こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

待った分の価値あり@映画版「WICKED part1~ふたりの魔女~」

ミュージカル「WICKED」が映画になるよ、と噂を聞いたのはいつの頃か。

プログラムの解説によるとトニー賞を授賞した翌年にはそんな噂が出ていたとのことだったので、20年くらい前からそんな話しはあって、私はその過程のどこかで聞いたのだと思います。

しかし待てど暮らせど一向に映画化される気配がなく、さらにコロナ禍で延びているなんて話しも出てきて、あの噂はただの噂で映画になんてならないのでは、と半ば諦めていた頃に、エルファバ役シンシア・エリヴォ、グリンダ役アリアナ・グランデの発表を聞いたときには「ついに!」という感じでした。

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そして日本公開から遅れること2週間後に見に行ったのですが、昨年11月に四季版再演を観劇していたこともあって、もう最初の「No One Mourns」から泣いてました。

とはいえ、私の「WICKED」好きなんて本当に軽いものなんだな、とソニンさんの熱いこの動画や


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他の方の感想を読みながら、しみじみ感じました。

そして感想をここに書くかも迷ったのですが、とりあえず未来の自分のために、映画を3回見て、思ったことを記しておきたいと思います。

 

ご存じのとおり90分の一幕が161分に伸びています。しかしその長さを全く感じさせないし、とても丁寧にエルファバとグリンダの心情を描いているので、なんならボロ泣きポイントが増えています。伸びているのではなく、深まっているのです。

No One Mourns」の時のグリンダの絶妙な表情からもう泣けます。

Yes, goodness knows the wicked's lives are lonely
Goodness knows the wicked cry alone

の歌詞が、今のグリンダに跳ね返ってきていることを感じるのです。

とはいえ、ここは結末を知っているから、というところもあるので、その他の部分でいうと、やっぱりみんな大好き「Wizard and I」でエルファバがカラフルに彩られて、光が緑色のときにはその肌の色が緑に見えなくなる部分。緑色の肌のせいでエルファバは産まれたときから差別を受けている(特に産まれたばかりのときにマンチキン総督が「Take “it” away!」というのが、herでもthe babyでもないんだと思って辛かった…そしてこの言葉 が「Defying Gravity」で再生されるのがまた涙)ので、一瞬でも「緑色の肌ではない自分」が映し出されるのは、本当に映像の妙でした。

ソニンさんは「What Is This Feeling?」がエルファバ対グリンダとシズ大学の同窓生という構図から、エルファバ対グリンダ、になっているのが少し残念的なことをおっしゃっていましたが、私は逆にこの構図になって、歌の最後の方に「マダム・モリブルと語るエルファバ」をグリンダが見ているシーンが入るのがすごく好きでした。というか、ここでも泣きました。エルファバが持っていて、グリンダが持てないものの切なさ。涙

二人の関係性が尊いのが一番にあるとして、エルファバ派かグリンダ派といわれると、私はグリンダ派なので、エメラルドシティに行くシーンで、旅立つエルファバにグリンダが渡すガイドブックの中に「望みがかないますように(I hope you get what your heart desires)」て書いてあるシーンもギュンッとしましたし、「Popular」なんて可愛すぎて悶えましたよ!何あのかわいい生き物!自分は秘密を教えたのにエルフィーは教えてくれないなんて、ってベッドにふせって、エルファバが自分を気にしているかチラ見するシーンなんて、「こんなのかわいいコしか許されへん案件やろーーー!かわいい!かわいすぎる!」と心の中で絶叫しておりました。

とはいえ、感情や経験的にはエルファバの方に近しい部分が多いので、「I'm Not That Girl」は特に共感しまくりでこれまた泣きますよね。

 

そう、この映画版の個人的な一番の変化点は「フィエロがステキに見えること」だったんです。いやもちろん、演じているジョナサン・ベイリーが「ブリジャートン家」の時から格好いいなと思っていたということはあります。(ジョナサン・ベイリー目当てでシーズン2だけ楽しむのもありですよ、「ブリジャートン家」!シーズン2はジョナサン・ベイリーが演じるアンソニーが主役なのですが、傲慢で責任感の強い長男かと思いきやその繊細さが描かれていて萌えます。)

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でもそれ以上にフィエロがエルファバの肌の色も特に気にせず(映画版の森の中を馬に乗って、その馬と対等に話しながらやってきて、エルファバとぶつかりそうになって、保護色でエルファバが見えにくかった、という出会い方もいい)、虐げられていく動物たちを目の当たりにして、思わず救ってしまったり、軽さよりも、なんというか上質の教育を受けてちゃんと育ったプリンス感が見え隠れどころか全面に出てしまっているのが溜りませんでした。

そりゃあエルファバも心惹かれるし、だから「I'm Not That Girl」が切々と響く。

 

そのフィエロのナンバー「Dancing Through Life」なんですが、1970年代からブロードウェイで活躍している巨匠スティーブン・シュワルツのこの作品の曲の中で、私が唯一、古さを感じるものだったりします。(この辺もフィエロにイマイチ興味がなかった原因の一つです)その曲を映画では舞台版セットの時計モチーフを取り入れて、すんごい映像で見せてくるのです!

ちなみに本を踏む、踏まないに関しては、芥川賞の市川佐央さんの↓↓↓を知ってから

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「紙の本を貴ぶ」のは私の中の知らなかった傲慢さだなと気づいたので、この映画ではなんとも思わなかったし、フィエロのパフォーマンスとしては的確だったと思っています。

さらにこの後、字幕がなぜか「スターダスト」になっている「オズダスト」というボールルーム行くシーンに続くのですが、「オズダスト」を水中の店にしてあったのもステキでした。

グリンダが「オズダスト」の内装に合わせて「お魚っぽいドレス」を選ぶのもまたかわいい。そしてここでグリンダの「Good Girl」なボックとネッサローズに対する傲慢さを描いているのが、また二部でああなるかと思うとグッとくるのですよね。

 

そうそうグリンダが「なぜ黒い魔女帽を持っていたか」にもいろんな考察を見ましたが、私が今回の映画版を改めて見て思ったのは、そもそもグリンダは「魔法」に憧れていて、魔法を学びたいとシズ大学に入学しているので、彼女の中ではあの「黒い魔女帽」は大切なアイテムだったのではないかということです(まああれが「魔女の帽子」として認識されたのは、エルファバが西の悪い魔女にされて以降、ということもあるかもですが、とりあえず私は今はそう思っています)。でも「人気」を重要視するグリンダは同級生にそれを「ダサい」と言われて、取り繕った意地悪さでエルファバにあげてしまう。

そんな経緯を知らないエルファバにとっては、恐らくはじめてもらった「プレゼント」。グリンダにお礼をしたいとマダム・モリブルにグリンダへの特別レッスンをお願いして、さらにその帽子をかぶって「オズダスト」へやってくる。

この辺の流れは舞台版と全く一緒なのですが、映画版の強みは「表情を大きく映し出せる」ということ。嘲笑を背に変なダンスを踊り始めるエルファバに「平気なふりをしているだけ」と加勢するグリンダ。踊りながら心を通わせる二人。グリンダと一緒に踊り始めたときに流れるエルファバの涙をグリンダが拭うのも、ハグした時のエルファバの涙とグリンダの表情も号泣ものでした。

 

そして「One Short Day」を経て、まさかのゴージャス汽車でたどり着いたエメラルドシティで「オズの偉大なる魔法使いとグリムリー(魔法書)」の紹介劇(Wizomania)をオジリナル・キャストのイディナ・メンゼルとクリスティン・チャノウィスがやっているのもムネアツ。


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ただエメラルドシティで二人が緑色の眼鏡をしていないことは気になりました。なんとなく昔、絵本で「緑色の眼鏡」をかけるからエメラルド見えていた、みたいなくだりを読んだ気がするのですが、調べてみたら「エメラルドシティがまぶしすぎるから緑色の眼鏡をかける」というのも出てきて、この辺りの真相はどうなんでしょうか?

ただソニンさんがおっしゃってた「for the first time, I am somewhere I‘ve belonged」のセリフはその前の「No one point, no one stare」から続くものなので、舞台では緑色の眼鏡をかけているエメラルドシティ住民が、眼鏡のせいでエルファバの肌の色が緑色に見えなかったから、という部分があるのでカットされたのかなとは思います。

そしてその「緑色の眼鏡」、今回の作品は多分に映画版「オズの魔法使い


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を意識していると思うので、こっちの映画では出てこなかったアイテムだったためカットされたのでしょうね。

(ポピーもこの映画で出てくるアイテムでした)

【4/21追記】

今回の映画版を見ていろいろ考えることあり、子どもの頃、絵本で読んだきりの「オズの魔法使い」を購入して読んでみました。

絵本とかじゃなく、普通に割と重厚めの「児童文学」でした・・・。

そして「緑色の眼鏡」については、エメラルドシティの入り口門のところで門番によってかけられるものでした。

かけないと、エメラルドの街のあまりのまぶしさと華やかさに、目がつぶれてしまうからだ。街に住む者だって、夜も昼も眼鏡をかけないといけない。しっかり錠までしてあるのだ。街が作られたときにオズがそう命じたからで、錠をはずすただひとつの鍵は、わしが持っている。

(上記本より引用)

そして下記のようなオズの告白もありました。

ここは緑が豊かで美しいので、エメラルドの街と名付けて、名前にもっと合うようにと、住民全員に緑のめがねをかけさせて、何もかも緑色に見えるようにしたんです。

(上記本より引用)

さらにドロシーがエメラルドシティを出る(めがねは出るときに回収)と、緑色に見えていたものが白く見えた、という描写もありました。

さらにエメラルドシティに行く前に、ドロシー・トト・臆病なライオンがケシ(ポピー)の花畑で眠ってしまい死にかけるというシーンもあり、今回の映画版WICKEDは、元々の児童小説、それから生まれた映画、そして舞台版「WICKED」とおそらくその原作小説も全て内包しているようです。

 

その辺りが二部にどう描かれるかを楽しみにしつつも、ここから「A Sentimental Man」を経て(ここで黄色いレンガ道を入れるのもニクイ)のみんな大大大好きな「Defying Gravity」が素晴らしかった!

