こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

愛おしさと切なさと淋しさと@ヘドウィグアンドザアングリーインチ スペシャルショー

10/17(火)18:00~ NHKホール(大阪)
ヘドウィグ ジョン・キャメロン・ミッチェル
イツァーク 中村中
演出/ヨリコ・ジュン

twitterをはじめてから少しした頃だったと思います。
こんなツイートを見ました。

見に行かなくても死なないから

この言葉がとても衝撃だったのです。
なぜかというと、私は心のどこかで「この舞台、今見逃したら死ぬ!」くらいのことを思っていたように感じたからです。
それ以降、「見逃しても死なない」と言い聞かせて、お財布と相談しながら見に行くようになった…と思っています。
それでも、「見逃したら死ぬ!」と思ってしまう公演があるのです。
これがそうでした。

私とヘドウィグとの出会いはもちろん映画の方。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]
ジョン・キャメロン・ミッチェル,ミリアム・ショア,マイケル・ピット,アンドレア・マーティン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント



正直はじめて映画を見たときは、ストーリーはほとんど理解できませんでした。
何が起こったのか、何が言いたかったのかも分かりませんでした。
ただヘドウィグが可愛くて魅せられて、そして、なぜか一抹の淋しさの中に取り残されました。

この映画が元々は舞台だったと知り、原型を見たいと三上博史主演の初演、山本耕史主演の再演と見に行きましたが、なぜか夢中になれず、ただ疲れてしまったのです。
だから、私はこの作品は舞台版ではなくて映画が好きなんだと思っていました。

けれど、2014年のトニー賞ニール・パトリック・ハリスのこのヘドウィグを見たとき、


なんてキュートなんだ!と大興奮。
そして、私は映画から入ったがために、映画と同様のキュートさを無意識にヘドウィグに求めていたのかもしれないなと思ったのです。
だから、今回、映画のヘドウィグを演じたジョン・キャメロン・ミッチェルでこの作品を日本で見れると知ったとき、これを見逃したら死ぬ!とまで思ったわけですね。実際、見逃していたら死ぬときまで後悔したと思います。

ジョン・キャメロン・ミッチェルとヘドウィグはほぼほぼ「同一人物」です。
ジョン・キャメロン・ミッチェルが演じはじめ、最終的に作り上げたのがこの「ヘドウィグアンドザアングリーインチ」という作品です。
だから、今回見たヘドウィグは紛れもなくヘドウィグそのものでした。

ヘドウィグが映画と同じくマントを広げて登場した瞬間、鳥肌!
(マントの文字はちゃんと“HELLO OSAKA”になっていて、トミーのライブ会場は本当にNHKホールからほど近い大阪城ホールになっていました!細かい調整にもサービス精神を感じて感激!もちろん、ジョンは大阪弁も喋ってくれました)
今までの観劇で味わったことのない血が逆流する感じ。
これが熱狂、というものなのでしょうか。

過去2回の観劇を思っても、この作品にNHKホールが広すぎる空間であることは知っていました。
しかも私が手にしたチケットは二階の端っこの方。
遠くからしか見られません。
なのに、その広すぎる空間をものともしない本物の熱狂が渦巻いて、本当にライブホールにいるかのような錯覚に陥りました。
ああ、これが、本当の「ヘドウィグアンドザアングリーインチ」の世界なんだと、ジョン・キャメロン・ミッチェルは出てきただけで知らしめたのです。

今回は「スペシャルショー」という副題がついています。
これは残念ながら、ジョン・キャメロン・ミッチェルが全てをパフォーマンスしてくれないことを意味していました。
もちろん、できれば、ジョン・キャメロン・ミッチェルがヘドウィグとして語ってくれるのを見たかったです。
けれども言葉の問題がある中で、私程度の英語力だと字幕があるとどうしてもそちらに目がいってしまう。
もはや字幕なしでやってくれても良かったんですけれど、日本公演である以上そうもいかないでしょう。
結果としての「スペシャルショー」は、ジョン・キャメロン・ミッチェルが歌だけ歌い、イツァークの中村中が、ヘドウィグの分身として、語りの部分ではヘドウィグになって日本語で話すというスタイルになっていました。好みの問題はあるでしょうが、私はこれは「来日公演」の一つの形としてありだな、と思っています。

