1/13(月・祝)13:30~ 京都劇場
スタッフ・キャスト表はこちら。
わたしがロンドンで3度、来日公演で1度見ているフランス・ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」とは原作は同じでも違う作品です。
英語タイトルは「Hunchback of Notre dame」となっているので、日本語訳として有名だった「ノートルダムのせむし男」が英語になっている感じです。
アラン・メンケンが作曲しているので、ディズニーアニメ版「ノートルダムの鐘」をミュージカル化したのかと思っていたら、一部同じ曲は使っていても歌詞が違ったり、キャラクター設定や物語の結末も違っていたりするようです。
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ストーリーはこんな感じ。
聖職者を目指すフロローの弟は放蕩者で、ジプシーの女性と駆け落ちし、子どもをなす。
死の間際、駆け付けたフロローにその子どもを預けるが、その子どもは醜い容姿をしていたため、フロローは「出来損ない」という意味のカジモドという名前をつけ、ノートルダム大聖堂の鐘楼に閉じ込め、鐘衝きとして育てる。
司教となったフロローは、外の世界は醜いカジモドにとって危険だと言い聞かせ、自分だけが保護するものだと洗脳する。
しかし外の世界への憧れを募らせるカジモドは、ある祭りの晩、大聖堂を飛び出しパリの町に出て、ジプシーの踊り子・エスメラルダと出会う。
エスメラルダのすすめで、とある祭りのイベントに出場したカジモドは、その容姿の醜さを民衆からあざ笑われ、暴力にあい、大聖堂に逃げ帰る。
このような結果になってしまったことに心痛めたエスメラルダはカジモドに謝罪しようと大聖堂へやってくる。心を通わせるカジモドとエスメラルダ。
一方でエスメラルダの踊っている姿を見たフロローも、大聖堂の護衛隊長フィーバスもエスメラルダに惹かれ・・・。
正直フランスミュージカル版の「ノートルダム・ド・パリ」を見た時には話しは一切分からず、その演出方法のせいもあって、主要キャラクターのストーリーには何の関心も抱かずに、ただ目の前で繰り広げられる夢のようなパフォーマンスに心奪われていたのです。
来日公演のときにやっと内容を知り、友人の「フロローが粘着質な恋心と宗教心のはざまで揺れ動く気持ちを見るのがいい」というような言葉にそんなもんか、と思った程度でした。
しかしこのスコット・シュワルツ版ミュージカル「ノートルダムの鐘」で描かれるのは、愛憎の紙一重、正常と狂気の紙一重ではなくて、「怪物と人間」の紙一重でした。
演出からして、前段が終わってカジモド役が登場するとその顔に墨を塗り、目の前で醜く変身させるのです。
そして「怪物と人間 どこに違いがあるか」というような問いかけがあります。
その後、起こる事件や駆け引きを通じて「怪物」と「人間」の違いは何なのか、を考えさせるというのは「BAT BOY the musical」を思い出させるなあと思っていたら、なんと「BAT BOY the musical」も同じスコット・シュワルツの演出だったのですね。
これもたまたまロンドンで見て、日本版も見たのですが、こちらの最期の絶叫「I'm animal」に比べると、「ノートルダムの鐘」は全体に柔らかい印象を受けました。
そしてこの柔らかさ、問題提示の分かりやすさがこの作品を日本で受け入れやすくしたのではないかと個人的には思っています。
石像たちがたびたび登場人物の心情や、ストーリーの展開をセリフで説明してくれるという小劇場演劇っぽい手法を取っていて、取り立てて面白い演出方法ではないのですが、これも「わかりやすい」という意味では効果をなしている気がします。
そして「何をもって人間というのか」というのはスコット・シュワルツ氏の永遠のテーマで、観客に提示したい問題なのだな、というのがよくわかりました。
その辺に好き嫌いはでそうですが、アラン・メンケン&スティーヴン・シュワルツコンビの音楽がとにかくいい!素晴らしい!
フランスミュージカル版「ノートルダム・ド・パリ」の音楽が個人的にあまり好みではなかったというか、あんまり耳に残らなかったのですが、こちらは聞いている途中でも「この曲好き」と思わせる力がありました。まあこれももちろん好みの問題です。
そして好みというと、前述した友人のフロローに対する解釈、これは完全に好みがわかれるところではないでしょうか。
この「ノートルダムの鐘」のフロローはどこにも同情する余地のない人物です。
エスメラルダへの恋も恋と言っていいのか。自分の中に湧き出た感情を自分の知っている範囲でしか解釈できず、都合の悪いことは全部相手のせいにする。
あげくの果てに権力行使して、罪人に仕立て上げるさまはゾっとしました。
また演じられた野中万寿夫さんの見た目がグレイヘアで真面目一直線のおじさん、という感じだったので、今まで見た色気を残した「男」としてのフロローとは一線を画していたのも、そう感じた理由かもしれません。
こういう狭い考え方しかできない人物が、絶対的に自分は「正しい」と信じて疑わない人物が、権力を握ることへの恐怖感。
スコット・シュワルツ氏は「何が人間で、何が怪物か」の「問い」をフロローという人物に課したのかもしれません。
その分、エスメラルダへの愛憎で揺れ動く人間らしさ的なものは全く感じることはできず、結果的にエスメラルダそのものが「ファム・ファタール」的な位置づけにならなかったのは残念ではあります。
それでもエスメラルダを演じた松山育恵さんの踊りが美しくて、「エスメラルダの踊りに惹かれた」という部分がものすごく納得できたのがよかったです。フランスミュージカルは分業制ですから、歌のあるエスメラルダは歌手が演じることが多く、その「踊り」を魅せられる部分が少なかったことを思うと、「エスメラルダの踊り」を魅せてこれたのは、原作にも近くすばらしかった点でした。
「ノートルダム・ド・パリ」と違って、タイトルも「ノートルダムのせむし男」であるこの「ノートルダムの鐘」の主役はカジモドです。
その分エスメラルダやフィーバスのそこそこに込み入った恋愛事情を描かれなかった部分は残念ですが、カジモドの寺元健一郎さんがまたよかった。
元々の素顔もイケメンの部類だとは思うのですが、醜いカジモドを演じているときの方がずっとかわいらしく、愛おしい存在だったのです。
きれいはきたない、きたないはきれい。
カジモドという人物にはそういう部分が求められると思うのですが、そこを軽々クリアしていて、とても惹かれました。
フランスミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」とこのスコット・シュワルツ版「ノートルダムのせむし男」どっちがいいか、というのは、「オペラ座の怪人」と「ファントム」どっちが好きか、と同じかもしれません。
個人的にはフランスミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」の振り付けとパフォーマンスがもたらした幻想的な光景ほどには、この「ノートルダムの鐘」には夢中になれる部分はありませんでしたが、日本ではこちらの方が好きな人が多いのではないかと思いますし、十分に興味深い作品でした。