こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

このからだは連れていけない。重すぎるからね。

書くべきではないのかもしれないけれど、どうしても言葉が渦巻くので、書かせていただきます。

小林麻央さんがお亡くなりなったことです。
このことについて、私は書くべき言葉を持たず、ただただご冥福をお祈りするとともに、彼女とともに病に向き合ってこられた方々にお悔やみを申し上げる次第です。

私は、母が50歳のときに乳がん発症(ステージ2、治療の末、完治)したこと、そして父が59歳でがんファイナルステージが発覚(転移が全身に広がっていたため発祥地は不明)し、亡くなったため、彼女の状況が情報として流れてくるたび、厳しいだろうなあとは頭では考えていました。
しかしながら、どこかで奇跡的なことが起きるのではないか、みたいなことを思っていた気がするのです。

今回のこの現実がニュースで流れて、ここ数年私の中でわだかまっていることについて、何度も何度も呼び起こされました。
それは、友人の元夫の死でした。
彼は20代で難病を突然発症し、数年間の闘病生活を経て、その生涯を終えました。
私が彼と会ったのは結婚式も合わせて三度でした。
彼女から彼の病状は聞いていた(と思っていた)し、手術後の写真などは見せてもらっていました。そしてはじめて会ったときに、私と彼女の歩くスピードに彼がついていけなくて、ああ本当に病気なのだと感じてはいました。
しかしやはりどこか他人事で、その緊迫感まで感じることはできず、難病とはいっても、彼には治る方法が見つかって、この先も幸せに生きていくんだろうとなんとなく思っていました。
(この緊迫感に気づけず、1人で抱え込んでいた友人に少しの手助けもできなかったことが、今とても後悔しています)

でも結果的に彼は亡くなりました。
その知らせを聞いたときの気持ちは、そんなはずはないというのと、現実ってこんなに厳しいのか、というのが混ざりあっていた気がします。

彼が亡くなるわけがないと思っていたのに、私はなんとなく彼のTwitterをフォローしていなくて、今から考えると現実を感じるのが怖かったのかもしれません。
その知らせを受けた日、私は彼のTwitterを読める限り全て読み返しました。
彼は普通にTwitterで好きなこと、感じたことを書いていました。なんでもない言葉たちでした。でも、彼の状況を想像すると、それはどこか、ずしりとのしかかっててきました。彼はそんなことなしに読んでもらいたかったかもしれないのに。

そんなことがずっと気にかかっていたのかもしれません。私は某講座の課題で「身近な人にインタビューする」というのが出たときに、真っ先に彼女の顔が浮かびました。
そして、その時はじめて、彼らが当時どんなに緊迫感した毎日を送っていたのかを知ったのです。

でも、それでも、彼女自身も、本当に彼が亡くなるなんて思っていなかったと言っていました。どこかで、治療法が見つかって助かるのではないかと思っていたと。

けれど、現実には、彼は亡くなりました。
今回の報道で、改めてその重みを毎日感じるのです。
そしてそれが、1人の人が生きる、ということなのかもしれない、と思いました。

そして今も続く彼女の現実を垣間見ながら、心を痛めるしかできない自分の無力さもまた感じています。何もできない。何かできたらどんなにいいでしょう。それもまた現実で、私が向き合わないといけないものなのかもしれません。