9/14(金)13:00~ 宝塚大劇場

トート 珠城 りょう
エリザベート 愛希 れいか
フランツ・ヨーゼフ 美弥 るりか
ルイジ・ルキーニ 月城 かなと
ルドルフ 暁 千星
ゾフィー 憧花 ゆりの
マダム・ヴォルフ 白雪 さち花
エルマー 蓮 つかさ
ヴィンディッシュ嬢 海乃 美月
なんと宝塚のエリザベートを見るにはこの宙組版
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MASTERPIECE COLLECTION【リマスターBlu-ray版】『エリザベート-愛と死の輪舞-』('98年宙組) |
| 姿月あさと,花總まり,和央ようか,湖月わたる,朝海ひかる | |
| 宝塚クリエイティブアーツ |
以来のことになります。
東宝版も2010年版(瀬奈じゅんエリザベート×城田優トート)以来になりますので、8年振りのエリザベートでした。
もはや宝塚の代表作の一つにもなっている作品ですので、あらすじを紹介するのもどうかなとも思ったのですが、一応さらっと書いておきます。
第一次世界大戦がはじまる60年ほど前、ハプスブルク家がまだオーストリアで権力を握っていたころ、バイエルン王家の次女エリザベート(愛称:シシィ)は父親と自由を愛する気ままな少女だった。黄泉の帝王「トート(死)」をもを惹きつける魅力は、姉のお見合い相手だったオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ2世の目にも留まり、二人は結婚し、シシィはオーストリア皇后となる。
しかしながら、自由奔放に育った田舎のお嬢さまシシィは堅苦しい宮廷になじめず、姑ともそりがあわず孤立していく。
そんなシシィの前に何度も「トート(死)」が現れ、死に誘う。シシィは拒否しつづけるが、孤独は深まり、ついに宮廷を飛び出し、さすらいの旅に出る。
ウィーンで作られたこのミュージカルを宝塚に輸入するにあたり、男役トップスターを主役にしなければならないという宝塚ルールにより、宝塚版のエリザベートは「トートがシシィに恋をする」という小池修一郎先生による大いなる潤色が施されています。
ということで、宝塚版は「トートとエリザベートの恋物語」として見るのが正しい見方なのだとは思うのですが、わたしは初演雪組に続く星組で上演されたものを見たときから「トートとはシシィの死への渇望が具象化した存在」と考えています。
シシィは歌にもあるように「ただの少女」で、わたしたちとそう変わらない。
シシィと姑・ゾフィーとの関係ややり取りだって、現在にもありえるでしょう。
嫌なことが起こって、それが続いて、逃げ出したくなることも、それでも放り出す勇気もなくて、「ああ、このまま死んでしまえばラクになるのかな」なんて考える日は、少なくともわたしには数えきれないくらいありました。
死にたい、わけではなく「死ねば今しんどい現実から逃げられる」という短絡的で甘い誘惑。
それこそがエリザベートにおける「トート(死)」だとわたしは捉えているのです。
日本語だから「トート」という響きが人名のように聞こえるけれど、ドイツ語ではまんま「死」と呼ばれているわけですしね。
とりわけシシィが夫に「母親か自分かを選べ」と突きつける最後通告のシーン。
演じる人によって違うのですが、今回の愛希れいかさん(ちゃぴ)のシシィもこのシーンで「弱気になって、自分に癒しを求める夫」を拒否することで、多少なりとも自分も傷ついているようでした。
そんなときにそっとやってくるのです、「死」という名の誘惑が。
でもここでシシィは誘惑をはねつける。
まだ人生を諦めるには早い。
まだ「死」を選びはしないと。
そして彼女は改めて「自分」を貫き通して生きていくと宣言するのです。
でも、シシィが正しいか間違っているかは置いておいて「どこでも自分を貫き通す」のは簡単ではない。はっきり言って、自分と世間との闘いです。
その孤独な闘いに共感できるシシィだと、わたしはこの作品を非常に面白く見ることができます。
そして愛希れいかは想像以上のシシィを作り上げてきました。
東宝版のエリザベートでは、わたしが見たシシィたちは年齢が高く、前半の少女の部分がどうしても厳しいし、ウィーン来日公演版も残念ながら若いアンダースタディの方だったため、後半の中年期のシシィが厳しかったのですが、ちゃぴのシシィは「パパみたいになりたい」でちゃんと可愛くてわがままな少女でした。
後半の中年期のシシィを演じられることは「グランドホテル」で証明済み。
少女から中年女性まで1人の女がきちんと歳を重ねていくリアルな演技が本当に素晴らしかったです。
その上で今まで見たシシィとはまた違う、ちゃぴならではのエリザベート像がありました。
ちゃぴのシシィを見ながら思い出していたのが、藤本ひとみさんが書かれたこの本
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皇妃エリザベート (講談社文庫) |
| 藤本ひとみ | |
| 講談社 |
のシシィでした。
自己愛が強く、人にあわせたり媚びたりすることができない高いプライドの持ち主。
