7月8日(土)17:00〜
ジェイ・ギャツビー 井上芳雄
デイジー 夢咲ねね
ニック・キャラウェイ 田代万里生
トム・ブキャナン 広瀬友祐
マートル・ウィルソン 蒼乃夕妃
ジョージ・ウィルソン 畠中洋
ジョーダン・ベイカー AKANE LIV
私は1991年の宝塚雪組「華麗なるギャツビー」を見て、心底格好いいと思い、こんなものが作れる演出家になりたいという大それた夢を抱いてしまったという人です。
この作品は、私の人生を誤らせた、私にとってはエポックメーキングなものなのです。
ということで、2008年月組版「グレート・ギャツビー」も観劇しております。
今回新たにブロードウェイの作曲家を導入して、小池修一郎先生がこの作品を作ると聞き、私が見ずして誰が見る!とチケットを早々購入し、この日を待っておりました。
しかし、その間、東京、名古屋公演を経て、届いてくる感想はあまり良くないものばかり。
この辺りで私は覚悟を決めました。
初演とは同じで違うとんでもないものを見るのだと。
ポスターも大阪版はこんなふうな残念な感じの仕上がりになっております。
で、これが私にはいい方に働きました。
つまり、それなりに落ち着いて面白く見ました。
それには間違いなく月組版があったから、だと思います。
初演はどんな作品でも神なのです。
何をどうやっても超えられるものではないのです。
初めての衝撃、時代の差、記憶の美化。
そういうものが初演を神に仕立て上げます。
だから、私は月組版をどうしても受け入れられなくて、怒りを拡散しました。
私にはこのワンクッションが必要だったのだと思います。月組版には申し訳ないけれど、今回見ながら、月組版あってくれてありがとう、と感謝したくらいです。
という長い前置きをおいて、今回の感想を。
の前に、グレート・ギャツビーがどんな話か書こうかと思ったのですが、これはもう村上春樹訳の原作を読んでください。
読んでおいて損はない一冊です。
ところで初演のギャツビーは1時間43分の作品でした。これを月組版では2時間半に変更しました。
だから、宝塚版のままだという感想を耳にしたとき、ああ月組版のまま、曲だけ差し代わってるんだなと思っていたのですが、違いました。
寧ろこれはほとんど初演のまま、長くしています。
月組版ではまだ「神が見ている」という小説が持っている1つのテーマを出していたので、全体的に運命に翻弄される感じを受けましたが、今回は初演のメロドラマ的視点をゴリ押した感じなのです。
結果、起こったことは、とりあえずワンシーン、ワンシーンが長い。
かつてセリフだったところも全て歌になっていて、そうなると観客も聞き取る努力をしなくてはならなくて、物語がすっと入ってこないのです。
一番思ったのは、マートルの事故の詳細についてギャツビーとニックが話すシーン。
この説明を全部歌にされちゃうとツライ。
さすがにこれでは分かりにくいかも、と思われたのか、この後にマートルの事故を再現するシーンが追加されたりしてるんですけど、それがまた物語が加速していくはずのところで急ブレーキをかけられた感が残念すぎました。
そして、ギャツビーの父親が子供時代のギャツビーの話をするところも歌!
もうなんで?の域です。
そこからラストシーンに続いて、子役が歌い出したときには、ここも歌かー、と絶句してしまいました。
確かに子役のコと井上芳雄さんの歌声が重なり合う音は美しかったです。
でも、でもね。
毎週5ドル、訂正、3ドル貯金。
というセリフの「訂正」がなくなってしまったのは、ただただ残念でしかなかったです。
この「訂正」があるかないかはギャツビーという人物のカケラを感じるのに必要な言葉だと思うのです。
【思い出したので失くさないでほしかったセリフ追記(7/10)】
ニックとギャツビーのはじめての挨拶シーンで、初演では
ニック「向こう岸に誰かいるんですか?」
ギャツビー「ばれましたか」
ニック「恋人ですか?」
ギャツビー「だったと申し上げるべきか、今もと言うべきか。いえ、永遠にとお答えしましょう」
というのがあったんですが、今回カットされてましたね。
これ、初演ではじめてきいたとき、ギャツビーのこと「何、この人。何言ってるの?なんかおかしい」と思ったんですよ。
それってギャツビーの正しい印象ですよねえ。
これもなくなったの、残念です。
ところで、私はなるべくネタバレなしで書いていこうとしているですが、今回のオープニングに関しては、もうネタバレしていいですか?
