こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

夢の中で見る夢@KAATプロデュース「最後のドン・キホーテ」

11/1(土)18:00~ @SkyシアターMBS

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

音楽:鈴木光介 

振付:小野寺修二

美術:松井るみ

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配役

ドン・キホーテ(ヘンリー・クリンクル):大倉孝二
看護婦(ローズ)ほか:咲妃みゆ
牧師(サンチョ・パンサ)/ガロン(ダスティーの夫)ほか:山西惇
医者/アルビーのアパートの大家/鏡の騎士 ほか:音尾琢真
果物屋(ビーター)/死神ほか:矢崎広
負傷した患者(兵士)/ペドロ(劇場常連客の少年)ほか:須賀健太
俳優3(ドリー)/果物屋の妹ほか:清水葉月
エドワード(クリンクルの代役)/果物屋の父親ほか:土屋佑壱
患者(商人)/探偵ほか:武谷公雄
クリンクルの次女(モナ)/署名運動をする人ほか:浅野千鶴
ロシナンテ/役人/クリンクル家の執事ほか:王下貴司
ルシオ/俳優5ほか:遠山悠介
俳優1(兼演出家/アルビー)ほか:安井順平
俳優2(ウォルター)/ニセ少年ほか:菅原永ニ
農夫の女房/プロデューサー/腐ったオレンジを買った兵士/クリンクル家の乳母(ドミニカ)/ニセ少年ほか:犬山イヌコ
売店の売り子/アルビーのアパートの大家の妻/クリンクルの長女(ダスティー)ほか:緒川たまき
女因のボス(サマンサ)/クリンクルの妻ほか:高橋惠子

演奏

鈴木光介/向島ゆり子/伏見蛍/細井徳太郎/関根真理/関島岳郎

 

誰もが知っているキャラクター名「ドン・キホーテ」ですが、原作はもちろん数多くある関連作品の中でも、私が事前に見ていたのは「ラ・マンチャの男」だけでした。

stok0101.hatenablog.com

これすらももう9年前に一度見たきりで記憶は曖昧。ただこのミュージカルと似たシーンがあったことには気づいたので、その辺りは原作にあるのだろうなと思います。

ラ・マンチャの男」が原作者が牢獄の中で囚人たちと「ドン・キホーテ」の物語を演じていく、という三重構造に対して、「最後のドン・キホーテ」はヘンリー・クリンクルが、お芝居で「ドン・キホーテ」を演じているうちに、自分を「ドン・キホーテ」と思い込む、という作りになっていました。

舞台もより現代に近づいた英語圏の都市のどこかで、でも舞台の天井に釣り下がる風車の羽根のようなセットがステキで、松井るみさんの舞台美術はステキなときとそうでないときがあるので、改めて舞台美術も演出家の努力が必要なんだなと実感したりました。

そしてドン・キホーテの妄想と現実が交錯するあり方は、本当に見事だったと思います。というかKERAさんの強みがグッと出たように勝手に感じました。

何がどこまで本当で、この起こっていることに続きがあるのか、帰結があるのか分からない酩酊感が「イモンドの勝負」とか「江戸時代の思い出」とかナンセンス・コメディーと近いところもあってとても面白く、はじめて原作を読んでみたいという気持ちになりました。

あとよく分からないドン・キホーテが憧れる「騎士道」も、「ドン・キホーテという役になりきろうとして、そのままドン・キホーテになってしまう」設定なっていることでかなり受け取りやすくなりましたし、さらに「騎士道」には必須らしい思い慕う姫、という設定を、単に「会ったことないけど思い慕う姫がいる」と思い込んでいることにしてある辺りがさすがというか、翻訳物が上演される時には、分かりにくい文化の違いはこのくらいスマートに書き変えてくれるといいなと思います。

そして何より大倉さんのドン・キホーテが素晴らしかったのです!

