こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

何を見たいか@ホリプロ「舞台チ。 -地球の運動について―」

11/22(土)17:30~ @梅田芸術劇場

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原作    魚豊「チ。 ―地球の運動について―」
小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)
脚本    長塚圭史
演出    アブシャロム・ポラック
音楽    阿部海太郎
振付    エラ・ホチルド

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キャスト    
 オクジー 窪田正孝 
ヨレンタ 三浦透子 
グラスなど 大貫勇輔 
ドゥラカなど 吉柳咲良 
ラファウ/シンガー 小野桜介・駒井末宙(Wキャスト)
アントニなど 吹越満 
バデーニなど 成河
ノヴァク 森山未來
ダンサー    
皆川まゆむ 川合ロン 加賀谷一肇 笹本龍史 Rion Watley 半山ゆきの
演奏  

 MUSIC for ISOLATION(竹内理恵、ギデオン・ジュークス)

 

原作はこちら↓↓↓。

実は原作の方は未読で、放映されていたアニメでこの作品に夢中になりました。

原作とアニメはほぼほぼ同内容と聞いていますので、その前提でこの舞台版の感想を書いてみたいと思うのですが、これが非常に難しい。

でも公式ウェブサイト等に掲載されているキャスト欄を眺めてみると、森山未來さんの名前が最後にクレジットされている、ことがこの舞台版の本質だったのかなと思います。

壮大な原作やアニメの世界観の中で何を受け取るかは人それぞれだと思いますが、「変わりゆく世界と価値観に翻弄されながらも生きた名もなき市政の人々の点と点のつながりによって歴史は成り立っている」というようなことを私は受け取っていました。地動説はそれを描くモチーフとして1つ大きくあって、宇宙の中の地球、知性によって良くも悪くも変化する人間、みたいなものを表現しているのかなと想像したりしています。

そしてその壮大な物語を舞台という上演時間にもそこそこの制約がある中で、何をどう描くのだろうかというところが、今回この演目の注目点であったと思うのです。

キャスト&スタッフが解禁されたときは、舞台ファンとしては玄人集団に歓喜し、これは素晴らしい舞台になりそうだけれど、主にムービングを軸としたアートダンスっぽい内容になるのかなと思っていたくらいなのですが、先行している東京公演の感想をちらほら見ていると、「ちゃんとチ。」「ちゃんと芝居、ちゃんと舞台化」みたいな声も聞こえてきて、思ったより芝居寄りなのかなと想像していました。

実際見てみると「ちゃんと芝居」というよりも、「ノヴァクを主人公にしたがっつり演劇をアートダンスで飾り付けている」印象でした。

ノヴァクを主人公にするということは、もちろん、最後の最後、ポーランドのパン屋のあたりのエピソード、つまり原作の帰結の部分がまるっとありません。

この時点で本来の「流転する歴史の中で生きた名もなき人々」的な要素はなくなっています。なので「地動説」にまつわる宇宙の神秘や、それを知性によって解明していくロマン的要素もありません。ノヴァクが主人公なので、フライヤーに書かれたキャッチコピー「命を捨てても曲げられない信念があるか?世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?」が全くもって意味をなしていません。知性と地動説の「チ。」はあまりなく、暴力による血の「チ。」のみが強く残った印象なのです。

脚本と演出の中でどういう折衝があってこの内容になったのか、フライヤーの制作は誰がどう関わってあの内容で先行したのか私には全くわかりませんが、この舞台は元々のこの作品のファンの方々にとっては、可とする方とそうでない方の比率は「そうでない」方が多いかもしれないなと思っています。

どちらかというと、全く知らないでキャストファンで観劇された方の方が楽しめた割合は高そうな気もしています。物語がどのくらい伝わったのかどうかは分かりませんが、贅沢な効果演出(雨、宙づり等)は見ごたえがあって面白かったのではないかと想像しています。

私個人はとにかくムービング、動き方を見るのが好きなタイプなので、一幕はオクジー&バデーニとヨレンタさん辺りのエピソードで飾り付けられたダンサーたちの動きとヨレンタを演じた三浦透子さんの透明感のある歌声を楽しみながらも、個人的にムネアツだったヨレンタさんやオクジーさんのセリフとかがなくて、「やっぱり何が心に響くかというのは、人それぞれなんだな」とか思ったりしていました。

からの二幕は、うすうすもうノヴァクが主人公であることに気づいたので(一幕の幕開きもノヴァクが拷問しているシーンをユーモラスに描くところからはじまったので)、ラストあたりの死闘シーンの森山未來さんの上着の動き方まで計算されたムービングと、「悪役の哀しみ」の演技に大興奮して見ていました。王道のシェイクスピア悲劇、特に「リチャード三世」辺りを思い出しました。いやもちろん「リチャード三世」にはコンプレックスという悪行にいたる大きな理由があって、ノヴァクはただただ与えられた仕事を「それが正義だ」と信じて(悪行とも思わず)やっていた、という大きな違いはあるのですが、逆にこの違いがノヴァクの哀しさを感じさせて、「そうか、この元々の作品をこういう側面で切り取れば、こういう見方もできるのか」という面白味がありました。

ただそう作るなら作るで「ノヴァクの、血の物語」と割り切って、先行フライヤーを制作した方がよかったし、とりわけ一幕が視点がぼやけて間延びしているので「ノヴァクの物語」としてもう少しコンパクトにまとめる方が面白かったように思いました。

音楽との融合具合とダンサーたちのムービングは当たり前だけど本当に素晴らしかったのですが、ステージングそのものがもう少し洗練できた気もするので、全体的に惜しいな、というか、演劇にするのか、アートダンスにするのか、もう少しスムーズに融合させるのか、振り切りが必要だったのかなと思います。

ただヨレンタ爆死シーンのスモークの焚き方とそのライティングとかは本当に素晴らしくて!消え物とライトの使い方とかで「こんなこともできるんだ!」というのはやはり海外演出家のときの方がよく思う気はします。

そして森山未來さんがやっぱりすごくて!最初のダンスもそうですけれど、舞台上に動く壁のようなセットがあって、その壁のセットの上で、ほぼほぼリバースプランクに近い状態でくつろぎながらオクジーたちを見ているみたいなシーンで、そのリバースプランクみたいな状態から体幹だけで起き上がったときには「え!私、今、現実では絶対不可能だと思っていた亜弓さんの『1人ジュリエットでベンチに腰かけて手にとまった小鳥が飛びったとき、下半身を動かさず上半身だけ起こすパントマイム』と同じようなものを見ている!?」とあっけにとられてしまって、ただただもうその身体能力に感嘆してしまったのです。

(亜弓さんの「1人ジュリエット」って何?と思われた方はこちら↓↓↓をどうぞ!)

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そう思うと私も「キャスト目当てで見に行ったら面白かった」の一員でした。

そして今回の舞台版の感想の比率を知りたくなっています。