こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

待った分の価値あり@映画版「WICKED part1~ふたりの魔女~」

ミュージカル「WICKED」が映画になるよ、と噂を聞いたのはいつの頃か。

プログラムの解説によるとトニー賞を授賞した翌年にはそんな噂が出ていたとのことだったので、20年くらい前からそんな話しはあって、私はその過程のどこかで聞いたのだと思います。

しかし待てど暮らせど一向に映画化される気配がなく、さらにコロナ禍で延びているなんて話しも出てきて、あの噂はただの噂で映画になんてならないのでは、と半ば諦めていた頃に、エルファバ役シンシア・エリヴォ、グリンダ役アリアナ・グランデの発表を聞いたときには「ついに!」という感じでした。

f:id:morton:20250408171657j:image

そして日本公開から遅れること2週間後に見に行ったのですが、昨年11月に四季版再演を観劇していたこともあって、もう最初の「No One Mourns」から泣いてました。

とはいえ、私の「WICKED」好きなんて本当に軽いものなんだな、とソニンさんの熱いこの動画や


www.youtube.com

他の方の感想を読みながら、しみじみ感じました。

そして感想をここに書くかも迷ったのですが、とりあえず未来の自分のために、映画を3回見て、思ったことを記しておきたいと思います。

 

ご存じのとおり90分の一幕が161分に伸びています。しかしその長さを全く感じさせないし、とても丁寧にエルファバとグリンダの心情を描いているので、なんならボロ泣きポイントが増えています。伸びているのではなく、深まっているのです。

No One Mourns」の時のグリンダの絶妙な表情からもう泣けます。

Yes, goodness knows the wicked's lives are lonely
Goodness knows the wicked cry alone

の歌詞が、今のグリンダに跳ね返ってきていることを感じるのです。

とはいえ、ここは結末を知っているから、というところもあるので、その他の部分でいうと、やっぱりみんな大好き「Wizard and I」でエルファバがカラフルに彩られて、光が緑色のときにはその肌の色が緑に見えなくなる部分。緑色の肌のせいでエルファバは産まれたときから差別を受けている(特に産まれたばかりのときにマンチキン総督が「Take “it” away!」というのが、herでもthe babyでもないんだと思って辛かった…そしてこの言葉 が「Defying Gravity」で再生されるのがまた涙)ので、一瞬でも「緑色の肌ではない自分」が映し出されるのは、本当に映像の妙でした。

ソニンさんは「What Is This Feeling?」がエルファバ対グリンダとシズ大学の同窓生という構図から、エルファバ対グリンダ、になっているのが少し残念的なことをおっしゃっていましたが、私は逆にこの構図になって、歌の最後の方に「マダム・モリブルと語るエルファバ」をグリンダが見ているシーンが入るのがすごく好きでした。というか、ここでも泣きました。エルファバが持っていて、グリンダが持てないものの切なさ。涙

二人の関係性が尊いのが一番にあるとして、エルファバ派かグリンダ派といわれると、私はグリンダ派なので、エメラルドシティに行くシーンで、旅立つエルファバにグリンダが渡すガイドブックの中に「望みがかないますように(I hope you get what your heart desires)」て書いてあるシーンもギュンッとしましたし、「Popular」なんて可愛すぎて悶えましたよ!何あのかわいい生き物!自分は秘密を教えたのにエルフィーは教えてくれないなんて、ってベッドにふせって、エルファバが自分を気にしているかチラ見するシーンなんて、「こんなのかわいいコしか許されへん案件やろーーー!かわいい!かわいすぎる!」と心の中で絶叫しておりました。

とはいえ、感情や経験的にはエルファバの方に近しい部分が多いので、「I'm Not That Girl」は特に共感しまくりでこれまた泣きますよね。

 

そう、この映画版の個人的な一番の変化点は「フィエロがステキに見えること」だったんです。いやもちろん、演じているジョナサン・ベイリーが「ブリジャートン家」の時から格好いいなと思っていたということはあります。(ジョナサン・ベイリー目当てでシーズン2だけ楽しむのもありですよ、「ブリジャートン家」!シーズン2はジョナサン・ベイリーが演じるアンソニーが主役なのですが、傲慢で責任感の強い長男かと思いきやその繊細さが描かれていて萌えます。)

www.netflix.com

でもそれ以上にフィエロがエルファバの肌の色も特に気にせず(映画版の森の中を馬に乗って、その馬と対等に話しながらやってきて、エルファバとぶつかりそうになって、保護色でエルファバが見えにくかった、という出会い方もいい)、虐げられていく動物たちを目の当たりにして、思わず救ってしまったり、軽さよりも、なんというか上質の教育を受けてちゃんと育ったプリンス感が見え隠れどころか全面に出てしまっているのが溜りませんでした。

そりゃあエルファバも心惹かれるし、だから「I'm Not That Girl」が切々と響く。

 

そのフィエロのナンバー「Dancing Through Life」なんですが、1970年代からブロードウェイで活躍している巨匠スティーブン・シュワルツのこの作品の曲の中で、私が唯一、古さを感じるものだったりします。(この辺もフィエロにイマイチ興味がなかった原因の一つです)その曲を映画では舞台版セットの時計モチーフを取り入れて、すんごい映像で見せてくるのです!

