こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

極上のゴシックエンターテインメント@ポーの一族

1/16(土) 12:00〜、1/22(金) 17:00〜 梅田芸術劇場

スタッフ
原作萩尾望都ポーの一族』(小学館「フラワーコミックス」刊)
脚本・演出 小池修一郎宝塚歌劇団
作曲・編曲 太田健(宝塚歌劇団
美術 松井るみ
振付 桜木涼介 KAORIalive 新海絵理子

キャスト
エドガー・ポーツネル 明日海りお
アラン・トワイライト 千葉雄大
フランク・ポーツネル男爵 小西遼生
ジャン・クリフォード 中村橋之助
シーラ・ポーツネル男爵夫人 夢咲ねね
リーベル 綺咲愛里
大老ポー/オルコット大佐 福井晶一
老ハンナ/ブラヴァツキー 涼風真世
ジェイン 能條愛未
レイチェル 純矢ちとせ

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全体の感想を書く前に、今回はきっと千葉雄大さんのアランが大事だと思うので、先にそこ、いっておきますね。

千葉雄大さんはがんばっていました。特に30才を超えた男性がちゃんと「14歳くらいの可愛い少年」に見えたことは1番大切で、すごい点だと思います。

ただ、わたしは原作アランにも柚香光アランにも特に何の思いれもありませんが、舞台上の役者さんを見る際に個人的に1番重視するポイントが「セリフ回しと動き方」なんです。

セリフ回しは悪くなかったし、少年役ということで、実際の声よりも高いところで出し続けなければならないことは、とても大変だろうなと思います。でも動き方が本当に見ていてつらかった(涙)

舞台を見ながら、この方はとても真面目で努力家なんだろうなと思いました。演出家に言われたことを気をつけ、周りとの差を必死に埋めようとなさっていた気がするのです。その結果、スキルの足らなさを埋めるために、アランという役を演じることに全力を注げていないように見えました。2回目の観劇時ではずいぶんとアランとして感情を乗せられてきていたので、きっと大千穐楽には、かなり良いものが見られることと思います。

でもこの作品は、宝塚歌劇でも2.5次元ミュージカルの価格設定でもないのです。つまり成長を楽しむための舞台ではない。だから彼が初日からアランとして息づくよう導けなかったのは、単に演出家の責任だとわたしは思っています。

あとアランの「緑の瞳」を印象的に残せなかったのも小池先生の足らなさでしょう。

 

さて、3年前の宝塚歌劇版「ポーの一族」は、あえてのほぼ原作未読で行きましたが、今回は全部読んで行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

内容は宝塚版とほぼほぼ一緒ですが、宝塚版より個人的にいいなと思ったポイントが、「ちりとなり消滅するポーの一族の最期」の見せ方。

宝塚版では老ハンナのみ、消えてプシューと煙が出たのですが、今回はメリーベル以外はちゃんとこの消え方で、しかも大老ポーは新しい漫画の「ポーの一族」の方で死んではいなかったことが明らかにされるので、それに従ってぼかしているのも、小池先生のなみなみならぬ原作への愛を感じました。 

 

宝塚版では薔薇を全面に押し出し、夢々しさをみせていたセットも一転、ティム・バートンの映画を思い出させる「幻想的なゴシックホラー」なイメージでとても美しく、三階分くらい階段を作って組んだことで、立体的に魅せていました。そしてそれを盆を回したり、切り離したりしながら使っていくステージングも見事でした。

アンサンブルが本当に実力者揃いだったため、オープニングの踊りがとても迫力があり、振り付けも優れていました。

男性が入ることでコーラス、音に厚みが出たこともよかったです。

また一幕ラストシーンが相変わらず圧巻!

階段のセットを活かして、盆をぐるぐる回しながら、エドガーの過去から今までの人生とその他の人々の生きている様を多面的に一気に見せてくるさまにゾクゾクしました。この辺、本当に小池先生、天才!とやっぱり思ってしまうのです。

あとはやはりコヴェントガーデンやホテル・ブラックプールの明るいシーンのショーアップ具合が、この作品をよりエンターテインメントに仕上げていて、本当終始見ていて楽しい作品でした。

 

宝塚版 

ポーの一族('18年花組・東京・千秋楽)

ポーの一族('18年花組・東京・千秋楽)

  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: Prime Video
 

 

と細々した変更点(上記コヴェントガーデンでエドガーの短い歌が差し込まれたりとか)はたくさんありますが、大きな変更点は、下記2点かな。

 

①男爵とシーラの婚約式で、大老ポーの歌が増えている。

②メリーベルと銀のばら部分のシーンが長くなり、メリーベルのソロ歌唱がある。

 

①については、ソロ歌唱はいいのですが、寝覚めたばっかりの大老ポーと老ハンナとのやりとりが歌になってしまい、個人的には長尺に感じました。ここはセリフのままの方が好みでした。

②は断然、今回の方がいいですね。さらにメリーベルのソロ曲がいい。子どものエドガーとメリーベルで歌っていた歌(お前の水車)を上手く転調して、歌詞もその歌を受けて作られていて、メリーベルが一族に加わったその感情を丁寧に見せていました。シーンの後に「オズワルドの遺言」が加わったのも、個人的には好みの足し算でした。

 

で、ですよ!

綺咲愛里リーベルが天然にかわいい!ナチュラルにかわいい!

ご本人の個性とか得意分野とこの役があっているんでしょうね。演技している感ゼロ。美少女特有の魔性性は感じられなかったけれど、笑い声まで無意識に全部、自然に美少女で大変満足いたしました(笑)

 

明日海エドガーは宝塚版から何ら変わらず、もうエドガーとして完璧なことにため息がでるレベルの完成度です。

男優に混ざっても「エドガーとして」違和感がない。宝塚版では最初の銀橋ソロが、今回は階段のセットに座った状態からはじまるのですが、このシーンが「絵」としても魅せるのです。孤独で淋しさを湛えながら佇むエドガーは、まるでこんな原作のシーンがあったんじゃないか、くらい思わせました。

 

小西遼生さんの長身で端正なポーツネル男爵と夢咲ねねちゃんの強くて愛情に満ちたシーラがいることで、宝塚版より「家族感」を増していて、エドガーが肉親(メリーベル)だけではなく、演技ではあったけれども家族と呼んでいたものを全て失くした哀しみ、その孤独感は今回の方が伝わりやすくなっていました。

 

一方で老ハンナは宝塚版より冷たい。こういう「赤い血流れてないよね」な役をやらせると涼風真世さんは素晴らしいですね。

その歌声と存在感が光っていて、婚約式の始まりなんかは、「えーと、わたし今30年くらいタイムトリップして、カナメちゃん(涼風真世さん)がトップのショー見にきてるんだっけ?」と錯覚しました。ブラヴァツキーについては、あ、PUCKとかオットーよりのカナメちゃんだよね、と思って見ました。いいか悪いかと言ったら、演技パターンが限られているのは悪いのですが、熱心に宝塚を見ていた当時を思い出して、めちゃくちゃ楽しかったのでよし!(^◇^;)

