こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ダンシング・チャップリン

ローラン・プティの名前を初めて知ったのは、高校の終わりか大学の始めくらいだったと思う。
その頃、私は毎年ローザンヌ国際バレエコンクールのテレビ放映を楽しみに見ていたのだ。
しかしながら、私はバレエを習ったことがないし、その上価格の高いバレエを劇場に見に行く機会もなく、バレエについては何も知らなかった。
バレエと言えば、イコールでクラシックバレエだった。
だから、その年、ものすごく衝撃があったのだ。

その女の子は、包帯を巻いたようなデザインの衣装を身につけ、不思議な動きの振り付けを踊った。コッペリアからのワンシーン。明らかに他のコッペリアとは違った。彼女の審査員からの評価は散々だったけれど、その中でローラン・プティという人がこの踊りを振り付けたことを知る。
狂気のコッペリア、であることは一目で分かった。
そして、その動きがとてもとても心に残ったのだ。

クラシックと違ったバレエがあることをその時、知った。ベジャール、バランシンを知ったのもそれからだった。そして、クラシックよりもそちらの方が私の心を惹くことを知ったのだった。

とは言え、バレエよりもミュージカルや演劇が私の専攻であったのもあって、なかなか舞台でその作品を見ることが出来なかった。
だから、「ダンシング・チャップリン」の話を聞いたときは、ぜひ見たい、と思ったのだ。憧れのローラン・プティの振り付け作品を映画館で見れるのだ。

プティには予備知識があったけれど、逆に私はチャップリン、が無知の領域。名前と風貌くらいしか知らない。だから、チャップリンの映画を見ていたなら、もっとこの作品を楽しめたかもしれない。でも、知らなくても、十分にその「何か」は心を打った。

「何か」が何かと言うと、それは「一流」の「誇りと愛」なのかもしれない。
ローラン・プティの変わらないバレエとダンサーと自分の作品への愛と誇り。
草刈民代さんの、作品に対する強い思い。それを実践していこうというこだわり。そして、それを完璧に残せる自分でありたいという誇り。彼女は語らない。けれど、彼女の姿勢がそれをくまなく伝える。さらに、それを二幕のバレエで目にするのだ。彼女の演技は想像以上だった。バレエの巧拙は彼女くらい一流になると、私のような素人では分からない。けれど、彼女がダンサーという役者であることはとても良く分かった。とりわけ、キッド、の演技が素晴らしかった。あそこにいるのはまごうことなき、少年、だった。動きと表情、その二つで彼女は見事に少年になった。やんちゃで可愛く寂しい少年。性も年も越える演技。本当に素晴らしかった。

そして、これを目の当たりにするにつけ、水曜日に見た「ブラック・スワン」への不満が沸き上がる。もちろん、あれは、心理ホラーの状況を引き出すツールとしてのバレエ、であったことが改めて良く分かる。けれど、あの映画の主人公が、白鳥の女王や黒鳥を表現することや、カンパニーのトップとして、より良い作品を作ろうという姿勢がまるでなかったことが、やはり残念に思うし、そうしなかった彼女は、プリマ、であり得ない、と思う。

今回のカンパニーの主役は、チャップリン役を演じたルイジ・ボニーノ。彼がまた凄い。ローラン・プティが彼のために作ったこの作品。20年、200回も彼はこの作品を踊っている。誰よりもこの作品を知っている。そして、それを残す今回のプロジェクトのために、彼は惜しみなくそれを提供するのだ。他のダンサーにも、素晴らしい作品を作るために、確実に的確に教え、アドバイスを与える。
その時の彼は、気さくなベテランバレエダンサーだ。
けれど、二部のバレエになると、メイキングでは全然映らなかった彼がいた。チャップリンを演じる人。私はチャップリンを知らない。けれど、ルイジ・ボニーノの演技で、彼がどういう人だったか、分かったような気がした。陽気なシーン。チャーミングなシーン。美しいシーン。けれど、それを縁取る孤独。優しさ。哀しみ。浄化されたそれら全てが彼の瞳にある気がした。
だから、最後のシーンは呆然と彼を見つめ、テロップが流れきった後に、一気に胸がつまって涙が出たのかもしれない。

もう一つ、一連のバレエシーンの中で、分かりやすく美しかったのは「空中のバリエーション」だ。音楽も耳なじみの良い「スマイル」。男性が黒子に徹して、女性をサポートして、幻想的な踊りを見せる。
このシーンを作るための苦労がメイキングで描かれる。そして、そこにはとてもシビアな結果がついてくる。
最終的にこのシーンの男性ダンサーを勤める方は、パートナーの一流技術を持った人だという。そして、その素晴らしい技術を見せてくれる。彼の見事な黒子ぶり。草刈さんを輝かせる力。そのための優しさ。彼がプリンシバルとして素晴らしいかはまた別のことだと思う。寧ろ彼のような方向で一流である、ということが、とても素晴らしいと思った。草刈さんは他ならず、ルイジ・ボニーノや彼、リエンツ・チャンのような一流の技を映画館で気軽に見れること、これがこの作品の素晴らしいところであると思う。

ルイジ・ボニーノが言う。
年を取るに連れ、心は豊かになるのに体は衰える。
だから、ダンサーはレッスンを重ね、必要な筋肉を鍛えなければならない。

心の引き出しは増えて、前よりずっと気持ちを乗せられるかもしれないのに、体が表現できなくなる。こんな仕事が他にあるだろうか。だから、私はダンサーに惹かれるのだと思う。

そして、映画へのこだわりと愛、さらにダンサーへ魅了された視点、そういう周防監督だから、作れた作品だと思った。