こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

スリル・ミー

7月21日 15:00~ 天王洲 銀河劇場
私 田代万里夫
彼 新納慎也

昨年9月の初演時からずっとみたいと思っていたのだけど、タイミングが合わなかったり、3月の再演はチケットが手に入らなかったりして、ようやく、見ることが出来たある意味感慨深い作品でもあった。

二人の少年が犯罪に至る経過、二人の心情が絡み合い、少しずつ狂気に変化していく様、それこそがタイトルどおり「スリル・ミー」、ゾクゾクさせた。

全体の感想としては、キャストを変えて中毒気味に見たくなる観客が続出するのがとても良く理解出来た。やる人、見るタイミング、その日のリズム、その時の観客によって、この作品はプリズムのように変化するのだろうなと思う。それをたった一度、一つのキャストでしか見れなかったことは残念ではあるけれど、また来年の再演時を見る楽しみにもつながった、興味深い作品であった。

ミュージカル、というより、殆どストレートプレイに近い。歌はあるけれど、振りはない。踊ることを、ショーパフォーマンスを排除した、歌で表現したストレートプレイだな、と思った。
だからこそ、パフォーマーには歌だけではなく、良く訓練された演技力も必要となり、正直、日本で完璧なものを見るのは難しく感じる。現在のミュージカル男優の多くは音楽界からの出身者で、演技をする、という基礎が完全であることは珍しい。だからこそ、動き方、そして、とりわけ、「私」の方は、過去と現在を行き来できる、的確な芝居のスキルが必要で、感情ではなくて、声のトーンや仕草など、スキル面でそれを表現できる役者で見てみたいなとは思う。他3名の「私」が未見なので、その辺も見比べてみたかった。

今回ステージサイドシートでの観劇となったのだけど、その近さで感じたのは、匂いの存在。煙の存在。「彼」の吸う煙草の煙がこちらまで届き、煙が視界を絡めとる。それは「私」と「彼」の閉塞的な関係をも匂わすようで興味深かったし、またこの作品を2回目の再演まで狭い空間でやっていた効果や意味もこのあたりにあったのではないか、と想像させた。
また、こちらは恐らく大きな劇場になったことで変化はあったと想像するのだけど、最初の天窓のようなセットと光の演出も印象的だった。閉ざされた空間に「私」がいることを即座に感じさせた。
そして、三人目の出演者、ピアニストの息を合わせた演奏も忘れがたい、いい舞台だったと思う。