少なくとも歌声は圧巻だったし、それで彼女の仕事は果たしていたでしょう。

 

個人的にはジャン・クリフォード中村橋之助さんとバイク・ブラウンを演じた丸山泰右さんが、とてもセリフ回し、滑舌がよく心地よく見られました。

そしてセリフ回しがいいから、宝塚版ではわたしにとって少し印象の薄かったシーンが改めて浮き彫りになったのも面白い体験でした。

特にメリーベルが殺された後、やってきたエドガーに「何か言い残すことは」と言われ、クリフォードが「君はどうして、なぜ生きている」と問いかけるシーン。

この言葉を受けて発砲するエドガーの感情、そして続く哀しい嗚咽のような歌(何故生きているのか?)が、よりグッと心に迫ったのです。

ああ、芝居する相手によって変わる、ということはこういうことをいうのだなと思います。

 

ホテル・ブラックプールを歌った加賀谷真聡さんといい、ユーシスやオズワルドも演技もダンスもよく、アンサンブル全体がこの公演を引き上げてくれていたのも嬉しく、わたしには何度見ても楽しい、面白い良作でした。

なので大阪公演は観劇日と近かったこともありライブ配信は見ませんでしたが、東京、名古屋のライブ配信はぜひ見たいと思っています。

 

そしてTwitterでも散々つぶやきましたが、セットで一点変えていただきたいところがあるのです。

リーベルが追い詰められるシーンに、薬棚のようなものがあるのですが、その棚のガラスにメリーベルが映ってしまうのです。

これでは散々劇中で「鏡に映っていない!」と男爵が注意するシーンが台無しです。

ぜひとも東京公演が始まる前に、棚からガラス的なものを取っていただけると嬉しいです。

ポーの世界観に浸れることこそが、この作品の魅力だと思うので、世界観の小さなヒビはぜひとも早く修復してくださることを期待しつつ、名古屋までのこの公演の完走を心から願っています。

不器用で真面目を突き詰めた先@宝塚雪組「fff-フォルティシッシモ-」「シルクロード~盗賊と宝石~」

1/9(土)11:00~ 宝塚大劇場

『f f f -フォルティッシッシモ-』~歓喜に歌え!~
作・演出/上田 久美子

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 望海 風斗 
謎の女 真彩 希帆 
ナポレオン・ボナパルト 彩風 咲奈 
ケルブ【智天使】 一樹 千尋 
ヨハン・ヴァン・ベートーヴェン 奏乃 はると 
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 彩凪 翔 
ヘンデル 真那 春人 
小さな炎/マリア・ヴァン・ベートーヴェン 笙乃 茅桜 
宮廷楽長サリエリ 久城 あす 
クレメンス・フォン・メッテルニヒ 煌羽 レオ 
ゲルハルト・ヴェーゲラー 朝美 絢 
エレオノーレ・フォン・ブロイニング【ロールヘン】 朝月 希和 
モーツァルト 彩 みちる 
テレマン 縣 千 
ジュリエッタ・グイチャルディ 夢白 あや 

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フランス革命後のヨーロッパ。混沌とした世の中を生きるベートーヴェンがなぜ「交響曲第9番」を作曲するにいたったか、を描いた「fff」。

今、人気の座付き作家・上田久美子先生のお芝居を見るのは実はこれが2本目なのですが、最初に比べたらずいぶん「大劇場で絵的に魅せる」ことのできる作品になったな、と思います。

2020年はベートーヴェン生誕250周年で、この作品も本来であればその意味も含めて作られたものだと思うのです。

でも残念ながら状況が変わってしまった。

変わってしまったがために、混沌とした世の中を生きるベートヴェンの姿をリアルに感じる代わりに、劇場にいるのに「外」と変わらない閉塞感があったことが残念でした。

でもこういう状態でなければこういった「閉塞感」を描くのは単純にすごいなと思います。

また現実と理想、そして過去と夢か妄想の行ったり来たり感も個人的には大変面白く見ました。とりわけ終盤近くのナポレオンとのシーンは、演劇的な表現方が好きです。

でも問題は、見ていて「ドキドキしない」こと。驚きがない。ただ「かっこいい!」とキュンとするシーンや「息をのむ」シーンがない。心が高揚しない。

ただこれは何を「大きな劇場で上演される演目に求めるか」の個人差だと思います。

心情にひたひたひたと迫る芝居は、わたしはもう少し小さな空間で、密接に見て感じたいと思いますし、それはわたしが宝塚歌劇に求めているものとも違っていたのです。

もう一つ思ったのは、おそらく複数回見る方がこの演目的には面白いだろうということ。そう思うと、主演カップルのサヨナラ公演でこれをやることは意味があるのだろうと思います。主演カップルファンは何度でも通いますし、見るたび、違うものを見つける、回数を重ねることで何か自分の中に落ちてくるものがある、のは同じ芝居を見続ける喜びの一つだと勝手に思っています。

でも一度しか観劇しない身としては、これはつらい。

ましてや一度目で「気持ちがひっぱられた」と思わないと、通常はもう一度見ることはないわけで、その辺のバランスが「商業演劇」として難しいなとか、いろいろ考えてしまいました。

(そして宝塚歌劇的に「舞台写真、早くください」な気持ちになれないのも、若干問題な気もします。「謎の女」と「天使」のビジュアルがもう少し凝ってほしかった)

今回も録音上演だったわけですが、今回に限っては録音上演がいいと思いました。演出ではなくて、ベートーヴェン交響曲が多数使用されていたからです。

これが宝塚のオーケストラだと物質的にもあの音は出せないですし、かといって交響曲だけ録音が流されるのも不自然なので、その辺りが苦なく見られたことはよかったなと思う反面、オケボックスをうまく使った演出も含めて、本来だったらどういう演出だったのかも気になるところです。

さてそんな作品の主人公ベートーヴェンを演じる望海さん。悲壮です。独りよがりです。こじらせてます。うまいです。でもこんな望海さん、他の作品でもいっぱい見ました・・・。特にトップスターになられてからは、こういう役が多くて、結局望海さんの魅力があまり分からない人間には、芝居では歌以外の魅力に気づけないまま終わってしまったのが残念でした。

一方、毎回その歌と存在で心ときめかせてくれた真彩さん。なのに今回の「謎の女」はいつもの魅力がなく(そういう役なので仕方ないのですが)、もう一作、彼女の魅力を存分に発揮した作品を見たかったなあと思わずにはいられませんでした(涙)

唯一ピアノソナタ「月光」のメロディに歌声をのせてくるシーンが、ヴィジュアルと歌の両方を魅せてくれたかなと思います。というか、よくぞピアノの旋律にこんなにきれいに歌声を絡ませられるな!と感動。もうここで「なんかいいもの聴いたぞ」と思ったので、いろんなことには目をつぶります。

そしてナポレオンの咲ちゃん(彩風咲奈)が、かっこういい!ナポレオンといっても「ベートーヴェンの思い描いた男」の具現化なので、ちょっと人離れした英雄感がとてもよく似合っていました。

