしゃってたのもちょっとツボでした。昔はマイエルリンクと訳されていたのかな)

緑ゆたかな森、広がる自然、吹き抜ける風。

皇太子という身分から解放され、癒される、そのことがすごく伝わってきました。

主題歌のデュエットが終わったときには「照れるね」なんておっしゃっていましたが、お二人が作りあげる世界観にただ圧倒されました。

最後が忠臣蔵」。

これは8月のコンサートで紫ともさんと演じられたシーンを、今度は南風さんと演じられたので、その違いが非常に興味深かったし、南風さんの役作りの確かさにもうなりました。

もちろん吉田優子先生作曲のご紹介もありました。

 

stok0101.hatenablog.com

今回ブログのタイトルにもした「もはやこれで思い残すことはござらん」というセリフですが、宝塚の後輩に「今や伝説のセリフになっていますよ」と言われてありがたい、というお話がありました。

杜さんと旧宝塚大劇場のサヨナラ公演だった作品。

杜さんのトップお披露目公演をテレビで見てファンになり、2作目から劇場に通い出したばかりのわたしにとっては、「わたしはまだまだ杜さんが見たい。杜さんは思い残すことはないかもしれないけれど、わたしはいっぱいあるよー」と思って泣きながら聞いていたセリフでした。

ディナーショー冒頭で「卒業してからも10年くらいは毎年ディナーショーをやっていたけれど、歌手じゃないから持ち歌がないのでなんとなくやめてしまった」とお話がありました。

わたしが今回初ディナーショーだったのはここに原因があったんです。

ディナーショーの金額は決して安くはありません。(因みに今回は27,000円でした)

いつか大人になったら行くんだ、と夢見ていた杜さんのディナーショーは、わたしがこの金額を払えるくらいになった頃、開催されなくなってしまったのです。

だから今回のディナーショーは本当に「長年の夢がようやく叶った」のでした。

忠臣蔵」の主題歌になると、杜さんは討ち入りの前に四十七士に声掛けるセリフからはじめてくださいましたが、歌い終わりにこのセリフはありませんでした。

でも今回はわたしが「もはやこれで思い残すことはござらん」心境でした。

出来ることなら今ここで死にたい、と思ったくらいです。

冒頭でも「元気で開催できることに感謝」とおっしゃっていましたが、本当に心の底から今回のディナーショーを開催してくださったことに感謝しました。

 

しかしありがたいことにディナーショーはまだ続いています。

わたしも生きています。

次の曲が南風さんのStand Alone」。

今回は来年3月で移設される会場「宝塚ホテル」のフェアウェルイベントの一環でもありました。

朝峰さん、天羽さんともトークされていたのですが、お二人とは宝塚時代に接点はないとのこと。特に天羽さんにいたっては「たまちゃん(天羽さん)、産まれてた?」と聞かれる始末(笑)。

朝峰さんが、客席から見ていたスターさんと同じステージに立たせていただけるなんて、とおっしゃると「時期は違っても卒業したら同じステージに立てるのが宝塚のいいところ」と南風さん。

そして「同期の杜けあきのおかげでわたしもこのような場に立てる」というようなことをおっしゃったのが印象的でした。

同じトップスターで、南風さんはトップの成績だったのに男役と娘役で違ってくるところに、宝塚歌劇団の難しさを感じます。

相手役に合わせることのない南風さんの歌唱は圧巻。

ただ8月のヤマハホールの方がそのすごさを実感したので、ヤマハホールの音響のよさ、宝塚ホテルは宴会場という違いを興味深く聞きました。

南風さんの歌の間に杜さんは、ヌードベージュのガウンを羽織ったようなデザインのドレスに衣装替え。上品でとてもよくお似合いでした。

最近はシャンソンを歌わせていただくことが多くなったという杜さん。

けれども宝塚時代はあまりシャンソンがお好きではなかったそうです。

宝塚は夢の世界なのに、シャンソンは人間臭さがでるところに違和感を感じられていたようですが、ようやくその魅力がわかってきた、とおっしゃったことに驚きました。

杜さんの歌って全部「芝居」なんです。そしてシャンソンは特に、その歌の物語が見えてすごく合っておられるとわたし個人は思っていたからです。

杜さんは「わたしが思い浮かべている情景をお届けできたらいいな」と思いながら歌っているとおっしゃっておられましたが、こういうことを思いながら歌っておられるからこちらにも届くのだと分かりました。

今回の一曲目が「群衆」

祭の中で出会い別れる二人の物語が見えました。

そして自分と重なるところを感じるという「大根役者」。

でもこれも杜さんとは違う「光当たることもなく、厳しい暮らしの中でも、演じることがやめられない人」が見えるんですよね。

そして最後の曲「That's Life」。

卒業後すぐの頃、おやりになられていたコンサートや、宝塚歌劇100周年後のOGショーでも何度も聞きましたが、なんと今回は南風さんも「わたしもコーラスやりたい」とおっしゃってくださったとかで、非常に贅沢なコーラス入りの「That's Life」は杜さんのサヨナラショー以来でした。

歌いながら客席を回られていると、真ん中のテーブルの席の方が赤いバラの花束を杜さんに差し出されました。

それがもう本当にあのサヨナラショーを思い出させて、涙腺は完全に崩壊。

歌い終わられたあと「柴田先生からお花をいただきました」とおっしゃったので、渡されたのはお嬢さまか奥さまだと思われます。

柴田先生の「粋」をこうやってまだ見せてくださることにも感謝。

アンコールは「さよなら宝塚」。

宝塚ホテルのフェアウェルということでの選曲だったようです。

ここで出演者と吉田優子先生の「宝塚ホテル」への思い出が語られました。

杜さん、南風さんともに一次受験は別のところに泊っていて、突破できたら「次は宝塚ホテルに泊まろうね」とそれぞれのお姉さまが応援してくださり、二次受験の前にお姉さまと泊まられたエピソードを紹介。

そしてお二人のお姉さまも今日この席にいらしているとのことで、このホテルの存在の強さを感じました。

朝峰さんは関西圏なので宝塚ホテルに泊まったことがなく、今回はじめて泊まられたので今日が一番の思い出かもしれない、とのこと。

そして天羽さんは宝塚出身のため、子どもの頃から節目には宝塚ホテルで家族でお食事などをされていたとのこと。

吉田優子先生は関西圏の当時の女性は「宝塚ホテル」で結婚式をあげるのが一つのステータスだったとご紹介されました。

宝塚大劇場がなくなったときにも思いましたが、「強い思い出のある場所」がなくなってしまうのは、やはり淋しいことです。

今でもときどき、もう一度「旧宝塚大劇場」に行きたいなあと思うように、近い将来「旧宝塚ホテル」に一度泊まりたかったな、と思う日が来るのだろうなと、歌を聴きながらしみじみ思いました。

アンコールの拍手はやまず、再度登場してくださったのですが「もう歌はないのよ」とのこと。でもこの空気で歌わずには終われないからと、最後の最後にすみれの花咲く頃をみなさんで。

吉田優子先生に「すみれなら、先生、目つぶってでも弾けるでしょ」という杜ちゃんに、うんうん、と力強く頷く吉田優子先生が非常に格好良かったです。

これで本当にディナーショーは終わり。

幸せなふわふわした気分で預けた荷物を取ろうとクロークに行って、番号札を渡すとこんなカードを渡されました。

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最高のすみれ色の夢を見たひとときでした。

19世期から続く労働者の問題@ A New Musical FACTORY GIRLS ~私が描く物語~

10/25(金) 18:30〜、10/27(日)12:00〜 梅田芸術劇場

作曲 クレイトン・アイロンズ&ショーン・マホニー

日本版脚本・演出 板垣恭一

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サラ・バグリー 柚希礼音

ハリエット・ファーリー ソニン

マーシャ 石田ニコル

アビゲイル 実咲凛音

ルーシー・ラーコム  清水くるみ

ヘプサベス 青野紗穂

フローリア 能條愛未

グレイディーズ 谷口ゆうな

アボット・ローレンス 原田優一

シェイマス 平野 良

ベンジャミン・カーチス 猪塚健太

ウィリアム・スクーラー 戸井勝海

オールドルーシー/ラーコム夫人 剣幸

1.はじめに

日本でこのように大きな劇場でかかるミュージカルというのは、ほぼ100%興業会社の企画制作からはじまります。

今回の「ファクトリーガールズ」もアミューズというプロダクションの企画制作で、アミューズから「柚希礼音とソニン、二人が主人公のミュージカルをやってくれ」という依頼が脚本・演出家の板垣さんにもちかけられた、とプログラムに書かれていました。

そこからなぜ今回の「日米合作の新作」という面白い試みに発展したのか。

プログラムではケン・ダベンボード氏のホームページから「優秀な作品TOP10」の中にこの作品があったと記載されています。

(下記はその作品の詳細にあたります。原曲と英語脚本もリンクされています)

Broadway Producer Pick List: Factory Girls | The Producer's Perspective

 

しかし作曲家チームであるクレイトン・アイロンズ&ショーン・マホニーが作ったこの作品は「ニューヨーク大学のミュージカルシアターライティングプログラムの学位プロジェクトとしてはじめた」とのことで、未完成のまま置いておかれたピースでした。