もともと舞台でも素晴らしいシーンだからどうするのかと思ったら、想像以上に映像の迫力的にも、情緒的にもすごいシーンに仕上がっています。冒頭の子どものエルファバがここでこう使われるか、とか、エルファバの力のすさまじさも大迫力で伝わるので、エルファバの「Are you coming?」という呼びかけにグリンダが応えられない理由に、もちろんグリンダは「Good Girl」であるアイデンティティを手放せないのもあるけれど、何の力もない自分が付いていっては足手まといになるだけじゃないか、と考えたのではないだろうかと、はじめて思いました。

それぞれに解釈はあるでしょうけれど、四季版での疑問点は映画版にはなく、二人がお互いを思いやる尊さと、エルファバの本当にタイトルどおり「重力に逆らって」、権力に逆らって、飛んでいく「見てろよ!」的な高揚感に満ちています。

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エルファバの「Unlimited」に興奮を覚えつつも危うさも感じる、その辺が本当にすごい。だから、グリンダと一緒に涙を流しながら「I hope you're happy!」と叫びたくなるのです。

 

映像がすごくて、二人の歌が素晴らしすぎて、見逃しがちにはなるのですが、虐げられていく動物たちが、Missing Animalたちをマークしている地図が壁に貼ってある部屋で秘密集会を開いているシーンがあったり(そして「Something Bad」はこの集会を見てしまったエルファバに歌われるのも自然でいい)、入学式でカッとなったエルファバがその力で壊してしまった「素晴らしきオズの魔法使い(Our Wonderful Wizard of OZ)が描かれた石壁」の下から、動物たちと共存していた頃だろうオズの国の絵(多分クマの教授かな?)がチラッと出てきたり、「Popular」で差し込まれるポピュリズムの構造説明を歌でさらっと流すのではなくセリフにしたり、グリンダがエルファバと親友になった途端、手のひら返しをする学生たちとか、上述したエメラルドシティのイディナとクリスティンのパフォーマンスが完全にプロパガンダだったりするところとか、そういうところもちゃんとがっつり入れてきています。

舞台版ではマダム・モリブルに全振りされているシズ大学での生活の感じとマンチキン総督の愛娘ネッサローズへの特別扱いも、善良でおせっかいなキアラ・セトル演じる寮母が入ることによってマダム・モリブルの神秘性を高めていて、ただのオズの魔法使いの手先じゃない感満載なのもいいし、寮母もキアラ・セトルが演じている限りこのまま何もないとは思えない。

(そしてずっとエルファバもネッサローズのお付きという名目でシズ大学に入学した設定だと思っていたら、映画でははっきりと入学式にネッサローズの付き添いで来ただけ、が示されるのでその辺も何かあるんでしょうね)

この作品の社会的な部分は、二部ではもっと色濃くなるんだろうなと思っているので、二部を見てから今、この作品が映画で広められた意味、なんかも今一度考えたいです。

 

そういえば舞台版を見ていたときは、エルファバは「虐げられた存在」に自分を重ねるから動物たちに肩入れしているのだろうと思っていたのですが、映画版ではクマの乳母(ダルシーベア)が子どもの頃のエルファバを大事に育ててくれていたのがわかるので、彼女が「動物の権利」を守るために闘うのがよりよく分かる点もよかったです。ここは原作本では描かれているらしいですね。

実は英語の原作本も持っているのですが、ご想像のとおり開いただけで読んではいないので、part2が公開されるまでに日本語で読もうと思っています。

そして、二部の日本公開、めちゃくちゃ待ってます!映画版を意識している限りグリンダが「POPULAR」でエルファバに投げつけたルビーの靴も何かしらの役目を持って後半出てくるだろうし、となるとネッサローズの宝石の銀の靴の扱いはどうなるのかとか、色々気になりすぎるのですが、日本はまた来年の3月になるのかな?待ちきれない!二部のいろいろをどう描くのかももちろん気になるし、それを経ての映画版のエルファバとグリンダの「for good」を早く聴きたい!


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まずはpart1の円盤の発売をお待ちしています!

【6/5追記】

円盤ももちろん予約しましたが

それとは別にすぐに早く見られる嬉しさでこちら↓↓↓も購入!早めの配信、嬉しいです!

そしてpart2の予告も登場!


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後はこのpart2がいつ日本公開になるのかを心待ちにしております!

深化と退化が魅せるもの@朗読劇「忠臣蔵」

3/29(土)16:30~ @兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

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クリエイティブ

オリジナル脚本:柴田侑宏
上演脚本・演出:荻田浩一
音楽:𠮷田優子(宝塚歌劇団


出演
杜けあき
紫とも、香寿たつき渚あき、成瀬こうき、彩吹真央
立ともみ、小乙女幸、朱未知留、はやせ翔馬、寿つかさ

 

いつの頃か「もう若者は『忠臣蔵』を知らないよ」とどこかで聞いて、すごく納得したことがあります。確かに私が子どもの頃は、12月になったらテレビの特番で「忠臣蔵」が必ずかかっていて、時代劇好きだったため割とよく見ていたけれど、今となっては時々モチーフにした映画が登場するくらいで、興味がなければ知る機会がないお話しです。

だから33年前、杜けあきさんのサヨナラ公演となった「忠臣蔵」も再演することはもうできないだろうとなんとなく感じていました。

(むしろ平みちさんのサヨナラ公演だった「たまゆらの記」がなぜ全国ツアーか別箱で再演されないのか不思議。奈良時代のひらひら優雅なお衣装とトライアングルの恋愛を描いた物語は、とても美しく切ないので初めての人にも今の人にも楽しんでもらえそうな気がします)

なので、今回の朗読劇という形での復活は驚いたとともに、オリジナル脚本の柴田先生の渾身の作品を届けたい、という杜さんと制作側の強い意志を感じたりもしました。

ただ実は33年前の高校生の私は「忠臣蔵」が「作品としてのすばらしさ」は置いておいて、そんなに好きなお話しではなくなっていたのです。

というか「忠義」やら「侍の心」とかが、とても苦手だったりします。さらに33年経って、日本人っぽいウエットさも苦手になってしまった今の私がこれを見てどういう気持ちになるのだろう、と思っていたのですが、結果からいうと、泣きました。

我ながらびっくりしました。

もちろん記憶にこびりついている「杜けあきさんの大石内蔵助」と「紫ともさんのお蘭」を見られた、というところは大きいとしても、改めて内蔵助とお蘭の関係性が心に迫ってきたのです。

そしてそれはお二人の「深化」と、私が年を重ねて内蔵助よりも年上になって感じるもの、でもあったように思います。

 

朗読劇とはいうものの、舞台には上手奥から下手側客席側に向かって2/3ほどの大きさの上がったセリっぽい台が斜めに伸びていて、下手奥には吉田優子先生をはじめとした音楽奏者がいらして、上手側の台の前には3席の椅子と書見台、下手側に1席と書見台がありました。

その上がったセリっぽい台の後ろにスクリーンや木目の背景板が降りたり上がったりして、そこに映像が映し出されたりするのですが、冒頭はもちろん内蔵助の独白からの「太平の元禄に嵐が吹いた」の歌からはじまり、すぐに「松の廊下」なので、ちゃんと「松の廊下」があることに感動しました。

しかも映し出される映像は背景的なものだけではなくて、おそらく元禄時代の庶民を描いた「風俗画」だったり、33年前の舞台写真だったりするセンスがさすがすぎました。

このセットの中で歌い演技する形の「朗読劇」。むしろ書見台は邪魔なのでは?と思うくらいの動きのあるお芝居で、皆さんがそれぞれにきちんと演技されていることが素晴らしかったです。

お衣装は全員、黒地に金の模様が入った着物風のトップスに、着物風のワイドパンツだったと思います。

ただもう杜さんが登場した途端、私は「あ、内蔵助がやってきた」と思ったので、杜さんの髪型は確かにショートヘアを少し男役風にセットしたものではあったのですが、当時のお装束を着ていたように錯覚していたようで、杜さんが「(着物の)袖がないのに袖をはらって座っていた」という感想を聞いたとき、え、袖あったと思っていた・・・と驚いてしまったくらい、杜さんと紫さん、立さん、早乙女さんに関しては、今回の衣装とともに当時のお装束が見えていたみたいです。

杜さんと紫さんは当時の役が固定(紫さんは賑やかし的な感じで台詞のない役は他にもやられていましたが)で、香寿さんが浅野内匠頭と岡野の二役を主に、立さんが吉良上野介と当時もやられていた綿屋喜左衛門を主に演じていらっしゃいました。

逆に当時、香寿さんが演じた役ははやせさんが、他にも当時泉つかささんが演じられた小林平八郎も演じられていて、はやせさんの小林が今回は唯一刀を持つ役なのですが、ここの型や動きが美しかったのもとても目を引きました。

今、この刀の捌き方ができる劇団員も少ないでしょうし、そういう意味でも、前作「この恋は雲の涯まで」から一年間ずっと日本物ばかりやっていたとはいえ、当時はまだまだ下級生だった寿さんや、涼風真世さん時代の月組配属だった成瀬さんや、音楽学校生だった彩吹さんには、なかなかに難しかっただろうなと思うだけに、はやせさんが今回も(杜さんの40周年記念コンサートにも出演されていたので)、参加してくださったことに、ただただ感謝したいシーンでした。