狂人のおかしみを笑う、というのは個人的にはあまり日本人には合わない方向の笑いだと思っていたのですが、とにかく大倉さんのドン・キホーテがチャーミングで、この人に振り回されながらも魅了されていく人々がいるのもすごく納得できるんです。

ところどころ歌があるのですが、その中でも大倉さんが歌う「ドン・キホーテのテーマ曲」みたいなのが、1980年代の「世界名作劇場」ぽくて、愛すべきヒーロー感を漂わせていて最高でした。

プログラムのインタビューに「歌いたくない人」に手をあげたのに、歌があると書かれていましたが、個人的には歌、少しがんばってもらって、大倉さんの「ラ・マンチャの男」が見たいくらい、大倉さんのドン・キホーテが大好きでしたし、主役としてこれほどまでに愛すべきキャラクターになっていること、それがこの「最後のドン・キホーテ」の大きな意味じゃないかなと思ったのです。

ローズをはじめペドロや、最終的には彼のせいで一番絶望的な状況に追い込まれていく演出家アルビーさえも、ドン・キホーテに魅了される。そのことに全く違和感がないのです。

でも本名のヘンリー・クリンクルは、アロンソ・キハーノと同じく、実際の身内にとってはとんでもなく迷惑を通り越して憎むべき存在に描いてあるところも、とても興味深かったです。というかきっと原作もそうで、ラストシーン近くは「ラ・マンチャの男」を思い出すところも多かったので、「ラ・マンチャの男」ではそういう帰結か、と漠然と見ていたものに、私個人の勝手な気持ちが乗ってしまったのは、一重に大倉さんのドン・キホーテが魅力的で大好きになっていたから、なんだと思います。

人が死んだ時というのは、恐らくその人の多面性が視覚化しやすい時で、家族にとってはひどい人であっても、他人にとってはそうでない場合もある。

そして芝居のラストシーン間近としては、クリンクル家の親族の気持ちになるよりも、「ドン・キホーテの死を悼む側」でいる方が観客としては気持ちがいいのです。

私もローズやアルビーになりたかったのに、ローズやアルビーを「ああ父にはこういう泣いてくれる人もいたのだ」と冷めた瞳で見つめる側になってしまうと、やはりカタルシスは得にくく、芝居と現実はなかなか切り離せないなと久々に思う観劇体験になりました。

ただKERAさんは多分こういう私みたいな人がいることも考えてくれたような気がするのが、このシーンの後に愉快なドン・キホーテのシーンがあったことでした。個人的にはやはりローズがドルシネアに、アルビーがサンチョ・パンサになると宣言するところで終わる方が、分かりやすく劇的であると思うんです。

でもあの世でもドン・キホーテの遍歴の旅が続く感じで、この舞台は終わりました。蛇足だったかもしれない。でも個人的にはそこに私は優しさを感じ、いい作品だったと思いました。

 

役者については大倉さんに終始しましたが、山西さん演じる牧師のそれこそ欲と自分でも理解できない憧れみたいなものの狭間に揺らいでいる感じが素晴らしかったし、音尾さんの「底知れぬ怖さ」がすごかったです。少年そのものに見えた須賀くんは舞台に彩りを加えてくれていたし、ローズに片思いするピーター役の矢崎さんがイケメンのはずなのに朴訥として柔らかな存在でいてくれたのが、なんとなく舞台に安心感を与えている感じがしました。

緒川たまきさん、犬山イヌ子さん、高橋惠子さんはもうさすがとしか言いようのない存在感。この3人ががっつり固めてくれているから、ドン・キホーテもペドロもアルビーも自由に役を生きていたような気がします。

そしてヒロイン・ローズの咲妃みゆちゃんなんですが、声がキレイだし、ミュージカル調のところも当たり前だけど上手いし、何よりドルシネアを演じるところの姫演技は仕草といい、口調といい、さすが、の一言でした。そして宝塚時代よりはいいと思いました。でもやっぱりKERAさんの演出をしても、彼女が私に刺さらなかったのは、ちょっと残念でした。KERAさんの演出だと好きになれるかなとちょっと期待をしていた部分が勝手にあったのですが、どうにも私は好みではない俳優さんのようです。ただ本当に技術は高く、賞賛に値する方だというのは納得できました。