2人にこの作品を完成させる予定があったなら、アメリカではまず演出家と組み、トライアウトを重ねてプロデューサーをひっぱり、オフ・ブロードウェイにかけて、ヒットすればオン・ブロードウェイに呼ばれる、という道筋もあったでしょう。

でもこの作品は日本の演出家から声がかかり、日本語の上演台本が作られ、上演するために必要な音楽を彼ら二人が新しく作曲をしていく、というレアな成り立ち方をしました。

まず最初に残念だったのは、この「レア」な点が大きく宣伝されなかったこと。

「日米合作の新作」という言葉だけでは、そこまでおもしろい挑戦であったことが伝わってこなかったのです。

このレアな点をもっと強調すれば、まずはミュージカルオタク層は確実にひっかかったと思うのです。

そしてその中の拡散力のある誰かが早目にこの作品のすごいところをふれまわれば、もっと観客を動員できたのでは、と思わずにいられないのです。

まだまだ荒削りだけれども、そのくらい「力のある作品」でした。

 

2.物語と感想

 

物語は19世紀半ば、産業革命中のアメリカ、マサチューセッツ州ローウェルという町の紡績工場が舞台です。

紡績で栄えていたローウェルに親の借金を返すため、女工として働きにきたサラ。

ローウェルで稼いで金銭的な問題を解決し、自分の自由な幸せを夢見ていたサラは、すぐに工場労働の厳しい現実にぶつかります。

一方でここでは「ローウェル・オウファリング」というローウェルで働く女性たちが自己啓発のために詩やエッセイを綴った冊子が作られていました。サラが工場に来たときには、それはマサチューセッツ州議会委員のスクーラーが発行していました。

その編集に携わっていた女工のハリエット・ファーリーはその手腕を見込まれ「ローウェル・オウファリング」の編集長になりました。

女性が言葉を綴る、意見するということが珍しかった時代「ローウェル・オウファリング」の評判は高く、世界から注目されており、その中心的な存在であったハリエットは女工たちの憧れでもありました。

しかしながら工場の経営はだんだんと厳しくなり、そのしわ寄せは女工たちの労働にそのままふりかかります。

もともと日の出から日の入りまでという長時間労働であるのにノルマが増え、鯨油ランプの導入により労働時間は延長され、労働環境は劣悪になっていきます。

ハリエットによって文章で自分の考えを発信することを学んだサラは、現在の状況を訴えるエッセイを書き上げ、「ローウェル・オウファリング」に寄稿しようとします。

しかしサラの原稿は発行人のスクーラーやスポンサーたちを刺激する危険なものだと判断したハリエットは掲載を拒否します。

そして署名を集めて州議会に提出することをサラに勧めます。

一緒に働く女工たちとともにリーダーとして行動しはじめるサラ。

1人で女性の地位向上のために戦うハリエット。

 

そんな社会と戦う女性たちの姿を描きだす作品でした。

 

舞台セット、照明、衣装に振り付けというハード面は目新しさはないものの、高水準の美しいものでしたし、何よりクレイトン・アイロンズ、ショーン・マホニーの曲が面白いのです。 

2007年に作られたとはいえ、今回のために新しい曲も作った二人。興味のある方は下記の二人のインタビューをどうぞ。

『FACTORY GIRLS』作詞作曲・クレイトン・アイロンズ、ショーン・マホニー:“国際的プロジェクト”の新たな形 - Musical Theater Japan

 

ハーモニーの重なり方や転調の仕方がとても新鮮で、歌う方は大変だろうなと思いつつ、まず音楽にとりこまれました。

そして音楽が魅力的ならばその作品はもう半分以上ミュージカルとして成功、だとわたしは思っています。

そしてキャスト陣がまた魅力的でした。

元々「柚希礼音とソニン、二人を活かせる舞台」という最初の条件があったこともあり、とくにサラの柚希礼音は日本語版脚本では「あてがき」されています。

柚希礼音のもつ存在感と類まれな才能で知らない間に周囲を惹きつけ、リーダーとなっていく姿は、本来のサラ・バグリーという人よりも宝塚トップスターとなっていった柚希礼音そのものでした。

ダンスのシーンも盛り込まれ、もはやこのサラは柚希礼音以外の人が演じたら違和感さえ覚えることでしょう。

またそのダンスシーンがいい。振り付けもいいし、心情を踊りで表現できる柚希礼音が、改めてすごい。

 

一方のハリエット役ソニンは、逆にここまで緻密に「ハリエット・ファーレイ」という人を表現するか、という繊細な演技が見事でした。

過酷になっていく労働状況に疑問をもち、仲間に盛り立てられ、みんなのために、そして自分のために活動していくサラの物語は分かりやすく爽快です。

けれどハリエットの孤独な闘いは、状況の説明が少なく、ハリエットが何でそれほどまでに慎重になっているのか、何がハリエットの問題なのか、「今がチャンス」と歌うもののその「チャンス」はどこにあるのか、一切が描かれないなかで、それでもこの人は何かサラを含むほかのファクトリーガールズに見えていない社会が見えていて、それにたった一人で挑んでいるのだ、と納得させるものがありました。そのハリエットの孤独は痛いほどに伝わり、震えながら「ペーパードール」という曲を歌う彼女を抱きしめたくなるほどでした。これはソニンにしかできなかった、そう思います。

(ちなみにソニンさんは「ローウェル・オウファリング」を読んでこの役に挑んでいます。その辺もさすがというか、カッコイイ!)

そして2人が歌う「あなたに出会えて」がまたいいのです。内容的にはWICKEDの「for good」と同じ感じなのですが、2人の声の相性がいいのか、美しいハーモニーが絶品でした。

 

知的なアビゲイル、キュートなルーシー、芯の強いヘプサベス、明るいマーシャ、純粋で優しいグラディーズ、そして暗い過去と戦うフローリアなどファクトリーガールズたちも全員魅力的で、もちろん男性陣もしっかりと枠を固めていました。

 

オールドルーシーが過去を振り返るという形で描かれたこの作品は、ルーシーの講演会という形ではじまります。

何もない舞台に一人で真ん中にたち、聴講客として見立てられた観客席に語りかける剣幸さんの存在感がまた光っていました。ラーコム夫人であり、ストーリーテラーでもある演じ分けもみごとでした。

 

3.日本で響く「メッセージ」と言葉

 

しかし何よりこの作品の魅力は「メッセージ性」だったと思います。

19世紀半ばのアメリカ工場労働者の物語は、残念ながら現在の日本の労働の場に共通する問題を多く持っていたのです。 

 

同調圧力の中の長時間労働

滅私奉公を尊いと思う価値観。

そして女性差別学歴差別、移民差別による所得の違い。

 

ファクトリーガールズは「女性の権利や地位向上」を目指した物語ですから、女性の労働に対する問題を浮き彫りにしていきます。そしてそれは残念ながら今も変化のないものも多いのです。

劇中でハリエットが「スポンサーから(ハリエットが)一緒に酒を飲んでくれなかったというクレームがあった。その辺はうまくやってくれ」というような言葉をスクーラーから言われるのですが、今この瞬間でもこういうことを言われている労働者は多いのではないでしょうか、性別問わず。

何のために働くのか

生きるためには仕方ないのか

この歌詞は自己を犠牲にして働いている人たち全員の心の代弁だと思うのです。

だからこそ、わたしはこの物語、この作品を「本当に必要な人」に見てもらいたいと切望しています。

なぜならわたしはもう「観劇」をはじめとする趣味をもち、そのための資金源として自分の楽しみのために働いているからです。

誰のためでもない。もちろん金銭的な不満や将来的な不安はたっぷり抱えていますけれど、それはわたしが選択したものであり、「自由な選択」に基づいた結果なので受け入れています。

けれど世の中にはそうでなく働かざるをえない人もいる。

ファクトリーガールズたちのように夢をもって働き始めたのに、働いているうちに見失ってしまった人たちもいる。

そういう人たちがこの作品を見れたならば、何か「助け」になる言葉、心に響く「言葉」を受け取れるのではないかと思うのです。

そして、漠然とした将来に不安を抱えている若い人たち

彼らがこの作品を見たならば、生きていくうえで何か「支え」となる言葉に出会えるかもしれない、とも思うのです。

ファクトリーガールズは「言葉の力」を信じる物語でもあるのです。

自分の考えを言葉にすることの強さ、を見せてくれます。

これはおそらく、アメリカでは訴求できない点というか、訴求する必要のない部分でしょう。彼らは「自分の気持ちを言語化し、他人に伝える」教育を受けているからです。

けれども日本ではそういった教育があまりなく、社会に出て「言語化」の難しさを知り、そのテクニックを必要としているように感じています。そしてインターネットの発達で「多数に向かって発言すること」が容易になったからこそ、「正しい言語化」のために書店でも「文章術」の本がたくさん売られているのでしょう。

劇中でハリエットに対して「意見を述べる女性が現れるなんて」というようなセリフが出てきます。それに対してハリエットはこう答えます。

驚かれるかもしれませんが

女性も言葉を持っていると

「みなさん お忘れなく」

そしてサラは「言葉」を使って「自分の意見」を述べることを覚える。

その「言葉」に賛同してくれる人たちが集う。

1つの力となって行動する。

この過程がとても魅力的でしたし、「何かをしたい」と思ったなら、サラをなぞらうこともできる、そういう道筋を見せてくれる作品でもありました。

 