杜さんがプログラムで述べてらした「退化」の部分は、歌唱にあって、年齢を重ねられた分、やはり男役の音域の音を出すことが厳しく感じる部分がありました。そこを一番補ってくれたのが彩吹さんでした。読売が一か所だけあったのですが、そこでは頭に手ぬぐいをのっけて歌ってくださって、全体に華やかな部分を省いた今回の朗読劇の中では、あの明るい調子の歌を気持ちよく聞かせてくださったのはとても大きかったと思います。あと彩吹さんの主税が少年らしく清々しくも健気で、本当にステキでした。

杜さんと同じ「退化」がもちろん紫さんにもあって、娘役音域の歌はところどころ厳しい部分もありました。

けれど当時よりももっと人間味を増した香り立つような色気が本当にステキで、だからこそ、討ち入り前夜の内蔵助とお蘭の会話は迫ってきました。

33年前も子ども心に格好良いなと思っていたこのセリフ。

内蔵助「身を守れるか」

お蘭「いつも暗い冷たい流れの中を泳いでいると、ふと明るく暖かいところが恋しくなるんですよ。ご免なさいまし。」

(中略)

内蔵助「お蘭・・・か。命を・・・守れ」

お蘭「あたしは、今歩いている道から、いつかふっといなくなるように消えるだろうと思っていますから・・・」

内蔵助「冷たい風の中に、同じ思いで立っているのか・・・」

お蘭「大石様、どうか・・・見事に・・・」

33年前の杜さんの内蔵助は「本懐を遂げる」のために、とても慎重に、でも迷いなく真っすぐに進んでいるイメージでした。でも今回の内蔵助は「本懐を遂げること」そのものに時折揺らぎが見えて、それが大石内蔵助という人物をもう一つ魅力的に彩っていたような気がするのです。本当に出演してくださってありがとうな早乙女さんとのりくとの離縁シーンもそうでしたが、特にお蘭とのシーンは、本当に二人とも「死に向かって生きている、そしてそのことをどこかで怖いと感じている」ように思えたのです。そんな二人がひと時、生きていることを確かめるように思いを重ね、それでもそれぞれの「道」からは踏み外せない、ことがとても哀しくて切なく、涙がこぼれて仕方ありませんでした。

そして改めて浅野内匠頭という人は、一体どういう人だったのだろうとも思いました。

「赤穂事件」の発端である俗にいう「松の廊下」での出来事の真相は今でも分かっていないようです。でも例え吉良上野介を殺さねば面子が保てないような出来事があったとしても、自分の行動が後々どういうことになるのか、主君として臣下を思いやる一瞬はなかったのか、やっぱり疑問に思ってしまいました。

今回の朗読劇ではもちろん割愛されていますが、当時劇中歌で紹介された小山田庄左衛門とか、もちろん大石はじめとした四十七士も彼らの妻や恋人も、とんでもない道を歩まねばならなくなったわけで、また今回の杜さんの大石の揺らぎが、浅野内匠頭という人間のことをよけい考えさせるという、個人的には興味深いものになりました。

基本的には私は「忠臣蔵」の話題になると必ず紹介しているこの小説の浅野内匠頭の人物像の仮説を勝手にとっているんですが、改めて研究本なんかも読んでみたいと思いました。

(テレビドラマ版では浅野内匠頭のことはあまりちゃんと描かれていなかったので、本の方をお勧めします)

今回の朗読劇では浅野内匠頭ターンがかなり割愛されていたので、香寿さんは藩主として清々しくそこに居てくださればよかったのですが、それがきちんとできていたことが、33年前の香寿さんの姿も思い出せるだけに、進化(こっちは男役として、そして役者としての「進化」ですね。当時は本当にお若かったので)に感動しました。

演じ手が変われば自然と変わる、が一番でたのは、二役の岡野金右衛門の方で、特に渚あきさん演じるおきくから吉良邸の絵図面を手に入れようとするシーンが面白かったです。

33年前の一路さんは本当に誠実で、慎重すぎるほど慎重におきくちゃんに尋ねるその言い方が返って怪しいよ!という感じだったのですが、香寿さんの岡野は「本懐を遂げる」ためには、必要な嘘はさらりと言う、躊躇することなくだます感じが、これはこれで大変興味深いものでした。立さんの綿屋は当時のまんま再現されていただけに、よけい岡野の違いを感じられるのも楽しかったです。

そして綿屋さんとの内蔵助のシーンが、またずっしりとよかった!かつて色町での顔見知り同士の軽妙さから、絶妙な間を置いての「正義は通れませんか」という声のトーンで、一気に家老職の武士であることを魅せる、こういうところが本当にうまくて痺れました。そしてそれに対する綿屋さんのセリフ「十九歳で家老職を継がれた頃は、『昼行燈』と呼ばれる程に茫洋として、ゆったりしたお方に見えていたが、久しぶりにお目にかかって、ますます幅がお出来になったと感心したよ」がしみじみ響く。これを効かせるのも、やはり立さんのお力だと思います。

 

そして岡野との絵図面のやりとりのシーンの後に、おきくちゃんの歌があるのですが、これがあるのは33年前これを演じたのが純名りささんだからなんだよな、と思うと感慨深ったです。多分、純名さんじゃなければ、柴田先生もここで彼女の歌シーンは作らなかったと思います。こういうところに、柴田先生の全力を尽くした大作であった(宝塚歌劇化が難しかったし、今まで以上に多くの資料を当たって取りかかったけれど、困難ながら楽しさがあったのは初めてのことだった、というようなことを「柴田侑宏脚本選4」の後書きで述べられています)とともに、当時の雪組の体制へのアテガキが見えるのもいいし、さらに今回そこを香寿さんの相手役だった渚あきさんが演じるから、この歌が残されたんだろうな、とも思いました。

 

今回の朗読劇で、当時見ていたときよりも私の解像度があがったのが、上杉方の色部又四郎の存在でした。当時はなんとなく敵役、くらいしか理解していなかったので、そうか、そういう理由で色部又四郎は小林やお蘭を使って動いているのか、ということが33年経って理解できてよかったです。

演じていた成瀬こうきさんは、研一の頃からステキだなとミーハー的にファンで、本当に研一の時から格好良かったんですけれど、当時の雪組にはいなかったすらりとした美貌の敵役が魅力的でした。ただここはやはり本来、古代みず希さんの役どころということで、本当に難しかったろうなと思ったところではありました。

そしてそんなことを思うと、杜さんと紫さんにアドバイザーに入ってもらって、宝塚の「忠臣蔵」を再演してほしいなと思いました。

だってここまで見たら、やっぱり大階段にずらりと並ぶ四十七士を、あの圧巻の光景を見たいじゃないですか!

雪降る中、四十七士が一斉に吉良上野介を討つシーンを見たいじゃないですか!

そして、四十七士が一人ひとり銀橋を渡るシーンだって見たいじゃないですか!

ただはやせさんの刀の型にしても、杜さんが当たり前のようにやってらした武士の型にしても、紫さんの涙をぬぐう所作にしても、そう簡単に身に着くものではないし、それこそ当時テレビで放映された香寿さんにフィーチャーした番組で、杜さんが新人公演で内蔵助を演じる香寿さんさんに指導していた「撞木町」のシーンなんて特に、いろんな所作がいっぱい入っていて、演じる以上に動き方が慣れていない人にはとても難しいと思うんですよ。

その「撞木町」のシーン、朱未知留さんの「深化」もあって短くても当時と同じくらい、楽しくて色気のあるシーンになっていました。

さらにフィナーレの曲も歌ってくれたからこそ、いっそフィナーレも見たい!

今の体制だと月組がピタッときそうなんですが、ギャツビーも月組に取られてしまったので、やっぱりいつか雪組で見たいです。

 

ところで、プログラムの各出演者の言葉はなかなかムネアツだったのですが、なぜ吉田優子先生のお言葉はないのでしょう?

上記に書いた「討ち入り前夜」のシーンの後に続く「花ひとつ」は、吉田優子先生にとっても、大劇場デビューから三作目くらいの曲だったそうですよ。

そして杜さんも、忠義のために耐え忍ぶ男の世界の中で、澄んだ水にポタッと一滴落とした墨汁が広がるような色気があって、とても好きだみたいなことをおっしゃっている曲なので、吉田優子先生が当時どんな思いでこの曲を作られたのか知りたかったです。

ショーってなんだ@宝塚雪組「ロビン・ザ・ヒーロー」「オーヴァチュア!」

3/19(水)15:30~ @宝塚大劇場

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ミュージカル
『ROBIN THE HERO』
脚本・演出/齋藤 吉正 

キャスト

ロビン・ロクスレイ(ロビン・フッド)    朝美 絢
マリアン・メイデン 夢白 あや        
ガイ・ギズボーン 瀬央 ゆりあ        
リチャード一世    奏乃 はると
王弟ジョン    透真 かずき
リトル・ジョン    真那 春人    
タック・ベリー    久城 あす
乳母ルチアナ    杏野 このみ    
ミス・オフィーリア 愛 すみれ        
エレノア(カスティーリャ王妃)    妃華 ゆきの
エレノア(過去)    愛陽 みち
ブレント・ロクスレイ    叶 ゆうり        
カーク・フォレスト    諏訪 さき        
アーサー・ア・ブランド    眞ノ宮 るい    
ウィル・スタートレイ    縣 千        
アラン・ア・デール    咲城 けい    
エメット・ターナー    音彩 唯        
デイビット・ローズ    華世 京        
スカーレット・パーカー    華純 沙那
精霊シルフ    愛羽 あやね            
精霊ウンディーネ    琴峰 紗あら    
精霊ノーム    瑞季 せれな        
精霊サラマンダー    星沢 ありさ  