中村中のイツァークを見るのは二度目なんですけれど、そういうスタイルになっていたので、前回とは全く違っていて、本当に良かったです。
彼女自身とヘドウィグという存在が重なるところ、違うところ、そういうのが見え隠れして、とても面白い試みになっていましたし、よく演じられていました。彼女がトランスジェンダーであることで、ヘドウィグは望んで性転換手術を受けたわけではなかったのだということに改めて気付かされたのも良かったです。

まあ、セットやスクリーンの映像については改善の余地がたっぷりとありましたし、私は全く見てなかったので気にならなかったのですが、バンドメンバー(アングリーインチ)たちの服装も統一性がなく酷かったらしいです。
字幕についても非常に読みづらかったのですが、これはもう敢えて見えづらくしているのだと思いました。歌詞なんか気にするな、ジョン・キャメロン・ミッチェルの歌だけに集中しろ、という意味だと捉えました(笑)

そして、そんな粗はジョン・キャメロン・ミッチェルのヘドウィグの前に全て消え去りました。
最初の着飾ったヘドウィグから、曲に合わせてだんだんと装飾の少ない衣装になり、カツラのボリュームもなくなっていくたびに、ヘドウィグがより可愛らしくなるのです。
ヘドウィグを覆っていた鎧が少しずつ剥がれていって、ヘドウィグそのものが見えてくる。淋しい、淋しいと訴えてるような気がしてきたのです。
その声が、歌声がどんどんと切なさを帯びてくる。
そして、最後、カツラを脱いで、黒い短パンとTシャツ姿になったヘドウィグはまるで産まれたての赤ちゃんのようにどこまでも透明でピュアで、哀しいくらいに美しく、光に呑み込まれていく最後は、ただただ涙がこぼれました。

そうなんです、映画のヘドウィグはずっと何か欠けていて、淋しそうだった。それがキュートで、愛おしく、よく分からないながらも心に残ったのだと思います。
当たり前だけどその同じヘドウィグが、生の声で歌うのは、映画よりもずっとダイレクトにその淋しさが切々と心に注ぎ込まれてきたのです。その淋しさはたぶん誰の心にもあるもので、だから、ヘドウィグはこんなにも愛されるのだと思いました。

そしてこのヘドウィグはジョン・キャメロン・ミッチェル以外は出来ないのだと痛感しました。
だから本当に遠くからでも彼のヘドウィグを見れたことを感謝しました。

彼のヘドウィグを日本まで連れてきてくれた方、本当に本当にありがとうございます。
そして、はるばる日本に来てくれたジョン、本当にありがとう!
あなたのヘドウィグの可愛らしさと淋しさを忘れることはないでしょう。

さらにアンコールに新しいミュージカル曲、the END of Loveも披露してくれて、good night!と叫んでもなりやまない拍手に、出てきてちょっと訳しにくいコメントの後(ちょっとだけ下ネタ入ったので笑 中さんもこの辺のことは訳さないけど、とぼかしてました笑)、GO HOME!と言われました笑

いやあ、役者から「帰れ」て言われたの、初めてですw それも合わせて本当に素晴らしい2時間弱のひと時でした。

ところで、このポスター、めっちゃステキじゃないですか?

そして唯一のグッズだったTシャツもめっちゃステキなデザインだったんですが、もちろんのこと東京公演で完売。
確か、RENTの最初の来日公演も売り切れになったグッズがあって、どうしても欲しかったので、その場で申し込んで後に送ってもらった記憶がぼんやりあるんですけど、そんな対応は取れなかったんでしょうか。
せっかくステキなグラフィックデザインなのに残念すぎます
ぜひとも次回別の公演でもこういう自体が起こったら検討していただきたいものです。