4.ファクトリーガールズとはどんな存在だったか

 

一方で気になる「言葉」がありました。

ファクトリーガールズたちが「奴隷じゃないわ、娼婦でもない」と歌うシーンです。

これは南北戦争以前の物語で現実に「奴隷」がいた時代の話です。さらに「娼婦」にいたってはそれも「職業」です。彼らとは違うのだと叫ぶことは差別ではないだろうか、とも思いました。

ちなみに原歌詞ではこの部分にあたります。

OH I WILL NOT BE A SLAVE
I CANNOT BE A SLAVE 

FOR I AM SO FOND OF LIBERTY

I CANNOT BE A SLAVE

(奴隷にならない、奴隷になれない

 自由を愛するから、奴隷になれない)

ファクトリーガールズは日本の世界史の授業でならうところの、「アメリカ独立戦争」と「南北戦争」の間の時代であり、「アメリカ人とはなんぞや、アメリカ人たるものとは」みたいな意識が芽生えていた時代だと推察されます。

だからこそ、上記の原歌詞が生み出されたのだと思います。

 

「市場革命の時代における女工たちの労働運動──マサチューセッツ州ローウェルを中心に──久田由佳子著」という論文にこのような記載がありました。

論文の英語タイトルは「I Cannot Be a Slave: mill girls' protests during the market revolution」となっています。(下記より論文を読むことが可能です)

https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=906&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

操業開始当初、ヨーロッパのような劣悪な状態を避けるために、また工場労働と貧困が結びつけて捉えられないように、労働力をニューイングランドの農家出身で「教育と美徳を身につけた」未婚の女性たちに求めた。会社は、彼女たちを引きつけるために寄宿舎を建設し、「尊敬されうる」寡婦たちに管理を任せた。

ヨーロッパの劣悪な状態、といわれると「レ・ミゼラブル」のフォンテーヌが働いていた工場が頭に浮かんだあなたは間違いなくミュージカルオタクです(笑)

それはともかくとして、ローウェルの女工たちは「教育と美徳を身につけている」という自負があった、それが超訳となって「奴隷じゃない、娼婦でもない」という歌詞につながっているのかもしれません。

同論文の中には下記のような記述もありました。

 『オファリング』と『ヴォイス』の編集者はいずれも、女工が労働者を非人間化しようとする機械の抑圧的な力から自分たちを守り、労働で手を汚すことのないレディたちと自分たちが教養にかけては対等であることを証明しようとしていた点では一致していた。

『ヴォイス』とは「ヴォイス・オブ・インダストリー」の略で、劇中でサラが寄稿していた新聞です。サラはのちに編集者にもなったと論文には書かれています。

この文章からも彼女たちが「奴隷」とは立場が違っていることを認識していることがうかがえます。

そして、このような記載もありました。

ファーリーは、昨今の労働条件悪化の中では、ローウェルで開催される反奴隷制フェアに女工たちが参加するかどうかは期待できないといったことを書いていた。(中略)ファーリーが女工たち一般の奴隷制廃止問題に対する関心度を疑問視していたことは明らかである。

ハリエットが奴隷制度について問題視していることは劇中でもさらっと交わされるセリフがあります。しかしサラがどうだったかは今のところ証明するものがないようです。

もしアメリカでこの作品が英語で上演されることがあるならば、この時代のいわゆる「ローウェル・ミル・ガールズ」の考え方や立場といったものも重要な点だと思います。

彼女たちがあそこまで戦う必要があるほどにみじめには見えなかった、という意見も聞きました。

実際のところ、当時のアメリカを旅行したハリエット・マーチノウの「ウォルサム及びリンにおける状態」ではこのような記述があります。

人々は平均して週に70時間ほど働く。労働の時間は陽の長さによって異なる。けれども賃金の額は変わらない。すべてのものは、良いみなりをした若い貴婦人のようにみえる。健康状態はよい。

(原典アメリカ史第3巻[原典]ハリエット・マーチノウ「ウォルサム及びリンにおける状態」より)

もちろんこの「原典アメリカ史」でも、このような視察が入るときのみ清潔にした可能性についても言及されているし、劇中でまさしくそのようなシーンがあります。

とはいえ、ローウェルの女工たちが、他と比べると「比較的マシ」な状態であったことは確かなようです。

劇中でも最初の方は「福利厚生」的な扱いで会社主催の「舞踏会」が行われていたりします。(「舞踏会」というと豪華な宮廷で行われるものを想像しますが、普通に公民館とかで行われるパーティーです。なんでわざわざ「舞踏会」なんて言葉にしたんだろう)

ローウェルの街には、パーティーのための服を買う店があり、図書館があり、学べる環境があった。それこそ自己啓発の一環として「ローウェル・オウファリング」を制作・出版できさえしたのです。

比較すれば貧しいけれど、文化的に豊かでした。でもだからといって沈黙からは何も生まれない。

「問題は問題」として「声をあげる」ことの大切さ、それがこの作品で描かれていた一つの大きなポイントではないでしょうか。

ただ日本ではこの作品の中で「彼女たちが持っていた無意識の上から目線」については別に見せるべきところでもないと個人的には考えます。

それよりももっと、「人形じゃないわ、機械でもない」、わたしたちは「生きている人間だ」という方にフォーカスしてよかったように思います。

 

 

5.再演可能であるならば、その時の要望

 

そういうブラッシュアップもかねて、本当に切に再演を希望します。

プログラム内のキャスト対談でソニンさんが今回の公演の問題点として、下記3点をあげていました。


①公演期間が短い。

②口コミで広がる間もない。
③近いうちに再演を打つができるくらい仕上げないといけない。

 

①と②の問題が本当に表面化して、とりわけ大阪公演は客入りが悪く、再演が可能なのか非常に心配な状況です。でも万が一、再演が決まることがあるならば、まずポスターの改善を求めます。

ふんわりした印象のポスターと作品の強さがあまり合っていない、という意見も多く見かけました。たしかにこのポスターからこんな物語だったとは、わたしも全く想像できませんでした。

再演の際のポスターは、ファクトリーガールズの中で語られている言葉、歌われている言葉をそのまま「宣伝」に使ってみたらどうでしょうか。

 

疲れ切った帰りの、そして憂鬱な朝の通勤電車の中であの「言葉」たちが目に入ったら、見に行ってみようという気持ちにならないでしょうか。

手に入れたいのは

ひとりでも笑える勇気

 

私は“私”を生きたい

 

力が欲しいの

理不尽と戦える力を

 

世界に広がる自分の言葉で

声を上げてみよう

 

誰かと手をつなごう

みんな1人だから

 

いつか私が終わるとして

誇りをこの胸に歩き続けよう

世界はまだ変われるから

そしてこの歌詞のように、若い人たちには「自分次第で世界は少しだけ変えることができるかもしれない」という可能性を見せてほしいのです。

 

今回わたしがこの作品を見に行くのを一番ためらった原因がチケット代でした。そうでなくても見たい作品が多い時期で、さらに一番安い3階の天辺の席でも8,500円もしたからです。

もちろんこの作品にはそれだけの価値があります。再演されたら1番高い席で観に行きます。

でも見ないとわからない。最初のハードルが高すぎる。

だからこそ次回はスポンサーを入れて、少なくともU25チケットの設定と学生シートの導入を検討してもらえると嬉しいです。

この作品のスポンサーになってくれる勇気ある会社があるならば、それだけで尊敬に値します。

労働者側の問題を描いた作品のスポンサーになるというのは企業として成熟していると思えるからです。

ライブとショーの間に@来日公演ボディガード

10/19(土)17:30~ 梅田芸術劇場

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キャスト表

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元ネタはもちろん大ヒットしたこの映画です。

 

ボディガード [Blu-ray]

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1992年公開の映画ですので、逆算するとわたしは16歳。

高校生なので、見に行っていてもおかしくは全然ないのですが、そんな余裕のない高校生活を送っておりました。(残念ながら「デートで見た」とかいう色恋沙汰もなし)

それでもこの主題歌は知らないうちに脳裏に焼き付いたし、ポピュラーミュージックに全く明るくなかったわたしでもホイットニー・ヒューストンというアメリカの歌手とケビン・コスナーというアメリカ人俳優を認知したので、一世風靡したといってもいいでしょう。

その後、大学生くらいのときにレンタルビデオか何かで見た記憶はあるのですが、物語は全く覚えていませんでした。

ということで、わたしの事前の認識は下記3点。

  1. ホイットニー・ヒューストンの役はスターだった。
  2. ケビン・コスナーは彼女を守るボディガード。
  3. 二人は恋に落ちる。

 

まんざら間違っていませんでした。

というか、この舞台版「ボディガード」は本当にこの3つのパートだけで作られていたように思います。

というのもあまりにも映画の記憶がなくて、ウィキペディア先生にきいてみたら、舞台で見たよりもうちょっと事情が複雑だったからです。

そして映画版が記憶にある方は、「ポートマン役」がキャスト表で「ストーカー」としか書かれてないあたりで、その辺を察していただけるのではないでしょうか。

ミュージカル「ボディーガード」は物語を極力そぎ落としたショーだったのです。

舞台もライブのようなT字のエプロンステージがあって、スター・レイチェルが歌いに歌い、ステージダンサーたちが踊りに踊って、合間にまるでライブの演出のようにストーリーがある、といった感じでした。