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このブログを読んでくださっている奇特な方はもうご存知だと思いますが、私は個人的にサイトーくんの作るヴィジュアルが苦手です。

ただまあ今回は衣装については、いつもほどのハレーションを起こさなかったので、なんとか鑑賞に耐えましたが、魔術的なところで出てくる娘役さんにだけつけるしっぽや猫耳の衣装にこだわるくらいなら、相変わらずのペラペラのセットをなんとかしてほしかったです涙

特に今回、遠景の絵が本当に雑で、サイト―くんには本当にもっとセットにもこだわりを持っていただきたい、と心から思いました。

で、物語の方も相変わらず役がたくさん出て、それはいいんですけど、ごちゃごちゃで整理されていなくて、とにかく「見せ場」と「緩急」をなんとかしていただきたいものです。

でも演じる方にはそれなりにやりがいがあるんだろうな、とも思うので、もうちょっとみんな、役に慣れてきたら、それなりに面白く見られそうな気はします。

とりあえず私の感想は、私のイメージの中の「少年ジャンプ」でした。

心優しい文系主人公が、陰謀による父親の殺害と冤罪で投獄され、出会った父の友人に導かれて復讐のため武術の鍛錬を積んで強くなり、仲間とともに敵を倒すという、「努力・友情・勝利」を絵に描いたような内容でした。キャストもがんばってました。愛すみれ独壇場でした。これが卒業公演となる久城あすくんは、銀橋渡りの歌もあって餞別もばっちり。朝美さんも夢白さんもキレイでした。そして二番手として降臨してきた瀬央さんは、ちゃんとトップと対等な敵役を魅せてきてくれました。

しかしこれ、一応、私、雪組箱推しだからいいんですけど、何も知らない人が見たら、何がどうなっているのかわかるのだろうか・・・という心配はあります。

でもまあ基本のあらすじはシンプルなので、分からないところは無視して見てもらえばいいかなと思います。

 

それよりも私が今回、一応記録を残しておこうと思ったのは、ショーのせいなんです。

ファンタスティック・ショー
『オーヴァチュア!』
作・演出/三木 章雄 

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私が熱心に宝塚歌劇をみていたのは1989年から1993年くらいの間で、その頃、三木先生は活躍中のショー作家でした。

『ザ・ドリーマー』(1989年 月組 主演:剣幸
『ブライト・ディライト・タイム』(1990年 雪組 主演:杜けあき
『スイート・タイフーン』(1991年 雪組 主演:杜けあき
『ファンシー・タッチ』(1992年 花組 主演:安寿ミラ
『ミリオン・ドリームズ』(1993年 月組 主演:天海祐希
『ゴールデン・デイズ』(1997年 雪組 主演:高嶺ふぶき

この辺が私がよく見ていた三木先生のショーなんですけど、この中でも「ザ・ドリーマー」と「ブライト・ディライト・タイム」は大好きなショーでした。

今回の「オーヴァチュア!」は上記のショーをめちゃくちゃ思い出させる内容だったんです!

なので、私はもちろん楽しい。

でもやっぱり「昔のショーって感じで、ワンシーンワンシーンで一つの物語が終わって、意味なく次に行く」みたいな感想を多々見かけまして、いや全くその通りなんですけど、ショーってそんな「コンセプト」が統一されていないとダメだっけ?と思ってしまったんですよね。

古く感じるのは仕方ないです。だって曲も古いスタンダードナンバーとクラシック曲が8割占めてますし、目新しいものは何もないです。

だから優れたショーかっていわれると、YESとは言えない。

でも最近ではなかなか見ないちゃんとタップダンス用の床を使用したタップダンスがあって、オーソドックスな衣装を着こなしているのを見られたり、男役さんだけじゃなく娘役さんを感じよくばらまいて見せ場をもうけたりしているのは、とてもいいなと思いました。

特にプロローグ終わって、最初の縣千くん中心のよくある「ダンスレッスン」シーン。ここの相手役がダンサーの瑞季せれなさんで、それこそ「ブライト・ディライト・タイム」で当時二番手だった一路真輝さんの同じような「ダンスレッスン」シーンで、相手役として五峰亜季さんが抜擢されたのを思い出しました。

ダンスの得意な人がダンスのシーンで活躍するのは、シーンのクオリティもあがるし、路線を外れても見せ所があって活躍できる場があるのは、これだけの大人数を動かしている劇団としての強みだし、パフォーマーのモチベーションもあがるだろうし、もっとやっていただきたいなと思うところです。

そして音彩唯さんが完全なる二番手娘役扱いで大活躍なのも嬉しかったです。かわいいし、踊れるし、歌えるし、何より華やか!そしてエトワールの歌声が進化していて、本当にきれいに響いているのに感動しました。

それから一切、感動やら賛美やらを謳わないで、ただただ「歌と踊りで魅せる」に徹している点も好き。

そう、ただただ「歌と踊りで魅せる」のがショーの基本だと思うんです。でもだからショーはマンネリ化していってしまうのが難しいところなんだな、と改めて思いました。

そんなマンネリ化を防ぐために、色んな演出家がいろんな形でショーを産み出していっているのに、なぜフィナーレには、男役大階段群舞とトップコンビのデュエットダンスが、ラインダンスのように義務化されてしまったのか、ナゾです。この義務はいつからはじまったんでしょうか?

少なくとも私が特に熱心に見ていた1989年から1991年のショーのフィナーレ前大階段パフォーマンスは、当時のトップスターさんにあわせた構成で、花組は男役群舞、月組はショーに合わせてその時々による、雪組はトップスター歌唱、星組はデュエットダンスってイメージでした。

これがいつから、今の妙なルールが出来たのか、思わず知りたくなりましたが、とにもかくにも朝美さんの大階段独唱は本当にステキでした。

トップスターお披露目の輝きを堪能しました。

日本版こそライブと思って楽しむべし@梅芸「ミュージカルSIX」日本キャスト版

3/7(金)19:00~・14(金)19:00~・16(日)12:00~ @シアタードラマシティ

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クリエイティブ
原作 トビー・マーロウ&ルーシー・モス
演出 ルーシー・モス&ジェイミー・アーミテージ
振付 キャリーアン・イングルイユ
セットデザイナー エマ・ベイリー
衣裳デザイナー ガブリエラ・スレード
インターナショナル衣裳スーパーバイザー ジャスティン・アリン
照明デザイナー ティム・デイリング
音響デザイナー ポール・ゲートハウス
オーケストレーター トム・カラン
音楽スーパーバイザー ジョー・ベイトン

翻訳・訳詞 土器屋利行

キャスト
アラゴン 鈴木 瑛美子
ブーリン 皆本 麻帆
シーモア 遥海(7日)/原田 真絢(14日、16日)
クレーヴス エリアンナ(7日)/菅谷 真理恵(14日、16日)
ハワード 豊原 江理佳(7日、14日)/鈴木 愛理 (16日)
パー 斎藤 瑠希(7日)/和希 そら(14日、16日)

侍女(演奏)
ASSOCIATE MUSIC SUPERVISOR/KEYBOARD 田中 葵
GUITAR 中村 芽依
BASS shizupi
DRUMS 山内 楽

 

1月に東京で来日版を見たときにこのような感想を書いたのですが

stok0101.hatenablog.com

改めて日本版を最終的に3回見て思うのは、日本版こそ「ライブ」だったな、ということでした。

というのも、やはり英語に対して日本語訳は1/3くらいの情報量になってしまったからです。

特に今回の訳詞を手掛けられた土器屋さんは下記インタービューの中で「今、僕がやっているのは、言葉を詰め込みすぎないことです。楽譜を見て、『歌詞、スカスカじゃないですか?』とよく言われるんですが、音符に対する言葉を少なくする。そうすると、歌いにくさと子音が潰れて聴こえにくくなる問題を避けられます」と述べられていて、

natalie.mu

意図的にかなり省略された日本語歌詞になっています。

 

「SIX the musical」の英語歌詞は、数あるミュージカル歌詞の中でも歴史的事実と英国人の歴史認識や英国の伝承などを含み、かつ韻をふんだ言葉遊びやダブルミーニングもふんだんに使われているため、非常に訳詞の難しい内容であることは、下記テューダー朝研究者のにったさんのnoteで実感しました。

note.com

大千秋楽を終えて、日本版でしか「ミュージカルSIX」を観劇されておらず、ちょっと疑問が残っているな、って方はぜひ読んでみてください。

ちなみにアン・ブーリンの持ち歌「Don't Lose Ur Head」で出てくる「あたし食べごろ」は英語では「I was a prêt-à-manger」と英語とフランス語まぜこぜになっているんですが、この「Pret a Manger」というのが、英国のちょっと高級目サンドイッチチェーン店で、ロンドンだと多分今もどこでも目にするものだと思います。

www.pret.co.uk

こういうのも入っているので、本当にいろんな知識がないと訳詞って難しい。

なので、特に今回の訳に満足かといわれるとあれなのですが、とりわけ各王妃持ち歌のサビ部分はすごく工夫されて訳されたな、すごいなと思っています。

ただ、WEBサイトで日本語歌詞が掲載されているのですが、当たり前ですけれどコピペできず、スクショも禁止なので、自分の中でかみ締めようと書き写してみて、改めてその日本語のおかしさに気づいてしまったのです。

でも舞台で実際聞いた時には、ものすごく違和感があるものではなかった。

これは今回のSIXのようなライブ形式のエンターテインメント作品ではとても大事だと思っていて、だからこそ、日本版こそ「ライブ」だったなと思ったのです。

そしてその楽しい「ライブ」に熱狂した10日間、本当に楽しくて幸せでした!

