12/11(日)13:00~ @兵庫県立芸術文化センター
[作・演出]
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
[出演]
フジオ 井上芳雄
石持波子 緒川たまき
門崎千夏 ともさかりえ
占部慎太郎他 松尾諭
石持勝子 安澤千草
繩手万作/坊主他 菅原永二
繩手やよい他 清水葉月
菊池柿造 富田望生
石持明彦 尾方宣久
石持伸男 森準人
石持一男/輝彦 石住昭彦
佐久間一介 三宅弘城
石持竹男/権藤 三上市朗
門崎文吉 萩原聖人
「キネマと恋人」の舞台だった梟島の物語なのですが、これは梟島という設定以外は全く別のお話しでした。
梟島にしびれ雲が出た日、記憶をなくした男が流れ着く。「フジオ」という名前を与えられ、仕事も世話してもらった男は、梟島での新しい人生をはじめる。
のを基軸に千夏・文吉夫婦のケンカや波子・勝子の親子関係をはじめ、梟島で生きる人々の日常が淡々とそこに描かれていました。
「キネマと恋人」で使われた梟島弁はそのままに、そこにあったのは普通の人々の生活でした。
思いがすれ違っていったり、思う方向がねじ曲がってしまったり、思うからこそ言い出せなくて誤解を生んでしまったりしながら、それでも「ごめんちゃい」と「ありがとさん」をちゃんと口にして伝えれば、ちょっぴり幸せを感じながら、きっと明日も生きていけるのだと、そういう当たり前のことをしみじみ感じる作品でした。
一方でフジオは、自殺をしようとしていたことまでは島民の証言でわかる。けれども記憶は戻らない。その中で「新しい自分」を生きていく。
過去の記憶をなくし、梟島にどんどんと馴染んで、梟島の人々を好きになって生きていく彼の姿は幸せそうで、辛いことがあってもこうやって生きていけるならいいのかもしれない、と思うと、生きていくなかで何か本当に辛いことがあってダメだと思ったときに、こんな「リセットボタン」があれば、やり直せるかもしれない可能性が見えることは救いのようでもありました。
潮目が変わるときに発生すると伝えられている「しびれ雲」。
本当のところは誰にも分からないけれど、生きていく中で「潮目が変わる」ことは多分あって、その潮目をどう受け止めて、何を選択し、どう伝えるか、みたいなことも大切なんだろうな、と千夏・文吉夫婦を見ながら思ったりもしました。
色んな小さな問題や出来事があって、それがほどけていく中で、唯一これからこの島でどう生きるのだろうと思わすのが伸夫の存在でした。
昭和のはじめの大らかなで小さい梟島。
勝子のお見合いなんかが島中で取り沙汰されるような、そんな価値観が一般的だと流れる中で、彼がどう生きていくのかを見たい気持ちも持ちながら、物語は日常と同じように続くように終わっていきます。
「先のことはわからないから」という波子の言葉に支えられるような気持ちになりながら、じんわり勇気づけられるような、でもどこかでひっかかるような、そんな作品でした。
名前も性格も設定も変わってしまったけれど、それでも緒川たまきさんとともさかりえさんの姉妹関係がいいのです。かわいい。
梟島の人々もみんなステキでしたが、ここはやはり井上芳雄さんにふれたいと思います。
というのも、一応わたしの観劇傾向の軸は「ミュージカル」で、井上芳雄さんの出演作品は、それこそ東宝初演「エリザベート」のルドルフデビュー時から、自然とそれなりの数を見てきました。
黒蜥蜴ではストレートプレイでのお芝居も見ていたのですが、今回はじめて、井上芳雄さんが本当にいい、と思ったのです。
多分このフジオという役は、素の井上芳雄さんに近いのでは、と思います。優しくて気遣い屋さんで、ちょっぴりおせっかいで、おぼっちゃまっぽい鷹揚さが本当に魅力的でした。
その上で彼の持つスタイルの良さが光って、梟島の人々とは違う場所から来たんだ、という違和感を放っていたのです。
ミュージカルで王子様的な役を演じている井上芳雄さんが好きな方には向かないかもしれないですが、わたしはこの井上芳雄さんが本当に好きでした。
現代ミュージカルにも出演されている彼も見ましたが、こういう感じの役をミュージカルの舞台で見られたら楽しいだろうなと思うと、ケラさまご本人は苦手意識がある的なことを聞いた気がするのですが、ケラさまに舞台は日本で、一度ミュージカルを作ってもらいたいな、と思ったりしていまいました。