こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

演出で魅せる@宝塚月組「グランドホテル」「カルーセル輪舞曲」

1月7日(土)15:00~ 宝塚大劇場
グランドホテル・キャスト
フェリックス・フォン・ガイゲルン男爵 珠城 りょう
エリザヴェッタ・グルーシンスカヤ 愛希 れいか
オットー・クリンゲライン 美弥 るりか
オッテルンシュラーグ 夏美 よう
ライジング 華形 ひかる
フリーダ・フラム[フラムシェン] 早乙女 わかば
ラファエラ  暁 千星
エリック 朝美 絢

大変遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
新年早々、遅々としたスタートではありますが、のんびり今年も更新していけたらと思っておりますので、お付き合いいただけると幸いでございます。

そして、2017年最初の観劇はトミー・チューン版「グランドホテル」と相成りました。

宝塚歌劇団ホームページより

1989年宝塚歌劇初観劇のアラフォー・おといーぬはもちろん1993年の初演月組をご覧よね?とお思いになられた方、すみません、答えはNOです
私、実はこの本公演を見ていないのです。
なので、涼風真世(カナメ)さまのオットーも、麻乃佳世(よしこ)さまのフラムシェンも、天海祐希(ユリ)さまのラファエラも久世星佳さまの男爵も見ていないのです…。
でも、なぜか「新人公演」は見ておりましてね。
今となってはある意味レアな、1回切りの観劇でした。

「新人公演」ですから、若手が演じるわけで、精度的には高いものじゃなかったと思うのです。
しかしながら、ティーンエイジャー・おといーぬはひどく興奮し、感動した記憶だけが残っておりました。
なんか、椅子とバーと回転扉がすごかったぞ、という強烈な印象とともに。

その後、オトナになって、二度「グランドホテル」を観劇したわけなんですけれど、見るたび、あの「椅子」の記憶ってなんだったんだろう、ということが頭を掠めておりました。

その答えがやっと分かりました!
トミー・チューン版「グランドホテル」、すんばらしかったです!

あ、ストーリーとかは、昨年のトム・サザーランド版よりどうぞ
(すみません、この時、曲が追加されている、と書いているのですが、この度調べたところ、元々トミー・チューン氏がミュージカル化する過程で追加されていたのですね

で、何がすごいって、やっぱり「椅子」がすごいのですよ。
舞台にはセットらしきセットはありません。
いわゆる「大道具」と「小道具」しか存在しないのですよね。
まあ、「グランドホテル」の中での出来事、なので、ホテル内のセットさえあればいいんですけれど、それでも、客室、ロビー、バーなど、ホテル内の色んな箇所が場面としてあるわけなんです。
それを全部、椅子とバーだけで見せるんですよ!
そして、奥には、象徴的な出演者の手で回される回転扉。
これだけで、いえ、これだけだから、より「グランドホテル」という閉塞感の中で、いくつかの人生にスポットライトが当たっているのだ、ということが際立つのです。
もちろん、シーンとして必要な「椅子」も登場します。
けれど、まず舞台上を取り囲む「椅子」とそれに座る、そのシーンに登場しない出演者たち、という構図がもう!
そのシーンに登場しない出演者たちが「椅子」に座って、演ずる人々を見ているのですね。
そして、私たちは「それ」を見ている。
この二重構造が色んなものを「見せて」くるのです。
そうすると、芝居は無限大に膨らみます。考えます。
回る時代、回る人生。生きること、死ぬこと。
失われる命、新しい命。


それらは、全て、命あるものの営みであること。
命をつなぐ、1つの小道具。

この膨らみこそが「演出」と呼ぶべきものだと、痛感いたしました。
そして、「演出」で魅せられたら、舞台はそれだけで素晴らしいものになり得るのだ、ということも思いました。

いえ、キャストに不満がある、とかではありません。
とりわけ、グルーシンスカヤを演じた愛希れいかさん(ちゃぴ)は圧巻のパフォーマンス!

