こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

君主とロマンス、好みの難しさ@宝塚星組「ディミトリ~曙光に散る、紫の花」「ジャガービート」

11/24 11:00~ @宝塚大劇場

浪漫楽劇
『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』

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スタッフ

原作 並木陽「斜陽の国のルスダン」
脚本・演出 生田大和
作曲・編曲 太田健

キャスト

ディミトリ    礼 真琴        
ルスダン    舞空 瞳        
ジャラルッディーン    瀬央 ゆりあ        
アヴァク・ザカリアン    暁 千星        
物乞い    美稀 千種        
タマラ女王    白妙 なつ        
チンギス・ハン    輝咲 玲央        
イヴァネ・ザカリアン    ひろ香 祐        
ギオルギ    綺城 ひか理        
バテシバ    有沙 瞳        
ミヘイル    極美 慎        

 

原作はこちらになります。

前回の雪組の際に、原作を見る前に読むか、見てから読むか問題があると書いたのですが、今回は正直、原作は読まなくていいかなと思っていたのです。

しかし読もうと思ったのは、この作品を見たときに、あまりにも人物造形が浅くないか、と感じたからです。

これが原作もそうならば仕方ない。

そして読んでみて思いました。

これは、わたしが大事にしたいところと生田先生が大事にしたいところが違った結果なのではないか、と。

ちなみに原作は短く、読みやすいのでおススメです。

少なくとも著者が膨大な資料を読んで作り上げたお話しであることは確かです。

そして書かれていることは、今現実に起こっているロシアのウクライナ侵攻に重なる部分もあるし、ジョージアの国そのものが再び第2のウクライナとなる可能性も無きにしも非ずなので、その辺も巻末のジョージア大使などの対談でも読み取れて、なかなか勉強になる一冊でした。

 

ところでこのお話しは13世紀のジョージア(旧グルジア)が舞台なのですが、皆さんはジョージア(旧グルジア)の存在をいつ知ったでしょうか。

実はわたしは旧グルジアフィギュアスケーター・ゲデヴァ二シビリ選手が好きで、彼女の名前や練習環境から、ロシアの境目にある東ヨーロッパの国なんだろうなあと、なんとなく感じていました。

それ自体は間違っていなかったんですが、黒海に接したトルコとロシアの狭間の国とは知りませんでした。

この地理が頭に入っているかどうか、というのも今回のこの話をどう把握するか、に関わるような気がするので、古典的な手法ですけれど、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」でやったような緞帳に地図などを見せていくというのも有効だったのではないかと個人的には思いました。

 

今回、宝塚歌劇化されることによって、当たり前ですが主役はルスダンからディミトリに変更されています。

そのディミトリはルーム・セルジュークという国の王子で、友好関係を保つための人質としてジョージアに預けられています。ルーム・セルジュークはイスラム教でジョージアキリスト教の国。ルスダンの兄ギオルギ王は、モンゴルのチンギス・ハンの侵攻を受け負傷し、王位を妹ルスダンに譲り、ディミトリを夫をするよう言い残し亡くなります。他国に嫁がされるはずだった王女ルスダンの肩に、急に一国の運命が乗りかかるのです。しかも、モンゴルだけではなくイスラム教圏からジャラルッディーンというホラズム朝の皇帝もジョージアに攻めてくる。

そんな中、必死に愛を貫き、国を守ろうとするディミトリとルスダンを描いた物語だからこそ、ジョージア王国を取り巻く地理的環境というのは分かりやすい方が親切かなと思いました。

 

そしてそれ以上に気になったのが、ルスダンの「突然であれ王位を抱くもの」としての視野の狭さでした。もちろんルスダンは帝王教育は受けていないし、兄の死に際に治世のための大量の資料を渡されるシーンはあるのですが、それを勉強したシーンはないので、舞台版は「急に大好きだったディミトリと結婚できて喜んでいる王女」にしか見えなかったのが残念なのです。