物語はもう一人ゲーテの彩凪翔さんも軸に巡るのですが、彩凪さんも最後にふさわしいしっかりとした骨太の芝居で、ベートーヴェン、ナポレオン、ゲーテの3つの軸がきちんと立っていたのが素晴らしかったです。

時期娘役トップスターになる朝月希和さんの優しく落ち着いた佇まいも素敵でしたし、その夫・ゲルハルトを演じた朝美 絢さんは、元からの美貌が一層輝きを増し、演技も歌も存在感も光っていて、新生雪組も楽しみになりました。

 

ところで概念の具現化は「エリザベート」以降、すっかりミュージカルファンには馴染んだのですが、その具現化された「概念」自身が、芝居の中で「自分はそうである」と言うのはどうなのでしょうか。分かりやすいといったらそうなのですが、「エリザベート」のトートを「黄泉の帝王」にしつつも、概念として捉えたい人には捉えられる方がわたし自身は面白いなと思いました。

ましてやフレンチミュージカル「ロミオ&ジュリエット」の「死」は言葉もなく説明もなく、でもその演出と身体表現だけで「死」だと気づかせたところが衝撃だったわけで、そこを概念そのものがセリフでしゃべっちゃうのは、なんかひっかかったわけです。

そのひっかかりも含めてもう一回くらいはみたいので、ライブ配信を楽しみに待ちます。そしてどうかそれまで、無事に完走できることを心から願っています。

 

そうそうショーシルクロード~盗賊と宝石~』(作・演出/生田 大和)は、もう何回か見たいです!

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でも芝居以上にショーは、本当に現実を忘れさせてほしい。

つまり「世界の終端」のリアルな「戦争」感をなんとか和らげる方法ないでしょうか。

それまで楽しくショーの世界に酔っていたのに、銃の小道具とあの衣装がなんかガツンと暗さを突き付けてくるので、その辺をもうちょっとまろやかにしてもらえると嬉しいなと思います。

個人的には「三人のタンゴ」も宝塚あるあるでいいのですが、真彩ちゃん主役なシーンがないので、ここを映画版RENTのこんなシーンだと嬉しかったかな。

(マークとジョアンが望海さんと咲ちゃん、モーリーンが真彩ちゃんで)


Tango Maureen - "RENT" the Movie

でも上海ナイトクラブシーンの紅いチャイナ服の咲ちゃんの格好良さは堪能できるわ、青チームは彩凪さんで、二人の対立がずっと同じ組で競い合いながら成長してきた歴史を感じさせてくれるし、フィナーレでは望海さんから咲ちゃんのバトンタッチもあるし、次のトップコンビ以外にもたくさんのカップルが次々出てくるし、全体には見どころありすぎてどうしたら、それこそ「早く舞台写真ください」な終始楽しいショーでした。

セットも衣装もきれいでしたしね。

個人的には生田先生はショーを引き続きどんどん作っていただきたいです。

 

1/14から関西圏も一部緊急事態宣言が発令されました。首都圏の緊急事態宣言も相まって、せっかくの完売チケットもキャンセルがあったりするそうです。

それをうまく活用できるシステムがこの間に構築されることを願いながら、最後の日まで少なくとも「やりきった」だけでも感じられるよう、祈っています。

2020年かんげき思い出し。

遅ればせながら明けましておめでとうございます。

新年2日と3日にブログのアクセスがめちゃくちゃ伸びててて、なにごとか、と思ったら、「ナウシカ歌舞伎」が放映されていたのですね・・・。

BS映らない環境を新年しみじみ悲しみました・・・。

しかし、「ナウシカ歌舞伎」は円盤が今月に発売されるので、それを楽しみに待ちたいと思います。

 

本当に「ナウシカ歌舞伎」が2019年に上演されてよかった。

そう思うほど2020年は観劇を趣味としている者として、とても哀しい一年となりました。日本はなんとか興業再開できている状態ですが、それも収益があがっていることはなく、ミュージカルの聖地ブロードウェイやウエストエンドでは再開もままならない状況が今も続いています。

トニー賞すらなかった2020年。この調子でいくと2021年もまだまだ劇場街には北風が吹き続ける状況ですが、できることは何かと考えても、自分のお財布が許す限り、興業に迷惑がかからないよう対策して見に行くしかない、しか現在は思いつかないので、2021年はお財布と体調が許す限りは関西圏の劇場に足を運びたいと思います。

 

  • 2020年観劇記録

★1月

宝塚雪組ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

劇団四季ノートルダムの鐘」

★2月

ミュージカル「フランケンシュタイン

★3月

歌舞伎「オグリ」

十二夜

★4月

宝塚花組はいからさんが通る」→7月に観劇

★5月

宝塚雪組「炎のボレロ/Music Revolution」→8月に観劇

360°アラウンドシアター「ウエストサイドストーリーseason3」×2回

エリザベート

★7月

欲望のみ

★8月

宝塚花組はいからさんが通る

★10月

ケムリ研究室「ベイジルタウンの女神」

フラッシュダンス

★11月

ビリー・エリオット

360°アラウンドシアター「るろうに剣心

ミュージカル「生きる」

★12月

ミュージカル「NINE」×2

 

チケット手配済みのものを記録のため打ち消し表示しました。

返金されても残るのは哀しみだけだと気づかせてくれた2020年でした。

そしてどんどん遠ざかる360°アラウンドシアター・・・。

再開されたら遠征するので、なんとか生き残ってほしいと心から願っています。

そんな中、2020年で一番うれしかったことはこれでした!

まさかのわたしの散財記録のこのブログをケラさまが読んでくださるとは!

SNS時代の恩恵を一挙に受けた気分でした。

あとは配信システムが構築されたことも嬉しい悲鳴でした。

とりわけ宝塚歌劇の千秋楽が映画館以外で配信で見られることは快適極まりなかったです。(かつては映画館のライブビューイングすらチケット取れなかったりしたので)

またNational Theatre at homeは自粛生活中の希望でした。無料で英国滞在者しか募金できなかったのが悔しいくらいです。

そんな at homeがはじまる前に映画館で観た「Fleabag」が、演劇の新しい可能性と表現力を見るようで震撼。哀しいコロナ禍ではありますけれども、このような新しい才能を生み出してくれる期間であったことを、将来に期待しています。

 

