こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ふれる、感じる、そういう作品@ホリプロ「バンズ・ヴィジット」

3/6(月)17:00~ @シアター・ドラマシティ 

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スタッフ
原作:エラン・コリリンによる映画脚本
音楽・作詞:デヴィッド・ヤズベック
台本:イタマール・モーゼス
翻訳:常田景子
訳詞:高橋亜子
演出:森 新太郎
美術:堀尾幸男

キャスト
風間杜夫:トゥフィーク(指揮者)
濱田めぐみ:ディナ
新納慎也:カーレド(トランペット)
矢崎 広:イツィック
渡辺大輔:サミー
永田崇人:パピ
エリアンナ:イリス
青柳塁斗:ツェルゲル
中平良夫:シモン(クラリネット
こがけん:電話男
岸 祐二:アヴラム
辰巳智秋:警備員
山﨑 薫:ジュリア
髙田実那 :アナ
友部柚里:サミーの妻
太田惠資:カマール(バイオリン)
梅津和時警察音楽隊(マルチリード)
星 衛:警察音楽隊(チェロ)
常味裕司:警察音楽隊(ウード)
立岩潤三:警察音楽隊(ダルブッカ)

竹内大樹(スウィング)
若泉亮(スウィング)

原作の映画はこちらになります。

迷子の警察音楽隊 Bands Visit

迷子の警察音楽隊 Bands Visit

  • サッソン・ガーベイ
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わたしは「何も起こらない物語」ということ以外は、あえて何も情報を入れずに見に行きました。先行している東京公演で「良作だけどコスパが悪い」という意見が多数あるのは知っていましたが、何をコスパというのかは人によって違うな、と実際見て改めて思いました。
もちろんこれは、大阪の「シアター・ドラマシティ」という劇場がこの作品を見るのにちょうどよいサイズだったということも大きいと思います。
なので、作品とハコの相性は本当に大切、ということを、製作のホリプロさんに強く訴えたいところではあります。

2018年にトニー賞10冠に輝いた作品なんですが、当時の授賞式の記憶が「frozen」しかなくて、この作品は完全に、はじめまして、でした。
そしてトニー賞10冠の意味を痛感しました。

本当に、本当に素晴らしい作品でした。

なんてことない話しなんです。
エジプトのアレキサンドリア警察音楽隊が文化交流のため、イスラエルのとある町(ペタハ・ティクヴァ)のアラブ文化センターに行く予定が、空港でバスを乗り間違えて、見知らぬ町(ベイト・ハティクヴァ)に着いてしまった。
そこは何もない砂漠の中の町で、そこで一夜を明かす、それだけの話しなんです。
アレキサンドリア警察音楽隊アラビア語イスラエルの町の人々はヘブライ語
アレキサンドリア警察音楽隊とベイト・ハティクヴァの人々は、意思疎通を図るときはお互いカタコトの英語(を日本語に変更)で話し合います。
言ってみれば「旅の途中の一夜の出来事」なんです。

 

ただエジプトとイスラエルが微妙な関係性であることは、さすがにわたしでも知っています。
特にこの漫画で学びました。

そしてポスターコピーの「ブロードウェイの願いが託された」というのは、そういう国々の人々がふれあうことにあると思いますし、舞台上に生きる人々も、それを見ている観客もこういう日常を送れることこそが、平和を享受していることだということは、今現実に戦争時下の国があるからこそ、よく分かります。

でも今のところ、ありがたくもそうではない日本で見る場合、国と国、宗教と宗教、過去から今は続く歴史と、一般庶民が今ここで普通に生きていることは、また次元が別な気がして、だからそんなエジプトとイスラエルの関係性とか知らなくてもこの作品のよいところは十分に伝わると思います。

(そして、そこから踏み込むかどうかは観客に委ねられた自由だとも思います。制作者のメッセージ全てを受け取らなくてもよいとわたしは考えています。)


困っている旅人と、そこに住んで生きている人が「ふれあう」のは、それほど特別な体験ではないと思うのです。
わたしの場合、見ている間、いろんな旅の記憶とそこで親切にしてくれた人たち、自分の住む町でカタコトの英語でふれあった記憶が、とても愛おしい瞬間のように蘇りました。
(特に公衆電話に電話をかけ直してもらうくだりは本当に懐かしかったです)

 