小説にはしっかりと必死に二人で勉強している様子が描かれているので余計に、いくらディミトリ主役とはいえ、原作にあった

「・・・この国に生きるあらゆる者の運命が、わたくしにかかっているんだわ」

夜、ようやく二人きりになった寝台の上で、ルスダンはそう漏らした。

「ディミトリ、怖い。わたくし怖い」

というセリフは入れてよかったんじゃないかと思います。

また夫となったディミトリに、共同統治者に準ずるものとしての権力を持たせない方がいいと宰相に言われるシーンで、舞台ではルスダンがカッと怒るだけだったのも、ルスダンの人間的未熟さを見せていて、もうちょっと言いようないだろうか、と思っていたら、原作ではちゃんと怒ったあとに反省し、

イヴァネ・ザカリアン、どうかわかってください。未熟なわたくしが女王としてこの国を治めるのに、一人ではあまりにも心許ないのです。私心無く共にこの国のことを考えてくれる者、隣に立ってくれる者が必要です。我が兄ギオルギが死に臨んで彼(ディミトリ)を窓辺に呼んだのも、そのあたりを鑑みてのことだと思います。

と、自分が国を治める者として、そして人として未熟であること、ディミトリとの結婚は兄の意志でもあることを、臣下にしっかり告げるシーンがあるのですよ。

これがあるだけで、観客にも臣下にもルスダンの印象はずいぶん変わるし、この3つのセリフを入れるのはそれほど難しいことでもないと思うので、どうしてそうしなかったかなあと、ただただ疑問です。

 

またアヴァク・ザカリアンも副宰相なのに視野の狭さも気になりました。

ディミトリの出自ゆえに疑う臣下がいることはもちろん納得で、劇中アヴァク・ザカリアンがなすことを、小説では名もなき臣下がやっているのです。

そのくらい小説ではアヴァク・ザカリアンに出番はあまりないため、このような形に描いたのだろうなとは思うのですが、副宰相という立場で私欲を肥やすような人物ならともかく、そういうわけでもないので、これが非常にアンバランス。

ルスダンと違って父親が宰相で政治家たる教育も受けているだろう人だからこそ、「ルスダンは自分が尊敬し仕える主君ではない。さらに夫はルーム・セルジュークの人質だから裏切るはず」という決めつけ思考回路になるのが、まずよく分からない。「ルスダンが未熟だからこそ、思わぬ侵攻から国を守ろうとして亡くなった尊敬するギオルギ王のため、ジョージア国のため、国民のために自分が支えねば」とならないナゾ。

ルスダンが真の女王として立ってからも側に仕える役なので、暁 千星さんなら口数の少ない片腕としてそこにいるだけで存在感を放つこともできたと思うし、それがまた暁 千星さんの新しい魅力を魅せるきっかけにもなったんじゃないかと思うだけに、単に狭量で愚かな臣下に見えてしまったのが、ただただ残念。

いやギオルギ王に忠誠以上の気持ちを抱いていたとか、ルスダンに片思いしてたとか、想像を広げようと思ったらいろんな方向に広げることはできるんですけど、ジョージア国存亡の危機時に、そんな感情で副宰相として行動されるのは個人的にはちょっと広げたくない方の想像なので、無口でできる臣下、として描いてほしかったなあと、わたしは思ってしまいました。

てかアヴァクをそんな狭量な人物に変換するなら、ギオルギ王の死に際に宰相2人も呼んでくれた方がよっぽどいい!ルスダンが未熟だから、国政マニュアルも宰相2人も知ってた方がいいでしょう。劇中の設定なら王族にしか伝えられない秘密的なものは感じなかったので、ディミトリと別れた後、王として変化するルスダンとそれを支えるアヴァク、の方が見たかったのですよ。

 

幼馴染じみでお互いに好きあった者同士の恋、女王を支える夫(王配て呼称いいですね!今後、全ての王の配偶者には性別関係なく「王配」って使うといいのになあ。因みに小説巻末の対談によるとジョージアには女王という言葉はなくて、女性が王位についてもただ「王」と呼ばれたんだそうですよ、ステキ!)、愛ゆえの盲目さとか、モチーフは好きだっただけに、政治というか、民のために「私」をどうするか、という点もきっちり描いてくれたらよかったのになあ、と思います。

特に原作にあった「十字軍招聘」についてディミトリと相談するシーンは、観客に歴史的背景の理解の助けにもなったと思うのであってほしかったです。

 

そして「巡礼の年」は少なくとも演出では面白い点が多かったのに、今回は演出的にも目新しいところはなく、冒頭からリラの花と語るところまでのオープニング部分が、とても宝塚歌劇的で、少し古く見えてしまったのも残念です。

