こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

RENTの思い出(個人的記録抜粋)

mixi日記から抜粋したRENTの思い出を自分のために置いておきます。

 

2006年4月26日

未経験の出来事に出会うとき、とりあえず、何とかその気持ちを想像してみて、どうしようかと考える。考えるけれど、やっぱりそれは上手くは行かない。結局のところ、あまりに分からなすぎて、後からやってくる事実を受けとめることしか出来ない。

昨日、珍しくドタバタした仕事を抜けて、RENTの日本映画公開記念のイベントに行く。最初どうなることかと思ったけれど(hirokoさんの変わりに、名前だけの代表代理として出演者の一人にご挨拶に行ったけど、自分のパンピーっぷりを実感ww)、最後にはLet's Sing Outで出会ったみなさんと一緒にステージに上がって主題歌「Seasons Of Love」を熱唱。楽しかった♪

RENTも見た最初の頃、音楽と歌声に圧倒されて、世紀末を生きるアーティスト志望の若者像に共感して、はまったけれども、その一方でニューヨークの話だなあ、という距離感があった。もちろん、その距離感は今でも私にある。というのは、ドラッグ、エイズ、死の恐怖にさらされる日々、というのが、私の中にはなかったから。でも昨日イベントに参加してみて、その距離感はニューヨークだから、ではなくて、単に私が色々なことに未経験だからあるもので、日本人でもこの感覚を身近に感じている人たちがいるのだなあ、としみじみ思った。

 

2006年4月29日

連休初日というのに、出勤するより30分も早く起床して、RENTの初回の整理券取りに並ぶ。初めは10人くらいだったのに、一時間後にはびっくりするような長蛇の列に。様子を見に来たbunkamuraの係りの人もかなり驚いていたのが可笑しかったw

10:40よりRENTを観賞。その後、みんなでランチ、更に噂のミュージカル専門CDショップ「すみや」へつぼちゃんに連れて行ってもらう。マニアな品揃えに一頻り盛り上がって、中国茶を飲みに行く。その後二回目を見に行ったこぢゃんさん&yossy、バレエのレッスンがあるつぼちゃんと一旦別れて、ライナスくんと時間潰しのマニアカラオケ。ひめぜんと一緒にミュージカル&宝塚を歌いまくりw そして、二回目が終わる時間帯を見計らって、再度bunkamuraへ。何故なら、初回観賞に参加出来なかったかずさちゃんの反応が見たかったから(笑)
映画館から出てきたかずさちゃんは、まるでデジャヴのような想像どおりの表情で、満足。

 

2006年5月3日

母とRENTムービーを見に行く。私はもれなく二回目。
13時からの上映に11時くらいにチケットを買いに行くと、後10人くらいのところで、RENTの残席僅かの表示。びっくり。大阪でここまで見に来る人はいようとは。
チケット売り場もRENTの曲ががんがんかかって、なんだか、大阪のような、そうでないような。
とりあえず二回目ということで一回目でジョアンヌに惚れ惚れしていたので、最初のSOLからジョアンヌに集中。格好良い。大阪の方が実際、笑いの部分は反応いいかなあと思っていたら、全然でその辺は期待外れではあったけれども、二回目を堪能。
昨日、美容院で読んでいた雑誌の映画コーナーにことごとくRENTの記事があって、その中でミミ役のロザリオ・ドーソンのインタビューがあった。そのインタビューの中で彼女が「オリジナル・キャストの人たちはみんなジョナサンを知っていて、それぞれにとても個人的な思いがあるから、その点で新しく入っていくのは緊張した」というようなことを述べていた。それを読んで、初めて、映画のオリジナル・キャストたちが生きていたジョナサンと時を過ごした人たちであることを意識したのだ。ファンとしては甘い限り。けれども、そう思うとエンジェルの葬式で歌う彼らの視線の向こうにエンジェルだけではなくて、ジョナサンの姿が見えるような気がした。

 

映画版「RENT」の感想

公開初日に「RENT」を見に行ってきた。
思った以上に良く映像化されていて、堪能。明後日にでも二回目を見に行く予定。我ながら、もうブームは去ったとか言いながら、やっぱり好きなんだなあと思ったりも。しかし、感極まるLSメンバー続出の中でそこまでこみ上げるものはなかった。舞台では必ず「I'LL COVER YOU」のリプライズで感情が抑えきれないのだけど、今回はそういうこともなかった。やっと映画になった感慨もなかった。理由を考えてみたりした。

