こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

深化と退化が魅せるもの@朗読劇「忠臣蔵」

3/29(土)16:30~ @兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

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クリエイティブ

オリジナル脚本:柴田侑宏
上演脚本・演出:荻田浩一
音楽:𠮷田優子(宝塚歌劇団


出演
杜けあき
紫とも、香寿たつき渚あき、成瀬こうき、彩吹真央
立ともみ、小乙女幸、朱未知留、はやせ翔馬、寿つかさ

 

いつの頃か「もう若者は『忠臣蔵』を知らないよ」とどこかで聞いて、すごく納得したことがあります。確かに私が子どもの頃は、12月になったらテレビの特番で「忠臣蔵」が必ずかかっていて、時代劇好きだったため割とよく見ていたけれど、今となっては時々モチーフにした映画が登場するくらいで、興味がなければ知る機会がないお話しです。

だから33年前、杜けあきさんのサヨナラ公演となった「忠臣蔵」も再演することはもうできないだろうとなんとなく感じていました。

(むしろ平みちさんのサヨナラ公演だった「たまゆらの記」がなぜ全国ツアーか別箱で再演されないのか不思議。奈良時代のひらひら優雅なお衣装とトライアングルの恋愛を描いた物語は、とても美しく切ないので初めての人にも今の人にも楽しんでもらえそうな気がします)

なので、今回の朗読劇という形での復活は驚いたとともに、オリジナル脚本の柴田先生の渾身の作品を届けたい、という杜さんと制作側の強い意志を感じたりもしました。

ただ実は33年前の高校生の私は「忠臣蔵」が「作品としてのすばらしさ」は置いておいて、そんなに好きなお話しではなくなっていたのです。

というか「忠義」やら「侍の心」とかが、とても苦手だったりします。さらに33年経って、日本人っぽいウエットさも苦手になってしまった今の私がこれを見てどういう気持ちになるのだろう、と思っていたのですが、結果からいうと、泣きました。

我ながらびっくりしました。

もちろん記憶にこびりついている「杜けあきさんの大石内蔵助」と「紫ともさんのお蘭」を見られた、というところは大きいとしても、改めて内蔵助とお蘭の関係性が心に迫ってきたのです。

そしてそれはお二人の「深化」と、私が年を重ねて内蔵助よりも年上になって感じるもの、でもあったように思います。

 

朗読劇とはいうものの、舞台には上手奥から下手側客席側に向かって2/3ほどの大きさの上がったセリっぽい台が斜めに伸びていて、下手奥には吉田優子先生をはじめとした音楽奏者がいらして、上手側の台の前には3席の椅子と書見台、下手側に1席と書見台がありました。

その上がったセリっぽい台の後ろにスクリーンや木目の背景板が降りたり上がったりして、そこに映像が映し出されたりするのですが、冒頭はもちろん内蔵助の独白からの「太平の元禄に嵐が吹いた」の歌からはじまり、すぐに「松の廊下」なので、ちゃんと「松の廊下」があることに感動しました。

しかも映し出される映像は背景的なものだけではなくて、おそらく元禄時代の庶民を描いた「風俗画」だったり、33年前の舞台写真だったりするセンスがさすがすぎました。

このセットの中で歌い演技する形の「朗読劇」。むしろ書見台は邪魔なのでは?と思うくらいの動きのあるお芝居で、皆さんがそれぞれにきちんと演技されていることが素晴らしかったです。

お衣装は全員、黒地に金の模様が入った着物風のトップスに、着物風のワイドパンツだったと思います。

ただもう杜さんが登場した途端、私は「あ、内蔵助がやってきた」と思ったので、杜さんの髪型は確かにショートヘアを少し男役風にセットしたものではあったのですが、当時のお装束を着ていたように錯覚していたようで、杜さんが「(着物の)袖がないのに袖をはらって座っていた」という感想を聞いたとき、え、袖あったと思っていた・・・と驚いてしまったくらい、杜さんと紫さん、立さん、早乙女さんに関しては、今回の衣装とともに当時のお装束が見えていたみたいです。

杜さんと紫さんは当時の役が固定(紫さんは賑やかし的な感じで台詞のない役は他にもやられていましたが)で、香寿さんが浅野内匠頭と岡野の二役を主に、立さんが吉良上野介と当時もやられていた綿屋喜左衛門を主に演じていらっしゃいました。

逆に当時、香寿さんが演じた役ははやせさんが、他にも当時泉つかささんが演じられた小林平八郎も演じられていて、はやせさんの小林が今回は唯一刀を持つ役なのですが、ここの型や動きが美しかったのもとても目を引きました。