そんなわけでトニー賞はなかったけれども、わたしの2020年の勝手に賞レース。

  • 作品賞

ミュージカル「生きる」

再演ですが、関西では初上演ということでこれに。

元々の映画は見ていたのですが、こんな素晴らしいグランドミュージカルになっていることに感激しました。

そしてその理由の大部分を担うのが楽曲のすばらしさ。

この楽曲を日本でできるようになるには、まだまだ時間が必要なのかもしれません。

ケムリ研究室「ベイジルタウンの女神」

ケラさまご自身もおっしゃられているとおり、オーソドックスなロマコメなんです。

でもそんなオーソドックスなロマコメを「魅せて癒す娯楽作品」に仕立て上げた脚本含めすべての「作り上げてくれた方々」に感謝です。

  • 主演俳優賞

ミュージカル「生きる」鹿賀丈史さんに。

大空間でミュージカルを見る醍醐味を感じさせてくれた歌声と存在感に敬意をこめて。

よくも悪くも今後これができる俳優さんは少なくなってくると思うのです。

  • 助演俳優賞

宝塚花組はいからさんが通る」花村紅緒役 華優希さんに。

本来ならば「主演」なんですけれど、宝塚歌劇なので助演に。

本当に「紅緒さん」の魅力があふれ出してまぶしくて。強く、しなやかに、たくましい紅緒さんが舞台で息づいているのを見るのは、本当に勇気もらいました。

この「はいからさんが通る」とほぼ時期を同じくして「生きる」を見られたことが幸せでした。

  • セットデザイン賞

これもミュージカル「生きる」ですね。

全部よかったのに、ラストシーンのセットが、もう言葉にならないほど素晴らしくて。

そこまで敢えてのシンプルセットだったんだなと、あまりの精巧さにシーンと相まって涙しました。そしてこの作品は小道具も本当に作品に力を加えていて素晴らしかったです。

このようなミュージカル総力全力作品はなかなかない気がします。

それからキャスト違いの2パターン大千穐楽の配信も嬉しかったです!

Wキャストの醍醐味も味わえる作品でした。

 

賞には入れなかったのですが、宝塚宙組の「アナスタシア 」は、こういうブロードウェイミュージカルを宝塚で上演するのは正解、と思わせてくれたいい作品でした。

ブロードウェイミュージカル的には、可もなく不可もなくな作品なのですが、ミュージカル「生きる」でも思ったけれど楽曲の良さのレベルが違う。

その上で宝塚に似合うラブロマンスが主軸であったことが活きていました。

もちろんアナスタシア 役を演じた星風まどかさんだから出来た、ということもありますが、華と実力を兼ね備えたトップ娘役さんの代表作として、これからも宝塚歌劇で上演されることを願っています。

 

さて2021年ですが、大阪にも間もなく二度目の緊急事態宣言が出ようとしています。

一応、発売済みのチケットに関してはそのままでOKとのことですが、夜8時以降は外出自粛のお願いが出るので、心理的なプレッシャーからチケットの売れ行きが伸びないのが見えるようです(涙)

 

でもいつ見られなくなるか分からないので、「見たいものは見る」を今年は目標にしたいと思います。

ということで、観劇はじめは、昨年と同じく宝塚雪組から。

そしてポーの一族に続きます。

 

本年もどうぞよろしくお願いします。

業とトラウマに飲み込まれる@ミュージカルNINE

12/5(土)・12(土)17:00~ 梅田芸術劇場

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脚本アーサー・コピット
作詞・作曲モーリー・イェストン
演出藤田俊太郎

キャスト
グイド 城田 優
ルイザ 咲妃みゆ
クラウディア すみれ
カルラ 土井ケイト
サラギーナ 屋比久知奈
ネクロフォラス エリアンナ
スパのマリア 原田 薫
春野寿美礼
ラ・フルール 前田美波里
 
アンサンブル DAZZLE

原作はこちら

 

8 1/2 (字幕版)

8 1/2 (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 フェデリコ・フェリーニ監督の自叙伝的映画らしいのですが、残念ながら未見です。

しかしながら、これを元にしたミュージカルを15年以上前に見たことがありました。

演出はデヴィット・ルヴォー氏。

シンプルで贅沢なセットとカラーレスで豪華な衣装は今でも目に焼き付いています。

しかしながら内容はあまり理解できず、難しかったというのが当時の感想でした。

その後ミュージカル映画化されたときは、そのエンターテインメントぶりに逆に度肝を抜かれたものです。

(ちなみに今回気づいたのですが、映画にある「シネマ・イタリアーノ」はこの舞台版には登場しません。)

stok0101.hatenablog.com

 

NINE (字幕版)

NINE (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 さて、そんな作品を新進気鋭の演出家が演出するということで、今度はどんな舞台が見られるのかと楽しみでした。

 

あらすじ、なのですけれど、今回2回この作品を見て、あらすじさえも演出によって異なるのだなと思いました。

ルヴォー版が「苦悩する男の現実と妄想の曖昧さ」ならば、映画版は「ダメ男を取り巻く魅力的な女性たち」の話しでした。

そして今回はタイトルにつけたように「業とトラウマに飲み込まれる男」の話しでした。

 

そんなラテン男を城田優が好演。

今の日本ミュージカル界で城田優以上にラテン男の雰囲気を漂わせながらグイドを演じられる役者はいないと思います。

何より途中オペラっぽい歌い方をするシーンがあるのですが、そこの声の響き方が本当にいいんです。胸骨で響かせてそのまま声帯を通って伸びてくるような歌声にうっとり。本当、ずるいです。

その他キャストもインターナショナル的要素を持った役者が多く、言語もイタリア語、英語、日本語とごちゃまぜで上演されました。

その訳を「映画監督がカメラを回している」という設定を活かして、スクリーンに映し出すという手法を取ったのは大変面白い部分だったと思います。

またセットも、ローマのコロセウム的なイメージで大枠を組んであり、それをダンスアンサンブルのDAZZLEが回していたり、ローマの街の彫刻的にその間に入り込んでいたりしたのも、さすがでした。

ただやはり訳が出ると役者よりも文字を見てしまうし、文字を見ると役者がそのセリフを言っている途中なのに、最後まで何を言うかわかってしまうというデメリットも大きかったことは否めないと思います。

言語のごちゃまぜ感はフェリーニの映画っぽい、というような感想を見かけたので、そこを狙ったものだとは思うのですが、それならばいっそ最低限の字幕、少なくとも「カメラの向こうにあるスクリーン」が意味をなしているシーンのみでよかったのでは、と個人的には感じました。原語のままでも感じ取れるものはあると思うし、それが逆に歌と踊りが一体化したミュージカルの魅力でもあると思うのです。

女性キャストはそれぞれに魅力的でしたが、個人的には衣装にもう一工夫あるといいなと思ってしまいました。

特にグイドの妻・ルイザ。もともと小柄で華やかなタイプではない咲妃みゆちゃんが、Aラインのフード付きコートを着て、城田くんの隣に並ぶとまるで子どものように見えてしまったのが残念でした。うまいんですけどね、歌も芝居も抜群に。

逆にセリフはたどたどしかったのですが、すみれちゃんが、やはりスタイル抜群で城田くんの隣に立っても見劣りせず「ミューズ感」を出してきたのは正解だと思います。

リリアン・ラ・フルールの前田美波里さんもさすが、なのですが、ショーシーンに羽扇が登場したらもっとよかったのになあと思わずにはいられませんでした。

羽扇のあのふわふわっとした存在が、香りを、レビューの香りを運んでくれると感じるのです。そしてそのレビューの香りは、グイドの混乱をさらにかき乱すものとして必要だったのではないかなと。

