こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

「すごい」しか言えないもどかしさ@ケムリ研究室「砂の女」

9/4 シアタートラム 18:00~

9/9 兵庫県立芸術文化センター 中ホール 18:00~

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原作:安部公房

上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

音楽・演奏:上野 洋子

振付け:小野寺修二

 

出演者

緒川たまき

仲村トオル

 

オクイシュージ

武谷公雄

𠮷増祐士

廣川三憲

 

原作は有名なこちら。

とは言え、存在は知っているものの、中身は何も知らず、全くの未読で見に行きました。

 

観劇後に原作を読んだのですが、読まずに行ってよかったかもなと思っています。

というのも、元々原作が持つサスペンス的要素にまんまとはまり、1回目の観劇は主人公である「男」がどうなるか、という1点に惹きつけられ、文字通りドキドキハラハラの連続でした。

そしてそのドキドキハラハラに誘い込む導入部分がまずすごい。

男が淡々と旅する様子を語る。パペットが男の代わりに動く。

布に包まれたシンプルなセットに投影される影、光。

それだけで一瞬にして物語の中に引き込まれてしまったのです。

緊張感高まる中でタイトルが現れたときの衝撃。

まだ物語の導入部分でしかないところですでに「すごい」と息をのんでしまいました。

 

とある貧しい部落の砂のくぼみの中にある家に女が一人で住んでいる。その女の家に捕らわれる男。

舞台の真ん中にはあばら家が一軒あり、周りは布で覆われています。

ただそれだけなのに、そこが深い砂の穴の底である閉塞感が漂います。そして舞台の上にほぼ砂はないのに、登場人物たちの動きと砂の音、そして照明で映し出されるサンドアートが奇妙に美しく彩り、そこにある砂の異常さを際立たせていました。

絶えず砂がけぶっていて、鬱陶しい様子がありありと伝わるすごさ。

その中でなんとか砂底の家から抜け出そうと努力する男と、砂と共存している女との奇妙なやり取りが、おかしさと焦燥感、恐怖感とともに妙な一体感を増幅させていくのです。

 

そんな続く緊張感の中で男の妄想だったり過去だったり、現実かもしれないことがふいに舞台に現れて、ふっと空気を和らげ笑いをおこすこの緩急がまたすごい。

(警官のくだりは原作には一切ないので、ここはケラさまの創作部分に当たります。でもこれがあることで、より緊張の糸をゴムのように伸縮させていて、観客はいいように操られたような気がします)

 

背景の砂の崖は同じままなのに、家だけがグルグルと回転することに不自然さを感じず、魅せてしまう不思議。

完全に物語と演出の魔法にかけられた状態になる、そしてそれこそが演劇の醍醐味なのかもしれないと思ったりもしました。

 

原作小説は男の一人称で語られていて、男の理屈っぽさや上から目線が鼻についたりするのですが、それを仲村トオルさんが演じることでまろやかになり、男にチャーミングさがあった点が原作小説との大きな違いなような気がします。

そうやってしか生きていけないとは言え、女が男を受け入れることに抵抗感をもたないことを納得して見ていられるというのは、絵として見るときに割と大事な気がするのです。

とはいえ、男を演じる仲村トオルさんはほぼ出ずっぱりでセリフ量も多く、後から思えばものすごい大変なはずなのに、それを見ている間はちっとも感じさせないプロっぷり。

 

砂の底の生活に疑問も不満も持たず、日々を過ごす女を演じる緒川たまきさんの説得性と妖しさ。緩慢な動作、ゆったりとしたセリフ回しが自然で、それがより男を苛立たせるのが分かります。

絶えず砂が家に入り込むため、砂かぶれをするからと裸で顔に手ぬぐいをかけて眠る姿は照明も相まって実になまめかしく、男がこの女を最初警戒し、そして惹かれるのにも納得。