 

今回、一番の話題はジョージアンダンスが入る、という点だったかと思うのですが、これもそれほどうまく作用していたと思えないんですよね。

ジョージアンダンスについて、何にも知らなかったわたしですが、下記サイトによると、

超人的なステップが魅力!ジョージアンダンスの特徴と種類について紹介-ジャパンダンスユースフェスティバル:主催ユースシアタージャパン(YTJ)

戦争をテーマにしたダンスもあるとのことで、それで主に戦闘シーンでジョージアンダンスが使われたのだと思いますが、戦争がテーマでも戦争そのものを表しているわけではないので、戦闘シーンとして消費されたのがもったいなく感じました。

2人の婚礼シーンでも婚礼のダンスはあるわけですが、ここは初演「ヴェネチアの紋章」のモレッカのシーンのように、二人が躊躇と不安のまなざしを交し合いながらも「踊っている」ことに集中させるような演出であった方が、踊りそのものも際立った気がしています。

 

個人的にはリラの花や物乞いに話させなくてよいから、原作にあった君主となったルスダンが子どもの頃にように庶民に化けて、ディミトリと祭りに参加して踊るシーンを「ジョージアンダンス」を入れて見たかったなと思います。

国民と気さくに混じあう女王夫妻は、国民がそれと知らなくとも、王国の危機に国民を思っていることを印象づけられたように思いますし、それはそれとして「ジョージアンダンス」の見せ場にもなりえた気がします。

 

とはいえ、今からどうこうはできないので、引用した3つのセリフだけでも増えないかなあと思ったりしています。

(とか言って入っていたらごめんなさい!ルサンクで確認したいけれど、これだけのためにルサンクを買うのもなあ汗)

美しい衣装を着てなお輝く舞空瞳さんにピッタリの役柄だと思いますし、礼 真琴さんはじめ、ジャラルッディーン・瀬央 ゆりあさんの風格、ギオルギ・綺城 ひか理 さんの勇敢で奔放だけども優しさを感じる王の在り方もステキでした。

でも一番はミヘイル・極美 慎さんでしょう!

いやーもう、正しい極美 慎の美貌の使い方!

わたしがルスダンでもそうなるわ、と妙に納得させたのが本当に素晴らしい(笑)

 

そんなわけで、生田先生の作品の時はたいてい「ちょっと惜しい」という感想が多いのですが、今回はこの「極美 慎の美貌の使い方」以外は、もっと工夫がほしかった、と思います。

てか、「巡礼の年」から2作しか開いてないですよね?

その辺のスケジュール感も気になるので、劇団の制作陣の作品プロデュースももう少し考えた方がいいのではと思いました。

 

ところで、冒頭にお名前を出したフィギュアスケーター・ゲデヴァ二シビリ選手ですが、2006年のオリンピックフリーでこんなプログラムを披露していました。

曲は恐らく「アルメニア狂詩曲」。衣装もジョージア含むこのエリアの民族衣装ぽくてステキです。


www.youtube.com

しかし翌2007年には政情不安が続き、2006-2007年のシーズン中にロシアとの関係悪化に彼女自身も巻き込まれたことを今頃知りました。

だから、こういう作品を上演することはやはりある程度、意味のあることだなと感じています。ただ上演する以上、いい作品であってほしいと心から願っています。

 

で、ショーですね。

メガファンタジー
JAGUAR BEAT-ジャガービート-』

作・演出 齊藤吉正

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わたしにとっては久々のショー観劇ではあったのですが、作・演出が齊藤吉正さんであることで、全く期待しないで行って、やっぱり好きじゃありませんでした。

いやもう単にわたしがサイトーくんと、いろいろなものが合わないだけなので、楽しめる観客は楽しめるんでは?と思っていただけに、Twitterで12/5辺りから照明、音楽などが変更になっていると知り驚きました!

わたしの「ジャガービート」の感想は「スーパー玉出」だったのですが、そんな「スーパー玉出」本社の隣の区出身者ゆえに「変更するほど大事」とは気づかなかったのかもしれません(汗)

でも変更になったこのショーを確かめにいきたい、とは思わないくらい、やはりわたしはサイトー先生のショーは苦手みたいです。