むしろそういうメイン女性キャストよりも、ネクロフォラスのエリアンナさんと、スパのマリア 原田 薫さんの存在感が際立っていたのが面白く不思議でした。

そう思うと全体に凝っているのにヴィジュアル面で惜しいな、という印象で、いかに映画版が役者も含めてヴィジュアルとして素晴らしく整えられていたか、ルヴォー版がそぎ落とした美しいものを見せていたかを実感。

 

とはいえ、紗幕がビニール的な素材になっていて、舞台セットとカーテンに反射する劇場が溶け合ったものが映し出されたオープン前の演出は素晴らしく美しかったですし、各劇場によって違う景色なんだろうなと思うと、それぞれの劇場でみたいなと思ってしまいました。

 

いろいろと思うことがありましたが、今回の演出で、この「NINE」という作品への理解と面白みが増えたことは確かです。

なので、ぜひとも城田くんには10年後、ルヴォー版の「NINE」を再演してほしいな、と思います。グイドを演じるには年齢も今よりももっと合っているはず。

そしてそのとき、今回と比べるためにもDVDは予約しました笑

ミュージカル『NINE』2020年公演|梅田芸術劇場

1階席と2階席で見たのですが、映像で見るとどんな感じか、またそれも楽しみです。

魅力的な音楽とヒロイン、それだけで充分@宝塚宙組「アナスタシア」

11/21(土)15:30~ 宝塚大劇場

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制作
脚本:テレンス・マクナリー
音楽:ステファン・フラハティ
潤色・演出:稲葉太地

キャスト
ディミトリ 真風 涼帆 
アーニャ 星風 まどか 
グレブ・ヴァガノフ 芹香 斗亜 
マリア皇太后 寿 つかさ 
アレクサンドラ皇后 美風 舞良 
ヴラド・ポポフ 桜木 みなと 
リリー 和希 そら 
ニコライII世 瑠風 輝 
ロットバルト 優希 しおん 
オデット 潤 花 
ジークフリート 亜音 有星 

原作はこちらのアニメ映画になります。

 

アナスタシア (字幕版)

アナスタシア (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

ディズニーアニメと思われがちなのですが、監督はドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマン。でも元ディズニースタジオで働いていたので、タッチも展開もディズニーっぽいです。
このアニメの主題歌「Once Upon a December」が1997年公開当時から大好きだったこと、消えた皇女アナスタシアの伝説に興味があったことで見に行きました。
ラスプーチンがディズニーヴィランズみたいな描き方をされていることに驚いた記憶があっただけに、今回はじめてミュージカル版を見てラスプーチンがいないことに驚愕。
残念ながら東宝版は見られていないので、ブロードウェイ版と宝塚版がどう違っていたのかはわからないのですが、アニメ映画よりももう少し時代背景や人物描写に踏み込んだ内容になっています。


1906年ロシア。革命にのみこまれたロマノフ王朝ボリシェビキによって王家は一家惨殺されたが、末の皇女アナスタシアだけが生死不明のままとなっていた。
それから10数年後、ボリシェビキが政権を握るサンクトぺテルブルク。世の中は不安定なまま、市民は貧しい暮らしを強いられていた。
記憶を失ったまま下働きをしていたアーニャと偶然出会ったボリシェビキのグレブ。
彼の誇りは父親がロマノフ王家惨殺に携わり、新しい世の中を作ろうとしていたこと。
そして自分もその意志を引き継いで、革命を進行させていくことを決意していた。
一方で、孤児だったディミトリとかつて貴族だったヴラドは、詐欺を働きながらその日暮らしをしていた。二人は、パリに住むロマノフ帝国のマリア皇太后が孫娘アナスタシアを見つけた者には莫大な報奨金を与えることを知り、大公女アナスタシアを仕立てあげ、パリへ行き、報奨金をもらおうという計画を立てる。
アーニャは「何かが自分をパリへ呼び寄せている」と感じていて、パリへ行くために出国許可証を取りたいと考えていた。ディミトリなら出国許可書を取るのに協力してくれるというウワサを聞きつけ、ディミトリとヴラドの元にやってくるアーニャ。
アーニャを「大公女アナスタシア」に仕立て上げることにしたディミトリとヴラド。計画は順調に進んでいるように見えたが、本物のアナスタシアならば殺さねばならないとアーニャに告げるグレブ。
さらに出国許可証の値段は高騰し、なかなかロシアを出ることができない三人。あきらめかけるディミトリにアーニャは信頼の証を見せ、三人は一路パリ行きの列車に乗る。それを追いかけるグレブ。三人は無事にパリでマリア皇太后に会うことができるのか・・・。

 

アニメ映画が大好きだったくせに、2017年度のトニー賞の映像とその受賞結果を見て、舞台には全く期待していなかったのですが、なかなかどうして、大変面白い作品でした。
何よりやっぱり音楽がいい!
主題歌がキャッチーで美しいし、その他のミュージカル化によって付け加わった曲も豪華でいい曲揃いです。
そして音楽が良ければミュージカルはほぼほぼ成功しているのです。
哀しいけれど、日本はやはりまだまだ「ミュージカル曲」の作曲には長けていないのだなあと思わざるを得ませんでした。
エンターテインメントミュージカルとしては、見ごたえも、聞きごたえも楽しみも多いにある良作だと思います。

そしてこれを見ごたえのあるものにした最大の理由は、タイトルロールを演じた星風まどかさんでしょう。
この作品で初めて拝見したのですが、芝居のときの声がいい!男役音域に合わせて歌の音域が高くなってしまうのが残念なくらい、ステキな声でした。もちろん高い音域の歌も歌いこなし、かつ強く可愛く気高いアーニャにすっかり魅せられてしまいました。

まどかさんに比べると他のメインキャストの歌が劣ってしまうところが残念なのですが、コーラスは絶品。オケなしの状況がつくづく残念だったので、またこのタイトルロールを演じられるようなトップ娘役さんが登場されたら、ぜひ再演してほしいです。

 

歌や芝居はともかく、アーニャが物語の中心にいるのに、真風さんの余裕のスターっぷりがさすがです。町娘の「あんたがハンサムじゃなかったらこなかったわよ」みたいなセリフがあるんですけど、思わず「そうそう、納得」と思わせる、これこそトップスターなのです。
さらにとあるシーンの歌で「孤児である淋しさ」を感じさせたのがいい。こういうちょっと母性本能をくすぐるような役をやらせると真風さんは本当に抜群ですね。

 

ヴラドの桜木みなとさんは、本来もっと年上の役をがんばって演じていたと思います。真風さんとの芝居の呼吸の合い方もよかったし、役柄的にも場を明るくしてくれていました。
そして本来であればヴラドと同じく、もっと年配の女性だったはずのリリーを演じていた和希そらくん。男役なのですが、見事な女役っぷりで歌もダンスも素晴らしかったです。
寿さんのマリア皇太后も自然で威厳もあってステキでした。

パリ・オペラ座で「白鳥の湖」を見るシーンがあるのですが、ここでロットバルトを踊った優希しおんくんがうまい!

