11/7(土)12:00~ 梅田芸術劇場
スタッフ
【脚本・歌詞】 リー・ホール
【演出】 スティーヴン・ダルドリー
【音楽】 エルトン・ジョン
【翻訳】 常田景子
【訳詞】 高橋亜子
キャスト
ビリー 川口 調
マイケル 佐野航太郎
お父さん 益岡 徹
ウィルキンソン先生 安蘭けい
おばあちゃん 根岸季衣
トニー(兄)中河内雅貴
オールダー・ビリー 大貫勇輔
原作はラストシーンのアダム・クーパーさまが恐ろしく美しかったこの映画「リトル・ダンサー」。
日本では2001年1月に公開され、見に行ったのを覚えていますが、ラストシーンのアダム・クーパーさまの白鳥に圧倒されて、細かい記憶が吹っ飛んでおりました。
マシュー・ボーン作の「スワン・レイク」の大ファンだったのに、この映画にアダム・クーパーさまがご出演されていると知らず度肝を抜かれました。
アダム・クーパーさまの魅力はぜひこの辺りでご確認ください。
幸運なことに映画がロンドンでミュージカル化されて、ブロードウェイに進出する手前の2007年に、ヴィクトリア・パレス劇場で見ることができました。
内容はほぼほぼ映画と同じなのですが、味付けというかダンスと歌でショーアップされるだけで、そして本当に子役のコたちが踊れるだけでこんなに違った印象になるものだなあと思った記憶があります。
ストーリーはこんな感じです。
1984年、サッチャー政権の中、炭鉱労働者たちのストライキに揺れるイングランド北部の炭鉱町イージントン。ビリーは炭鉱労働者の父と兄、認知症の祖母の4人暮らし。幼い頃に母親は他界してしまい、父と兄はストライキに参加しており生活は苦しい。そんな中でも、父親にボクシングを習わされているけれど、ある日、バレエ教室のレッスンを偶然目にし、レッスンに参加するようになる。そしてビリーは徐々にバレエに魅せられ、バレエダンサーを志すようになっていく。
ロンドンの舞台は北部訛りが強い英語で演じられていたことも作用して、正直一部は何を話しているのか全く理解できなかった哀しい思い出があります。
しかしながら二部に目を見開く素晴らしいシーンがやってきたのです。
ビリーと成長したビリーが2人で「白鳥の湖」を踊るという幻想的で美しいシーン。
ビリーの将来の姿なのか、妄想なのか、その曖昧さが夢を表現するこのシーンは、日本版で見ても「舞台作品」として優れた演出だなと思いました。このシーンを見るだけでも、この作品には価値があります!
改めてこのシーンを目にして、その幻想的な美しさに涙し、踊りの力を強く感じました。
このシーンがあることによって、終わり方は映画とは違うのですが、それもまた舞台らしい素敵な作品に仕上がっています。
日本版では「イングランド北部訛り」を同じ炭鉱の町だった北九州地方の方言が使われていて、これはとてもいい日本語訳だなと思います。
舞台美術等はロンドンのままだったと思うのですが、最初流れたサッチャー政権のニュース映像は日本版ならではの工夫だったのかもしれません。(か、単にわたしの当時の現地の記憶が飛んでいるか・・・。いや、なにせ日本からの長時間フライトを経たその日に見に行ったもので疲れと時差からくる眠気との闘いだったのです・・・)
ただ改めて日本語で理解しながらこのミュージカルを見ると、「スト破り」のバスに乗るシーンが分かりにくいような気がしました。あのバスに乗るのが何を意味するのか、はもう少し丁寧に説明した方が、兄トニーの怒りや父親の覚悟ももっと全面に伝わる気がします。
しかしながらショーアップ加減はすばらしく、現地では何を歌っているか全くわからなったビリーの祖母の「Grandma's Song」が、ひと世代前の女性の人生を表現する素敵な曲だったことを知れて、とてもよかったです。
そして約1年の時間をかけてレッスンをしたという子役キャストたちがすばらしい。
わたしが見たビリー、川口 調くんは演技は少し苦手なように見えましたが、何よりダンスがすばらしい。タップもよかったですが、バレエがとてもよくて「踊りの才能を見出される少年」という設定がとても納得。
さらに名曲「Electricity」も踊りへの情熱があふれた歌声で心打たれました。
マイケル 佐野航太郎くんとの2人のダンスシーンも楽しく、かわいく癒されました。