その1 CONTACTのカット
このシーンは映画では丸々カットされているのだけど、本来のこのシーンの最後のコリンズのセリフ「IT'S OVER」が私の涙腺の引き金だったのではないかと思う。ミミ&ロジャー、モーリーン&ジョアンヌのOVERが恋愛関係の終止符なのに対して、コリンズのOVERは永遠の別れである。その対比。もう二度と戻らないもの。喪失感。なお溢れる愛情。そのセリフとともにリプライズを歌うことが、私の中では意味があったのかもしれない。

その2 光る軌跡がない街
映画ということで、舞台よりも背景がよりリアルである。彼らの街が本物のニューヨークとしてそこにある。しかし残念ながら、私の中にニューヨークへ対する思いがない。初めて見た頃のような憧れが今は皆無だ。むしろ若干アメリカに対する嫌悪感に似たようなものが昔よりもあったりする。映し出されるアメリカは今よりも少し昔だけど、それでもアメリカに対するファンタジーが失せて、ロジャーたちも「アメリカ人」に見えてしまった私の変化が、訴えかけてくるものを減少させたのかもしれない。

その3 ボヘミアン卒業
物心ついてから、幸せなことに、私にはずっと夢があった。それはいずれ、ロンドンで生活すること。年とともにそれに「芝居」が加わって、とりあえず一年ロンドンで生活してみて、その夢が終結する頃に、エジンバラ・フェスティバルへの参加、という新しい夢が差し出された。
最後にRENTの舞台を見たのは二回目の来日公演の時。まだ私はエジンバラの夢に走っているときで、まだまだロジャーたちと同じアーティスト志望の若者だった。ロジャーもマークもモーリーンも私の中にいる一部だった。死ぬ前に一曲、に近いことを真剣に思っていた。
でもそんな中から私はエジンバラで私の夢の全てを終結させて、流れて東京にやってきた。そして今がある。来年から始めてみようと思うことはあるけれど、それは単に本当に「生きるため」であって、夢ではない。かつて夢だけが全てだった自分がどれほどラッキーだったかを今更痛感する。ロジャーたちをうらやましく思い、遠い人に思えるようになってしまったことが最大の理由かな、と思った。

 

2006年6月19日

2003年の3/16に「ミー&マイガール」を見て、3/25に「トーマの心臓」を見てる。今年は6/4にミーマイ、6/17にトーマだから、ほぼ同間隔。その上、三ヵ月後の6/28に「tick,tick...BOOM!」を見ていたのだけど、今年もチケットを無事ゲット出来れば、10月の終わりにはTTBに行く計算。

2003年TTBの感想

個人的に「RENT」より魅力的だったのは、「RENT」はニューヨーカーの多くの問題を浮き彫りにしたが、この「TTB」のテーマはもっと身近なものだったところだ。追いかけたい夢、確実に年を取っていく現実。
ジョナサン・ラーソンは言う「『HAIR』のようなミュージカルを作りたいんだ。20代の若者を呼べるミュージカルを」でも、その夢を抱えたまま、現実にならず、20代の若者ではなくなっていく自分。彼の恐怖は現実に私自身も抱えた覚えのある恐怖だった。ジョナサンの感じる恐怖は「RENT」の若者たちのそれよりも、もっと身近で心に迫るものがある。

 

2006年7月19日

映画版RENTが公開になって、映画でRENTを初体験した人たちが熱く燃えているという話を聞く。

私がRENTを始めて見たのが、1998年の秋、ロンドンだった。とにかく、話題のミュージカルということで97年にNYに行った時見たかったけれど、チケットが入手できず、海外ミュージカル自体もそう体験したこともなかったので、いつか見たいなー程度で帰国して、翌年、ロンドンに観光旅行に行ったら、なんとハーフプライスチケットブース(現tkts)の掲示板に「RENT」が表示されていて、絶対これを見たいと、同行した母や友人を巻き込んで見に行った。正直、英語なんかさっぱり聞き取れず、話もさっぱり分からなかったけれど、とにかく、音楽と歌声に圧倒されて、翌日ピカデリーのタワーレコードで二枚組みのCDをすぐ購入して、帰国して歌詞カードとにらめっこしながら、毎日のように聞いていた。

