こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

不思議が生み出すもの@KERA MAP「修道女たち」

11/23(木・祝) 17:30〜 兵庫県立芸術文化センター 中ホール

キャスト
オーネジー 鈴木杏
シスター・ニンニ 緒川たまき
テオ 鈴木浩介
シスター・マーロウ 伊勢志摩
シスター・ソラーニ 伊藤梨沙子
シスター・アニドーラ 松永玲子
テンダロ/ドルフ/保安官/死神 みのすけ
シスター・ノイ 犬山イヌコ
シスター・ダル 高橋ひとみ
シスター・グリシダ(声のみ) 林原めぐみ

作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ



上演時間が長いよ、と聞いていたのですが、実際はこんな感じでした。


でも見ていると体感時間は一瞬でした。
そのくらい集中して惹きつけられたお芝居は久々でした。
一部終わったあとにわたしがとった行動は、すぐに戯曲を買う、でした。
修道女たち
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
白水社


この本のあとがきによると、事情がありポスターを取った時点では修道女が出る物語、以外のなにも決まってなかったそうです。
そこからあれだけの世界観を創り上げるケラさまにひたすらうなるばかりです。

そんなストーリーはこんな感じでした。
とある国でキリスト教っぽい修道院に入っている修道女たち6人が、毎年恒例の巡礼の旅にでます。
彼女たちが信仰する宗教の聖地はど田舎にあり、その伝説は真冬におこったとされるため、凍てつく寒さの中、雪の降り積もる祠へ向かいます。
その祠では、修道女に憧れるオーネジーとオーネジーにつきあって幼なじみのテオが修道女たちを待っています。
無事、巡礼地についた修道女たちですが、出発前から抱えていた問題は、ここでも彼女たちにせまりきます。


オープニングの教会っぽい背景の前で、修道服に身を包んだ修道女たち6人が交わす会話のおかしさ。この不自然さをまるっと飲み込むものが宗教というものなのかもしれません。
6人のうち1人シスター・ソラーニは母親に連れてこられただけで一向に信仰心などないので、そこに突っ込んでいくのですが、特に緒川たまきさん演じるシスター・ニンニは彼女の指摘こそが不思議という感じなのです。
何か神々しい雰囲気をまとう緒川たまきさんの美しさこそが、シスターというどこか浮世離れした存在を表現していました。

しかしながらシスターたちも浮世と離れて暮らしていけるわけではないのです。
彼女たちを襲った苦難の現実。
それにどう向き合うのか。
どこまで何を信じるのか。
その中で起こる不可思議がみごとに溶け合い、包み込むように1つの世界が出来あがっているのです。
最後のその美しい完結を見るとき、スノーボールの中の世界に引きずり込まれたような感覚でした。

最中の会話は俯瞰者として面白く笑ったり、彼女たちと一緒にドキドキと怯えたり、少しずつ晒されていく事実に納得したり、本当に終始気持ちを引っ張られる舞台でした。
あの美しい完結も、オーネジーの希望が見せたもので、現実は本当に陰惨な絵なのもしれないと思うと震えました。

全てを知った今、またもう一度見たい、そう思うのです。
でもシスター・ニンニは緒川たまきさん以外考えられない。
あの﨟たけた美しさ。
玉を転がすような柔らかくて優しい声。
彼女こそが女神でした。
神に仕えるということの意味を緒川たまきは全身で表現していたのです。

そんなシスター・ニンニだったからこそオーネジーが憧れるのがよく分かる。
オーネジーは少し知恵おくれです。だから難しいことは分からない。けれども純真でだからこそ無邪気に残酷で、純粋な凶暴性も持ち合わせているさまを鈴木杏ちゃんがさすがの演技力で魅せてきます。
ただもし可能であれば、鈴木杏ちゃんの演技力を持ちながら、透明感が出る役者さんでこの役はもう一度見てみたいなと思いました。
昔の羽野晶紀さんのような、藤原竜也くんみたいな透明感。鈴木杏ちゃんの演技力がそれこそ誰もが身につけることができないように、透明感も努力ではどうにもならないのはよく分かっているけれど、緒川たまきさんの浮世離れ感に最終的に一体となっていく感じが個人的には見たいなと。

それにても犬山イヌコさんと伊勢志摩さんの掛け合いの面白さといったら!
絶妙な間合い、絶妙なトーン。
戯曲を読むだけでは笑いまではいかないところをちゃんとおかしく見せるのを見るとき、演劇のすごさを感じます。

そしてシスター・アニドーラの高橋ひとみさんがまた良かった。
悩める母親、1人の女、バカだけど真剣で、でも色気があってチャーミング。
アニドーラ自身が高橋ひとみさんそのものみたいに感じさせたのがさすがです。

もちろん何役も演じたみのすけさんのコミカルさ、鈴木浩介さんのオーネジーに通ずる優しさと残酷性もすばらしかったです。
ただ戯曲に書かれていた最後のセリフが、実際には聞こえなくて、このセリフが聞こえるか聞こえないかでずいぶんと変わってくる気がするのです。それが残念でした。

今回もプロジェクションマッピングを使ったオープニングもセットも照明もとても美しかったです。
でもセットについては、100年の秘密の方が好きでした。木が真ん中にあるのに不自然に感じさせない舞台の強みをドーンと魅せてきたのに対して、今回は美しいけれどまあ普通のセットだったんですね。特に外の降り積もった雪のセットのところはもう少し演劇的な見せ方ができたらおもしろかったかもしれません。

ところで物語はロジカルでいずれはAIが作るだろう、とある人が言っていました。たしか演劇を作る人だったと思います。
でもこの物語はAIでは絶対に作れない。
見ながら「辻褄があわないとイヤな人が見たらイヤだろうな」と思うシーンがいくつかあったのですが、そのシーンが全て戯曲のあとがきにそういうご意見があったと書かれていて納得。
でもケラさまの、シスター・ノイの言葉どおり、世の中は「なんでもわかるわけじゃないんですよ」。
まだまだ説明のできることばかりではない。
説明できないことは「不思議」になる。
そこに信仰が生まれることもある。

理詰めに疲れたわたしを優しく包んでくれるそんな舞台でした。