 

実は日本キャスト版も1回だけ見に行く予定だったのですが、来日版を見てからYouTubeでいろんな動画をあさっていたら、やっぱりキャストによってそれぞれの王妃から感じるものが違って、さらに東京で日本キャスト版がはじまると、撮影OKのカーテンコール「MEGA SIX」動画がSNSにあふれ出し、それを見ていたら、大阪はアラゴンとブーリンはシングルキャストとはいえ、他4人はダブルキャストで、全キャスト見たい!となってしまって追いチケしました。

 

今回の「ミュージカルSIX」はもちろん作品も曲も本当に素晴らしい、という大前提があって、この王妃たちの持ち歌をリミックスしたカーテンコール「MEGA SIX」を撮影OKにしているのは本当にすごいことだな、と思いました。

というのも、日本キャスト版の「MEGA SIX」動画や写真がSNSにあふれ出し始めた頃から、まだまだ余裕のあった名古屋、大阪のチケットが一気に完売になったんですよ。

私は先に来日版を見ていたし、特に音楽を聴く人ではないので、この「MEGA SIX」の広告戦略としての魅力に気付けなかったのですが、同居人が毎日のように「MEGA SIX」動画を追っていて、大阪初日にこの作品の全貌、つまり各王妃の持ち歌を初めてフルバージョンで聴いたときに、「既に知っていて大好きな曲が生で聞けた」感覚になったそうです。

同居人曰く普通のアーティストのライブに行くときでも、やっぱり「アルバム」を聞いていった方が知っている曲を演奏してくれるので楽しい、それを「MEGA SIX」は3分強でリミックスしてくれていて、手軽に楽しく予習できて、本編をより楽しめるようになっているそうです。

ということで私がトライした中で1番マシに録画できた 「MEGA SIX」がこちら。


www.youtube.com

そもそもなぜ名古屋、大阪のチケットに当初余裕があったかというと、ソニンさんと田村芽実さんがほぼほぼ東京公演のみで、名古屋、大阪公演ではミュージカルも見る宝塚ファンを持っている和希そらさん以外はキャストの知名度「ミュージカル界」では高くなかったというのがあると思います。

でも「MEGA SIX」動画で見て聞いたら、「みんな、めちゃくちゃ上手い、かっこいい、かわいい、見たい!」気持ちになっていったので、いい輸入ミュージカルを実力はあるけれど知名度はそこまで高くないキャストでやるときは、今後もこの戦略は続けていただきたいですが、そもそもの輸入ミュージカルの版権問題なので、難しいのが残念。

 

しかし本当に「実力」で選ばれたキャストたちは素晴らしかったです!

こういう「今」の音楽を使ったミュージカルを上演するときに起こりやすい「リズム」のずれも一切なく、ノンストレスどころか、思いっきり歌とダンスを楽しませてくださった全キャストに感謝しかありません。もちろん侍女という名のバンドの皆さまも。

 

まず東京公演途中からシングルキャストとなったアラゴン役の鈴木瑛美子さん。かっこいいけれどハードなコスチュームの中でも一番重いと噂を聞いた衣装を身につけて、週に3度くらいは2回公演もこなしているはずなのに、観劇した3回とも本当に最高のクオリティで魅せてくださったことに、まず感動します。

その上で、とても強くてスペイン皇女であるという格の違いをしっかり表現されて、本当にかっこいいアラゴンでした。ちょっと特徴的なハスキー目の歌声もステキで、多分、これからも歌でも活躍されていかれるんでしょうけれど、ぜひぜひミュージカル界でも今後の活躍も期待しています。

 

そして名古屋公演2日目からシングルキャストとなったブーリン役の皆本麻帆さん。

もうなんてチャーミングなんでしょう!今さらですけど過去のオフィーリア役、見たかったです。ヘンリー8世が彼女と結婚するために離婚を強行したのが納得できる「魅力的で小悪魔的で愛さずにはいられない自由なアン・ブーリン」を、いつも元気いっぱいに演じてくださって感動。かわいくて憧れました。

 

ダブルキャストで観劇できた4人の王妃は、その表現の比較を楽しめたのが嬉しかったです。

シーモア役の遥海さん、原田真絢さん。何気に持ち歌「Heart of Stone」はバラード調の大曲で難曲だということをYouTubeの学生キャストが歌っている映像で実感しただけに、お二人とも当たり前になんなく歌いこなしていたことに感動。遥海さんのシーモアは温かく母なるものの強さ、真絢さんのシーモアはちょっとおちゃめなたおやかさが伝わってきました。

 

ダブルキャストの中で一番違いが面白かったのが、クレーヴス役のエリアンナさんと菅谷真理恵さん。持ち歌「Get Down」の前の語りが2人の違いが一番見えて、長身でスタイル抜群なのに、その長いおみ足を抱え込んでできるだけちっちゃく座っているエリアンナさんのかわいらしさといったらなかったです。物語の中ではクレーヴスは「肖像画」で見初められて嫁いできたら、実物は違ったから王から嫌われた設定になっているんですが、その「王からの拒絶」をエリアンナさんのクレーヴスは、心の中に小さな女の子がいて本当にそのことに傷ついた感じがしたのです。そしてその傷をふっとばすように「Get Down」して、今ある境遇を楽しもうとしている、そんなクレーヴスに見えました。

一方で真理恵さんは語りを「わざと悲劇のヒロインっぽく大げさに演じている」ように見せてきたんですよね。心の中では「あたしの魅力が分からないなんてしょーもない男。そんなのこっちから願い下げだね」みたいな心の声が聞こえるような感じなので、同じ内容なのに笑いが起きる。そこからの「Get Down」はもう本領発揮でただただ楽しかったです。途中、クレーヴスから客席指名で一人立って踊らせてもらえるんですけれど、VIP席がなかった大阪公演は、セットが奥2/3に埋まっていて、クイーンたちが立つセットと最前列の客席の間にほどほどの距離感があったんです。しかし真理恵さんのクレーヴスはその距離感を吹き飛ばすほどのパワーで、さらに千秋楽では「もうみんな立って」とおっしゃって、観客もわーっと皆で立って「Get Down」したのは、今思い出しても、本当に特別で楽しい瞬間でした。

私はクレーヴス推しなのですが、エリアンナさんのクレーヴスには共感を、真理恵さんのクレーヴスには憧れを抱きました。どちらのクレーヴスも最高でした。

 

この最高潮にボルテージがあがった曲の後にくるのがハワード。演じられたのは豊原江理佳さんと鈴木愛理さん。「10 Amongst These 3s」(3点の人たちの中で私だけは10点満点)というセリフがあるくらい一番「容姿のいい」設定なので、お二人とも本当にとってもかわいい。かわいい上に歌がうまい。もうどうなっているんだの域です。

江理佳さんは小柄で、ハワードの衣装を着ると本当に幼く、かよわく見えたんです。庇護欲、保護欲をそそるような感じで、だから持ち歌「All You Wanna Do」で、特に最初の音楽のマノックス先生が彼女に「やりたいことをした」ことが許せなくて怒りを覚えるほどでした。まだまだ愛を信じているような、こんな純粋な少女に何してくれてるんだ男たちは!的な気持ちでいっぱいになって、この曲が終わった後に別の王妃に「自分が一番悲惨な目にあったみたいして」みたいなこと言われるんですけど、江理佳さんのときは「いや、間違いなく彼女が一番悲惨でしょう」と思ったんです。

一方の愛理さんはある意味ブーリンよりも魔性の女で、意図せず人を魅了してしまう。そしてそのことを自覚し、だから愛されるのだと思っていたら搾取されていたことに気づいてしまうのが本当に哀しい。というか、なんですか、彼女!アイドルってすごいですね、本当に「かわいい」ことの「プロ」。一瞬、一瞬の表情の作り方が全て完璧に仕上がっているんです。くるくると完璧にかわいい表情をたっぷり魅せつけた後に、この曲の途中でまるで人形のように「無表情」になるんですよ。そんなの見せられたら、ハワードの哀しみがいかほどだったかというのがワーッと流れこんできて、涙が止まらなくなってしまいました。来日版の時は「そういう女」としてしか見られて扱われてこなかった哀しさ悔しさみたいなものに泣いていまったんですけれど、それに近い感情になったのが、愛理さんのハワードでした。

それとは別にこの「プロかわいい」枠、ミュージカル界では今空きのある枠なので、ぜひとも愛理さんで訳詞を改訂した「キューティー・ブロンド(リガリー・ブロンド)」再演を願っています!