コーラス、歌、ダンスとそれぞれ得意な人が得意分野を披露できるので、役は少ないとはいえども、割とこの演目は宝塚歌劇にあっていると思います。

 

ところでセットも衣装も色合いはさすが稲葉先生でキレイだったのですが、 

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これ↓↓↓を見るとやはりセットや衣装の予算の違いを感じてしまいました(涙)

アニメ映画を見直すと、アーニャは「パリで会いましょう」と書かれたネックレスを子どもの頃から身につけていたのでパリを目指した、となっていて、この方が「なんとなく記憶のどこかでパリに行きなさいと言われている気がする」より納得でした。

さらに子どものディミトリが、皇女アナスタシアを救おうとした際に、マリア皇太后からアナスタシアに贈られたオルゴールを拾ったというアニメ版の設定の方が、蚤の市で買ったものが何故か本物だったより自然な気がしました。
この辺はきっと元々のブロードウェイ版はそうなっているだろうから変えられないとは思うのが残念。


でも分かりやすいアニメ映画よりも、ラスプーチンを排しグレブにその部分を変換したことで、1つ踏み込んで「人間」を描いているのには好感を持ちました。
 
もう一つ個人的に残念だったことはフィナーレでしょうか。
主題歌「Once Upon a December」はいわゆるウィンナワルツのリズムなので、普通のデュエットダンスよりも、がっつりペアダンスを見せられるとよかったのになあと思います。

それにしてもロシアを出るときの「We'll Go From There」は曲調は切なげなのですが、今回聞いた歌詞ではとても宝塚卒業のときに歌うとまた違う意味で似合うと思ったので、著作権の関係で難しいだろうけれど、これからも歌い継がれていくといいなあと思いました。

 

ところで本来、初夏頃に上演されるはずだったこのミュージカルなのですが、季節感的には今の時期の方がよいのです。

主題歌も「Once Upon a December」、12月の観劇はピッタリ!

12月公演のチケットは11/28(土)から発売されますので、ぜひご覧になってみてください。

こちら↓↓↓から簡単に買えますので、本当にぜひ!

https://www.takarazuka-ticket.com/sp/index_general.html

見て損はない作品です!

最高の日本産グランドミュージカル@ミュージカル「生きる」

11/14(土)12:00~ 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

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作曲&編曲:ジェイソン・ハウランド
脚本&歌詞:高橋知伽江
演出:宮本亞門

配役
渡辺勘治 鹿賀丈史
渡辺光男 村井良大
小説家 新納慎也
田切とよ 唯月ふうか
渡辺一枝 May'n
助役 山西惇

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原作は黒澤明監督のこの映画です。

 

生きる

生きる

  • 発売日: 2015/04/22
  • メディア: Prime Video
 

 

この映画を初めて見たのは、20歳そこそこの頃。
記憶に残っているのは二つでした。
①淡々と普通の人の人生、その終わりを描いているなあ。
②雪の降る中で主人公がブランコをこいでいたなあ。

2018年に日本オリジナルミュージカルとして作られたということと、上記二つの記憶のみで見に行ったのですが、これがまさかこんなにすごいグランドミュージカルだったことに驚きました。

まず何より楽曲がいい。
脚本と作詞が日本人、作曲がアメリカ人。
その融合はどうやったのだろうと不思議なくらいマッチしていて、重厚なバラードから、絶妙な音の重なりを生み出すコーラス、ブラックユーモアに満ちたテクニカルな曲、軽快なダンス曲とさまざまあるのですが、この作品を「グランドミュージカル」と語るのにふさわしく、どれも音が厚く壮大なのです。

さらに亜門さんの洗練されつくしたステージングが見事。
とりわけ一部最初の方の、市役所でたらい回しにされる女性たちは、「たらいまわし」という言葉がそのままビジュアル化されていて、視覚的にも体感的にも実感をもって伝えてきました。
その市役所のセットの象徴的なモノとして大きな時計があるのですが、これが二部でぐるぐると針が回ったときに「この時計は命をも刻んでいるのか」とやっと気づいた自分の鈍感さを嘆きたくなるくらい、素晴らしいセットでステージングでした。

 

原作映画とミュージカル版のストーリーはほとんど一緒です。
30年間一日も休まずに、ただ機械のように市役所で働く主人公・渡辺勘治。
ある日検査で自分の余命が短いことを知る。
妻は若くして亡くなっており、成長した息子・光男とその妻・一枝と同居しているものの、ほとんど交流はなく、自らコミュニケーションを図ろうともしていない。
空っぽの今の自分に気付いた主人公は、これで自分は「生きた」といえるのだろうかと自暴自棄になるものの、死ぬこともできない。
そんなとき、かつての部下だった小田切とよから「何かを作ってみては」との提案を受け、市役所に下水で汚れている土地を公園にしてほしいと訴えていた女性たちを思い出す。
「公園を作る」ことを決意した渡辺勘治は、あれこれと積極的に働き出すが・・・。

ミュージカル版では昭和27年であることと、定年間近であることに触れられていたのですが、映画版にはその説明はありません。
映画がそれこそ1952(昭和27)年に現代社会を描いたものとして公開されているので、その辺のことは見ればわかるものだったのかもしれません。

昭和27年は今では少し遠くなり(「ゴンドラの唄」が主人公の青春時代に流行った曲、というのは今ではすぐには認識できないのが残念)、戦争の悲惨さを実体験していない身としては逆に高度成長に向かって活気ある感じが羨ましくもなるような華やかなシーンもありました。


しかし全体にセットはコンパクトにまとまっているのです。だからこそラストシーンの舞台全体につくり込まれたセットに息をのみ、物語の展開と役者の演技&歌、そして照明があいまって、あまりの美しさに涙せずにはいられませんでした。

(さらにカーテンコールでフル照明の中、このセットが登場するのですが、ここの演出まで行き届いているのがすごい!)

人間すべてに通じるテーマであるし、多くの人々がどこか共感することができる作品だとも思うので、ぜひこのコロナ禍がなんとかなったら、その国に合わせて世界進出してほしいと願います。

 

ミュージカルを見てから映画を見直したのですが、この映画にはナレーションが入っています。映画版にも「渡辺の自暴自棄期間」に登場する小説家を、役は役として残して、狂言回しとしてナレーターも担わせたのがまずいい。
映画で印象的だったものの1つが、渡辺勘治役の志村喬さんの「目の演技」。
それをミュージカルではミュージカルらしく「歌」で表現しています。
その歌の中でも「二度目の誕生日」と「青空に祈った」が圧巻。

わたしが見た回の渡辺勘治役は鹿賀丈史さんだったのですが、KOBELCO大ホールですらその広さを全く感じさせない大きな演技と素晴らしい歌声。
3階で拝見したのですが、久々に3階席で見る、聴く喜びを感じました。
KOBELCO大ホールは通常はオーケストラ、オペラ、バレエを主に公演している本当に大きなホールなので、4階席まであります。
鹿賀さんの視線がその4階席まで普通に伸びていて、空間全体を覆いつくしていることに感動。
プログラムに市村さんが浅利慶太さんから言われたという有名なエピソード「お前はステーキの横のクレソンだ」が対談コーナーで掲載されていたのですが、その「ステーキ」だった方は違うな、と改めて実感しました。

