こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

それは原動力と洗練@ノバ・ボサ・ノバ

5月12日(木)15:00~ 宝塚大劇場

お気に入りブログで、最初見たときは古くて良さが分からず、でも繰り返し見れば見るほど、ヅカファンとしての本能に訴えかけてきた、と表現されていたノバ・ボサ・ノバ。
なんと、私は初見。
なので、せっかくなので、なんの情報も入れずにまっさらに見てみようと決意。前回の再演も映像で確認することなく臨んだ。

さて、私は洗練されたショーが好きだ。
いわゆる、MGM、ザッツ・エンターテインメント的なものが好き。
ジャズやスタンダードのナンバーで、男性は正装、女性はセクシーなドレスで踊るようなものが好き。
そして、ノバ・ボサ・ノバはその真逆を行くものだった。
けれど、私はこのショーが好きだ、と思った。

ノバ・ボサ・ノバは間違いなく宝塚ショーの最も優れた原型だ。洗練とは真逆を行く土臭さ。それでも演出が大介先生に変わったことで、前回よりはずいぶんと洗練されていたのかもしれない。
今となっては目新しさはない。八百屋舞台もシーンも話の展開も。けれど、そのオリジナル性は際だっていて、これが40年も前に作られたのかと思うと、その当時の宝塚歌劇の勢いやエンターテインメントを生み出す力に感嘆せざるをえない内容。
とにかく、観客の気持ちを盛り上げるのが上手い。
中盤の畳みかけてスピードアップしていくビバサンバの圧倒的なリズム。
人間の本能に訴えかけてくるんじゃないかと思う。原始的なリズムは思考よりも先に直接的に心臓に届くようでもあり、ただただ圧巻。そして感嘆。

ストーリーはかつてのMGMミュージカル映画のように、単純明快。ブラジルのカーニバルの一日に巻き起こる人間模様。観光に来た母と娘、リオでその日暮らしをしているような男たち。恋人たち。聖職者たち。理性を取りはなったような無礼講のカーニバルの一日に、盗みを働いたり、出会って恋に堕ちて、さらに痴情のもつれで人情沙汰が起こったり、そういうことを原始的なラテンの音楽に乗せて魅せていく。

土と海と太陽の匂い。そういうものが漂うパワフルな舞台だった。振り付けも単純。けれど激しく、迸る汗がより魅力的に舞台を飾っていたように思う。
最もよかったのはブリーザ。私、やはり白華れみという役者が好きだと思う。動物的な現地の女。本能で生きているような生身の女。その存在が本物だから、そこに生まれる痴情のもつれが実に生々しくて、どきりとさせる。

柚希礼音は一人飛び抜けて圧倒的だったのだけれど、彼女の歌声は宝塚史上飛び抜けている、というものではない。彼女程度の歌手なら、今までもいた。けれど、彼女ほどのダンサーは見たことがない。その彼女を踊らさない意味が分からない。
何もない八百屋舞台。一面に広がる海と太陽。そのセットの中で、彼女の踊りを見たかったと心の底から思った。アフリカンテイストのジャズ、なんかを踊ったらさぞかし素晴らしいシーンになったろうにと思うと、それが柚希礼音であるからこそ、もったいなく感じた。次回作も一本もの。いつか彼女にふさわしい、ノバ・ボサ・ノバのように後世に残るオリジナル・ショーを作ってもらいたい。

私が見たのはオーロ:真風涼帆、マール:夢乃聖夏、メール夫人:紅ゆずるだったのだけど、それぞれにしっかり演じていて楽しかったし、別のキャストでもそれまた面白かっただろうなと思った。
ただ、神父の涼紫央も合わせて、歌唱力の足りなさはやはり残念に思う。

エストレーラの夢咲ねねは抜群のスタイルと可愛らしさを振りまいて、娘役として多いに舞台を飾っていた。カーニバルの夜が明けて、朝の浜辺で踊る二人の姿は微笑ましく、そして来る別れが切なく、素敵だったし、思わずバカンス旅行に出かけたくなるような、良い作品だった。

一方の「めぐり会いは再び」は、シェイクスピアの祝祭劇のような古典的でありながら、セリフや演技を現代的に仕上げてあって、洗練された印象。劇場劇と普通の芝居部分が巧妙に解け合う感じが演出としても面白く、軽く上質のコメディでショーとのバランスがとても良かったと感じた。ただ、個人的に平井堅の主題歌は、音楽が全体にクラシカルに作られていたので、ザ・ポップスの旋律が作品から浮き立って感じた。
でも、衣装やセットも可愛らしかったし、登場人物もキャラが立っていて、星組の現代的で華やかな面々によく似合っていて、楽しかった。