こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

そこにある細くて深い溝@ミュージカル「パレード」

2/6(土)17:00~ シアター・ドラマシティ

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スタッフ

作:アルフレッド・ウーリー
作詞・作曲:ジェイソン・ロバート・ブラウン
共同構想及びブロードウェイ版演出:ハロルド・プリンス
演出:森 新太郎

 

キャスト

石丸幹二堀内敬子武田真治、坂元健児、福井貴一、今井清隆、石川 禅、岡本健一
安崎 求、未来優希、内藤大希、宮川 浩、秋園美緒、飯野めぐみ、熊谷彩春
石井雅登、白石拓也、渡辺崇人、森山大輔、水野貴以、横岡沙季、吉田萌美

 

1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタで実際に起こった少女殺人事件を扱ったこの作品。

事件についての解説は公式ホームページよりどうぞ。

ミュージカル『パレード』【解説】1913年 レオ・フランク事件まとめ【実話】 | 特集記事・インタビュー | 【公式】ホリプロステージ|チケット情報・販売・購入・予約

 

わたしはこの「現実に起こった冤罪事件を扱った作品」だということ以外は、全く知らないまま観劇しました。これがいいのか悪いのかはわかりませんが、とりあえずそれ以外を知らなくてもちゃんと作品が成り立っていることがすばらしいと思います。


この作品にはさまざまな「差別問題」が描かれています。
人種、宗教、性別、階級、地域。
これだけ織り交ぜられると、なんだか難しそうな気がしますし、実際アメリカ南部の地元住民からアメリカ北部ユダヤ人への妬み、みたいなものは、この作品を見て(というより終わってから劇場で配られていた解説を読んで)はじめて知りましたが、その理由は分からずとも、その気持ちはなんとなく理解してしまえるのです。
つまりこの作品に描かれている差別感情は、誰しも抱いているもので、それを押し出すことなく、さりげなく描いている脚本が、まずため息ものでした。

主人公レオ・フランクは北部ニューヨークで生まれ育ったユダヤ人で、訳あって南部ジョージア州アトランタで結婚し工場長として働いているわけですが、この人のさりげない「上から目線」が、はじまって早々の短い時間の間に描かれているすごさ。
南部の住民への、貧しい少女への、そして自分の妻という女への無意識的な見下した感情と態度。
彼が冤罪であることは、物語を見ている観客としては明らかなのですが、それでもこの人がもっと地域社会に溶け込み、人々とコミュニケーションを取ろうとがんばっていれば、ここまでの事態にはならなかったのではないだろうか、と思わせる人物に描かれていることが、本当にこの脚本の優れたところではないでしょうか。
また妻ルシールも頑なで南部の誇りを胸に、北部からきた夫を見下している部分が見えます。
そんな明らかにうまくいっていない「カタチだけの夫婦」が示されたあと、事件は勃発します。

自分の保身と出世のためにレオに罪をかぶせようと画策する権力者よりも、純粋で単純な若者が、恋する少女を失ったことによって何も考えずただ示された答えだけに向かって復讐心を膨らませていく部分が、とりわけ個人的に恐ろしいなと思ったところでした。
こういったことは身近にあふれていて、自分がそうでないよりそうである可能性の方が高いのです。
そして何度も偽証を繰り返しているうちに、良心の痛みは消え去り、自分の言葉が一人の人間の命を左右している感覚がなくなってしまうことも怖い。
この事件はレオやルシールを含んだ「大多数の善良なる人々」のちょっとした不満や妬みから膨らんでいってしまったのです。
作品中で「真犯人」が明らかにされることはありませんが、そんなことはどうでもよくて、自分と違う人とどうやって手を携えてこの世の中を生きていくのか、みたいなことを見ながら考えずにはいられませんでした。
自分の中の、他人の中の「無意識の差別」。この細くて深い溝がすべての断絶を生んでいるような気さえしました。