白城あやかさんのシシィが圧倒的な女王として民衆を、そしてわたしたち観客を威圧した「エーヤン、ハンガリー」のシーンでは、少女らしいとまどいの中に強さを見せ、このセリフを言ったあとの「はじめて目に見える勝利」に興奮しているかのような表情が忘れられません。
今まで決して多くはないけれど、少なくはない回数エリザベートを見てきて、わたしにとって、このシーンの白城さんを超えるシシィはいなかったのですが、ちゃぴは違う方法で納得させてくれました。
ところで「死」がシシィの中にある誘惑であるという解釈で見ているわたしですが、もう一つ思っているのが、具象化されたあれは「シシィのこうありたい姿ではないか」ということです。
ちゃぴのシシィは傲慢でわがままです。自分を決して譲りません。その分、珠城りょうさんのトートはどこか誠実さや包容力を感じさせて、本当はちゃぴシシィもこんな風に素直に誠実に生きたかったのではないだろうかと思わせてくれました。
とはいえ、トートは誘惑ですからもう少し誘惑としてのセクシーさがあれば個人的には嬉しかったです。ドクトル・ゼーブルガーが本当のおじいちゃんみたいな扮装だったのは演出家の指示でしょうが、あそこは出来たらどこか危険な香りのするセクシーな男性像の方が好みでした。
一方のフランツ・ヨーゼフ2世(愛称:フランツィ)は現在でも賢明な王だったと賞賛されることが多いそうですが、エリザベートという作品の中では、やはり彼も「自分の要求ばかりを訴える」んですよね。シシィがそれ以上に「自分、自分」だからなんとなく流されがちなんですけれど、「疲れたから癒してほしい」とか、「一度きみが私の目で見てくれたら」とかフランツィも割と要求ばかりです。しかも自分は王族なのに恋愛結婚を通したくせに息子のルドルフには普通に政略結婚させて、彼の悩みには寄り添わないあたり、本当に「皇帝教育」の賜物だなあと思います。
美弥るりかさん(みやちゃん)のフランツィはそういう傲慢なところを、皇帝としての普通として、さりげなく感じさせるところが本当にすばらしかったのです。繊細さ、孤独、弱さ、ずるさ。それを美しく演じる、これこそが宝塚のフランツィの一つのあり方ではないでしょうか。
ということでちゃぴの完璧に作り上げたエリザベートとみやちゃんの傲慢で弱く美しいフランツィを再び見ることをとても楽しみにしていたのですが、台風24号のせいで前楽S席のチケットを取った公演が中止になってしまった哀しさ。
それでも、本日10/1に大劇場千秋楽を無事迎えられたこと嬉しく思います。
でもあの完璧に作り上げられたシシィを、出来たらまた見たいので、卒業後、今度は東宝版で演じてくれることを祈っています。
あとはキャストについてカンタンに箇条書きしておきます。
☆ゾフィーのすーさまもかんっぺきでした!理想的なゾフィーの歌声。強さとともに普通の姑でもあって、シシィのわがままさが際立ったところも面白かったです。すーさま、大好きでした。すーさまのゾフィーも本当にもう一度見たかった(涙)ご卒業おめでとうございます。
☆月城さんルキーニ。はじめて月城さんを認識したのですが、確かに美人ですね。歌も演技も良かったです。ただ、ルキーニ役だからわざとかもしれませんが、少し身体の動かし方の雑さが気になりました。改善されているといいなと思います。
☆ありちゃんルドルフ。脆さと危うさがかわいらしさと相まって堪りませんでした。
☆くらげヴィンディシュ嬢が、これまた素晴らしかった。わりと今までみたヴィンディシュ嬢が狂気っぽさを前面に出していたのに対して、くらげのヴィンディシュ嬢は気高くて心から自分を「皇后エリザベート」だと信じきっているのだとわかりました。そこにホンモノが現れてバランスを崩していくさまが良かったです。
☆さちかマダム・ヴォルフ。宝塚の舞台としてのギリギリのエロさがサイコーでした!もちろん歌も!
そして、宝塚歌劇団と小池先生と珠城りょうさんにお願いを。
東京公演ではぜひ、最後のパレードの銀橋でトップ娘役さんに挨拶するところを、麻路さきさんのようにちゃぴの手にキスしてもらえませんか。
あれはサヨナラ公演で本来であれば主役であるはずのシシィ役に対する敬意を感じますし、なりより見ててキャッ♡となります(о´∀`о)←これで見終わってすぐ来週も行く!と大学さぼって平日当日券に並び、当時なけなしのお金をはたいてVHSを買ったくらいですから、やって損はないと思うのです(笑)
ところで最後に少し疑問があったので書かせてもらいます。前述したとおり、わたしが最後に宝塚版「エリザベート」を見た頃は「わたしが踊るとき」という歌はまだありませんでした。
そのため今回宝塚版でははじめて聞いたわけなんですけれど、あそこの歌詞に「カモメよ、私」とあるのにはじめて気づきました。
シシィのいとこで、有名なノイシュヴァンシュタイン城を作ったルートヴィヒ2世が、シシィをカモメと呼んでいたことはまあわりと知られてる話しではあるとは思うのですが、今回の舞台にはルートヴィヒ2世は登場しないし、わかりにくくないですか?
それともみんな、すんなり受け入れてるんでしょうか。まあその辺りも勉強しなさいよ、ってことなんでしょうか。
何はともあれ、わたしはいろいろな捉え方ができる「エリザベート」という作品がやっぱり好きみたいです。