これ過去何回か神田沙也加さんで、と願って書き続けたら叶ったので、あえて書いておきます。もともとの固定ファンも多いし、主演、大丈夫でしょう。そして、これからも「プロかわいい」人じゃないと納得できない役のある新作ミュージカルがやってきたら、ぜひとも鈴木愛理さんで見たいです。ので、ぜひとも今後もミュージカル界に降臨してきてください。

 

最後にパーの斎藤瑠希さんと和希そらさん。こんなに皆さん歌がうまい中でも、瑠希さんの歌声の響き方に感動してしまいました。その上でパーとして俯瞰で見ながらもエネルギーがあって、王は先に死んじゃって最後の王妃にはなったけれど、私はそれだけじゃない、まだまだ色んなことができる、とアクティブなパワーが歌詞どおりに伝わってきました。

和希そらさんの方が、もっともっと自分の恋心さえも俯瞰で見ている感じで、「I Don't Need Your Love」のトマス・シーモア宛の手紙のくだりは、トマスとの日々が映像で流れている感じがしたのがさすがです。そして何よりこのシアター・ドラマシティという劇場を知り尽くしている。この空間での自分の魅せ方を把握しきっていて、持ち歌の時の主役パワー...さすが和希そらです。愛里さんも「プロかわいい」方向ですごかったけれど、和希そらは「プロかっこいい」方に隙がない。「Haus of Holbein」の下手捌けの一瞬でサングラスずらしてウィンクを「飛ばす」技、さすがでございました。

 

そんなわけで本当に最高の舞台だったので、近いうちの再演を心から願っているのですが、再演の際にはボディーポジティブな役者のキャスティングともう一度、訳詞を見直してほしいな、という希望はあります。

この作品はライブという、ミュージカル観劇よりも親しみやすいエンターテインメントの形式を取っていて、それは新しい観客を増やすためにはとても重要なことだったと思っています。だからこそ「ライブ」としても一級品である必要があって、そのために「歌」は最重要視される部分だったと思っています。

でもこの作品はそれだけじゃないのです。歴史が男性視点で紡がれていることへの疑問視。his-toryをHER-storyに。歴史がどれだけ女性たちを軽んじてきたかを、それぞれに思いを持って生きている女性たちがいることを描いている作品でもあるのです。

ぜひともこの作品を作ったトービー・マーロウとルーシー・モスのインタビューも読んでみてください。

www.musicaltheaterjapan.com

来日版で最後に「私たちはそれぞれ違って、一つのカテゴリーにおさまらない。あまりにも長い間歴史に埋もれてきたけど、今自由になって、それぞれ王冠をいだくような栄誉をもらうよ」的な歌詞を聞いたとき、本当に心が震えて、誰目線が分からないけれど「私が一人一人に王冠をあげるよ!」と泣きながら思ったのに、日本版では3回見てもその気持ちがわかなかったのは、そのくだりがオープニングの会話の中にしかなかったからなんですよね。

それぞれの持ち歌を経て

We're one of a kind
No category
Too many years
Lost in history
We're free to take
Our crowning glory

となるカタルシスを感じたいのです。

そしてやっぱり「Survived」は「死別」から変えてほしい。

とあるBBCの記事で「journey is a story of survival」という一文が、「歩みは、生存の物語だ」と訳されていたのを見て、日本語としては「生存」ではおかしいけれど、この舞台では6人が甦って「LIVE」しているのだから、もう生きてるってことにしてもいいと思ったので、せめて「生存」にならないかなと思っています。

この作品で描かれるのはヘンリー8世ではない。その妻となった6人の女性たちです。

主体が常に「それぞれの王妃」になっているか、というところを別視点でチェックしてくれる方が入ってくださることを期待します。

(クレーヴスの「玉の輿を狙いうち?」とかハワードの「エロい秘書」、ブーリンの「ブス魔女」も、なんかモヤってしまって受け付けなかったんです。ごめんなさい。パーの「愛さなくてもいい」も、最後「愛はいらない」への変更のためとは分かりつつも、もう少し何かなかったかなーとか、シーモアの「テューダー・ストリート・ボーイズ」も自分でやり直した物語の中で産んだのは男子ばっかりだったのかよ、と思ってしまったのです。そう思うと元々の「チューダー朝のトラップ一家」はミュージカルファンも「サウンド・オブ・ミュージカル」を思い出して嬉しいし、女子も男子も混ざっている「大家族」というイメージがパッと浮かぶのがうまいなと思います)

 

そして、このUKオリジナル版の映画上映は早めの日本上映をめちゃくちゃ待っています!

日本語訳は来日版の時ので充分だったので、やってくれないですか!

playbill.com

そういえば来日版のときにアン・ブーリンがとある台詞をこの曲っぽく言うところで


www.youtube.com

字幕に(スパイスガールズ風に)って出て、そっかー、もうみんな「スパイス・ガールズ」知らないよなー、としみじみしたなというどうでもいいことを思い出しましたが、その感傷にも浸ったりもしたいので、なんとかいろいろ権利関係をスムーズに捌いて上演してくださると嬉しいなと期待しています!

ライブだと思ってとにかく体験すべし!@ミュージカル「SIX」来日版

1/18(土)18:00~ @EX六本木シアター

Creative
Written by Toby Marlow & Lucy Moss
Directed by Lucy Moss & Jamie Armitage
Choreographed by Carrie-Anne lngrouille
Set Designed by Emma Bailey
Costumes Designed by Gabriella Slade
Lighting Designed by Tim Deiling
Sound Designed by Paul Gatehouse
Orchestrations by Tom Curran

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Cast
キャサリン・オブ・アラゴン Billie Kerr
アン・ブーリン Yna Tresvalles
ジェーン・シーモア Liberty Stottor
アナ・オブ・クレーヴス Hannah Victoria
キャサリン・ハワード Lizzie Emery
キャサリン・パー Eloise Lord

MUSIC DIRECTOR / KEYBOARD Yutong Zhang
GUITAR Jess Williams
BASS Lola Baber
DRUMS Amanda Dal

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調べたら私が「セシルの女王 1巻」を読んだのは、発売日から換算すると2022年4月の初旬だったと推測されます。

エリザベス1世とその重臣ウィリアム・セシルの話しか、面白そう、と読み進めたら、割と悪名高きアン・ブーリンの描き方に、これは「虐げられた女性性を扱っている…、フェミニズムの物語だ...」と大変驚いた記憶があります。

そしてそこから2か月後、コロナ禍の中からようやく2年ぶり(2021年は2020年とあわせて9月の開催だったので)に6月にトニー賞が帰ってきました。

そこで上演されたパフォーマンスの1つが「SIX」でした。


www.youtube.com

コロナ禍で閉じ込められている間にきっと誰か何か新しいアイデアが浮かんで新しい作品を生み出すのではないだろうか、と思っていましたが、この作品、実際はコロナ前の2017年に「エジンバラ・フリンジ・フェスティバル」で発表されていたのですね。

多分、本来はもう少し早くブロードウェイに届いていただろうけれど、タイミング的に2022年のトニー賞のノミネートとなった気がします。

しかし本当にこの作品が出てきたときの衝撃はすごかったです。「セシルの女王1巻」で若干、この辺りの英国史を軽く調べ直していたりした時期だっただけに、「ヘンリー8世の6人の妻が、ガールズバンドを組んで、それぞれの人生を語り、リードボーカルを決める」という斬新な設定と歴史の目の付け所に感嘆。

そしてたった10人で、しかも全員女性で成り立たせる作品というそそる設定。

しかも曲が格好いい。

どんな作品なんだろうか…、見たい、しかし海外にミュージカル遠征する時間とお金がない...、でも見たい...。

と思っていた作品が今年日本にやってくると知ったときの喜びったらなかったです。

そして、実際はじまってみると思った以上に、あれほど見たいと願っていた作品が今目の前で上演されている感激だけでかなり涙腺を刺激されて我ながら驚きました。

 

セシルの女王は今出ている7巻まで通しで再読していったのですが、今回の6人の王妃について歴史的に知られていることはそれほど多くなく、もちろん「セシルの女王」も歴史的に残る事実に作家さん独自の味付けをして描かれています。

だからこそこの作品では王妃たちにどんな味付けをしているのか、なるべくフラットに見たかったので、あまり前情報も入れずに見に行きました。

そして日本版が控えているので、ここでもできるだけ物語的な内容についてはネタバレを避けて感想を書きたいと思っています。(そして日本版は暑苦しく感想を書く気満々です!)

 

とりあえず想像以上に「ライブ」でした。それぞれの王妃に参考にした実在のディーバたち(ビヨンセとか今WICKED映画版でさらに注目のアリアナ・グランデとか)がいるのですが、それぞれの持ち歌も普通に欧米のヒットチャートに並んでいそうな曲で、多分「ミュージカル」が苦手な人でも「音楽ライブ」好きなら楽しく見られそうな気がします。(まあお値段は高いのでアレなんですが、全席アリーナ席みたいなものなので、そこらへんは一つ妥協していただけると。本当に普通に歴史とかとっぱらって音楽だけのパフォーマンスを聞いて見る感覚で劇場に足を運んでも、楽しいと思います!)

 

迫力の自己紹介オープニング曲(Ex-Wives)があって、トーク(これからのパフォーマンスの目的)があって、さらにバンド紹介も入ってから、最初の1曲に行くという流れも、実にライブっぽくて面白いです。

そして最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン が「No Way」という、いかに自分がロイヤルファミリーの一員としてありえない待遇を受けたか、とソウルフルに歌いあげたかと思うと、アン・ブーリンがみんなのコーラスの中、アイドルっぽく登場して皮肉めいているけれど、めちゃくちゃポップでキャッチ―な「Don't Lose Ur Head」を歌い踊る楽しさ!

今回日本版でも「シング・アロング回」があるみたいですけど、この曲は振りも真似たくなりました。「シング&ダンス・アロング回」があっても楽しそうです。

そしてジェーン・シーモアの「Heart of Stone」はバラード調で圧巻!これはミュージカルファンがこぞって歌いたくなるような一曲でしたね。

そこからコミカルな「Haus of Holbein」の全員でのパフォーマンスがあって、再びパワフルなアナ・オブ・クレーヴスの「Get Down」が続いて盛り上がった後にやってくるのが、キャサリン・ハワードの「All You Wannna Do」なのです。

これもタイトルがサビとして何度も繰り返されるリズミカルでキャッチ―な曲なのですが、そこに込められた意味がだんだんと変化して見せるのが、「ああ、これは芝居と歌が融合したミュージカルだ」と痛感しましたし、純粋に切なくて泣きました。

からの全てをまとめあげるキャサリン・パーの「I Don't Need Your Love」ですよ!

