こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

海を越えて同属意識。

会社に来るメルマガのロンドン在住の方が書いているエッセイだけ、いつも読んで楽しんでいる。今回はイギリス人の遠まわしな言い方について、から始まっていた。アメリカ人の女性とイギリス人の男性が付き合っていて、女性が男性のまわりくどい言い方に腹をたてているといった内容。アメリカ人の彼女にとって「YESならYES!NOならNO!」なのだそうだ。
国際社会では、日本人的な曖昧は許されない、YES、NOをはっきり言わなくてはいけない、と教えられてきたように思う。でもその国際社会は、やっぱりアメリカ先導のものなんだな、とこれを読みながら思った。私がロンドンを好きなのは、やはりこの辺にも理由があると思う。確かにイギリス人の本音をはかるのは難しいのかもしれない。イギリス人は冷たい、とも良く聞く。ロンドンでホームステイしているとき、同じステイ先のイタリア人の女の子が、「イタリア人はイギリス人に嫌われているの」とか「イタリアではもっとアットホームだから」とか良く聞いた。確かにうちのステイ先のルールは色々厳しかった。その中で、彼女がホストマザーと衝突することもあったから、余計彼女はそう思ったのかもしれない。そして、ホストマザーはとりあえずニコニコしながら、彼女への不満を私に告げることがあったから、確かにイギリス人は本音と建前のある人種なんだと思う。
だけど、思いっきりけんかして、あとすっきり、するよりも、とりあえず波風を立てずにいたい、と思う私の気質(大阪人は普通逆なんだけど…)にはすごく合っていたし、私の中には日本人らしく「郷に入ったら郷に従え」の思いがあった。とりあえず、この土地で、私はお客様なのだから、ルールは守らなくては、という気持ちだったので、どちらかというとイギリス人側の言い分の方が、私には馴染みやすかったのだ。
どちらの気質がいい、悪い、とかではなくて、どちらにも良い部分、悪い部分があって、だからこそ、個人個人のコミュニケーションから、文化的交流というスケールまで、やっぱり難しいなあ、と思うのだ。
それはともかく、イギリス人は絶対一緒にするなって言いそうだけど(やっぱり白人が一番だというベース思考はあると思うので)、イギリス人と日本人ってそこそこ思考回路が近いところがあるな、と向こうに言って妙に感じたし、このメルマガを読んで、日本人だって遠まわしな言い方が好きだよなあ、と思ったりなんかもした。筆者は言葉の問題はなくても、こういう問題が発生する、と書いてあったが、でもやっぱり、言葉が通じないと、こういう問題が発生するような関係までいけないんだよなあ、と改めて落ち込んでみたりもした。