ちなみに本を踏む、踏まないに関しては、芥川賞の市川佐央さんの↓↓↓を知ってから

www.asahi.com

「紙の本を貴ぶ」のは私の中の知らなかった傲慢さだなと気づいたので、この映画ではなんとも思わなかったし、フィエロのパフォーマンスとしては的確だったと思っています。

さらにこの後、字幕がなぜか「スターダスト」になっている「オズダスト」というボールルーム行くシーンに続くのですが、「オズダスト」を水中の店にしてあったのもステキでした。

グリンダが「オズダスト」の内装に合わせて「お魚っぽいドレス」を選ぶのもまたかわいい。そしてここでグリンダの「Good Girl」なボックとネッサローズに対する傲慢さを描いているのが、また二部でああなるかと思うとグッとくるのですよね。

 

そうそうグリンダが「なぜ黒い魔女帽を持っていたか」にもいろんな考察を見ましたが、私が今回の映画版を改めて見て思ったのは、そもそもグリンダは「魔法」に憧れていて、魔法を学びたいとシズ大学に入学しているので、彼女の中ではあの「黒い魔女帽」は大切なアイテムだったのではないかということです(まああれが「魔女の帽子」として認識されたのは、エルファバが西の悪い魔女にされて以降、ということもあるかもですが、とりあえず私は今はそう思っています)。でも「人気」を重要視するグリンダは同級生にそれを「ダサい」と言われて、取り繕った意地悪さでエルファバにあげてしまう。

そんな経緯を知らないエルファバにとっては、恐らくはじめてもらった「プレゼント」。グリンダにお礼をしたいとマダム・モリブルにグリンダへの特別レッスンをお願いして、さらにその帽子をかぶって「オズダスト」へやってくる。

この辺の流れは舞台版と全く一緒なのですが、映画版の強みは「表情を大きく映し出せる」ということ。嘲笑を背に変なダンスを踊り始めるエルファバに「平気なふりをしているだけ」と加勢するグリンダ。踊りながら心を通わせる二人。グリンダと一緒に踊り始めたときに流れるエルファバの涙をグリンダが拭うのも、ハグした時のエルファバの涙とグリンダの表情も号泣ものでした。

 

そして「One Short Day」を経て、まさかのゴージャス汽車でたどり着いたエメラルドシティで「オズの偉大なる魔法使いとグリムリー(魔法書)」の紹介劇(Wizomania)をオジリナル・キャストのイディナ・メンゼルとクリスティン・チャノウィスがやっているのもムネアツ。


www.youtube.com

ただエメラルドシティで二人が緑色の眼鏡をしていないことは気になりました。なんとなく昔、絵本で「緑色の眼鏡」をかけるからエメラルド見えていた、みたいなくだりを読んだ気がするのですが、調べてみたら「エメラルドシティがまぶしすぎるから緑色の眼鏡をかける」というのも出てきて、この辺りの真相はどうなんでしょうか?

ただソニンさんがおっしゃってた「for the first time, I am somewhere I‘ve belonged」のセリフはその前の「No one point, no one stare」から続くものなので、舞台では緑色の眼鏡をかけているエメラルドシティ住民が、眼鏡のせいでエルファバの肌の色が緑色に見えなかったから、という部分があるのでカットされたのかなとは思います。

そしてその「緑色の眼鏡」、今回の作品は多分に映画版「オズの魔法使い


www.youtube.com

を意識していると思うので、こっちの映画では出てこなかったアイテムだったためカットされたのでしょうね。

(ポピーもこの映画で出てくるアイテムでした)

【4/21追記】

今回の映画版を見ていろいろ考えることあり、子どもの頃、絵本で読んだきりの「オズの魔法使い」を購入して読んでみました。

絵本とかじゃなく、普通に割と重厚めの「児童文学」でした・・・。

そして「緑色の眼鏡」については、エメラルドシティの入り口門のところで門番によってかけられるものでした。

かけないと、エメラルドの街のあまりのまぶしさと華やかさに、目がつぶれてしまうからだ。街に住む者だって、夜も昼も眼鏡をかけないといけない。しっかり錠までしてあるのだ。街が作られたときにオズがそう命じたからで、錠をはずすただひとつの鍵は、わしが持っている。

(上記本より引用)

そして下記のようなオズの告白もありました。

ここは緑が豊かで美しいので、エメラルドの街と名付けて、名前にもっと合うようにと、住民全員に緑のめがねをかけさせて、何もかも緑色に見えるようにしたんです。

(上記本より引用)

さらにドロシーがエメラルドシティを出る(めがねは出るときに回収)と、緑色に見えていたものが白く見えた、という描写もありました。

さらにエメラルドシティに行く前に、ドロシー・トト・臆病なライオンがケシ(ポピー)の花畑で眠ってしまい死にかけるというシーンもあり、今回の映画版WICKEDは、元々の児童小説、それから生まれた映画、そして舞台版「WICKED」とおそらくその原作小説も全て内包しているようです。

 

その辺りが二部にどう描かれるかを楽しみにしつつも、ここから「A Sentimental Man」を経て(ここで黄色いレンガ道を入れるのもニクイ)のみんな大大大好きな「Defying Gravity」が素晴らしかった!