ここから、「ヘンリー8世の6人もいた元妻」としてしか認識されていなかった彼女たちが、一人一人の人生を取り戻していく過程に、この作品が熱狂的に受け入れられている理由を痛感しました。

多分6人の王妃たちのどこかに、観客は少し自分のかけらみたいなものを見出す気がするのです。

もちろん歴史を知っていると、歌やトーク(芝居)部分で、いろいろ出て来る言葉や人名にニヤリとはできると思いますし、見た後に事実をいろいろ調べて楽しむこともできます。特に「グリーンスリーブス」は音楽も流れるので、気になるとは思います。

でも私個人はあえて何も知らずに見て、楽曲を純粋に楽しむのもありじゃないかなと思いました。

どうしても字幕があるので、字幕を見ちゃうし、見ないと何言っているのか分からないのですが、もっとパフォーマンスを楽しみたかったなと改めて思います。

もちろん日本版も見に行くのですが、英語ならではのリズム感みたいなものはどうしても日本語では消えていくものなので、このバージョンをもう1回見たい!なんで来日公演は東京だけなんだ!(大阪では観客が入らないから、なのは分かってますが、Tokyo!みたいにOsaka!って呼びかけられたいじゃないか!)

なので見に行くのを迷っている方はぜひ一度、真っ白でライブ行くんだくらいの気軽な気持ちでこの作品を体験してほしいなと思っています!

ロンドンやニューヨークまで見に行くことを思うと東京なんか格安な世の中ですが、それでも一律16,000円のチケット代と遠征費は、物価高の昨今には厳しくて、1回しか見られなかったのが、本当に残念なので、東京というか関東圏在住の方は、そのラッキーを活かしてぜひ!

 

私は久々にサウンドトラックを購入したので

これまた久々に毎日聴いています。

私が行ったのは「ドレスアップ推奨回」で本当に普通の服から、二次会風ワンピース、推し王妃カラー着用、着物、時代物ドレス、この作品のコスチュームコスプレまで色んな格好をしている方がいて、それがまた楽しかったです。

でも今となっては「シング・アロング回」も行ってみたい。

なので、先にチョロっと音源聴いて、気になったら音楽だけ聴き込んで行くのもありだと思います。てかどうしてそうしなかった、私!

 

ところで唯一の不満点としてはグッズのTシャツが、型がワンパターンしかなかったことです。

www.umegei.com

こんな人種、肌の色、髪の色、体型までいろんなキャストを織り交ぜているのに、「普通のTシャツ似合わない体型族」が着られるTシャツを売ってくれないなんて(涙)

「芳雄のミュー」でソニンさんか菅谷真理恵さんが着用された首元の開いてるTシャツが欲しいのです、東宝さま!なんとかなりませんか、日本版上演までに。

叶うことを期待しつつ、しばらくは原語版サウンドトラックで、SIXの世界観に浸ります。

あ、あと1月31日に発行される「セシルの女王8巻」も楽しみにしています! 

時代の変わり目にどうしたらいいのか@シス・カンパニー公演KERA meets CHEKHOV vol.4/4「桜の園」

1/11(土)17:00~ Skyシアター MBS

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スタッフ

作 アントン・チェーホフ

上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ

美術 松井 るみ

照明  関口 裕二

音響  水越 佳一

衣装  安野 ともこ

ヘアメイク 宮内 宏明

ステージング 小野寺 修二

 

キャスト

ラネーフスカヤ夫人 天海祐希

トロフィーモフ 井上芳雄

アーニャ 大原櫻子

シャルロッタ 緒川たまき

ワーリャ 峯村リエ

ドゥニャーシャ 池谷のぶえ

ロパーヒン 荒川良々

ヤーシャ 鈴木浩介

エピホードフ 山中崇

ピーシチク 藤田秀世

ガーエフ 山崎一

フィールス 浅野和之

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KERAさんが「チェーホフの4大戯曲」を演出する、という試みの最終章のみの観劇で、かつ、初「桜の園」でした。

前知識なしでNTLiveの「かもめ」

www.ntlive.jp

を見たとき、演出が斬新すぎて初心者にはかなり分かりにくい作りだったので、戯曲を読んでから見に行こうかと思っていたのですが、シスカンパニーのインスタアカウントで井上芳雄さんの

 
 
 
 
 
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「どうなるんでしょう。ご存じの方も多いと思います。名作だから!」とのお言葉を聞いて、「名作なのに知らない」のは逆に少数派なのかも、KERAさんも「奇をてらわず作る」とおっしゃっていたし、ここは「せっかくあらすじを知らないのだから、このままの状態で、どうなるかドキドキしながら見よう」と思いなおして、なるべく無の状態で劇場に赴きました。

なので、お話し的にはやっぱり3幕終盤が「そうか、そうくるのか!」みたいな驚きがあって、そしてやっぱりラストシーンに、何というか、変なのですけれど「ああ、よかったね。あのお家に最後まで寄り添ってくれる人がいてよかったね」みたいな感想を抱きました。

劇中で「ロシアの農奴解放」の話題が登場するのですが、このことについて私は全く知らなくて、でも知らなくてもその「農奴解放」で今、この劇にいるロパーヒンがある、ことはちゃんと分かりましたし、そういう時代の変わり目に、変わった者、変われない者、未来に期待している者、なんとなくそのまま生きている者が混在していて、それが今現在とも重なりあうような気がして、非常に興味深かったです。

幕間にプログラムのチェーホフの生い立ち解説を読んでしまったので、ロパーヒンが勝手にチェーホフと重なるように見えてしまったのですが、改めて終演後プログラムを読み、戯曲を読むと、ロパーヒンをああいう人として演出してあったせいなのかなとも思いました。

確かにロパーヒンを悪役っぽく演出することも演じることも可能で、それはそれでどういう印象の作品に見えるのか興味があるのですが、今回は百姓の息子だった人物が「農奴解放」を経て実業家になった、という真っすぐな描き方で、「百姓の息子」時代に、階級の違う「貴族の奥様(ラネーフスカヤ夫人)」が優しくしてくれたことがずっと心の中にあって、だからこそ一所懸命に夫人に「桜の園」を手放さない方法を提案し続ける一方で、最終決定の際に感情が高ぶっていったのだろう、と想像できる人物で、荒川さんがそういう人らしい人を好演されていたなと、戯曲を読んだ後に改めて感じたりしました。

 

一方で「貴族の奥様」であるラネーフスカヤ夫人は、私の想像の中の「貴族の奥様」らしくないなとも感じました。個人的にはかつて裕福だった気さくな奥様くらいの感じで、「貴族」という血統には一切こだわっていなくて、「世間知らずのお嬢様」のまま大人になったような人物なのも興味深かったです。

トルストイの「アンナ・カレーニナ」が本当に貴族の奥方で温室のバラで、初めての恋に浮かされて飛び出した温室の外では生きられなかったことを思うと、パリでもそれなりに生きてきたラネーフスカヤ夫人には割と共感してしまったのです。

あの浪費の仕方とか、難しいことは無意識的に考えず、思考回路に入らない感じとか見ていると思い当たる節がありすぎて、反省しましたよ…。

(就職超氷河期世代なので、定年まで勤め上げて、老後は年金で優雅に暮らせる、なんてことは思ってなかったですけど、定年がどんどん引き上げられ、年金ももらえるかどうかも分からず、でも医療が発達して人生100年時代になるから、資産運用とかして自分でなんとかしろって言われても、もう分からないの、聞きたくない、考えたくない、というこの気持ちと一緒にしてはいけないけれど、感情としては近しいものはあると思うんです...。)

 

多分、演出家の数だけ、そして演じる人の数だけ、それぞれに魅力的なラネーフスカヤ夫人があると思うのですが、今回の天海祐希さんはとにかく「お美しい奥様」と呼び掛けられるのが本当にぴったりで、ワーリャ役の峯村リエさんとともに長身で、美しいドレスが映えるのがとてもステキでした。

本当衣装がどれもシックなのに素材が上質で、それを美しく着こなす天海祐希さんは眼福以外の何物でもなかったです。

なのに、どこか親しみやすさがある、という点では、今回の演出の中での天海祐希さん、という選択はぴったりで、というか、天海さんのラネーフスカヤ夫人をこういう風に演出されたKERAさんがやっぱりすごいな、と思うのです。

 

その美しさを際立たせた天海さんに対して、真逆に仕掛けられたのが井上芳雄さんのトロフィーモフなのかなと思います。「容姿いじり」はどうなのか、という感想を見かけたのですが、戯曲にもそのまま台詞に書かれていました。もしこれをKERAさんが分かりやすいように書いた言葉であったなら問題かもしれないけれど、見ているときに私が思ったのは、トロフィーモフはそれこそいち早く「見た目で判断されること」を一つの人間の抱える問題として捉えて、敢えて容姿を整えなかったのだ、ということでした。

となると、もちろん登場人物はなんか尊大なトロフィーモフへの嫌味を含んだりしながら使っていたりするけれど、多分に発せられる「ハゲ」という言葉に反応して笑う方に無意識の見下した視線があり、もちろん私もやっぱり台詞の応酬の中で笑ってしまった部分もあって、「ルッキズムって難しい」とつくづく感じました。あの芝居の登場人物の中で、トロフィーモフだけはラネーフスカヤ夫人のことを美しいと讃えるところもないことを思うと、やはり彼は「ルッキズム」を意識していて、それを伝えるツールとしての「容姿いじり」だと思ったので、個人的には全てこれを消してしまうとトロフィーモフの問題意識が1つなくなって見えるので、このままでいいのではと思います。

井上芳雄さんから漂う知性や品が活かされつつ、いい感じに鼻につくところ(ご本人がパブリック・イメージとして特にトーク番組とかで出されている部分)が、なんというかぴったりで、驚くほどハマり役だったと私は思いました。

そのトロフィーモフとともに、新しい時代を生きる者として描かれた娘のアーニャ。

4幕の

 

あたしたちの前に、新しい、目にしたこともない世界が開けてくるんだわ。

(浦 雅春訳)

 

と母親のラネーフスカヤ夫人に語りかける部分(すみません、劇中ではどういう言い回しだったかは覚えていないです…)なんかは、「ヘアスプレー」の「Welcome To the 60's」とかをも彷彿させて軽やかで生命力に満ちていました。

ただアーニャのこの言葉も母親には届かないし、アーニャも伝えようとはしていない。登場人物が会話しているようで、コミュニケーションを取ろうとしていない、のは、私が唯一、事前に勉強していたチェーホフの短編「魔女」なんかにも共通していて興味深く、今回のこの作品は本当にチェーホフの入り口として、とてもよく作られていたのではと感じています。

 

キャストの皆さん本当に素晴らしくて、一人一人に印象的なシーンがあるのですが、書き出すと長くなるので、お一人だけ最後にあげるなら、今回はやはり私は池谷のぶえさんのドゥニャーシャでした。いや本当に驚きました。オペラグラスで覗くまでは若い俳優さんと信じて疑っていなかったくらい、本当に20代くらいの女性に見えました。オペラグラスで覗くと池谷のぶえさんだと分かるけれど、それでも20代くらいの女性に見えるんですよ!めちゃくちゃチャーミングでかわいくて、本当、俳優さんってすごい!