その1、2週間後、日本語版のRENTを渡辺忠士(←ここ重要w)ロジャーで観劇。そのパンフレットでようやくあらずじの全貌を知る。時はまさしくミレニアム。私の年齢も22歳。アーティスト志望で、何も出来ずに夢を食べながら、したいことと出来ることの間を彷徨っていた若者だった。だから、出会う時期に出会うべくして出会ったミュージカルだと思った。
2000年に来日公演B(BENNY)ツアーを見るため東京遠征。それくらい、影響を与えて機動力となった作品なので、今始めて映画とは言え、この作品に出会った人たちが受ける衝撃も、この当時の自分のことを思うとすごく理解できるのだ。

 

2009年8月30日

日曜日は、惰眠を貪っていたら、メールが鳴る。
何事?と思ったら、ライナスくんから「もう選挙すませて赤坂に向かってるよー」とのこと。
びっくりし過ぎて飛び起きる。
でも、時間を見たらまだまだ10時前。
もしかして開演時間勘違いしてたかと思ったけれど、千秋楽限定Tシャツやらブレイクスルーやらに並ぶために早く出かけてるとのこと。ホッ。

この時点で、一般人のみなさんには何事?と思われることだろうが、
そういう伝説の公演が、実はこの夏赤坂で繰り広げられていたのだ。
で、この伝説の「RENT」を語るとき、多分、みんながそうだと思うのだけど、

自分とRENTの歴史

から述べたくなっちゃうのだ。どうしても。
そして、それが、私たちとRENTのつながりなんだと思う。

何にしろ、素晴らしい舞台が生まれる時、そのオリジナルキャスト、というのは伝説となる節がある。新しい舞台を作るからこそ、オリジナルキャストもまた、そのキャラクターに一番初めに息を吹き込むわけだから、彼らの作り上げるそのキャラクターがどうしてもベースとなる。
そして、やっぱり、最初、とにかく、山のものとも海のものとも分からないショーを手がけるにあたって、「最高のもの」を作り上げたい、そういう意志は、クリエーターとして強い。
そういうクリエーターのイメージをより的確により大きく表現できる人たちを選びたいと思うのは当然のこと。
結果、やっぱり「オリジナルキャスト」というのは伝説化する。

さて、日本に住んでいる身で、この「オリジナルキャスト」を見る機会というのは、実のところ、本当に低い。
毎年毎年NYに赴いて新作チェックをする、ぐらいじゃないとなかなかその機会は少ない。どうしても、今まで英語で見たことなかった作品とか、有名になって、素晴らしいというウワサを聞いたから、行ったついでにそれも、とか、そういう風になってしまうのだ。

長々と書いたのは、今回の公演はそれほど「奇跡的」なものだということを強調したかったから(笑)

つまり、RENTのワークショップから、作者のジョナサン・ラーソンとともに、この作品を作り上げたオリジナル・キャストがその役で来日してくれたのだ。
もちろん、1996年にトニー賞を取ったこの作品のオリジナルキャストを、私が見ているわけがない。
けれども、CDは基本的に「オリジナル・キャスト」版が販売される。

ということで、衝撃的に「RENT」に出会い、その衝撃から抜けきれず、繰り返し聴いたCDの声、それが私にとってのオリジナルキャストだったのだ。
このオリジナルキャストたちは、舞台から10年後、2006年に公開された映画版にもその役で出演。初めて、その役で姿を見るオリジナルキャストは眩しかった。
でも、映像の向こうと、その舞台の上とは違う、そのことを痛感した公演だった。
元々舞台の人達な彼ら。
歌唱力、表現力ともに、映画よりももっと、生きた人間としてそこにいて、やっぱりこの作品は舞台なものなんだなあと実感した。
そして、そんな二人を、日本で、10年以上たった今、その役で見ているというのは、本当に目を開けたまま、夢を見ているような感覚だった。

とにかく、アンソニー・ラップのマークが、凄かった。
どう凄いというのは難しいのだけど、「マーク」だったのだ。本物の「マーク」。
今まで見た「マーク」はこれをなんとか模倣しようと頑張った偽物だったと思うくらいに。

もちろん、ロジャーのアダム・パスカルも完璧だった。
ただ、完璧すぎて、個人的な「ロジャー」像と少しブレがあって、ロジャーは他の人が作り上げたロジャーでも、ステキなものはあったな、と思えた。

そういうのは好みの問題だから、あれとして、何よりやっぱりこの二人が一流のパフォーマーで、だから、そういう二人と一緒に何かを作り上げるとして、やっぱり回りもそれ相応の実力が求められるのだということを痛感した公演でもあった。

