3/15 13:00~ @宝塚大劇場
ミュージカル
『アルカンシェル』
~パリに架かる虹~
作・演出/小池 修一郎
キャスト
マルセル・ドーラン 柚香 光
カトリーヌ・ルノー 星風 まどか
フリードリッヒ・アドラー 永久輝 せあ
ペペ 一樹 千尋
コンラート・バルツァー 輝月 ゆうま
マダム・フランソワーズ・ニコル 美風 舞良
コーエン/ギヨーム・ブラン 紫門 ゆりや
ジョルジュ 綺城 ひか理
イヴ・ゴーシェ 聖乃 あすか
アネット星空 美咲
少年イヴ 湖春 ひめ花
ナチス占領下のパリ。
アルカンシェルというレビュー劇団の花形歌手・カトリーヌと天才ダンサー・マルセルの恋物語に、ナチスによる占領、文化統制とそれへの反抗を味付けとして加えた、実にシンプルな物語だった気がします。
多分そのシンプルさが「浅さ」と言われる原因でもあったと思うし、ナチスとドイツ国防軍の描き方については、見てから簡単に調べられるところは調べましたが、深く理解はしていないので、その辺の設定の甘さ(と呼んでいいのかも分からないけれど)については何も言えないのですが、正直に私はミュージカルにおける物語はこのくらいシンプルでもいいと思っているんです。
マルセルとカトリーヌ以外のキャラクターの書き込みを捨てて、付け加えたレビューシーンが王道でも多様で美しく、卒業するトップコンビの強みや魅力をこれでもか!と伝えてくれるものだったし、何より二人のラブシーンと関係性がステキだったので、これはこれで本当に「王道の宝塚歌劇」だと思っています。
確かに一本物にする意味はなかったかもしれません。
でもとりわけサヨナラ公演を、もろもろな不調が原因で休演日が続出する可能性を考えると、ショーよりは代役が立てやすく、恐らく体力的にも少しはラクになるという点で、最後の公演をできる限り上演するという意味では、今だからこそ興行の形として「アリ」だったんじゃないかなと思っています。
(前回の雪組大劇場公演で、個人的に応援している人の卒業公演が長期間休演になる厳しさを痛感したのです)
始まり方も個人的には大好きで、狂言回しが状況を説明している間に彼の祖父(少年期)が登場して、その父親がやってくる。そしてリハーサルがはじまるから、とオケの指揮者に「マエストロ、シルブプレ」と声をかけると、音楽がはじまり、ミラーボールが回って、幕が上がり、緩やかなカーブを描く階段にずらりと並ぶタキシードにシルクハットの男性、ドレス姿の女性たちが踊る光景は、恐らくその時代のレビューのシーンを意識しながら、きっと1927年「モン巴里」から上演されはじめた「宝塚歌劇レビュー」の伝統も受け継いだものだったように思ったのです。
4. レビューとシャンソン | 近代日本とフランス―憧れ、出会い、交流
紳士淑女の伝統的なペアダンスから歌姫の登場、ウィンナワルツ、スイングジャズ、ラテンダンスとさまざまなレビューシーンが登場する中で、一番個人的に好きだったのが、モダンダンスに憧れるマルセルが「アルカンシェル」の伝統的演目からコンテンポラリーな振付で踊る、物語のはじめの方の「モンマルトルのピエロ」でした。
もうこの柚香光の美貌とダンスを魅せつけるこのダンスシーンだけで、この作品は価値があると思ったのですが、カトリーヌとの恋愛と共闘、そして最後の「対等なパートナーとして選択」するシーンは、なかなかグッとくるものがありました。
(ところで、マルセルの部屋のモダンダンサーの写真は誰なんでしょうか。時代的に、勝手にバランシンだと思って見ていたのですが、ニジンスキーの名前が出せるならバランシンだって出してもいい気もするので、違うどなたかなんでしょうね、きっと。でもとりあえず、バランシンの写真が美しいので、貼っておきます。)
何よりカトリーヌが恋愛しながらも「アルカンシェル」の責任者として考え、一人で危険も伴う慰問活動も契約期間を全うして戻る、ところがとても自立していて魅力的で、歌はもちろんのことながら、この「強さ」というのは、はじめて星風まどかさんを認識した「アナスタシア」でも感じた魅力だったので、強くてたくましい役を演じている彼女を見られたのも嬉しかったのです。
