こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

全てを吹き飛ばすレビューのすごさ@宝塚雪組「ライラックの夢路」「ジュエル・ド・パリ」

5/5(金)11:00~ @宝塚大劇場

ミュージカル・ロマン
ライラックの夢路-ドロイゼン家の誇り-
作・演出・振付 謝 珠栄

ハインドリヒ[ドロイゼン家の長男] 彩風 咲奈    
エリーゼ[職業音楽家を目指す女性] 夢白 あや        
フランツ[ドロイゼン家の次男]    朝美 絢    
オルグ[ドロイゼン家の三男]    和希 そら
ランドルフ[ドロイゼン家の四男]一禾 あお        
ヨーゼフ[ドロイゼン家の五男]    華世 京    
夢人[魔女]/アーシャ[魔女と蔑まれた女] 美穂 圭子    
フンボルトブランデンブルク銀行頭取/ディートリンデの父]奏乃 はると            

ディートリンデ[銀行家の娘]    野々花 ひまり    
アントン[エリーゼの友人/鉄職人]    縣 千

 

農業収入には限界がある、英国の産業革命に追いつけ、追い越せ、そうだ、これからは鉄だ、鉄でみんな豊かになるんだ、と突っ走るドロイゼン家の長男とその兄弟のお話しなのですが、そこに移民差別やら魔女裁判やら政治やら女性の自立をかるーく絡めてしまったのが、まず問題だったかなあと思います。

 

行きの阪急電車の中で、宝塚歌劇創業者・小林一三生誕150周年のポスターを見かけたのですが、

https://kobayashi-ichizo.com/

この作品がそこを意識したものなら、鉄でレールを作るところから始めずに、もう鉄道を通して走らす作品にしてしまった方が楽しかったような気がするのです。

例えばドロイゼン家の兄弟の目的は鉄道開通の一つで、それぞれが領地采配・株式会社成立(長男)、金融機関との交渉と資金繰り(次男)、現地土地利用交渉(三男)、鉄道制作(四男、五男)でがんばって、鉄道完成して出発進行、大団円でよかったと思うのですよ。ファンタジーなんですから。

領地売却されるかもと誤解して反対運動を起こすヒロインと出会って、領民と交流しながら彼女に惹かれていく長男、銀行頭取のお嬢様との恋と資金繰りの狭間で悩む次男を支える三男に、お坊ちゃまな四男、五男を先導し鉄道作りに邁進する鉄工所の男で、今あるダンスを盛り込めば、十分に楽しい作品になったと思いますし、小林一三生誕150周年の祝祭劇なんだなと思えた気がするのに、なぜこうなったのでしょうね・・・。

でもまあとりあえず、酒場と鉄工所のダンスは楽しかったし、初っ端の「鉄はすごいぞソング」が妙にツボにハマって、変な方向で笑いとして楽しんだので、まあこれはこれ、でしょうか。

こういう話ですから、長男から三男までは、逆に深刻に役作りをしすぎたかなと感じさせてしまうあたりもやっぱり演出の方向性が違った気がします。

変に深刻にならず、ショーだと思って「魅せる」、「楽しい」の方向に振り切った演技で統一したほうが、多分もうちょっとまとまりも出たような気もするのです。

(でもそうしようにも、葬式シーンがあったりしてバランスが難しいと思うので、彩風さん、朝美さん、和希さんは大健闘だと思いますよ、本当に)

そういう意味で鉄職人の縣くんが、ひたすら元気で可愛くて、この作品の本来持つテイストにあっていました。

逆にこういう作品って新人公演が難しいのか簡単なのか、妙なところが気になるという、いろんな意味で変に興味深い作品ではありましたが、なかなかに厳しい時間でした。

 

しかし宝塚にはショーがある!いや今回はレビューがある!


ファッシネイト・レビュー
ジュエル・ド・パリ!!-パリの宝石たち-
作・演出 藤井大介


www.youtube.com

オープニングから大階段登場するよ、とは聞いていたのですが、まさかの大仕掛け!

もう本当「正統派レヴュー」なはじまりに大興奮!

からの初舞台生のラインダンスで「ああ、キミたちこそがこれから磨かれて宝石になるのね」と感動。

その後もシャンソンベースで正統派でありながらも、ちょっと新しいショーシーンが続きます。

和希そらさんクレオパトラのダンスが、もう圧巻。

人間の身体ってあんなに動くのだと感動。

中詰めはカンカンでこれまた楽しい!

「diamonds are a girl's best friend」で娘役さんたちが魅せてくれるのもよかったし、最後は「愛の宝石」のバリエーションで、ザ・宝塚レビューを堪能いたしました。

そしてこれが終わって、あー楽しかった、と芝居を全て忘れ切らせたのがすごいです!