今、この刀の捌き方ができる劇団員も少ないでしょうし、そういう意味でも、前作「この恋は雲の涯まで」から一年間ずっと日本物ばかりやっていたとはいえ、当時はまだまだ下級生だった寿さんや、涼風真世さん時代の月組配属だった成瀬さんや、音楽学校生だった彩吹さんには、なかなかに難しかっただろうなと思うだけに、はやせさんが今回も(杜さんの40周年記念コンサートにも出演されていたので)、参加してくださったことに、ただただ感謝したいシーンでした。

杜さんがプログラムで述べてらした「退化」の部分は、歌唱にあって、年齢を重ねられた分、やはり男役の音域の音を出すことが厳しく感じる部分がありました。そこを一番補ってくれたのが彩吹さんでした。読売が一か所だけあったのですが、そこでは頭に手ぬぐいをのっけて歌ってくださって、全体に華やかな部分を省いた今回の朗読劇の中では、あの明るい調子の歌を気持ちよく聞かせてくださったのはとても大きかったと思います。あと彩吹さんの主税が少年らしく清々しくも健気で、本当にステキでした。

杜さんと同じ「退化」がもちろん紫さんにもあって、娘役音域の歌はところどころ厳しい部分もありました。

けれど当時よりももっと人間味を増した香り立つような色気が本当にステキで、だからこそ、討ち入り前夜の内蔵助とお蘭の会話は迫ってきました。

33年前も子ども心に格好良いなと思っていたこのセリフ。

内蔵助「身を守れるか」

お蘭「いつも暗い冷たい流れの中を泳いでいると、ふと明るく暖かいところが恋しくなるんですよ。ご免なさいまし。」

(中略)

内蔵助「お蘭・・・か。命を・・・守れ」

お蘭「あたしは、今歩いている道から、いつかふっといなくなるように消えるだろうと思っていますから・・・」

内蔵助「冷たい風の中に、同じ思いで立っているのか・・・」

お蘭「大石様、どうか・・・見事に・・・」

33年前の杜さんの内蔵助は「本懐を遂げる」のために、とても慎重に、でも迷いなく真っすぐに進んでいるイメージでした。でも今回の内蔵助は「本懐を遂げること」そのものに時折揺らぎが見えて、それが大石内蔵助という人物をもう一つ魅力的に彩っていたような気がするのです。本当に出演してくださってありがとうな早乙女さんとのりくとの離縁シーンもそうでしたが、特にお蘭とのシーンは、本当に二人とも「死に向かって生きている、そしてそのことをどこかで怖いと感じている」ように思えたのです。そんな二人がひと時、生きていることを確かめるように思いを重ね、それでもそれぞれの「道」からは踏み外せない、ことがとても哀しくて切なく、涙がこぼれて仕方ありませんでした。

そして改めて浅野内匠頭という人は、一体どういう人だったのだろうとも思いました。

「赤穂事件」の発端である俗にいう「松の廊下」での出来事の真相は今でも分かっていないようです。でも例え吉良上野介を殺さねば面子が保てないような出来事があったとしても、自分の行動が後々どういうことになるのか、主君として臣下を思いやる一瞬はなかったのか、やっぱり疑問に思ってしまいました。

今回の朗読劇ではもちろん割愛されていますが、当時劇中歌で紹介された小山田庄左衛門とか、もちろん大石はじめとした四十七士も彼らの妻や恋人も、とんでもない道を歩まねばならなくなったわけで、また今回の杜さんの大石の揺らぎが、浅野内匠頭という人間のことをよけい考えさせるという、個人的には興味深いものになりました。

基本的には私は「忠臣蔵」の話題になると必ず紹介しているこの小説の浅野内匠頭の人物像の仮説を勝手にとっているんですが、改めて研究本なんかも読んでみたいと思いました。

(テレビドラマ版では浅野内匠頭のことはあまりちゃんと描かれていなかったので、本の方をお勧めします)

今回の朗読劇では浅野内匠頭ターンがかなり割愛されていたので、香寿さんは藩主として清々しくそこに居てくださればよかったのですが、それがきちんとできていたことが、33年前の香寿さんの姿も思い出せるだけに、進化(こっちは男役として、そして役者としての「進化」ですね。当時は本当にお若かったので)に感動しました。