ラジオの音楽にはしゃぐ姿や、なんとか少しでも快適にこの生活を維持しようとするいじらしさが本当に可愛らしく、だからこそ切ないような気持ちにもなってしまいました。

そして何もかもを達観したような女でも、人間としての尊厳があるのだと痛感するシーンの激しさがまた胸を打つのです。

どれほど奪われ支配されようとも譲れないものは人にはある。

 

それでも物語が大きな転換点を迎え、あのラストシーンに結び付くとき、人は慣れる、その哀しさと開放感を突き付けられて、身動きができなくなってしまうような、そんな作品でした。

どんなに理不尽でも、いつかは慣れる、そして一度受け入れてしまえば慣れて、希望を作りだし、そこに快適ささえも感じる、だから人間は生きていける。だけど慣れた先には、ある日共存していたはずの脅威が襲ってくるかもしれない、と思うと背筋が凍るような思いもする作品でした。

 

登場人物は男と女以外の部落の人間や警察官や男の同僚などは他4名の俳優たちが全て演じているのに、何人も登場人物がいるように思えるのもやっぱり単純にすごいです。

でもその中で浮きだっていたのは音楽演奏の上野洋子さんでした。

舞台の下手上側にいらして音楽演奏の様子も見えるのですが、まずその存在感がすごい。そして多種多様な楽器と声で、砂に呼応し、流れに呼応し、そして女にも呼応しているようにも見える。

一方でこの世界を全てを支配しているような存在にも見える。

彼女の存在と音がこの作品をもう一つ深いところまで導いたことだけは確かだと思います。

 

シアタートラムで見たときは、その空間の狭さから一緒に砂の穴に閉じ込められたような感覚で見ていたのですが、兵庫県立芸術文化センター中ホールではまた違った感覚が味わえたことも醍醐味でした。

というのもシアタートラムで見て、この作品をとりあえず一度体験したら、どうしても2階席から見てみたくなったのです。

砂の底の家に住む男と女は常に上にいる部落の人から見られている。

2階席から見るとき、今度はあの上で働く部落の人の視線で見られるのではと思ったのですが、仕事次第では劇場に駆けつけられないかもしれない可能性もあって、2階の一番後ろの安い席を選択してみたら、なんとこのセリフを痛感することに。

いつも誰かが、火の見から、双眼鏡でのぞいていますから・・・

部落で働く人たちよりも高いところで双眼鏡をときどき使いながら砂の底にいる男と女をみている自分と思いっきり重なってドキッとしました。

(ついでにこれは1回目の時から思ったけれど

役所なんぞに、まかせておいたら、それこそ、そろばんはじいている間に、こちとら、とっとと砂の中でさあ・・・

が、まさしく今までずっとつながっているこの社会の問題そのものでやるせない)

 

そして兵庫県立芸術文化センター中ホール2階席最大の見どころは、この作品の大きな転換点であるシーンでした。

どこまでも果てしなく続く砂丘。砂がうねるさまが投影されたサンドアートの美しさは、圧巻、の一言でした。

 

ここまで読んでくださった奇特な方がいらっしゃたら大変申し訳ないのですが、本当にこの作品から受けた衝撃を1%も言葉にできていないのです。

いやほんと「貼付された写真」の切り取り方とか、砂の中に浮かび上がる砂をいじる女の指とか顔とか、最後の女の「やだよう。やだよう。」のセリフとか、もっと細かくいろいろとすごいところがいっぱいあるんです。

(兵庫県立芸術文化センター中ホールの2階1番後ろの席でも映像部分がちゃんと見えたのもすごい。てかこういう見え方チェックは全ての演劇公演が確認してほしいです)

なのでぜひ配信をご覧になっていただきたいと思います。

 

9/30~10/6

ぴあストリーム

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2174162

e+ Streaming+

eplus.jp

ケラさまのおっしゃるとおりだとは思うのですが、きっと映像だけで見ても、この「すごい」しかいえない理由をわかっていただけると思います。

そしてその「すごい」の理由をもっと知りたいので、配信で見られるのも楽しみにしています。

 

そしてこうなると映画も見たい!

適正価格での円盤販売か、有料配信をお願いします、偉い方。