映画では主人公が息子との思い出をプレイバックするシーンがあるのですが、ミュージカルでは「母親亡き後、口を利かなくなった息子と公園に行ってブランコに乗せたら、やっと笑ってくれた」というエピソードが語られ、歌になります。


その息子を今回の再演から演じた村井良大くんがまたいい。もう「どこかに、どこにでもいそうな普通の青年」をミュージカルでやらせたら、彼の右に出る人はいないような気さえします。鹿賀さんは歌い出したら「ミュージカルスター」で「普通の人」ではなかったけれど、村井くんはどこまでも「普通の人」を感じさせるのが、このミュージカルの中でリアリティを産んでいたように思うのです。

 

小説家役の新納慎也さん。ファンなのでもう何もいうことがない(笑)和服姿かわいい(笑)
KOBELCO大ホールの音響のおかげもあると思いますが、歌唱力があがっていたのが嬉しかったです。そしてこの作品への、さらに渡辺勘治への尊敬と愛にあふれた姿は、観客と舞台をつなぐ「狂言回し」としての1つの在り方だったと思います。


田切とよを演じた唯月ふうかさん。歌唱力も演技力も確かで可愛く、絵面的に暗くなりがちなこの作品を明るく彩ってくれました。高音域になると響きが金属的で気になったのですが、これは音響せいかもしれません。
一方、妻・一枝を演じたMay'nさんもすごくよかったんですよ!この作品の初演が初ミュージカルとのことですが、セリフの声のトーンも明瞭で聞き取りやすく、歌声も歌詞がとても聞き取りやすく心地よく、ぜひともこれからもミュージカルで活躍していただきたいです。そしてこういう人を見出してくるのもさすが亜門さんですね。

 

助役の山西惇さんは一応憎まれ役ではあります。しかし余命宣告のシーンもそうでしたが、ブラックユーモア的に描かれていて、役どころと舞台とのバランスを持った演技がさすがでした。
海外だとカーテンコールでブーイングが起こる役どころだろうなあとか思うと、ますますこの作品の海外進出を見たいです。

(何役もこなしたアンサンブルの方々も皆さんうまくて、コーラスのハモリも絶妙で耳福でした)

そしてその時にはぜひ、パンフレットのビジュアルをポスターにしてほしいものです。

せっかくステキなビジュアルなのにパンフレットとグッズにしか展開されていないのがもったいない。

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この作品は11/30(月)の名古屋公演が大千秋楽となるのですが、鹿賀さんバージョン、市村さんバージョン両方の有料ライブ配信が決まっています!

horipro-stage.jp


見逃している方はぜひ!お値段4,800円とちょっとお高めですが、見れば高くないことがお分かりいただけると信じています!
(もちろん、わたしも見ます!思い余って福岡か名古屋まで再度見に行くことを考えたので、それに比べたら安いし、ありがたい!そして福岡&名古屋でご覧になられる方はたっぷり期待していって大丈夫です。ぜひお楽しみください)

 

ところで渡辺勘治はどこにでもいる「市井の人」だと映画の説明に書かれていました。

映画の原作はトルストイのこちらの作品とのこと。

 

イワン・イリッチの死

イワン・イリッチの死

 

 

この小説をせっかくなので、この機会に読んでみたのですが、こちらの方が俗人的というか、現実に近いなと感じました。

というのも、わたしの父も彼と同じように定年の1年前に余命3ヶ月が判明し、きっちり3ヶ月後に死にました。
その間に我が家で起こったことは、小説の中のイワン・イリッチと同じで肉体的な苦痛と「死にたくない、死ぬのが怖い、ただ生きたい」と願う精神的な苦痛から、死ぬにはちょっとばかり早かった人の多くが巻き起こすことではないかと思います。

それと比べると渡辺勘治さんはただの「市井の人」ではない。最後には死を受け入れ、死の前に「命を燃やして誰かの役に立つ、何かを作る」ことをできる人はどれくらいいるのでしょうか。
(ウチは3ヶ月でしたが、半年、一年、二年と続いている方のお話も聞きます。そのご苦労を思うとさらに渡辺勘治さんへの尊敬が高まります・・・)
ただ渡辺勘治さんが息子と分かりあえなかったように、家族だから知らないこともあるのかもしれないと、この作品を見ながら思いました。
わたしの父親のお通夜で夜遅い時間にやってきた学生らしき男の子が、父の祭壇の前でただ静かに泣き続けていた姿を、久々に思い出しました。
1人の人が生きるということは、ほんの少しかもしれないけれど、誰かに何らかの影響を与えるということかもしれないなと、感じた作品でもありました。

そして、小説を読んだ今、映画もこのミュージカルもいい意味で、少しばかりファンタジーを含んでいると思うのです。そのファンタジーが希望を産み、いつの時代も見ている人に何かを与えることのできるものになりうる気がします。

踊りが見せてくれる夢と可能性@ミュージカル「ビリー・エリオット」

11/7(土)12:00~ 梅田芸術劇場

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スタッフ
【脚本・歌詞】 リー・ホール
【演出】 スティーヴン・ダルドリー
【音楽】 エルトン・ジョン
【翻訳】 常田景子
【訳詞】 高橋亜子

キャスト
ビリー 川口 調
マイケル 佐野航太郎
お父さん 益岡 徹
ウィルキンソン先生 安蘭けい
おばあちゃん 根岸季衣
トニー(兄)中河内雅貴
オールダー・ビリー 大貫勇輔

原作はラストシーンのアダム・クーパーさまが恐ろしく美しかったこの映画「リトル・ダンサー」。

 

リトル・ダンサー (字幕版)

リトル・ダンサー (字幕版)

  • 発売日: 2020/10/17
  • メディア: Prime Video
 

 日本では2001年1月に公開され、見に行ったのを覚えていますが、ラストシーンのアダム・クーパーさまの白鳥に圧倒されて、細かい記憶が吹っ飛んでおりました。

マシュー・ボーン作の「スワン・レイク」の大ファンだったのに、この映画にアダム・クーパーさまがご出演されていると知らず度肝を抜かれました。

アダム・クーパーさまの魅力はぜひこの辺りでご確認ください。

 

チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」 [DVD]

チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」 [DVD]

  • 発売日: 2012/03/07
  • メディア: DVD
 

 幸運なことに映画がロンドンでミュージカル化されて、ブロードウェイに進出する手前の2007年に、ヴィクトリア・パレス劇場で見ることができました。

内容はほぼほぼ映画と同じなのですが、味付けというかダンスと歌でショーアップされるだけで、そして本当に子役のコたちが踊れるだけでこんなに違った印象になるものだなあと思った記憶があります。