彩子さんが今までの来日「RENT」は何だったんだろう、と言っていたけど、本当にその通りというか、この二人の役以外のキャストも、今までのは学生さんがやってきてたのね、と思うくらい、素晴らしい実力のキャストばかりで、こういう一流のショーパフォーマンスを日本で見れる贅沢といったらなかった。そういう意味でも、今回は日本でブロードウェイのツアー公演を見る中でも画期的な「奇跡の舞台」だったと思うのだ。

ただ、千秋楽の一回しか見なかったことに関しては、後悔はまるでない。
ということで、「私とRENTの歴史」は改めて(笑)

ところで、我がw新納慎也さんもこの千秋楽を観劇されていて、初、劇場で大好きな俳優さんと遭遇という経験をして、テンションあがりまくり(笑)
目の前をニイロさんが通ったときは、ここ最近の中で最も心臓が飛び上がった瞬間でしたw
もちろん、私はニイロさんの見た目が好きだし、スタイルも顔も美しいと思っている。
そして、目の前で見たニイロさんは想像以上に美しかった。
それでも、やっぱり私がニイロさんを好きだなと思う瞬間は、こういう日記を読んだときだと
思う。

http://ameblo.jp/shinya-niiro/day-20090831.html

お気に入りの俳優さんが、同じような作品を好きである、というのは幸せなことだ。
だから、私はニイロさんが出る舞台が好きだし、それを見るたび刺激を受けることが出来るのだと思う。

 

「私とRENTの歴史」編(笑)
実はこの夏は、とりあえずちょっと「ウエストサイドストーリー」は置いておいて、
ピューリッツア賞とトニー賞を合わせて受賞したという唯二のミュージカルが2本とも来日したという記念すべき年だった。

1976年が「コーラスライン」そして、20年後の1996年が「RENT」だった。

どちらも、あるがままの、その当時の生身の人間の姿を描き、ピューリッツア賞までをも受賞したのだと思う。
そして、私はそのどちらも大好きで大切な作品と自分の中にある。

その中で、今回「コーラスライン」を見て、あれほどまでに感動し、泣いたのは、もちろん初めて英語で見たというのもあるし、見れば見るほど、ミュージカル作品としての「コーラスライン」の完璧さに惚れ惚れしてしまったというのもある。
でもそれよりも何よりも、初めて見てから17年経って改めて、この作品に自分の人生が追い付いたというか、子供の頃や、ティーンエイジャーの頃を思いだすくだりも、同じだけ過去に遡れて、本当に共感してしまったからだった。
もう一つ言えることは、「RENT」は色々なものを複合しているけれども、その中に「恋愛」があって、カップルとしての思いやりや恋人の喪失、けんかなども描く上で、残念ながらそこに実感できるものが少なく、逆に「コーラスライン」はそんなものより、今までの自分の人生でどうやって夢を追いかけてきたか、みたいな部分が強くて、恋愛よりも夢だった自分の人生により近かったというのが大きい部分もあったと思う。

ただ、そんな共感や舞台作品としての優劣を越えて、「RENT」が私にとって特別なのは、20代の間、ずっと共存したからだった。20代のどこを振り返っても、「RENT」が私の過去の中にいる。

私が「RENT」の存在を知ったのは、1996年。
トニー賞を受賞した後だった。つまり、トニー賞を席巻した、ということで興味を持ったのが最初だった。
その後1997年に初めてNYへ観劇旅行に行ったのだけど、残念ながら、まだまだRENT熱風は吹き荒れていたのと、私自身もはじめてのNYということで、海外でのチケット手配の手段に明るくなく、見ることが出来なかった。
だから、初めてRENTを見たのが1998年の11月、ロンドンでのことだった。
(9月いっぱいまでは、アンソ、アダムら、ブロードウェイのオリキャスが公演していたことを後で知る)
この時点で私の中にRENTの予備知識は「トニー賞を取った、大人気の演目」以外何もなし。
全く無の状態で見て、ストーリーも全く分からなかったし、何が何やらさっぱりだったけど、
もうその音楽の迫力に圧倒されてしまったのだ。
翌日、これまた今はなき、ピカデリーサーカスのタワーレコードに走り、ブロードウェイ版のCDを購入。
歌詞カードを眺めながら、毎日このCDと過ごした。
帰国してすぐに日本版「RENT」の初演があって、それを見てようやく、物語の全貌を知り、より一層その世界に引き込まれた。