というか、あのオープニングが盛大なネタバレなんですよ!
確かにすんごく有名な小説が原作で、ディカプリオ主演の映画も割と最近リメイクで上演されて、私のように過去2回の小池先生のギャツビーの舞台を見ている人も多いかもしれません。
でも、それでも、え、こんな風に転がってこんな結末になっちゃうの、というドキドキ感もこの物語の魅力だと思うんです。
なのに、その結末を「サンセット大通り」的に最初に持ってきたら、なんかいろいろ台無しになってしまってます
確かに原作もニックの振り返りになっていますが、直接的な表現は避けています。なのにそれをまんまネタバレしちゃうのは何かが違いました。
(しかも1階下手の端っこで見ていたので、プールの映像が見切れてスクリーンが見えてしまってたのがさらに残念感を増しました。確かに初演も3階席で見たときは、マートルが見切れてたけれど、それは3階席だから納得したんです。1階の1番高い値段で払ってる席はそれなりにビジュアルチェックしていただきたいです)
それから、今回の舞台で最大の変更間違いだと思ったのが、ニックとギャツビーの最後に語り合うシーンのセリフです。
最後にニックがギャツビーに「きみを誇りに思うよ」と今回は言うんですね。
初演は「きみはあんなやつらよりもずっと価値のある人間だよ」でした。
この違いです。
同じようで違う。
ギャツビーは決して正しくない。
彼の選択は、私は、自己陶酔だと思っています。
恐らくニックだってそう思っていると思うのです。
でもそんなことを最後まで貫きとおす、そこにギャツビーという生き方の価値をニックは見たのだと初演のときは思っていたのです。
なのに、「誇りに思う」じゃただギャツビーの味方だよ、くらいに薄まっちゃってないでしょうか。
ということで、こんなに散々嘆きを書いておいてなんなんですが、それでも、私は楽しんじゃったのですよね。
それは、月組版で崩れてしまった、ギャツビーとデイジーの関係が、私の目には元に戻ったからだと思います。
月組版のギャツビーはあまりに格好良すぎた。それに対してデイジーがあまりに普通のお嬢さますぎた。だからなんでギャツビーがデイジーに執着するのか分からなかったのです。
でも今回はちょっと格好いい普通の男性と、それなりに美しい上流階級の奥さまに見えました。だから、ギャツビーのロマンがそれなりに成り立っていたように思います。
あと、例の私が散々言ってたシャツシーンも月組版よりはマシだったので
(ただ舞台で舞うのがキレイに見えればいいのだから、本物のシャツにこだわる必要はなかったと思います。初演のように投げてひらひら舞う素材だけのシャツで十分、というかその方が効果がありました)
まあ、個々のキャラクターの作り方については足らないところがたくさんありましたが、これはもう演出家の責任でしょう。
月組版よりはみんな歌が上手かったので、いいです。
その中でマートルの蒼乃夕妃さんが素晴らしかった
実は私、1番危惧していたのがマートルだったのです。蒼乃夕妃さんはどうしても頭の良さというのが見えるだけに、バカなところが可愛いマートルをどう演じるんだろうと思っていたんですね。
それを彼女は生々しく計算高いいい女に変換してきて、自分の個性を活かしつつ物語を殺さない感じがさすがです。
そして、マートル登場シーンだけ真ん中オーラを炸裂させるのも、迫力のダンスも本当にステキでした。
ところで、今回の注目点の1つだった音楽なんですが、悪くはなかったんですよ?
でも、この時代の狂乱の様子を描くにはあまりにも華やかさに欠けていました。
(この狂乱の描き方はバズ・ラーマン監督は素晴らしかったですね)
とりわけ最初のパーティーシーンがもっとわーっと派手に盛り上がるともうちょっと緩急がついて良かったのになあと。
というか、全体に小池先生らしい緩急とスピード感が全くない舞台で、逆に驚いたくらいです。
ということで、私の結論は1つ。
宝塚で初演版をそのまま再演しよう!
いいミュージカルの曲とかたくさん入ってるので版権、がんばって取ってください。
だってやっぱりいい物語だと思うんですよ。
すごく人間らしくてバカで、だから切なくて。
さらに初演はオープニングのパーティーの盛り上がり方とか、中盤からラストに走っていく緊張感とスピード感が素晴らしかったんです。
お蔵入りするにはもったいない作品です。
ぜひとも初演のままの再演、お待ちしております。