ストーリーはこんな感じです。

1984年、サッチャー政権の中、炭鉱労働者たちのストライキに揺れるイングランド北部の炭鉱町イージントン。ビリーは炭鉱労働者の父と兄、認知症の祖母の4人暮らし。幼い頃に母親は他界してしまい、父と兄はストライキに参加しており生活は苦しい。そんな中でも、父親にボクシングを習わされているけれど、ある日、バレエ教室のレッスンを偶然目にし、レッスンに参加するようになる。そしてビリーは徐々にバレエに魅せられ、バレエダンサーを志すようになっていく。

ロンドンの舞台は北部訛りが強い英語で演じられていたことも作用して、正直一部は何を話しているのか全く理解できなかった哀しい思い出があります。

しかしながら二部に目を見開く素晴らしいシーンがやってきたのです。

ビリーと成長したビリーが2人で「白鳥の湖」を踊るという幻想的で美しいシーン。

ビリーの将来の姿なのか、妄想なのか、その曖昧さが夢を表現するこのシーンは、日本版で見ても「舞台作品」として優れた演出だなと思いました。このシーンを見るだけでも、この作品には価値があります!

改めてこのシーンを目にして、その幻想的な美しさに涙し、踊りの力を強く感じました。

このシーンがあることによって、終わり方は映画とは違うのですが、それもまた舞台らしい素敵な作品に仕上がっています。

 

日本版では「イングランド北部訛り」を同じ炭鉱の町だった北九州地方の方言が使われていて、これはとてもいい日本語訳だなと思います。

舞台美術等はロンドンのままだったと思うのですが、最初流れたサッチャー政権のニュース映像は日本版ならではの工夫だったのかもしれません。(か、単にわたしの当時の現地の記憶が飛んでいるか・・・。いや、なにせ日本からの長時間フライトを経たその日に見に行ったもので疲れと時差からくる眠気との闘いだったのです・・・)

ただ改めて日本語で理解しながらこのミュージカルを見ると、「スト破り」のバスに乗るシーンが分かりにくいような気がしました。あのバスに乗るのが何を意味するのか、はもう少し丁寧に説明した方が、兄トニーの怒りや父親の覚悟ももっと全面に伝わる気がします。

しかしながらショーアップ加減はすばらしく、現地では何を歌っているか全くわからなったビリーの祖母の「Grandma's Song」が、ひと世代前の女性の人生を表現する素敵な曲だったことを知れて、とてもよかったです。

そして約1年の時間をかけてレッスンをしたという子役キャストたちがすばらしい。

わたしが見たビリー、川口 調くんは演技は少し苦手なように見えましたが、何よりダンスがすばらしい。タップもよかったですが、バレエがとてもよくて「踊りの才能を見出される少年」という設定がとても納得。

さらに名曲「Electricity」も踊りへの情熱があふれた歌声で心打たれました。

マイケル 佐野航太郎くんとの2人のダンスシーンも楽しく、かわいく癒されました。

またデビーはじめ、バレエを習っている少女たちもそれぞれにきちんと素晴らしいパフォーマンスをしていて、すっかり魅せられました。

だからこそウィルキンソン先生もやはり踊りで魅せてほしいなと思ってしまいました。これはわたしのキャスト選択ミスです。

ウィルキンソン先生、ロンドンの時の記憶よりももっと踊るシーンが多かったので、歌よりダンス派のわたしは柚希礼音さんで見る方が正解でした。

そして安蘭けいさんの「プロを目指していたわけではない」設定であるならば、衣装は映画版のようにちょっとダボっとした体形を隠すような洋服の方が、よりその世界観を表現できたと思うのですが、その辺がダブルキャストの難しいところですね。

とはいえ舞台版には映画にはないウィルキンソン先生の「ロンドンへ行けば、わたしのレッスンが二流だったということがわかるだろう」というようなセリフがあるのです。

ということはウィルキンソン先生は少なくとも三流ではない。

そうなるとプロを目指すほどではなく、生活のため仕方なくかもしれないけれど、どこかで働くよりも「バレエの先生」を選択したのであれば、もっと「バレエへの愛」をセリフだけでなく動きからも感じたかったなあと思いました。

この映像で見る柚希礼音さんのビリーへの指導のときの動き方(1:55頃)、これがわたしが求めていたものなのだと思います。


柚希礼音:ミュージカル「ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~」プレスコール

とりあえず目的がはっきりしている演目のときのキャスト選びはちゃんとしようと反省しました。

改めて柚希さんのウィルキンソン先生が見たかった・・・!

(とはいえ、安蘭けいさんの歌声は圧巻。隣の席の方は大感激なさっていました)

 

ところでこのミュージカルが日本版も再演がなされるほどにヒットした理由は、映画と同じく父親と息子の関係の描き方、なのだと思います。

かくいうわたしも映画で「いいなあ」と思ったのは、オーディション時の父親の受け答えでした。年齢を重ねても考えを変えていくことができる。理想とは違った息子の夢を100%サポートすると言い切るその父親の言葉と姿は希望でした。

とりわけわたしが映画で好きだったのが、その前の「あなたはバレエのファンですか?」という問いに対する答えでした。

とても素直で、格好つけようとしない言葉がステキだなと思っていました。

もちろん舞台版でも同じシーンが描かれます。しかしそこで「プロとは言えません」みたいな回答に違和感。

観劇後確認したところ、舞台版でも映画でも英語の答えは「I wouln'd exactly say I was an expert」。

そして映画の字幕は「よく知っているとは言えません」でした。

改めてこの字幕をつけた方がすごいなと感じますし、日本版でもこれを採用してほしかったなと思いました。この字幕の言葉で「格好つけない、取り繕わない率直な父親像」がステキと思っただけに、ちょっとしたニュアンスの違いで違って見えてくるものなのですね。

そしてラストシーン。舞台版は映画のシーンをいかしたセットと見せ方になっています。けれど映画ではこの後、地下鉄からあがっていくシーンが描かれる。地下と地上の表現でつながっていることに改めて気づき、映画のすばらしさにも気づきました。

ということで、なかなか舞台を見に行けないという方には、改めて映画版もおススメしたいなと思います。

そして同じような炭鉱問題を描いた英国映画の中でもお気に入りの1つも合わせてご紹介。

 

パレードへようこそ(字幕版)

パレードへようこそ(字幕版)

  • 発売日: 2015/09/25
  • メディア: Prime Video
 

 ビリー・エリオットでもマイケルが、トランスジェンダーなのか、トランスベスタイトなのか、ゲイなのかバイなのか分かりませんが、とりあえずジェンダーギャップを抱えている人物として描かれています。

 

「パレードへようこそ」はLGBTと田舎の人々の交流を描いた映画なのですが、これがなかなかよい。知りあって理解して、少しだけ考え方を緩和することは、ちょっとだけ世界を、そして人生を楽しくしてくれるような気がします。

 

ところで今回このようなフォトスポットがあったのですが、1人観劇ではフォトスポットを撮影するしかなかったのが残念。

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ピピン の時のように、撮影してくださるスタッフの方がいたら嬉しかったなあと思いました。