こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

本当は誰もに「代名詞」なんてないのかもしれない@ヴォイスオブヘドウィグ

ヘドウィグへの熱狂が続く中、この映画を見ました。
ヴォイス・オブ・ヘドウィグ [DVD]
ドキュメンタリー映画,ジョン・キャメロン・ミッチェル,オノ・ヨーコ,ヨ・ラ・テンゴ,フランク・ブラック
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とある音楽プロデューサーがヘドウィグのトリビュートアルバムを作って、その売り上げをヘトリック&マーティン協会に寄付しようとするさまを映し出したドキュメンタリー映画です。

私は全く知らなかったのですが、ヘトリック&マーティン協会とはLGBTQの青少年をサポートするNPO団体なのだそうです。その団体の活動の1つとして「ハーヴェイ・ミルク高校」があります。この高校では、他の学校でいじめにあったり、家庭に問題があったりして、安全な学校生活を送れなかった子どもたち(主にLGBTQの若者)が通っています。このドキュメンタリー映画の時点ではまだ公立高校ではありませんでした。
この高校については、こちらの記事が詳しく大変わかりやすかったです。

でもそんなことを知らなくても、このドキュメンタリー映画を見るのに問題はありません。
なんならヘドウィグの音楽を知らなくても、問題ありません。
そして、このヘドウィグの歌を歌う大物らしい歌手たちを知らなくても問題ないはず。(たぶんオノ・ヨーコシンディー・ローパーしか分からなかった私)

この高校に通う数人の生徒たちの悩みや生活とヘドウィグアンドアングリーインチの楽曲を歌う大物アーティストのレコーディング風景が重ねられて映し出されるんですが、これが本当に心に迫ってくるのです。

私は元の映画よりもこの映画の方が、訳詞がいいなと思いました。
Wicked Little Townという曲があるのですが、これを元の映画では「薄汚れた街」と訳しています。しかしこのドキュメンタリー映画では「邪悪な街」と訳しているのです。この方がヘドウィグがかつて住んで脱出した「ベルリンの壁」に囲われた東ベルリンの街のヘドウィグが持っていたイメージ、そしてトミーが理解を得られなかった「家庭」などいろいろなものの抽象であることが想像できます。

実際、ハーヴェイ・ミルク高校に通う生徒たちも、それぞれに「Wicked Little Town」から完全に脱出を図ったコや、まだまだその過程でもがいているコなどがいました。
この様子を見ながら、ハーヴェイ・ミルクの伝記映画「ミルク」
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の中でのセリフを思い出しました。ハーヴェイ・ミルクが、周りに誰も理解者おらず生きているのが苦しいと電話をかけてきたゲイの男のコに「家を出て、都会に来るんだ」とアドバイスするセリフです。

映画の内容はあんまり覚えていないのですが、この一言がとても印象的だったんですね。確かに都会の方が彼らに対する理解は高く、何より同じ悩みを持つ人々に出会える。
それだけでは問題は解決しないけれど、少なくとも「1人ではない」と思えることは心を少しばかり救ってくれると思うのです。

ハーヴェイ・ミルク高校に通う生徒のセクシュアリティーはさまざまです。
その中で性別は男、心は女性、心に見た目を合わせたいと願う可愛い女のコが登場します。
彼女は家族とともに生活をしているのですが、家族は彼女を理解してくれず苦しんでいます。そのため、彼女は自傷を繰り返しているんですけれど、その言葉が衝撃でした。
自傷にはそんな感覚があるのか、そんな意味があるのかと。
ぜひこの映画を見て、彼女の言葉を聞いてもらいたいです。

そんな彼女が、プロムのためにドレスを買い、ヘアサロンに通うときに流れるのがWig In A Boxです。
もう曲の内容と美しくなっていく彼女の様子が素晴らしくマッチしていて、思わず涙

生徒たちの中には、家族を愛していてだから家族の望むように生きられなかったことを苦しく思っているコの他にも、家族を完全に見限って、この団体のサポートプログラムによって自立しているコや、家族の理解を得ているコなどさまざまいます。

後者2人にしても、それでも彼らの中に傷や哀しみがあり、だからヘドウィグアンドアングリーインチの曲とあうのだな、としみじみ思いました。
ヘドウィグの中にある淋しさ。
誰もが抱えている淋しさ。
それがやっぱり私にとっては魅力なのかもしれません。

そのヘドウィグアンドアングリーインチでも最後に歌われるMidnight Radioは、ヘドウィグが全てを受け入れ、観客に哀しみは去った、あなたたちは輝いている、というような内容の曲なのですが、これをシンディー・ローパーが歌います。しかも、映像はハーヴェイ・ミルク高校の卒業式です。泣くに決まってるじゃないですか!ずるい!

この曲の中には、ヘドウィグが憧れたロックスターの名前が登場するのですが(そして例によって例のごとく洋楽に明るくない私が知っているのはオノ・ヨーコだけなのですけれどね)、彼らの名前を叫んだあとに、and ME、と続きます。
このMEシンディー・ローパーが叫ぶホンモノ感!震えますので、ぜひ聴いてください!
この歌を聴くだけでも、この映画には価値があります。

ところで、私は先週のヘドウィグアンドザアングリーインチの感想の中で、ヘドウィグに代名詞を使いませんでした。ヘドウィグにふさわしい代名詞がなかったからです。ヘドウィグの身体は男でもなく女でもない。そして心はヘドウィグという人である、としかいいようがないのです。
そして、それはたぶん私たちみんな、そうなんだと思います。
今回、ハーヴェイ・ミルク高校に通う生徒で代名詞を「彼女」にしたのは、恐らくあの生徒自身が「彼女」と呼ばれたがっている気がしたからです。
心の中は1人ひとりが違うのだということを、改めて感じさせてくれた本当にいいドキュメンタリー映画でした。

それにしても、この映画で紹介されるサポートシステムの素晴らしいこと。学校に通うこと、働くことを条件に家賃はタダ、大学進学も援助してくれるんだそうです。セクシュアリティーに関わらず、こういう子どもサポートシステムが米国には存在すると思われます。
私も何かできないものかなあと思いつつ、自分を振り返るとなんだか情けなくなってしまいました。