演じ手が変われば自然と変わる、が一番でたのは、二役の岡野金右衛門の方で、特に渚あきさん演じるおきくから吉良邸の絵図面を手に入れようとするシーンが面白かったです。

33年前の一路さんは本当に誠実で、慎重すぎるほど慎重におきくちゃんに尋ねるその言い方が返って怪しいよ!という感じだったのですが、香寿さんの岡野は「本懐を遂げる」ためには、必要な嘘はさらりと言う、躊躇することなくだます感じが、これはこれで大変興味深いものでした。立さんの綿屋は当時のまんま再現されていただけに、よけい岡野の違いを感じられるのも楽しかったです。

そして綿屋さんとの内蔵助のシーンが、またずっしりとよかった!かつて色町での顔見知り同士の軽妙さから、絶妙な間を置いての「正義は通れませんか」という声のトーンで、一気に家老職の武士であることを魅せる、こういうところが本当にうまくて痺れました。そしてそれに対する綿屋さんのセリフ「十九歳で家老職を継がれた頃は、『昼行燈』と呼ばれる程に茫洋として、ゆったりしたお方に見えていたが、久しぶりにお目にかかって、ますます幅がお出来になったと感心したよ」がしみじみ響く。これを効かせるのも、やはり立さんのお力だと思います。

 

そして岡野との絵図面のやりとりのシーンの後に、おきくちゃんの歌があるのですが、これがあるのは33年前これを演じたのが純名りささんだからなんだよな、と思うと感慨深ったです。多分、純名さんじゃなければ、柴田先生もここで彼女の歌シーンは作らなかったと思います。こういうところに、柴田先生の全力を尽くした大作であった(宝塚歌劇化が難しかったし、今まで以上に多くの資料を当たって取りかかったけれど、困難ながら楽しさがあったのは初めてのことだった、というようなことを「柴田侑宏脚本選4」の後書きで述べられています)とともに、当時の雪組の体制へのアテガキが見えるのもいいし、さらに今回そこを香寿さんの相手役だった渚あきさんが演じるから、この歌が残されたんだろうな、とも思いました。

 

今回の朗読劇で、当時見ていたときよりも私の解像度があがったのが、上杉方の色部又四郎の存在でした。当時はなんとなく敵役、くらいしか理解していなかったので、そうか、そういう理由で色部又四郎は小林やお蘭を使って動いているのか、ということが33年経って理解できてよかったです。

演じていた成瀬こうきさんは、研一の頃からステキだなとミーハー的にファンで、本当に研一の時から格好良かったんですけれど、当時の雪組にはいなかったすらりとした美貌の敵役が魅力的でした。ただここはやはり本来、古代みず希さんの役どころということで、本当に難しかったろうなと思ったところではありました。

そしてそんなことを思うと、杜さんと紫さんにアドバイザーに入ってもらって、宝塚の「忠臣蔵」を再演してほしいなと思いました。

だってここまで見たら、やっぱり大階段にずらりと並ぶ四十七士を、あの圧巻の光景を見たいじゃないですか!

雪降る中、四十七士が一斉に吉良上野介を討つシーンを見たいじゃないですか!

そして、四十七士が一人ひとり銀橋を渡るシーンだって見たいじゃないですか!

ただはやせさんの刀の型にしても、杜さんが当たり前のようにやってらした武士の型にしても、紫さんの涙をぬぐう所作にしても、そう簡単に身に着くものではないし、それこそ当時テレビで放映された香寿さんにフィーチャーした番組で、杜さんが新人公演で内蔵助を演じる香寿さんさんに指導していた「撞木町」のシーンなんて特に、いろんな所作がいっぱい入っていて、演じる以上に動き方が慣れていない人にはとても難しいと思うんですよ。

その「撞木町」のシーン、朱未知留さんの「深化」もあって短くても当時と同じくらい、楽しくて色気のあるシーンになっていました。

さらにフィナーレの曲も歌ってくれたからこそ、いっそフィナーレも見たい!

今の体制だと月組がピタッときそうなんですが、ギャツビーも月組に取られてしまったので、やっぱりいつか雪組で見たいです。

 

ところで、プログラムの各出演者の言葉はなかなかムネアツだったのですが、なぜ吉田優子先生のお言葉はないのでしょう?

上記に書いた「討ち入り前夜」のシーンの後に続く「花ひとつ」は、吉田優子先生にとっても、大劇場デビューから三作目くらいの曲だったそうですよ。

そして杜さんも、忠義のために耐え忍ぶ男の世界の中で、澄んだ水にポタッと一滴落とした墨汁が広がるような色気があって、とても好きだみたいなことをおっしゃっている曲なので、吉田優子先生が当時どんな思いでこの曲を作られたのか知りたかったです。