またデビーはじめ、バレエを習っている少女たちもそれぞれにきちんと素晴らしいパフォーマンスをしていて、すっかり魅せられました。
だからこそウィルキンソン先生もやはり踊りで魅せてほしいなと思ってしまいました。これはわたしのキャスト選択ミスです。
ウィルキンソン先生、ロンドンの時の記憶よりももっと踊るシーンが多かったので、歌よりダンス派のわたしは柚希礼音さんで見る方が正解でした。
そして安蘭けいさんの「プロを目指していたわけではない」設定であるならば、衣装は映画版のようにちょっとダボっとした体形を隠すような洋服の方が、よりその世界観を表現できたと思うのですが、その辺がダブルキャストの難しいところですね。
とはいえ舞台版には映画にはないウィルキンソン先生の「ロンドンへ行けば、わたしのレッスンが二流だったということがわかるだろう」というようなセリフがあるのです。
ということはウィルキンソン先生は少なくとも三流ではない。
そうなるとプロを目指すほどではなく、生活のため仕方なくかもしれないけれど、どこかで働くよりも「バレエの先生」を選択したのであれば、もっと「バレエへの愛」をセリフだけでなく動きからも感じたかったなあと思いました。
この映像で見る柚希礼音さんのビリーへの指導のときの動き方(1:55頃)、これがわたしが求めていたものなのだと思います。
柚希礼音:ミュージカル「ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~」プレスコール
とりあえず目的がはっきりしている演目のときのキャスト選びはちゃんとしようと反省しました。
改めて柚希さんのウィルキンソン先生が見たかった・・・!
(とはいえ、安蘭けいさんの歌声は圧巻。隣の席の方は大感激なさっていました)
ところでこのミュージカルが日本版も再演がなされるほどにヒットした理由は、映画と同じく父親と息子の関係の描き方、なのだと思います。
かくいうわたしも映画で「いいなあ」と思ったのは、オーディション時の父親の受け答えでした。年齢を重ねても考えを変えていくことができる。理想とは違った息子の夢を100%サポートすると言い切るその父親の言葉と姿は希望でした。
とりわけわたしが映画で好きだったのが、その前の「あなたはバレエのファンですか?」という問いに対する答えでした。
とても素直で、格好つけようとしない言葉がステキだなと思っていました。
もちろん舞台版でも同じシーンが描かれます。しかしそこで「プロとは言えません」みたいな回答に違和感。
観劇後確認したところ、舞台版でも映画でも英語の答えは「I wouln'd exactly say I was an expert」。
そして映画の字幕は「よく知っているとは言えません」でした。
改めてこの字幕をつけた方がすごいなと感じますし、日本版でもこれを採用してほしかったなと思いました。この字幕の言葉で「格好つけない、取り繕わない率直な父親像」がステキと思っただけに、ちょっとしたニュアンスの違いで違って見えてくるものなのですね。
そしてラストシーン。舞台版は映画のシーンをいかしたセットと見せ方になっています。けれど映画ではこの後、地下鉄からあがっていくシーンが描かれる。地下と地上の表現でつながっていることに改めて気づき、映画のすばらしさにも気づきました。
ということで、なかなか舞台を見に行けないという方には、改めて映画版もおススメしたいなと思います。
そして同じような炭鉱問題を描いた英国映画の中でもお気に入りの1つも合わせてご紹介。
ビリー・エリオットでもマイケルが、トランスジェンダーなのか、トランスベスタイトなのか、ゲイなのかバイなのか分かりませんが、とりあえずジェンダーギャップを抱えている人物として描かれています。
「パレードへようこそ」はLGBTと田舎の人々の交流を描いた映画なのですが、これがなかなかよい。知りあって理解して、少しだけ考え方を緩和することは、ちょっとだけ世界を、そして人生を楽しくしてくれるような気がします。
ところで今回このようなフォトスポットがあったのですが、1人観劇ではフォトスポットを撮影するしかなかったのが残念。
ピピン の時のように、撮影してくださるスタッフの方がいたら嬉しかったなあと思いました。