本来「踊り・歌・芝居」の三本柱で成り立っているはずの「ミュージカル」を期待するとがっかりするかもしれないけれど、国内で海外スターシンガーのライブショー、もしくはアカデミー賞授賞式を見ている感覚、というのもめったにできない経験なので、とても面白かったです。

むしろ「ミュージカル」を見たことがない観客には、ライブ的なステージングが多いので、見やすかったんじゃないかと思います。

その上で一部の幕開きの衝撃とか、映画でも有名なシーンをとある手法でシルエットとして浮かびあがせるとか、惹きつけるところは惹きつけるのがさすが。

 

もちろん「ミュージカル」好きとしては、もうちょいレイチェルとフランクが恋に落ちる過程、そして姉ニッキーとレイチェルの姉妹の複雑な感情なんかを丁寧に描いてくれたら、物語に入り込めたのになあとは思いますが、この演出はそれを狙っていないと思うので、あるがままを楽しむのが一番だったと思っています。

 

個人的には二部幕開きのショーシーンが最高でした。

レイチェル役はあくまで「歌手」なのでそれほど踊らないのですが、代わりにバックダンサーたちが踊りまくります。その点は日本と変わりないのですが、二部幕開きの曲がサルサのリズムでペアダンスだったんですね。

そのサルサダンスのパフォーマンスが、それだけでもサルサパフォーマンスとして成り立つレベルで、「ああ、ペアダンス文化のある国のペアダンスのレベルって違うよなあ」としみじみしてしまいました。

 

わたしが見た回は観客に光るブレスレットが配られて、フィナーレで客席もそれをつけて一緒にライブを体感する、という趣向がありました。

普段ライブとか行かず、声を出すのが苦手なわたしにはなかなか難しかったのですが、ちょうど後ろの席に制服を着た高校生の団体客がいて、彼らがもうライブの客さながらに、ものすごい盛り上げてくれたんですよ!

客席にいたわたしも楽しかったとともにキャストも三階席の一番後ろからこんな大きな歓声と声援がとんで、盛り上がってくれて嬉しいだろうなあと感じました。

 

もう一つ思ったのが、この作品だと「演技」があんまり出来なくても、スターのオーラと歌唱力さえあればレイチェル役として舞台に立てるし、フランクはある程度の演技とレイチェルをお姫様抱っこできる力だけあれば、この舞台に出演できるんです。

ダンサーもそう。普通のバックダンサーの人たちがそのままその力を舞台にのせられる。

その分キャスティングに幅が出せる。つまりキャスティング次第では普段舞台を見に行かない層を劇場に連れてこれる可能性がある演目でもあると思います。

そういう意味でさまざまなパフォーマンスの垣根が曖昧になる良さ、というのを感じた作品でした。

だからちょっと日本版ボディガードの配役がちょっと残念です。フランクの大谷亮平さんは、ドラマからファンになった人を呼び込める良いキャスティングだと思うのですが、レイチェル役が新妻聖子さんと柚希礼音さんというガチガチミュージカル畑の人。

ここは1つ普段演技とかしないスター歌手の方をキャスティングしても面白かったと思うのですが、そこまですると通常の舞台ファンの動員を見込めないと考えた結果なのかもしれません。

立っているだけで支配する@劇団☆新感線いのうえ歌舞伎《亞》けむりの軍団

 10/12(土)フェスティバルホール 18:30~

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脚本:倉持裕

演出:いのうえひでのり

キャスト

真中十兵衛 古田新太

飛沢莉左エ門 早乙女太一

紗々清野菜名

雨森源七 須賀健太

嵐蔵院 高田聖子

残照 粟根まこと

美山輝親 池田成志

 

こちらに書いたように、わたし実は生で「いのうえ歌舞伎」を見るのははじめてになります。

 

stok0101.hatenablog.com

そんなはじめての「いのうえ歌舞伎」はこんな内容でした。

 

戦国時代の真っただ中、目良家に政略結婚で嫁いできた紗々姫は、嫁ぎ先が約束を破ったことに危機を感じ、実家である厚見家に戻ろうと家臣の雨森源七とともに逃げ出す。

しかしながら雨森源七だけでは厚見家まで無事にたどり着くのが難しいと感じた紗々姫は、とある宿屋で出会った真中十兵衛と美山輝親にも護衛を頼み、目良家からの完全逃亡を図る。

成り行きで紗々姫とともに目良家に対立することになった真中十兵衛と美山輝親。

さまざまな奇策を用いて、対抗していくのだが・・・。

 

保身のためのウソ、周囲の勝手な思い込み、そしてそれを利用してウソにウソを重ねて、だまし、だまされる構造はシェイクスピア喜劇のようで、とても面白く見ました。

黒澤映画へのオマージュをちりばめた、とのことだったので、黒澤映画をご覧になられている方はもっとこまごまと面白かったのかもしれません。

劇団☆新感線の舞台というと「映像」の演出が特徴的なのですが、今回はワンシーンが終わって幕、そこに映像が流れて舞台転換、というつくりでした。

もちろん映像の使い方は「あ、ここで名前紹介とか出るのかー」とか興味深かったのですが、舞台としてはよく言えば「シンプル」、悪くいえば「ワンパターン」な転換でした。

セットもちゃんとしているけれどとりわけ物珍しいものもなく、盆が回ったり、セリがあがったりすることもなく、舞台の使い方としては本当に見どころが全くなかったのです。

それが返って不思議だったのですが、ふとこの演目に「いのうえ歌舞伎」と肩書がついていることを思い出しました。

「いのうえ歌舞伎」とはいのうえかずきさんが役者に「歌舞伎的」な演出をすることだと勝手にずっと思い込んでいました。

特に上記にもあげた「阿弖流為

 

 の映像特典で中村七之助さんが「古田新太さんとかいつも自由に演じていていいなあと思っていたけれど、いのうえさんの演出を受けると、ここで三歩歩いて振り返ってセリフをこう言うとか歌舞伎のやり方と似ていて驚いた」的なことをおっしゃっていたことが、この思い込みの原因かと思います。

何が言いたいかというと、この「一場面ごとに幕がしまって、次のシーンになる」という手法そのものも、考えたら「歌舞伎」だったということなんです。

たしかに古典歌舞伎の演出って、花道とか使っていてもその間にセット転換することはないんですよね。

なので、幕に映し出される映像の文字は歌舞伎の「イヤホンガイド」だと思えばいい、と考え直すと、なんかすっきりしました。

とはいえ、特にラストシーン前の登場人物たちのその後が映像文字で流れるところは読むのが大変だったりもしたので、脚本・演出ともにブラッシュアップしてくれると嬉しいなあと思います。

もしくは「いのうえ歌舞伎」にも「イヤホンガイド」を導入してみるのも面白いかもしれません。

演出で1つ印象的だったのが、妖願寺のシーン。

ここで読経で歌い踊る住職や信者たちが、まるでゴスペルのようで、もしかしたらこの時代の仏教の説教シーンってこうだったのかもしれない、と楽しいとともにとても興味深く見ました。そして何より振付がいい!

歌舞伎なので、もちろん歌い踊ります。

現代の「歌舞伎」を十二分に堪能させてくれる作品だったと思います。

 

そしてその「歌舞伎」を成り立たせるのが「花形役者」です。

古田新太さんです。

初「いのうえ歌舞伎」ではありましたが、古田新太さんを舞台で拝見するのは、1997年朗読劇「ラブレターズ」から22年ぶり2回目です。

つまり主役で動く古田新太さんを見るのもはじめてでした。

舞台の古田新太さんはすごいよ、と聞いてはいたのですが、本当にすごかった。

この演目終わって直後のわたしの感想はただ

古田新太、カッコいい・・・!