そして言葉で通じ合うことに限界があるときに、この作品では、活躍するのが音楽なのです。
音楽が同じ感動を共有し、聴く人を癒し、助ける。

何もない砂漠の町ベイト・ハティクヴァではありますが、まあ最低限の娯楽場所はあって、レストランやカフェ、夜遊びするところなんかに、町の人と一緒に出掛ける隊員もいれば、泊めてくれた家に滞在し、ぎごちなく過ごす隊員もいる。
そんな隊員たちとは別に、町の人たちには普通の毎日があって、家庭生活や仕事、恋がうまくいったり、いっていなかったりする。
隊員が来ただけで「いつもの一日」がそこにはあるわけです。
でも隊員たちが来たことで、ちょっとだけ変化がある。

 

自分の誕生日の晩に、突然夫が隊員を泊めにつれてきて、怒り出し乳飲み子を置いて家を飛び出す妻。でも心配で帰ってきたら、夫が扉をあけた向こうで赤ちゃん泣き声とクラリネットの音が聴こえる。「知らない人に子どもを預けるなんて」と怒り、泣いている部屋を開けると、優しいクラリネットの音色が赤ちゃんを癒し眠りにいざない、それを見て泣き出す妻。
ここでわたしの涙腺も崩壊しました。
ああ、彼女はもう「筒いっぱい」だったんだ...。夫は失業中で不安いっぱいなのに、赤ちゃんのお世話は大変で、自分の誕生日は変なことになって、誰かに助けてもらいたくて、でも助けてくれる人なんていなくて。

でもそんなときに誕生日を台無しにした言葉もよく通じない訳の分からないおじいちゃんの一生懸命なクラリネットの音色が赤ちゃんをあやし、彼女の感情をあふれ出させてくれた。
たったそれだけのことなんです。
でも「たったそれだけのこと」が時々ずっと一緒にいる人には難しいことがある。
通りがかりの旅人が、赤ちゃんが泣きだしてどうしたらいいか分からくて、唯一できることを一所懸命やってみたら、作りはじめたものの進まなかった曲の続きができて、それがたまたまそこにいる人の心にふれた。そういうことは、あるのだと、そう思います。

(ちなみに後日、映画を見たのですが、映画にはこのくだりはなく、別の表現で作りかけの曲の続きを思いつく感じになっていました。でも大きくは同じで、ただ歌がない分、映画はとても静かないい映画でした)

 

一応主人公っぽい楽隊体調のトゥフィークとカフェのオーナー・ディナも同じことで、異国の地のほとんど知らない人だから話せることもあれば、分かり合えなくても聞くことができる。

見知らぬ人と人のたどたどしい会話が笑いを起こすこともあれば、妙に心に響くこともある。
そして「ちょっとだけ違う一日」が、ちょっとだけ幸せにしてくれたりもする。
そんな暖かな人と人のふれあいを、エキゾチックで魅力的な音楽が彩る本当にステキな作品でした。
さらにぐるぐる回る舞台セットは印象的かつ効果的ですばらしく、キャスト陣も適材適所で的確な演技と歌を披露するという充実の内容。
風間さん、濱田さん、新納さんのアフタートークに爆笑しながらも、ひさびさに劇場を出てもまだ心がこの作品の世界から抜け出すことができず、ふわふわとした気持ちで数日を過ごしました。

 

ちなみに上演時間は写真のとおり1時間45分です。
そしてシアター・ドラマシティの料金は一律13,500円でした。
でもわたしにとってはミュージカル作品では「ニュー・ブレイン」初演以来、10数年ぶりの感動体験だったのです。
もし会社に休む要求せずに見に行ける状況であるならば、大阪千秋楽まで通いたかったくらいです。
あまりに心を持っていかれてしまって、後から確認したいところが山ほどあったし、席が近すぎて見えなかったところも見たいし、何よりここまで好きになれる作品は10年に一度、あるかないかだからです。

だからこそホリプロさんには、夜公演の上演を真剣に検討していただきたいです。
1時間45分ですよ!今どき映画より短いですよ!
19時半スタートでも21時前には終わるんですよ!
そしてこんなにタッチングな作品です。
会社終わりに見たらどんなに癒されることでしょう。
千秋楽は劇場撤退の時間が必要だとしても、初日と中日は19時半の設定が可能だと思うんです。
そしてその時間だったら「見に行けたのに」勢も多いと思うんです。
さらに作品的に「日常の地続き」で見た方が、入り込みやすくもあると思っています。しかもほぼ夜の物語だから、夜に見る方が感覚的にもマッチします。

(さらに個人的な好みでは、19時半スタートなら、仕事終わりに軽く食べて飲んだ後に見てみたい作品でもあります)

この作品を見て、帰りの電車で困っている旅人がいれば、きっと一声かけるでしょう。
そういう優しい力のある作品なのだから、「日常の地続き」に見られる時間帯の上演を導入した再演を、心よりお待ちしています!