 

ところで、一歩踏み出せば物につまずいたり、新しい靴を買えば不良品だったりするエピホードフを「不幸の吸い取り紙」と劇中では表現していましたが、私が購入した戯曲本では「二十二の不仕合せ」と書かれてあって、注釈が掲載されていました。注釈がないと理解できない言葉はちゃんと変えられている、こういうのも「上演台本」の意義なんですね。

そう思うと過去3作を見られていないのが今さらながら残念なのですが、せめてこの作品は見られてよかったなと思いますし、衣装や照明は好きだったけれど、若干セットには不満があったので、今後それこそNTLiveとかで斬新な演出の「桜の園」が上映された際にはいそいそと見に行きたいと思っています。

 

ところでこの作品が「悲劇か喜劇か」問題なのですが、何を笑えるかは結構国民性が出る気がしているのです。

エジンバラ・フリンジ・フェルティバルに参加しているとき、ジーン・ブリューワー自身が脚本を書いた「K-PAX」とサルトル「出口なし」、ゴーゴリ狂人日記」の3本に音響照明スタッフとして関わっていたのですが(ちなみに演出は全てロシア人、役者は英国人、スペイン人、ロシア人、ベルギー人、ノルウェー人、コソボ出身者でした)、特にゴーゴリ狂人日記」を完全に喜劇ととらえている欧米の観客が多いようで割と爆笑の日が多かったのです。でも私は主人公が少しずつ狂っていく様子の何が面白いのかさっぱり理解できず、笑いのツボの違いを実感して終わった記憶があります。だから「桜の園」のどのあたりを「喜劇」と捉えているかは、ロシアの人に聞いてみないと分からないような気がするのです。

もちろん、「桜の園」の中で繰り返されるコミュニケーション不全のやり取りや、人物のあり方に面白みはもちろん感じるし、その滑稽さを笑えるところもあるのですが、今の日本人にとってこれを喜劇や笑劇ととらえるのはなかなか難しいかもしれない、と思っています。

ただ描かれているのは多分、もっと時代が変わっても変わらない人間の生き様だと思うし、3幕のロパーヒンの衝撃から、1幕冒頭をふっと思い出させる作りとかもやはり上手いし、名作であることは間違いないので、今後もいろいろなパターンで見られることを願っています。

 

最後にどうでもいいかもしれない違和感を1つ。

KERAさんの公演のプログラムの手触りが普通のマットコートだ!

てことでした笑

シスカンパニーのバックアップは素晴らしいけれど、KERAさんのプログラムのこだわりは反映されないんだなあと変なところに反応してしまいました。

2024年かんげき振り返り

2024年末もやっぱり胃腸の不調で、本当に今年一年は老化をしみじみ感じました。涙

思い返せば2023年末のめまいが、この一年の不調の大きなサインだったのかもしれません。でも唯一の救いは、観劇日に体調不良日がバッティングしなかったことです!

もう本当、観劇のために生きているんだなあと思ったものです。

そんなわけで今年の観劇を振り返りつつ、だいたいどのくらいのお金が出ていったのかを感じる記録です。

■1月

梅芸フレンチロックミュージカル「赤と黒

宝塚星組「RRR」「VIOLETOPIA」

■3月

世田谷パブリックシアター「う蝕」

京都南座「三月花形歌舞伎(松プログラム)」

宝塚花組アルカンシェル

■4月

KERA CROSS「骨と軽蔑」

■5月

宝塚雪組「ALL BY MYSELF」(×3回)

■7月

宝塚雪組ベルサイユのばら~フェルゼン編~」(×2回)

ENTERTAINMENT DANCE PERFORMANCE「BOLERO-最終章-」

■8月

東宝ミュージカル「モダンミリー

ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」

■9月

日米合作「RENT」JAPAN TOUR 2024

HORIPRO STAGE「ハリー・ポッターと呪いの子」

■10月

ミュージカル「9 to 5」

■11月

劇団四季「WICKED」

■12月

宝塚月組「ゴールデン・リバティ」「PHOENIX RISING」

宝塚雪組「FORMOSA‼」

梅芸「RUNWAY」

 

18本、21回…。

いや一応20本を下回ったと見ておこう!ベルばらは2回で今の他の劇場の1回分だもの!

(そして和希そらビルボードライブはファンミとしてカウントするよ汗)

しかし本当にチケット代が高くなってしまって、今後どうしていけばいいのか迷いますよね。涙

でも今年は割と歌舞伎やストレート・プレイ、ダンス公演なんかも混ぜてバランスよく見られたのかなと思います。

12月に怒涛の宝塚と宝塚OG公演詰め込み、改めて自分の推し「夢咲ねね」さんの魅力に気付かされたりもしました。

思えば1月の「赤と黒」が観劇始め、ねねちゃん始めで、夏に「モダンミリー」のドロシー役という「これ、他キャスト見たことないけど、絶対こんなのじゃなかっただろう。でも、もうこのドロシーを見たが最後、他のドロシー見ても違和感あるぞ」くらい「夢咲ねね」が詰まった役だったなと振り返って思います。

個人的には「赤と黒」のレナール夫人の方が、ねねちゃんの演技としては好きだし、その美しさが活きていたとも思うのですが、ドロシーのパンチ力が激しかったことを、「RUNWAY」の爆発力を見て思い返し、最後にこんなどうでもいいことを記録することになっております。


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とりあえず「夢咲ねねファンクラブ」は更新しました、はい。

 

ファンクラブ、と言えば、今年一番お金をかけたのが、わたしのもう一人の推し「新納慎也」さんの初のファンミ参戦でした。

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ちなみに新納さんもねねちゃんもファンクラブに入ったきっかけはコロナ禍でした。

公演が長期間なくなってしまい、少しでも好きな人たちに応援の気持ちを届けたい思いだったのですが、好きな人たちだけに欲も出てくる。特にめちゃくちゃ楽しいと聞いていた新納さんのファンミは、ファンクラブ入ってから一度は行きたいと思っていたので、開催されて本当に嬉しかったです!そして何もかもが大満足でした!

ただ新納さんの舞台が今年は「う蝕」しか見られなかったので、来年はもっと大阪でも公演をやってほしいなと思う一方で、チケット代問題が頭をかすめます。

これで宝塚のチケット代があがるときっついな・・・とは思うのですが、昨年の痛ましい事件を思うと、歌劇団の労働環境の改善は絶対にしてほしいので、その結果としてチケット代に跳ね返ってくるのは仕方ないかなとも思っています。

 

今年18作品しか見ていないので、どれもそれぞれに楽しかった、としか言いようがないんですけれど、その中で敢えて作品賞をあげるなら「ALL BY MYSELF」でした。

配信見て、3回見に行って、円盤見返しても一部の体感が一瞬なんですよ。

本当によく出来た、素晴らしいショー作品だと思いますし、改めてショー好きな自分も自覚しました。

RUNWAY」を見ても思ったのですが、今年東山さんのダンスパフォーマンス公演を見ながら、こういう「ダンス中心の公演」が今後はもっとあると嬉しいなと、ちょっぴり期待しています。

 

ついでに脚本賞は「江戸時代の思い出」に。あんなに意味不明なものを書いて作り上げるすごさ!もう本当ケラさまの頭の中はどうなっているんだと思いました。そして照明デザイン賞を 「ハリー・ポッターと呪いの子」に。セットも素晴らしかったけれど、セット&衣装はやっぱり「WICKED」にかなうものはないなと思います。

 

そうそうブロードウェイミュージカルと言えば「SUFFS」の日本語版か来日版も早めに来てくれることを希望しています。「虎に翼」の記憶が薄れないうちに。


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2022年のトニー賞パフォーマンスを見て面白そう!と思った「SIX」が来年早々やってきてくれることを思うと、再来年あたりには実現しないでしょうか。


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そんな来年は来日「SIX」の前に、ケラさまがミーツするチェーホフ桜の園」から観劇始めです。

せっかくこの有名戯曲を読んだことも見たこともないのだから、何も勉強せずに見に行こうと思います。

そして、来日SIX、日本版SIX、今年の「RENT枠」の「朗読劇忠臣蔵」と続きます。「ウェイトレス」も見たいし、ケラさまの作品は追っかけたいし(仲村トオルさんから古田新太さんになった再演「ベイジルタウンの女神」は絶対見たい!)、推したちの出演する作品が大阪に来てくれるなら、それは出来る限り見たい。

どうお財布と折り合いをつけていくか悩みながらの観劇になりますが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。