でした。 

今回は賭博師で、軍師で、情に厚いのか薄いのか、やる気があるのかないのか、なんだか全然わからない人物なんですけど、そこが人間味があってチャーミング。

この作品を見る前に立て続けにゲキシネ「髑髏城の七人」の「上弦の月」「下弦の月」を見たのですが、両方とも主人公がチョロチョロ動くのが気になってしょうがなかったんですね。

でそういう演出になったのは、「大きな空間を立っているだけで埋められなかったから」ではないかと思ったのです。

今回わたしは3階席の後ろの方で見ていたのですが、それでも届く古田新太さんの存在感。

ピンスポットを受けて客席を振り返り、ただ立っているだけで魅せる。

無駄な動きが一切ないんです。というかあえて必要以上の動きはしていないような気がしました。

でも激しい殺陣のシーンももちろん魅せるし、ふざけているシーンも真剣なシーンも魅せる。

かつて宝塚歌劇団にいらっしゃった岸香織さんという方が著書の中で「これからの宝塚を背負ってくれそうなスターはいるか?」という質問にこう答えていらっしゃいました。

いつの時代にもスターはゴロゴロいます。(中略)花があって人気もなくてはならない。が、私に言わせると「花と人気だけでは三時間に及ぶステージは勤まらなぬ。」(中略)

演じて、見せて、決める、世界なのだ。

演じてウマイ人は多いが、見せ方が足りないと魅力は半減する。また、これぞタカラヅカの「決め」が弱いと、ライト消せない(かっこいい暗転)幕しまらない。

虹色の記憶―タカラヅカわたしの歩んだ40年 (中公文庫)

虹色の記憶―タカラヅカわたしの歩んだ40年 (中公文庫)

 

「演じて、見せて、決める」

まさしく古田新太さんがそれでした。

この人が振り返り立っているだけで、幕を閉められるんです。

そしてドタバタと忙しく、ある意味見づらい、このなんでもない喜劇を最後に「なんかいいもの見た、かも」と思わせるのです。

古田新太さんは間違いなく本物の「花形役者」でした。

 

今回そのバディ役だった池田成志さんはなんとも言えない役を巧妙に軽く演じていらしてさすがでしたし、高田聖子さんはバシッと場面を締めてくれていました。

なにより妖願寺の住職二人組(粟根まことさん&右近健一さん)がいい。

ストーリーの中心は清野菜名ちゃんにあって、彼女にくっついている須賀健太くんや、彼女を追う早乙女太一くんがどうしてもフューチャーされます。

清野菜名ちゃんは身体能力が高くて、動きも演技も魅せてくれましたし、須賀健太くんは「上弦の月」で気になった声もそれほど気にならず、出すぎず引きすぎないいい演技でした。

そして早乙女太一くんの「うまくしゃべれない」役づくりはイマイチだったものの、もはやアートパフォーマンスのような殺陣は圧巻!

けれどやはり三人とも若い。もちろんそれがいい。

そしてその三人の若さに対比するのが妖願寺シーンの安定感なんですよ。

お二人の役者としてのスキルの安定感。セリフが聞きやすい。物語をしっかり支え、進める安心感と面白さ。

花形役者がいて、脇をしっかりしめる役者がいて、本当に魅力的な劇団だなと思いました。

この演目自体は、それこそ「髑髏城の七人」のようにもっと進化できると思います。

ぜひ進化し、再演されるときがきたら、今度は1階席で古田新太さんのオーラを感じてみたいものです。

極上の幸せ@杜けあき40周年記念コンサート

8/17(土) 18:00〜 ヤマハホール

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出演者

杜けあき

ゲスト

南風まい/尾上五月(五月梨世

海峡ひろき/紫とも/鮎ゆうき/はやせ翔馬

 

杜けあきさまの芸能生活40周年ということで開かれた1日だけのコンサート。

昼の部と夜の部とあったのですが、客席数300強のヤマハホールでのチケットは即完売。

ヤマハホールの天辺からではありましたが、夜の部だけでも見られたことに感謝したい、すばらしいコンサートでした。

 

わたしは杜けあきさま(杜ちゃん)のファンなので、もう感激しかありません。

そんな感激の一部始終を書き残しておきます。

 

第一部

パラダイス・トロピカーナ

 

杜ちゃんトップ4作品目のショーの主題歌です。作・演出は酒井澄夫先生。90年7、8月の作品でした。公演中に杜ちゃんのお誕生日(7/26)があったこともあり、その日芝居、ショーともにバースデーアドリブがあって、すごく思い出に残っています。

杜ちゃんトップ時代唯一のラテンショーで、テレビ放映されなかったショーでした。

けれども本当に美しくて、楽しいショーだったので、大好きで大好きで、いつか再び見られる日が来るといいなあと思っていた、そんなわたしたちの気持ちを汲んでくださったのでしょうか。

OGショーなどでも歌われたサビの部分ではなくて、なんと幕開きのところを歌ってくださったのです。

29年前の光景が一瞬にして蘇りました。

 

基本的に海峡ひろき(ミユ)さんとはやせさんはダンサーとしてご登場。衣装もダンス用のシャツとパンツスタイル。

今ご自分のダンススタジオを運営なさっているはやせさんは男役そのままに、そして一般人に戻っていたことなんかチラリとも感じさせないミユさんのダンスもステキで、本当に感激でした。

 

杜ちゃんは今年還暦を迎えられたとのことで、赤いフワフワの生地のドレス燕尾服でご登場。

この衣装にネーミングされていたのですが、ちょっと聞き取れず残念。

ご挨拶のあと、宝塚時代の曲がメドレーで送られました。

 

【宝塚メドレー】

ブライト・ディライト・タイム

これは杜ちゃんトップ3作品目、90年のお正月公演のショーでした。作・演出は三木章夫先生。

ここも幕開きの部分を歌ってくださいました。

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当時銀橋の真ん中に立つ杜ちゃんだけにピンスポットがあたって、今回歌われたフレーズのあと、本舞台の幕が開いて、金色のスパンコールの衣装を着た雪組生たちが舞台を埋め尽くし、照明もいきなり明るく輝き、あまりのまぶしさに「うおおおおおーー!」と心の中で叫んだことを昨日のことのように思い出した瞬間でした。

 

ラ・パッション

杜ちゃんトップお披露目公演のショー主題歌です。89年の2、3月公演だったのかな?作・演出は岡田敬二先生。

これはテレビで見た限りですが、歌は6月の吉崎寺田コン

 

stok0101.hatenablog.com

でも聞いたばっかりだったので、ちょっと落ち着きを取り戻しました。笑

 

永遠の愛(ムッシュ・ド・巴里)

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これが杜ちゃんトップお披露目公演のお芝居の方で、わたしがテレビ越しに杜ちゃんに一目惚れした作品でした。

作・演出はかつて宝塚で演出家をなさっていた太田哲則先生。

この主題歌

♪あなたに憧れて、夢に見て

 見つめる瞳は輝いて

 なぜこの心はときめくの

という歌詞はもちろん杜ちゃんの役が相手役さんに向けて歌うものなのですが、まるでファンの気持ちそのもので、大好きな曲でした。

思わず口ずさんでいたら、ここで鮎ゆうきさん(アユちゃん)がご登場。

ものすごく美しくて、キラキラしていらして、杜ちゃんがアユちゃんの手を取って、アユちゃんが杜ちゃんに寄り添った瞬間、杜ちゃんもキラキラ輝いたんです!

ああ、これか。

これが杜ちゃんがアユちゃんを相手役に選ばれた理由なんだなあと涙しながら実感しました。

実力派のトップスターには、圧倒感はあっても派手さはなくて、そこをアユちゃんが本当に補ってくださっていたのです。

当時はお二人で登場されることが当たり前すぎて気づかなかったけれど、アユちゃんの輝きは周りもキラキラ光らせることを、それが杜ちゃんをもっと魅力的に魅せていたことに心から今さら感謝したのでした。

 

黄昏色のハーフムーン

杜ちゃんトップ4作品目のお芝居。90年の7・8月公演。作・演出は今はショー演出家の方を主にやられている中村暁先生。中村先生の大劇場デビュー作品で、軽いコメディーでした。

残念ながら作品としては良作とは言えず、あまり客入りもよくなかったことを覚えています。

おかげで夏休み中の中学生だったわたしは当日券がカンタンに買えて助かりましたし、軽くてかわいいコメディーは中学生のわたしには楽しく、大好きな作品の1つでもありました。

ここもアユちゃんとデュエット。

とはいえ、アユちゃんは残念ながら芸の方はそれほどではなくて、特に男役から娘役に転換したこともあり、高音域の歌は苦手でいらっしゃいました。

そんなわけでデュエットといっても、ほとんど歌う部分がないのが今さらながら残念。

でもこの作品のアユちゃんは本当にかわいくて、この時もやっぱりかわいくてキレイで、眼福のひとときでした。

 

この恋は雲の涯まで

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これが杜ちゃんトップ時代7作目の一本物。

92年の4、5月公演で76期生(瀬奈じゅんさん、貴城けいさん、大空祐飛さん、檀れいさんたち)の初舞台公演でもありました。

源義経チンギス・ハーンである、という仮説を基に作られた作品で、再演物でした。作・演出は植田紳爾先生。

トップ娘役のアユちゃんが、6作目で退団なさったので、ここで満を辞して紫ともさん(トモちゃん)が相手役に。

色気と実力を兼ね備えた相手役さんが来てくれて本当に嬉しかったことを思い出します。

トモちゃんとはデュエットもしっかり。

またトモちゃんは現在ジャズシンガーでもあるので、当時よりさらにパワーアップした歌声を披露してくれました。

 

スイート・タイフーン

杜ちゃんトップ時代5作目の洋物ショー。海外公演の試作ということで、日本物ショー「花幻抄」、二番手の一路真輝さん主演の短いお芝居「恋さわぎ」とともに上演されました。91年2・3月公演で、作・演出は三木章雄先生。

正直ほとんどプロローグしか記憶がないのですが、そのプロローグを模した布陣でミユさんとはやせさんが踊ってくださり、感動。

 

清く正しく美しく

宝塚の記念式典では必ず歌われる曲ということで、南風まいさん(マイマイ)が美声を轟かせてくださいました。

お昼の公演でまちがったホール名を言われたらしく「このヤマハホールヤマハホールで歌えて光栄です」とお話ししていらしたら、杜ちゃんが黒スパンコールのタキシード風お衣装で再登場。

めちゃくちゃマイマイに突っ込んでらしてました笑

 