もともと舞台でも素晴らしいシーンだからどうするのかと思ったら、想像以上に映像の迫力的にも、情緒的にもすごいシーンに仕上がっています。冒頭の子どものエルファバがここでこう使われるか、とか、エルファバの力のすさまじさも大迫力で伝わるので、エルファバの「Are you coming?」という呼びかけにグリンダが応えられない理由に、もちろんグリンダは「Good Girl」であるアイデンティティを手放せないのもあるけれど、何の力もない自分が付いていっては足手まといになるだけじゃないか、と考えたのではないだろうかと、はじめて思いました。

それぞれに解釈はあるでしょうけれど、四季版での疑問点は映画版にはなく、二人がお互いを思いやる尊さと、エルファバの本当にタイトルどおり「重力に逆らって」、権力に逆らって、飛んでいく「見てろよ!」的な高揚感に満ちています。

stok0101.hatenablog.com

エルファバの「Unlimited」に興奮を覚えつつも危うさも感じる、その辺が本当にすごい。だから、グリンダと一緒に涙を流しながら「I hope you're happy!」と叫びたくなるのです。

 

映像がすごくて、二人の歌が素晴らしすぎて、見逃しがちにはなるのですが、虐げられていく動物たちが、Missing Animalたちをマークしている地図が壁に貼ってある部屋で秘密集会を開いているシーンがあったり(そして「Something Bad」はこの集会を見てしまったエルファバに歌われるのも自然でいい)、入学式でカッとなったエルファバがその力で壊してしまった「素晴らしきオズの魔法使い(Our Wonderful Wizard of OZ)が描かれた石壁」の下から、動物たちと共存していた頃だろうオズの国の絵(多分クマの教授かな?)がチラッと出てきたり、「Popular」で差し込まれるポピュリズムの構造説明を歌でさらっと流すのではなくセリフにしたり、グリンダがエルファバと親友になった途端、手のひら返しをする学生たちとか、上述したエメラルドシティのイディナとクリスティンのパフォーマンスが完全にプロパガンダだったりするところとか、そういうところもちゃんとがっつり入れてきています。

舞台版ではマダム・モリブルに全振りされているシズ大学での生活の感じとマンチキン総督の愛娘ネッサローズへの特別扱いも、善良でおせっかいなキアラ・セトル演じる寮母が入ることによってマダム・モリブルの神秘性を高めていて、ただのオズの魔法使いの手先じゃない感満載なのもいいし、寮母もキアラ・セトルが演じている限りこのまま何もないとは思えない。

(そしてずっとエルファバもネッサローズのお付きという名目でシズ大学に入学した設定だと思っていたら、映画でははっきりと入学式にネッサローズの付き添いで来ただけ、が示されるのでその辺も何かあるんでしょうね)

この作品の社会的な部分は、二部ではもっと色濃くなるんだろうなと思っているので、二部を見てから今、この作品が映画で広められた意味、なんかも今一度考えたいです。

 

そういえば舞台版を見ていたときは、エルファバは「虐げられた存在」に自分を重ねるから動物たちに肩入れしているのだろうと思っていたのですが、映画版ではクマの乳母(ダルシーベア)が子どもの頃のエルファバを大事に育ててくれていたのがわかるので、彼女が「動物の権利」を守るために闘うのがよりよく分かる点もよかったです。ここは原作本では描かれているらしいですね。

実は英語の原作本も持っているのですが、ご想像のとおり開いただけで読んではいないので、part2が公開されるまでに日本語で読もうと思っています。

そして、二部の日本公開、めちゃくちゃ待ってます!映画版を意識している限りグリンダが「POPULAR」でエルファバに投げつけたルビーの靴も何かしらの役目を持って後半出てくるだろうし、となるとネッサローズの宝石の銀の靴の扱いはどうなるのかとか、色々気になりすぎるのですが、日本はまた来年の3月になるのかな?待ちきれない!二部のいろいろをどう描くのかももちろん気になるし、それを経ての映画版のエルファバとグリンダの「for good」を早く聴きたい!


www.youtube.com

まずはpart1の円盤の発売をお待ちしています!

【6/5追記】

円盤ももちろん予約しましたが

それとは別にすぐに早く見られる嬉しさでこちら↓↓↓も購入!早めの配信、嬉しいです!

そしてpart2の予告も登場!


www.youtube.com

後はこのpart2がいつ日本公開になるのかを心待ちにしております!