そして使われている音楽なんかも、このコンビで上演した作品を思い出させるものや、花組を思い出させるものが多く、「サヨナラ公演ってこういうものだなあ」と普通に堪能しましたし、それを楽しめる作品だったと思います。
あと「モンマルトルのピエロ」が後半でも印象的に登場するあたりの魅せ方とかも、やっぱり普通に上手いんですよね。リプライズってミュージカルでカタルシスを感じるところでもあると思うのです。
その中で二番手の永久輝さんは割をくったというか、フリードリッヒ(フリッツ)のキャラクターの書き込みが甘く、ご本人の個性のアテガキで押し切られている感があって損をしたかなとは思うのですが、相手役となる星空美咲ちゃんとちゃんとカップルで、次世代を背負う二人を見せたのも、サヨナラ仕様だったなと思います。
特に星空美咲ちゃんアネットは、カトリーヌの代役をするシーンもあり、次のトップ娘役の輝きを十二分に発揮しててステキでした。
そして恐らく次の二番手スターとなる聖乃あすかさんは、完全なる狂言回し役で、今この時点でこういった「セリフで状況をきちんと伝え、舞台全体を俯瞰で見る」という経験をされたことは、今後に活きてくるのでは、と個人的に思います。(ので東京公演では滑舌の一層の向上を期待!)その上で舞台に溶け込んで真ん中で魅せるシーンもナチュラルで、今後の活躍が楽しみです。
さてナチスというか、ドイツ国防軍、SS、ゲジュタポの表現については私は知識がないため、それほど不自然には見えませんでした。フリッツがいい人というよりも、普通に徴兵制でドイツ国防軍に入ったのなら、あんまり深く考えずにそこにいて、言われたことに従って働いている人に見えました。深く考えない、ところは問題だったかもしれません。それでアルカンシェル自体も大変なことになったりもするので。その時その場がどういう空気だったのか、というのは私には分からないけれど、こういうフリッツみたいな、自分が何しているか無自覚な権力者側に属する人がいたんじゃないかとは思いますし、自分自身が疑問持たずに国家権力に従って真面目に生きていたらフリッツみたいになっている可能性はあるなと思います。(ド平民なのでフリッツのような管理職みたいな立場にはならないだろうけど。)そしてそのあたりが深く描かれていない、というのがナチスという存在をエンターテインメント作品で扱うに当たって甘かったところの1つなのかなと想像しています。
でも逆にフランス人のジョルジュがいろいろあってナチスに傾倒し、でも最終的にはああなっちゃうのが、今回の役のなかでは個人的に一番印象に残りました。それをさりげなく演じた綺城ひか理さんがいい。
この記事では女性のことしか書かれていませんが、男性だって同様だったと思います。
憎しみの連鎖が始まるところは劇中では描かれませんが、こういったことも考えると、それなりに意味のある作品だったような気がしています。
何より、劇中に登場し、大ナンバーにも展開される、パリ市の標語「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」という言葉は、現状の観客もそして多分、舞台の上の人たちも共通の思いなような気もしました。
パリは「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur) | ハフポスト NEWS
で、フィナーレはですね、いつもの小池先生仕様で、せっかくだから、ひとみさ(略はこれでいいんですか?)新トップコンビにバトンタッチシーンとかつけてくれてもよかったんですけど、それはなし。でも代りにデュエットダンスの後に柚香光ソロダンスがありました!
これがもう本当に軽やかで美しくて、踊ることで表現するのが好きだという気持ちと今この舞台を楽しんでいる感じを勝手に受け取ってしまって、涙、だったのです。
ということで、東京公演の完走を、そして何より充実した幸せな時間を最後まで過ごされることを心の底から願っています。