ここで早月さんを除く出演者、演奏者全員の紹介があり、今回は南風まいさんと杜ちゃんのデュエットがないことを早々に告知。

おふたりのデュエットはディナーショー待ちってことでしょうか。残念。

そして次のコーナーからお芝居混ざりで当時を再演という形になりました。

 

【メモリアルin宝塚】

ヴァレンチノより

★アランチャ

★ラテン・ラバー

小池修一郎先生のバウデビュー作ですが、わたしが見ているのは再演のほう。

トモちゃんが相手役だったので、それだけでも見られていてよかったなあとしみじみ。

アランチャを少し歌って、ザクっとヴァレンチノのストーリーをセリフ形式で紹介。

「ある女性との出会いが人生を変えた」と今回のために作ったセリフがあり、ルディがジューンに歌う「アランチャ」がはじまります。

セットはもちろんありません。小道具は杜ちゃんのもつオレンジの枝だけ。

トモちゃんのセリフ間違いに杜ちゃんのツッコミもありました。

それでも、わたしが見たルディとジューンがそこにいて、というか、むしろジューンは今のトモちゃんの方がジューンにそぐわしくて感涙。

「チャオ、ジューン!」と劇中のセリフのままに去っていくルディ。

そして続く「ラテン・ラバー」。完ぺきでした。

 

天守に花匂い立つより

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★相合傘

天守に花匂い立つ

ここは先に杜ちゃんがアユちゃんとともに再登場。

90年お正月公演だったこの作品。先日お亡くなりになられた柴田侑宏先生の作・演出でした。柴田先生の作品としてはけっこうレアなアテ書き娯楽作品だったのではないでしょうか。

柴田先生のお名前で本日深紅のバラの花束が届いたことをご紹介、そして、柴田先生の思い出話しがありました。

この作品の頃から柴田先生の目はかなり見えなくなってきていたとのこと。「忠臣蔵」のときはすでに全く見えない状態だったそうです。

でもそんなしんみりしたエピソードのあと、おちゃめなエピソードをアユちゃんがご紹介。

この作品の主人公は杜ちゃんの故郷・仙台藩の藩主の嫡子で「加納真之介」という名前だったのですが、これが杜ちゃんの本名「狩野」から取られたということは当時から有名でした。

そうなるとアユちゃん演じる「ゆき」はどこから?というお話になりました。

真之介のセリフがすごく「ゆき」に対してまっすぐ愛を語るものが多かったので、杜ちゃんが「当時高嶺ふぶきちゃんがユキちゃんって言ってたんですけど、彼女が自分のことだと言い張ってたし、『ゆき』という名前のファンの方からよくありがとうございます、って言われた」というエピソードをご紹介。

アユちゃんはアユちゃんで「鮎ゆうきのゆうきを短くしたのかも」と思われていたそうです。

でも昨年杜ちゃんがパーソナリティをつとめられていたラジオ番組に柴田先生が登場されたのを聞かれてはじめて、「『ゆき』は柴田侑宏の『侑』からとられたことを知った」とのこと。

「どうりで先生、おけいこ中『照れるわー』てよくおっしゃってたはずだよね」と杜ちゃん。

わたしはラジオを聞いていたのですが、今さらながらこの作品の真之介のセリフは「柴田先生が自分が女性だったら言ってもらいたい言葉集」だったのかもしれないということに気付きました。

そんな柴田先生の愛が詰まったこの作品は、ラストシーン前の真之介とゆきのラブラブなセリフからはじまるということで、「今日客席に(アユちゃんの)旦那さん来てるけど大丈夫?」なんて杜ちゃんからの絡みがあって、懐かしくも愛おしいセリフから「相合傘」へ。終わって主題歌へと続きました。

 

小さな花がひらいたより

★夕焼け小焼け

★小さな花が開いた

★もう涙とはおさらばさ

何度か再演されている作品ですが見たことがなく、一度見なきゃなあと改めて思いました。

これも柴田先生の作品。山本周五郎の「ちいさこべ」が原作です。

これの81年星組版にマイマイが出演されていて、新人公演ではヒロインを務められたこともあり、マイマイは大好きな作品のようですね。

ここには杜ちゃんは登場せず、マイマイが作品の説明をされて、子どもたちの役をミユさん、トモちゃん、はやせさんが演じられました。

マイマイも歌唱も演技ももちろんさすがでしたが、トモちゃんの子役がかわいくて!

声もこまっしゃくれた女の子なんですよ。

(同じ柴田先生作品「大江山花伝」のふじこ役を思い出させるかわいさでした!)

ミユさんもはやせさんもかわいい子供たちを違和感なく演じ切っておられました。

 

そして杜ちゃんとアユちゃんの再登場。

「稽古はじめた当初はどうなるかと思ってたけどみんなすごい!全員人生半世紀以上も生きてるなんて信じられない」と一言(笑)

アユちゃんはデイジー風のヘアスタイルにチェンジされていて、お二人にとっても大事な作品について語られました。

 

華麗なるギャツビーより

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★デイジー

★朝日の昇る前に

杜ちゃんのトップ時代6作品目にして、アユちゃんのサヨナラ公演でした。

作・演出は小池修一郎先生。91年8・9月公演でした。

以前スカイステージで「演出家と語る」という番組に小池先生と杜ちゃんが出演なさったときに、バウデビュー作「ヴァレンチノかギャツビーか」と提示して、結局「ヴァレンチノ」になったとお話しなさっていました。

そのお話しをここで杜ちゃんからご紹介があり「よくギャツビーを待ってくれた。アユちゃんを待ってくれてたんだよ。アユちゃんだから、(ギャツビーの)セリフにウソがないのよ!」と力説。

謙遜するアユちゃんでしたが、こちらも心の中でその通りだなあと思っていました。

「君は薔薇よりも美しい」という名セリフがあるんですけれど、見ているこちらも「その通り」と頷くしかなかった美貌のデイジー

その全く衰えない美貌のままのデイジーがいて、初演から今までに宝塚と東宝で一度ずつ再演がありましたが、やっとホンモノのデイジーに再び出会えた、と思いました。

このお話しの前にも「映画を見てどう思った?」というトークもあったのですが、杜ちゃんは「これやるのかー。ロバート・レッドフォード、カッコいいな」という軽い感想。

対するアユちゃんは、デイジーが空虚で純粋で傲慢で、女性の内面の全てを持っていて、そのまま演じると「ヒドイ女」になってしまう、宝塚のヒロインがこれでいいのだろうかとかなり戸惑ったとのこと。小池先生が宝塚風に柔らかくしてくださってよかった、とおっしゃってました。

でも小池先生の柔和したところは原作と比較してもそこまで違えた訳ではなくて、最後墓参りに行くか行かないか、が1番違ったくらいだと思うんですよ。

だからあのデイジーの魅力はひとえにアユちゃんの美貌と努力の結晶だと思います。

 

再現シーンは、デイジーが事故を起こした後の2人の銀橋の場面。

運転していたのはぼくだ、というギャツビー。

そうしたらあなたが犯罪者になってしまうと嘆くデイジー

少しの間とちょっと切ないトーンを帯びてギャツビーが少し笑みを浮かべながら「裏街道にはなれているんだ」という。

デイジーには告げたくなかった真実。

わずかのセリフの間とトーンでその心の内を表現してしまう杜ちゃんの演技のすばらしさ。

今さら信じてもらえないかもしれないけれど、あなたが好きよ、と告げるデイジー

言う瞬間にはデイジーにはウソはないのでしょう。だって身代わりになってくれるのだから。

これからの自分の人生は空虚だけど変わらず豪華で贅沢なものだから。

そのデイジーの言葉をまんま受けたギャッビーが、このコンサートだけのセリフとして「ぼくは銃弾に倒れることになった。でもぼくは幸せだ。ぼくはこの死によって永遠に彼女の中で生き続ける」みたいなことを言ったのです。

当時見ながら、ギャツビーは幸せな最期をむかえたと感じていた自分は間違ってなかったんだと改めて思いました。

杜ちゃんがそういう気持ちでギャツビーを演じていたことがわかってよかったとともに、「ギャツビーってバカだ。本当にバカだ」と「朝日の昇る前に」を聴きながら涙せずにはいられませんでした。

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だって確実にデイジーはギャツビーを忘れるからです。

都合の悪いことは忘れるんです。

デイジーにとってギャツビーはちょっと大き目の自分が足蹴にしてきた石の1つでしかないから。

摩利と新吾」のエピソードの中で、戦争未亡人が「バカも貫きとおせば本物になるんですよ」というシーンがありました。

バカを貫き通したギャツビーの人生が、あまりにも鮮烈で、本物の愛だったとギャツビーだけが信じているのが哀しく愛おしくて、だから今でもずっと捕らわれているのかもしれません。

 

戦争と平和より

★生命こそ愛

ここはマイマイのソロ歌唱。

素晴らしいの一言。

 

忠臣蔵より

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★花ひとつ

★花に散り雪に散り

杜ちゃんのサヨナラ公演でかつ、旧宝塚大劇場の最後の作品でした。92年11・12月公演。

作・演出は柴田先生。

再度、杜ちゃんとトモちゃんがご登場。

当時の思い出がいくつか語られましたが、印象的だったのは、大石内蔵助役のとき、組子から稽古場の外でも「ご家老」と呼ばれるのだけが抵抗あったとのこと。今までも役によって「殿」とか呼ばれたけれど、スーパーで会ったときに下級生から「ご家老」と呼ばれたときは「本当、外でご家老だけはやめて」とお願いされたそうです。笑

