こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

キャバレー

3月31日 17:30~ @梅田芸術劇場
サリー・ボウルズ 藤原紀香
MC 諸星和己
クリフ 大貫勇輔
フロイライン・コスト 高嶺ふぶき
フロイライン・シュナイダー 杜けあき
ヘル・シュルツ 木場勝己

初演の感想(こちらに松尾スズキ版、ロンドン版の感想をリンクしています)、そして映画版の感想
そんなわけで、キャバレー自体が私は大好きな作品である。音楽もキャラクターも脚本も私にとってはとても魅力的。キャバレー、というタイトルからこういう中身だと思わなかったと友人が言ったのだけど、そんな誰がどうやっても後味悪い終わり方まで含めて、この作品が好きだと改めて思った。まさしく、この主題歌どおり、life is cabaret!人生、生き方、そういうものをどんと突きつけられるからなのかもしれない。
映画にはないミュージカル版の魅力の一つは、フロイライン・シュナイダーという老婦人だと思う。彼女がふらふらとベルリンにやってきたクリフに部屋を貸す時に歌う「so what」から、考え方と生き方を受け取る。そして、様々あって、彼女が最後に下す決断は、とてもリアルで、だからこそ、どんと重くのしかかり、息苦しくなる。(また、そこの杜さんが演技と歌が本当にいいのだ!)そして、狂乱の世界へ走っていくさまはただただ現実がガンとそこにあって、終わってからしばらくは息がつけなくなるのだと思う。そんな最高に後味の悪いミュージカル(笑)それがキャバレーである。

だからこそ、前半の享楽的で猥雑で怠惰なキャバレーシーンが際だつといいと思うのだけれど、なかなかそれを伝えるにはこの演出は半端に上品だと思うし、けれどこれ以上下品になっても、通常こういう大きな劇場にミュージカルを見に来る客層が受け取るにはギリギリのところで、それがキャバレーを日本で上演する難しさだなと改めて思った。つまり最初のMCの下ネタ的セリフに観客が引いているのをかなり感じたのだ。あそこは本来ならもっと笑いが起こるところで、それを笑わせるという意味では松尾スズキ版が適正だったのかもしれないなとも思った。
それでも、幕開きの舞台に浮かぶ地球儀が布を取り払うとミラーボールになって、一気に光を放つという演出は、ぐっとショーのイメージを伝えて、個人的には素晴らしいと二度目でも思った。

初演のキャストからの大きな変更はクリフがロミジュリで話題のダンサー、大貫くんになったこと。そして、この大貫クリフこそが、今回最も魅力的だった点だった。
動きが綺麗なところが、神経質で乙女なゲイっぽくて素晴らしかったし、何より、ダンサーであるがゆえに、人の体への距離間が自然で近く、それがまたこのキャバレーという作品の中では活きていて、長い手がサリーや相手役に自然に絡まる様子は、ほのかなエロティシズムも感じて、ドキドキした。
彼に変わったことで、翻弄されるダンスシーンも追加。その踊りも短いながら当たり前だけど見事で、芝居はまだまだな部分も感じるけれど、何より声が良く、今後に大きく期待したいと思う。
また、初演に比べて諸星くんのMCがずっとカンパニーにとけ込んで、それもまた良かった点の一つ。
藤原紀香は初演からさほどの差がなく、やはり可もなく不可もなく。ただ、カーテンコールで挨拶をする彼女は、とても知的で、演じている時よりもずっと輝いて美しく見えた。だから、彼女が演じるにはこのサリーという役はその知性が邪魔をしているのだと思う。奔放で明るくてパワーがあって、でも純粋で寂しがりやでチャーミング、そんな役を演じられるのはやはりライザ・ミネリしかいないのかもしれないなと、舞台でサリーを見るたび思う。そして、そんなライザ・ミネリのイメージが焼き付いてしまっていることがまたこの作品を上演するには高いハードルなのかもと思った。