そんな登場人物にも自分にも哀しくなってしまう脚本なのですが、この冤罪を経て「女で妻である」という色眼鏡を取り払い、ルシールという「人間」の行動力と前向きな明るさを尊敬するようになったレオと、そんなレオを愛おしく思い始めるルシールが「カタチだけの夫婦」ではなく、本当に愛し合うようになるシーンは希望でもありました。
わたしたちの身近にある溝は、互いに対する尊敬と愛で乗り越えることができるのかもしれない、とも思いました。
でもまだまだ現実は厳しく、溝は深く、わたしたちは傷つけあうことしかできないのかもしれないと痛感させるラストシーン。
冤罪事件と一組の夫婦を描くことで、ここまでの「現実」をつきつけた脚本が本当に素晴らしい作品でした。

そしてこれほどの脚本を「魅せる」ミュージカルに仕上げたのが、これまた素晴らしい楽曲なのです。
ハーモニーこそマニアックにテクニカルで重厚なのですが、重い話を彩る音楽は時にユーモラスで全体にリズミカルで、音の粒が降り注ぐような気持ちがするほど美しいのです。

そんな音楽にあわせたように降り続ける極彩色の紙吹雪の演出。
最初の南軍戦没者追悼記念日のパレードの紙吹雪かと思っていたら、舞台の最後まで要所要所で降り続く紙吹雪。もちろんそれは舞台の上にもセットにも積り、それが土にも木の葉にも雪にも、そして絨毯にも、ふかふかの芝生にも見えるのです。もちろん涙にも、雨にも。
これはオリジナル版にはない演出で、これほど強い楽曲と脚本を持った優れた作品にこの味付けをすることが日本版として本当にすごいなと思いましたし、輸入ミュージカル演出の可能性を広げたように思います。
そしてこの紙吹雪と、オリジナル版にもあった「木」のセットを組み合わせたオリジナルロゴ(グラフィックデザイン)とグッズ展開も優れていました。

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本当、全作品これぐらいの力をグッズなどにも注いでほしいと思う反面、せっかく優れたグラフィックデザインだったのに、ポスターはいつものようにダサかったのが残念です。

紙吹雪がやっぱり一番印象に残るのですが、斜めに刺さる照明が画面を切り取ったり、全体にシンプルでシャープな印象で、森 新太郎さんには今後もミュージカルの演出もどんどん手掛けていただきたいと期待しています。

さて脚本、楽曲、演出とハード面が完ぺきな作品を仕上げるのは、キャストです。
キャストもすばらしいの一言。
本当ジェイソン・ロバート・ブラウンのハーモニーは、いやもうマジでこんな音重ねる?てくらいマニアックで、歌う方にしたら大変難しい部類に入るんじゃないかと思うのですが、そんな難しさをみじんも感じさせず、軽々と歌いながら個々のキャラクターを演じてきたキャストにも感服。


夫婦を演じた石丸さんと堀内さんはともに劇団四季出身ということで、演出の意図かもしれませんが、最初のうちはかつての「四季発声法」的なセリフ回しが気になったのですが、当たり前だけど二人とも歌がうまいし、主役たる華がある。
そしてラストシーンでグッと空を見つめる堀内ルシールが、ただそこに立って一点を睨んでいるだけなのに、まるでその表情がズームアップしていうような錯覚を覚えてしまったのです。こんな体験ははじめてでした。これが憑依型役者のなせる何かなんでしょうか。
最後に残るのは、やるせない思いとルーシルの“あの顔”なのです。
あの顔が何を訴えているのかは分からない。他人の頭の中なんてわかるはずもない。でも感情をゆさぶり脳裏に焼き付く。だから考えるのです。

事件自体は昔のことで、当時の捜査や裁判方法に思うところはあっても、描かれていることは、人である限り哀しいけれど変わらない部分だと思うので、ぜひとも再演を続けていってほしいと思います。
ただその時、堀内敬子なくしてこの作品が成り立つのか、その辺も楽しみにしたいと思います。