「花ひとつ」はトモちゃんとのデュエットだったのですが、この作曲が今回ピアノで参加されていた吉田優子先生の大劇場2、3作目の作品ということが紹介されました。

吉田優子先生も杜ちゃんと同期入団とのことで、吉田優子先生の芸能生活40周年記念でもありました。

忠臣蔵」という男っぽい作品の中で、仇同士の男女が一夜をともにした後の歌であるこの曲が匂いたつように色っぽくお好きだそうです。

大石内蔵助がトモちゃん演じる間者のお蘭に名前をきくくだりからセリフの再現があり、この曲が歌われました。

アユちゃんとは、もともとデュエットがほぼない作品ばかりだったので、トモちゃんとのデュエットを堪能しました。

そして主題歌へ。

杜ちゃんの宝塚人生とともに一部が終わりました。

 

第二部

オーバーチュア(音楽演奏のみ)

祭り

深川(舞踊)

「祭り」は先述した「花幻抄」の中で使われた曲で杜ちゃんは客席からご登場。

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二階席だったのでほとんど見られなかったのが残念ですが、その分歌声と楽器演奏を楽しみました。

そして同じ作品の中から「深川」を同期生の尾上五月(五月梨世)さんと踊られました。

当時の公演では松本悠里先生が踊られたパートを現在日本舞踊の教師をされている五月さんが踊られました。

チャキチャキしたリズミカルな舞踊なので、個人的には松本悠里先生よりも元々男役だったという五月さんの方が、踊りの性質上とてもあっていたと思います。

杜ちゃんも気楽なのか伸び伸び踊られていました。

 

Here's To You

あなたを見つめると

お着物での舞踊だったためここからはマイマイが二曲続けて歌ってくれました。

「あなたを見つめると」はスカーレット・ピンパーネルの曲でなのですが、すごかったです。

マイマイの声って楽器のように響くんですよね。もちろん情感もたっぷりで、ステキなマルグリットがそこにいました。

 

ここでミユさん、トモちゃん、アユちゃん、はやせさんも登場。

それぞれに杜ちゃんとの思い出話がありました。

アユちゃんは相手役あるあるの、キスシーンで杜ちゃんの鼻の頭に赤い口紅をつけてしまったお話しでした。

トモちゃんの思い出話がなんと「はばたけ黄金の翼よ」の新人公演のときのことで、そうかこの2人が新人公演のヴィットリオとクラリーチェだったのかと感慨深く聞きました。

ミユさんのお話しがユキちゃんのお名前も出てきたのですが、忘れてしまったのが残念。

というかミユさんの「華麗なるギャツビー」のトム・ブキャナンが大好きだったので、ミユさんも交えて再現シーンもほしかったとか贅沢なことを考えてたからぽこっと抜けているのかも(^◇^;)

そして杜ちゃんが大好きな曲をみんなで歌いますってことで次の曲が歌われました。

ビューティフル・ラブ

マイマイのソロ歌唱から次々歌い継いで、最後コーラスになるんですけれど、マイマイの声量に他のみんながついていけないため、マイマイがグッと声量を押さえたのがすごかったです。

きっと宝塚で歌ってらしたときは、ソロ以外はいつもそうされていたんでしょうね。

 

杜ちゃんが白いドレスに着替えてご登場。

この道を

これは小田和正さんの歌で、一目惚れならぬ、一聴き惚れされた曲だそうです。

 

大根役者

これは当時バウホールでのシャンソンコンサートで、割り当てられた曲だったそうなのですが、すごく「役者バカ」な曲で、とても杜ちゃんらしいステキな歌でした。

 

That's Life

前述の「ブライト・ディライト・タイム」のフィナーレ大階段で歌われた曲。

この頃は今のようにショーのフィナーレテンプレートがなくて、杜ちゃん時代の雪組はデュエットダンスはなくて、杜ちゃんの大階段ソロ歌唱で終わって、階段降りになる流れでした。

三木先生のつけられた歌詞がステキで、わたしも当時ラジオを録音して、辛いことがあったら部屋に閉じこもって何度も何度も聞いて、がんばろうと立ち上がった曲ですが、杜ちゃんにとっても大事な一曲で、サヨナラショーやCDはじめ、今も歌い続けられている曲です。

この曲の中で

♪夢を捨てるやつ、拾うやつ

という歌詞があるのですが、聞いていた当時は「夢を拾うやつ」になるために命燃やして立ち上がって生きていくんだ、と思っていたのに、結局「夢を捨てるやつ」になったなあと感慨深かったです。

 

ここで全てのセットリストが終了。

でももちろん拍手は止まなくて、アンコールで歌われたのが、これからずっと歌っていきたいと紹介された曲でした。

My Life

なんと萬あきらさんの訳詩だそうです。

 

現役時代、杜ちゃんがあまりに厳しくて組子がついていけないというウワサは聞いていましたし、実際にラジオとか聞く限り、難しそうな方だなあと感じてもいました。

でも40周年にあたって、同期生はともかく、相手役さんお二人に下級生お二人が出演してくださって、さらに上級生の訳詩の歌を歌われる杜ちゃんを見ながら、杜ちゃんが心血をそそぎ、最上級のパフォーマンスを魅せるために本当に努力されていたんだなと思いました。

だから時間が経っても、当時の近しい人たちが集まってくれる。

時間が経ったから、かもしれませんが、あの頃には見えていなかった杜ちゃんの姿が見えたような気がした最高の時間でした。

杜ちゃんが「身体が動くうちにできてよかった」とおっしゃっていましたが、本当に生きていてくださって、歌える声が出て、コンサートをやり遂げられる体力があるときにこの時間をくださったことに、ただただ感謝しかないひと時でした。

レモンはレモネード以外になれたのではないか@柚希礼音ワンマンショー・ミュージカル「LEMONADE」

7/14(日)17:00~ シアター・ドラマシティ

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キャスト 柚希礼音

作・演出:小林 香

音楽:江草啓太

振付:川崎悦子 Oguri(s**t kingz)

美術:石原 敬

照明:高見和義

音響:山本浩一

映像:石田 肇

 

柚希礼音芸能生活20周年の記念ミュージカルで、小林香さんが作・演出をするということで、「REON Jack」のようなファンクラブイベント的ショーでもないだろうと思い、見に行きました。

でも結果的にはやはりファンクラブイベント的ミュージカルだったように思います。

柚希礼音さんが自身のファンのために、「こういう自分が見たいのではないか。そして、自分は今、こういう部分も見てもらいたい」というリクエストを小林香さんに託した結果、これができあがったような、そんな気がしています。

 

わたしは「一人芝居」はわりと見ている方だと思います。

ロンドンで所属していた小劇場劇団が「ワンマンショー」をよくやっていたからです。

 



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これ以外にもゴゴールの「狂人日記」の一人芝居も見ています。

彼らはプロではなかったけれど、きちんと専門学校や大学で演劇を学んだ人たちでした。優れた脚本と優れたパフォーマーでも「一人芝居」を成り立たせるのは1時間くらいがリミットではないでしょうか。

今回はミュージカルということで歌とダンスがあったけれども、それでも2時間弱はかなり長く感じました。

逆にいうと2時間弱を1人で歌い踊り続けた柚希礼音さんの身体能力はすばらしかったです。

 

ストーリーはこんな感じでした。

 

とある岬の先端にあるサナトリウムで療養しているハイル。

彼女は1年前に自身の広告代理店(ハイル・アド)を立ち上げ軌道に乗っていたが、ある日突然倒れ、病院に運ばれた。

無菌室を経てサナトリウムに移った彼女の中には、ブルーとリラという二つの人格が宿っていた。

自分が多重人格であることを受け入れられないハイル。サナトリウムの部屋で燈台の管理人だった男の古い日記を見つける。

 

ブルーが柚希礼音さんがファンにサービスとして見せた男役の部分、そしてリラがたぶん見せたかった女の部分。それを両立させるためにこのストーリーが作りあげられた気がします。

何が個人的にきつかったかというと主人公の仕事が「広告代理店」だったこと。

わたしも一応その関連の仕事の末端にいるので、せっかく芝居を見に行っているのに仕事のことばかり思い出してしんどかったので、今後は本当にきちんとストーリーくらいは読んで、見る演目を選ぼうと思いました。

 

ミュージカル「おもひでぽろぽろ」でも思ったけれど、風刺や誇張なしでリアルに「会社生活」をミュージカルで描くというのは結構むずかしいです。

ミュージカルを作る人たちよりもたぶん観客側の方が「会社生活」をよく知っている人が多いと思うから。だから、そこにウソがあるとすごく違和感を覚えてしまうのです。

小林香さんにしても、経歴を見る限り「広告代理店」と仕事はしても「広告代理店」勤めはしたことがないようです。だから、セリフの一つ一つがものすごく「違和感」で、軽く聞こえてしまって、残念でした。

 

たぶんに柚希礼音さん側からのリクエストがあったと思われるけれど、素材として「柚希礼音」を捉えて、柚希礼音さんの能力を、魅力を目いっぱい見せられる違う演目があったんじゃないでしょうか。そして小林香さんはそういう演目を見つけられたと思うのです。

そう思うとただただ残念でした。

映像・美術もふるわず、柚希礼音さんのダンスは相変わらずすばらしかったけれど、それを最大限引き出せる振り付けでなかったことも残念な要因の一つでした。

与えられたすっぱいレモンを、甘いレモネードにできなかった。

 

これを見てから、どんなものだったらわたしは満足したのだろうと考え続けています。

今のところ思いついたのが「イサドラ- when she danced-」。

ものすごく昔に麻実れいさんで見て、難しいなあと理解しないまま終わったので、今、再び見てみたいというのもあります。

麻実れいさんは踊らないイサドラだったのですが、柚希礼音さんが踊ることで、ピアニストだけ入れてワンマンショーに仕立て直せないでしょうか。

Anyone can dance. Anyone.
It's there, inside of you.
Touch your own spirit, feel it, nourish it, release it,
and then come forth with your own great strides, no one else's.
With your own leaps and bounds, no one else's,
with your own foreheads lifted and your own arms spread wide,
come forth then and dance!