RENT自体は1989年から90年代初頭のNYが舞台で、私が見た1990年代の終わりの日本はエイズもドラッグも、治安の悪さもまだまだ外国の話だった。けれども一つだけ共通していたことは、世紀末、だったことだった。
バブルが弾けて、阪神大震災がやってきて、地下鉄サリンの無差別テロがあって、リストラ、就職氷河期、そして、何が起こるか分からないミレニアム・パニックの噂もあって、そういう中で、「僕らは生きている、世紀末に」という歌詞は、まんま自分の状況と重なって響いた。
そして、その頃、私は主人公のロジャーと同じように「何かたった一つ、死ぬ前に残したい」という夢を持っていた。
世紀末の悲愴感、その中で抱く夢。
そういうものが実にマッチした時だったのだ。

あの時の感動を再び求めて、無事21世紀を迎えてからも、来日公演、日本版再演、映画版と見続けて、それはそれごとにやっぱりこの作品が好きだという思いをくれたけれども、あの世紀末に見た感覚は二度と戻ってこなかった。
ギリギリ世紀末で見た初めての来日公演がそういう中では最も、全てが分かり、まだまだRENTに愛があって、最初のロンドンの衝撃には遠く及ばないものの、個人的には一番良かったものになる。
そして、寧ろ、世紀末設定を取っ払って、現代のどこかの都会に舞台を移したRENT REMIXEDが、世紀末後に見たRENTでは、私の中で最もRENTだった。ルークのロジャーが理想だったのもあるけれど。


そんな中で、今回の公演が特別だったのは、その同じ世紀末にこの作品を作り、同じ懐古をできるであろうオリジナルキャストが、「こういう中でRENTは出来て、今あるんだよ」というのを伝えている気がしたのもある。
10年間、ずっと彼らの声を聞いて、彼らの声を超えるものを探していた中で、それを本当にこの目で見る日がやってくるというのは、想像もしない未来だった。
だから、その現実を見ていると、あ、まだまだデジカメなかったんだな、とかw、あの頃のNYはこういうファッションやライブ・パフォーマンスが人気だったんだな、とか、携帯はともかくポケベル番号が紹介されるシーンで、そうそうポケベル時代だった、とか、あの頃、本当に衝撃で「今この現実が舞台に乗っている」と思ったことが、同じくらいの長さで過去になり、あの頃、こういうことを思って過ごしていたなあ、とかいう記憶ともう離れ離れに出来ないのだ。

そして、そういう記憶を喚起するすることが出来たのは、アンソニー・ラップとアダム・パスカルのマークとロジャーが本物だったからだと思う。
何よりも、最初のロンドンで体験したときと同じ、あの圧倒的な歌声!
10年以上たって、アダムもアンソニーも、CDの時よりも進化している歌声を聞かせてくれて、さらにその二人に決して劣らない歌声を持った他のキャストたちの声が合わさると、それはもう、本当素晴らしい音が襲ってきて、そうそう、RENTと言えば何よりもこの「音楽」、音楽こそが命だったのだ、ということを改めて感じさせてくれたのだ。

更にもう何度も何度も歌ったであろう歌詞とメロディは二人の中に息ついていて、本当にセリフをしゃべるように歌っていて、だからこそより、キャラクターの自然な言葉として響いてきて、感動だった。
RENTでは主人公的立場のロジャーの分かりやすさに比べ、マークは狂言回しも兼ねているから、それほど自己表現が激しくなく、客観的な分、人物像がとらえにくい。
だからか、今まで、これ、というマークに出会わなかったけれど、今回のアンソニーのマークは、ああ、マークってそういう人だったんだ、とストンと落ちてくるような、自然なマークだった。


でも、新鮮だったのはその部分だけで、後はもう、何回も繰り返し見たもの、なのだ。
字幕を追わなくても次の彼らの歌詞が分かるほど、次にどの場面が来るか熟知してるほど、セットも衣装も演出も、伝統芸能を見るような域に達してしまったのだ。
平たく言えば、ちょっと飽きてしまった部分がどうしてもある。
ただ、アンソとアダムは見たかった。
そして、その二人が伝えてくれた「RENT」を見て、何か一つこう自分の中で終わりが見えた気がしたのだ。
だから、やっぱり、今回の公演は大きな意味があった。
それを千秋楽にともに同じ長さRENTを愛してきた仲間と見れたのは本当に貴重で大切な夏の終わりの一日だったと思う。感謝。