宝塚歌劇団ホームページより

トミー・チューン氏のすごいところは演出だけではなくて、振付もでしてね。
素晴らしい振り付けというものは、往々にして難しいのです。
特に今回は「チャールストン」を基本とした振付で、100%完璧に普通のダンスを踊りこなせる人が、さらにそこから「力を抜いて」踊らなくてはならないため、水準以上のダンス力がないと実際できないと思うんですよ。
おかげで、全体的にこの振付に振り回されていた印象のある中で、ちゃぴだけが、余裕で振付をこなし、歌い、本人の実年齢よりもかなり上である「中年の女」の演技も完璧にこなしてしまうという凄さ
プライドと可愛らしさのある「中年のバレリーナ」がそこにいて、本当にひれ伏す思いでした。
特に、初演ではグルーシンスカヤは主役扱いではなかったので割愛されていたと思われる「ボンジュール・アムール」が素晴らしかったです!
あの細かな振付を、完全に演技と歌の一部にしてしまっている凄さ。
ぽかーんと見てしまいました。

もちろん、男爵のトップスター珠城りょうさん(たまきち)も若く、品よく、格好よく、持ち味にあっていましたし、美弥るりかさん(みやちゃん)のオットーも可愛らしく愛すべき普通の人でしたし、何より役替わりのフラムシェン、早乙女わかばさんが、これぞフラムシェンて感じでした。
平均よりは美人で、それを自分で知っていて、それゆえに考えが甘いけれど、したたかに人生を生きていく感じ。
ただ、それだけ合っていただけに、フラムシェンの見せ場であるダンスシーンで踊り切れていなかったのが残念だっただけなのです。

というか、私、初演の新人公演で覚えているシーンがこのフラムシェンのダンスシーンだけでして
そもそも、私が本公演のチケットが取れなかったからと新人公演に行ったのは、ここに理由の一つがあったんですよね。
新人公演のフラムシェン、ダンスが得意な風花舞さんがやられたんです。
そのダンスが、バーと椅子の演出と相まって、すっごく格好良かった、という印象だけが残っていたのです。
それが、わかばちゃんで見ると、少し物足りなかったのですね。すみません

正直に、歌唱面においても全体的に足りなさを感じましたが、恐らく私が見た「新人公演」も同程度だったはず。
だけど、ティーンエイジャー・おといーぬが「ブロードウェイってこんなに格好良いんだ…!」と思ったのは、一重に演出のおかげだったのだなあと思います。

初演、本当に覚えていないのが悔しいのですが、恐らく、主演が男爵とグルーシンスカヤになることで、色々と変更があったと思われます。
(そもそも120分の作品が宝塚版は短くなっています)
その変更も含めて、素晴らしい演出で、20年以上たっても古さを感じさせないので、ぜひとも舞台ファンの方には一度見ていただきたいです。
ショーもレビューというには華やかさ不足は否めませんが、過不足なくキレイで楽しいです。

ところで、トム・サザーランド版のGREENの演出は、ラストシーンでこの時代(1928年ベルリン)を感じさせるものが差し込まれていて、それが強烈だったのですが、それを念頭に置いて今回見ると、トミー・チューン版でも比喩するような演出がめっちゃ格好いい方法で入っているんですよね。
でも、それを念頭に置くほうがいいか、と言われると私自身は、それなしでも見られるトミー・チューン版が普遍性があって好きです。

だって、その時代かどうかなんて、その時代を生きているときには分からないじゃないですか。
私、いわゆるロスジェネ世代の人なんですが、その真っ最中のとき、仕事を得るって大変なんだ…とは思ったけれど、まさかそれが後々に「ロスト・ジェネレーション」なんて名前をつけられるほど深刻だったなんて分かりませんでした。
この「グランドホテル」の後にやってくる時代は、そんなものとは比べられないですけれど、実際にフラムシェンは「そんなこと」を知ろうともしないで、今目の前にある現実を生きているわけで、それって普通の人なんだと思うわけですよ。
彼女の未来がどうなるかなんて、彼女自身にも分からない。
だから、私はこのトミー・チューン版が心に響いたのだなと思います。
彼らは私たちで、私たちは彼らなんだと。

そして、こんなに感動した記憶さえ、初演のときにように消えていくのか、と思うと哀しさすら覚えたのと、あの「椅子」を上から見てみたい、との思いが止まらず、数年ぶりにチケット追加しちゃいました 

ということで、今年も「節約」の目標はのっけから達成できませんでした
でも2階から見てみたい!と思える演出に出会えることは、そうそうないので、2回目も楽しみにしています