こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

繰り返し

学生時分、レンタルビデオ屋でバイトしていた頃、子供たちが何度も同じビデオを借りたいといって、お母さんに「違うのにしなさい!」って怒られていた風景を良く見た。お母さんにしてみれば、同じものに何回もお金を払うのはムダという感覚も良く分かる。でも、だ。私は未だに同じ本やビデオを何度も繰り返し、読んだり、見たりしてしまうので、子供の気持もよく分かった。気に入った本なんて、かなりボロボロで、キレイなのをもう一回買おうかなあと思うことさえある。
なので、持っている本で二回以上読んでいない本の方が少ないのだが(英語の本は別。これこそ勉強のために二回以上読んだ方がいいはずなんだけど…)、その数少ない一回しか読んでいない本を、この一週間読み直してみた。
宮部みゆきの「理由」。一回読んで、なぜだかそのまま二回目がなかったので、あんまり詳細な記憶がなく、むしろはじめて読むに近い感覚でなんとなくお徳感(笑)読もうと思ったのは映画化が決定して、なんとなく読み直したいなあという気分になったから。だけど二回目を読んで、手をつけなかったわけを実感。間違いなく面白いけれど、私の気分を高揚させてくれるものが少ないのだ。同じ二回目を読んでいない本に「火車」もある。「理由」と「火車」と言えば、宮部みゆきの中でも代表格なのに、どうしてかこの二冊に執着していないようだ。宮部みゆき好き、は私の中でも、他に言うことができて、多くの人の賛同を得られる、最もメジャーな好み、のはずなのに、ここでさえ、メジャー格に惹かれないのは、マイノリティー感覚が染み付いてしまっているから、だろうか。

ところで、この「理由」の犯人の感覚を、もう少ししたら「よく分かる」という人が増えるのかもしれない、というような記述があって、まさしく私も「よく分かる」と思う一人であることに、なんとなくショックを受ける。でもそれ以上に「家族」という形態の枠にとらわれすぎていることが、この犯人を生み出す背景にあったのではないか、とちょっと思わずにいられなかった。