誰だって踊ることはできる。誰でも。
踊りはそこにある、そうあなたの内側に。
自分の魂に触れて、感じて、育てて、解放するの。
そうすれば踊りになる、偉大なる一歩でね。誰でもない、あなた自身のその一歩が。
飛んだり跳ねたり、誰でもないあなた自身で。
頭を動かして、腕を大きくひらいて。

そうするとあらわれる、それがダンス!

「イサドラ」- When She Danced - 

このセリフを柚希礼音さんで聞きたいんですよね。

(あ、日本語はわたしの意訳なので、間違っているところあると思います。ご了承ください)

ワンマンショーでなくてもいいので、近いうちに再演を待ちたいと思います。

わかりやすく凄くて、ちょっとわかりにくい話@日本版「ピピン」

 7/13(土)12:00~ オリックス劇場

ピピン 城田優

リーディングプレイヤー クリスタル・ケイ

チャールズ 今井清隆

ファストラーダ 霧矢大夢

キャサリン 宮澤エマ

ルイス 岡田亮輔

バーサ 中尾ミエ

テオ 河井慈杏

 

ストーリー他は過去2回の観劇記録をどうぞ。

stok0101.hatenablog.com

上記の来日公演版をかなりいい席で見て大満足していただけに、今回の日本版はどうしようかなあとかなり迷っていたのでした。

その迷いを取り払ってくれたのが、演出のダイアン・パウルスのこのインタビューでした。

ブロードウェイミュージカル『ピピン』演出家:ダイアン・パウルス インタビュー | ローチケ演劇宣言!

キャストもさることながら、演出のダイアン・パウルス自身も日本人とのミックスだったことをはじめて知りました。

 

海外から演出家が来る場合、演出の際の指示や訳詞などの問題がうまく行っている場合とそうでない場合の両方を見ることがあります。

その差は何で生まれるのかはわかりませんが、英語を解する主要キャストと日本にもルーツを持つ演出家が、日本語で改めて作る舞台とはどんなものだろう、と再び興味が沸いたのです。

 

相変わらずビンボーなのに観劇続きでチケット代の捻出が厳しかったことと、あのイリュージョンな舞台を今度はてっぺんから見たらどうなるだろうという2つの理由で三階席を選択しました。

 

ところで、皆さまは太神楽曲芸というのをご覧になったことがあるでしょうか。

わたしは二年前にはじめてこれを目の前で見まして、人間技とは思えないことが繰り広げられるというのは単純にすごいと感動するものだなとしみじみ思いました。

シルクドソレイユがずっと流行っているのもたぶんそういう理由なのでしょう。

 

さてこのダイアン・パウルスのピピンではこの「曲芸」をショーにまるっと取り込んでしまった、ここが1番の優れた点だと思います。

 

1972年に作られたこの作品は、メタフィクションを使った内容的にははっきり言って「分かりにくい」部類に入ると思います。

この物語が何を語りかけているのか、この物語から何を受け取るのかは、かなり観客側に委ねられています。

 

その小難しさを楽しませる手法として「サーカス」という曲芸を用いたのは本当に素晴らしいです。

さらにその「サーカス」がメタフィクションになっているのがまたすごい。

 

演出や曲芸、振付、衣装、美術はブロードウェイ版そのままなので、日本語版でも本当に素晴らしかったです。

 

ただ残念だったのが、セリフを伝えることと訳詞でした。

公演中あれだけ笑って、盛り上がった熱い客席だったのに、ラストシーン近くではなんだか反応が薄くなり、帰りに「え、だから最後のあれはなんやったん?」と話している観客が多くいたのは、やっぱり伝わってないのだ、と思わざるを得ませんでした。

 

少なくともはじめて日本語で見たピピンでは、わたしは何の疑問も抱かず、この作品のメタフィクションを受け入れていたし、来日公演版では、その最初の日本語版で不満だった部分を、ダイアン・パウルスがめちゃくちゃゾクゾクするシーンに変換してきたことに感動しました。来日版が初ピピンだった友人たちからも「すごい!感動!」という感想はきいても「わからなかった」の声を聞かなかったということは、やはりセリフと訳詞に問題があったのだと思います。

 

個人的にはExtraordinaryが気になりました。

この曲のextraordinaryを訳さずそのまま歌い、特に歌詞の中でextraordinaryがどういう意味かの補足もなかったと思います。

(でも調べてみたら、わたしが最初見た日本語版と同じ小田島恒志さんの訳詞なんですね。音響のせいなんだろうか)

ピピンが「オレみたいな特別な人間は、もっと特別な人生をおくらなきゃならない」と歌うこの歌が全体に聞き取りづらかった上に、サビのextraordinaryが英語のままだったのは残念でした。ピピンのこの思考がこの舞台の世界すべてを作っているのだから、ここが伝わらないのはツライ。

そしてリーディングプレイヤーのセリフが全体的に平坦で聞き取りにくかったのもツライ。

 

この2点が、このピピンにあるメタフィクションをなくし、ただサーカスの楽しいだけの舞台にしてしまった気がするのです。

 

とはいえ、このなんでもない衣装が激しく似合う城田優はすごい!

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そしてやっぱり体格も声もズルイ。

トートの時に痛感したけれど、日本人には出せない声の響き方をするんですよね。胸骨の中で響かせて、喉を通ってくるような楽器のような声。あとは本当に聞き取りやすい発声を訓練してもらえたら、個人的にはいうことなしです。

チャーミングだし、華も存在感もあるし、もっともっと舞台で活躍してほしいです。

 

逆にクリスタル・ケイさんがわりと日本人的な発声だったことに驚きました。

とはいえ、フェイクの使い方なんかはさすがシンガー。さらにダンスもかなり訓練した感が伝わりました。

もともとボブ・フォッシー振付・演出の舞台。

そして今回の振付もそのフォッシーのニュアンスはしっかり残っているので、かなり踊れないとツライんです。

なのにクリスタル・ケイさんはちゃんと観られた。これは本当にすごいことだと思います。

 

キャサリン役の宮澤エマさん合わせて、この三人が主要キャストであったこと、これは今回のカンパニーならではの「日本」のミュージカルへの挑戦だったように思います。

でも城田優くんとクリスタル・ケイさんが宮澤エマさんレベルの伝わる発声になってくれていればもっとよかったなとも思いました。

 

なぜならファストラーダ霧矢大夢さんがすごかったから。もう歌もダンスも演技も発声も完ぺき。あのフロアいっぱいを使ってガンガン踊りまくる霧矢ファストラーダに夢中!

そして今回の露出の高い衣装ではじめて気づいたんですけれど、めちゃくちゃ身体がキレイなんですよ!

本当に魅力的なファストラーダでした。

そしてもちろん宮澤エマさんのキャサリンがかわいい!もうめちゃくちゃかわいい!演技もサイコー!ピピンとキャサリンのラブ・デュエットは数あるミュージカルのデュエットの中でも個人的に大好きな一曲です。

 

この演出でのバーサはある意味おいしい役なんですけれど、中尾ミエさんもサイコー!!

わたしが最初に見た「ピピン」でもバーサをおやりになっていたんですね(^◇^;)

でも今回の演出のバーサはおいしい役だけにかなりいろいろがんばらないといけないんですけれど、素晴らしかったです。

そしてみんなでバーサとサビを歌うのですが、ここは日本語がありがたかった。

(あ、英語版同様、字幕がちゃんと舞台にでますので、歌詞知らなくても大丈夫です)

メロディは単純なんですけど、英語歌詞だとわたしの能力ではついていけなかったので、日本語で一緒に歌えるのは本当に楽しい体験でした。

 

なので、ザクッとストーリーを頭の中に入れてもらって、ミュージカルに興味ないやって方に、ぜひともこの作品を見てもらいたいです。

観客サービスは来日版より満点だし、曲芸はすごいし、笑えるし、一緒に歌えるし、すごく楽しめる舞台なんですよ!そして城田くんはかわいい❤️←大事w

 

残すはこの週末の静岡公演のみになってしまいましたが、ぜひともこの機会を逃さないでいただきたいと思っています。