こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ロミオ&ジュリエット

10月9日(土)12:30~ 梅田芸術劇場
潤色・演出 小池修一郎
振付 TETSUHARU(増田哲治)

ロミオ:山崎育三郎
ジュリエット:昆夏美
ベンヴォーリオ:浦井健治
ティボルト:平方元基
マーキューシオ:石井一彰
パリス役:岡田亮輔

キャピュレット卿:石川禅
ロレンス神父:安崎求
モンタギュー夫人:大鳥れい
ヴェローナ大公役:中山昇
モンタギュー卿:ひのあらた
乳母役:未来優希
キャピュレット夫人:涼風真世

死のダンサー役:大貫勇輔

はじめてフランス・ミュージカルを見たのは2002年の夏、ロンドンでだった。
ノートルダム・ド・パリ」は私に非常に衝撃を与えた。
最初に「エリザベート」を見たときはクラシックと融合されたことによる重厚なロックの音楽に、「RENT」はヒップホップやゴスペルも入りつつ、きっちり現代のロックの音楽と現実を舞台に乗せてきたことに衝撃を受けた。その当時の私の「ミュージカル」という既成概念を打ち破られた感じがこの二作品にはあった。
そして、「ノートルダム・ド・パリ」が打ち破った私の既成概念は、ミュージカルにおける振り付けだった。さすがローラン・プティベジャールを生み出した国だと思った。アーティステックで前衛的なムーブメント、それこそが私のフランスミュージカルに置ける最大の魅力だった。
フランス版ロミオ&ジュリエットをDVDで見ると、その素晴らしい振り付けは顕在。さらに「死」が一つの街を覆いつくし、人々を翻弄し、押しつぶす、という「ロミオとジュリエット」の色づけ方が非常に面白いと思った。
だから、宝塚で上演されると聞いたとき、そういう作品が見れると思ってしまったことがまず間違いだったのだな、と今回の日本版を見てようやく理解した。
宝塚版を「愛」が投入され、甘くきらきらした恋物語にしたのは、改めて小池修一郎の素晴らしい宝塚用のアダプテーションだったと今回気づいた。
そして、今回の日本版は、少なくともDVDでこの作品を見たときに、私がほしかった要素の最低限は保たれている。その上で日本版として現代に色づけ直したのは本当に面白かった。

現代を強調するあまり、マブダチとかfacebookとか、言葉だけが浮きだっていて上手く使いこなせていない部分もあったけれど、逆に「携帯」の存在はよく物語に溶け込んでいて、面白く感じた。片一方が持っていないと役に立たない機械。何でもできるからこそ、それに頼って確認を怠る感じ。携帯世代ゆえのすれ違いは私は妙にリアルに感じた。
また、宝塚版にはなかったキャピュレット夫人の告白ソングは、ジュリエットの両親への反発をスムーズに感じさせ、ジュリエットの気持ちの流れを宝塚版よりスムーズに見せていたのも好感が持てる。

何より、そこに溶け込んでいる「死」が面白い。フランス版では「死」は空気のように覆いつくす人外の存在に見えたけれども、今回の日本版は風景に溶け込んで、そっとやってくるイメージ。女性体であったフランス版と男性体である日本版の違いかもしれない。同じなのはダンサーであるということ。日本版の振り付けはとりわけて素晴らしいこともなかったけれど、それでもダンサーのムーブメントの見事さを堪能させてくれるものであった。「僕は怖い」ではダンサーに釘付け。そして、それこそが、私が見たかった「ロミオ&ジュリエット」なのだと痛感した。

そんなわけで、私は日本版「ロミオ&ジュリエット」を大いに楽しんだ。これを日本初演、ということに反感を持たれている方もおられるが、私はやっぱりこれが日本初演だと思う。宝塚版はやっぱりあくまでもフランス版「ロミオ&ジュリエット」の音楽を借りた「宝塚」だと思う。そして、それはそれとして、非常に素晴らしく出来ていた。宝塚の「エリザベート」がそうであったように。

山崎育三郎は演技は単調ながら、甘い歌声がロミオに良く似合う。昆ジュリエットは歌はまだ厳しいところもあったけれど、初舞台のひたむきさが役に通ずるものがあって好感。ヴェローナ大公役、中山昇の場の締め方がいい。そして、キャピュレット夫人、涼風真世のとりわけ最初の「憎しみ」の歌声に震撼。
衣装は方向性は面白いのだけれど、色使いに不満が残ったのと、「世界の王」と「HAHAHA」の振り付けがアイドルっぽかったのはいただけなかったが、全体に非常に面白い「日本版」だと思った。