レビューだけもう何回か見たいんですけど、そしてレビューだけだったら円盤買いたい勢いなんですけど、この辺が本当に宝塚の難しいところだな、と改めて思いました。

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芝居小屋という名のワンダーランド@平成中村座姫路城公演

5/3(水)12:00~ 昼の部

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浅田一鳥 原作
一、播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)
浅山鉄山 橋之助
腰元お菊 虎之介
岩渕忠太 片岡亀蔵


三島由紀夫
二世藤間勘祖 演出・振付
二、鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)
鰯賣猿源氏 勘九郎
傾城蛍火 七之助
博労六郎左衛門 橋之助
傾城薄雲 鶴松
亭主 片岡亀蔵
海老名なあみだぶつ 扇雀

 

まだまだコイバナが話題の主流だった若き頃、こんな質問がありました。

「どんな相手だろうと誘われたら思わず行ってしまうものは?」

これに若き日のわたしはこう答えました。

平成中村座の御大尽席のチケットがあるけど一緒に行かない?と誘われたら、どんな相手でも行く!」

残念ながら誘われる機会もなく、かつなかなかタイミング合わず、自ら見に行く機会もなく、さらにコロナ禍で「平成中村座」は遠くになりけり・・・なんて思っていた頃、なんと姫路城までやってきてくれるというニュースが耳に入りました!

しかも演目が昼の部、夜の部ともにとても魅力的。

夜の部の「棒しばり」、実はわたしが唯一、勘三郎さんプロデュース公演で見た演目で、かつ、ファンになって初めて生・七之助さんを見た作品だっただけに思入れもある。(次郎冠者はもちろん勘九郎さん)

でも昨年、松竹座で「播州皿屋敷」も含めたJホラー歌舞伎を見て、本来の「播州皿屋敷」が見たい思っていたところだったことと、テレビで見た「鰯賣戀曳網」がすごく楽しかった記憶があったので、昼の部を選びました。

 

演目を選ぶまではスムーズだったのですが、難しかったのが座席選び。

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過去の平成中村座の画像を検索するかぎり、松席は座椅子のみ、竹席は椅子があるけれど、段差があるかどうか分からず、見やすいのか分からない。2階の竹席なら嬉しいけれど、そんな座席指定はできない。と迷ったあげくの梅席でした。

でも今思えばどこでもよかった気がします。

(ちなみに1階の竹席はゆるやかな傾斜はあるように見えました)

座席表を見ていただくとわかるように900席弱の小さな芝居小屋なので、たぶんどこでも近いし、その場所なりの臨場感があるように思います。

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わたしたちの梅席は下手側で、通常の劇場だと花道が見切れるのですが、平成中村座は天井も低いので、役者さんが花道を通ると首から上がはっきりと見える!

そして本舞台もめちゃくちゃ近い!

でも敢えて初めて行くなら、もしかしたらところどころ見にくいかもしれないし、わたしのように座椅子はちょっとという方もいるかもしれないけれど、松席がオススメだと思います。

というのも平成中村座の醍醐味の舞台裏が開くシーンがですね、梅席だと後ろの風景が見えない・・・というか、肝心の姫路城が見えなかったので、それはちょっと見たかったなと思います。

(あと憧れの「御大尽席」ですが、ここは素人が座れる席ではない、と思いました…。かなり他の観客からも注目されますし、松席は三角座りでも大丈夫でも、御大尽席は正座しないといけない雰囲気漂ってました。いや長座してもいいんでしょうけど、あそこでだらしなく観劇する勇気は、とりあえずわたしにはありません・・・)

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しかしまあ「平成中村座」がこんな楽しい場所とは知りませんでした。

作られるのは芝居小屋だけじゃないんですよね。

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姫路の特産品や芝居に関するものが売られている「三十軒長屋」があって、そこをお祭り気分で通り抜けたら、お弁当やら飲み物やらが売っているホワイエ的なものがあって、もうここだけでも気分がかなりあがりました。

もちろんお弁当と公演ドリンク「播州皿屋敷」をお買い上げ。

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芝居小屋内は靴を脱ぐことになっていると事前に調べていたので、脱ぎ履きしやすい靴で行って寒かった時用に靴下も用意していたのですが、床は絨毯でふかふかなんです。

冬はそれでも冷えるかもしれませんが、足ざわりも本当によくて、めちゃくちゃよくできた芝居小屋だと思いました。

さらにそれを支える人たちが素晴らしい!

平成中村座の芝居小屋内を取り仕切るのがプロのお茶子さんたちです。

座席の案内や注意事項の伝達など普通の劇場スタッフがされることをやってくださるのですが、その仕方がなんともフレンドリーで温かい。

前述したようにわたしが座った梅席からは「花道」が見切れます。

なので、観劇中は座席の背もたれに背をつけて見てね、というお約束の注意事項の後、「とは言っても、ここ、花道が見えないんですよね。なので、花道のシーンは皆さんで譲り合ってちょっと身を乗り出して、楽しんでください」的なことをおっしゃってくださって、とにかく見る人が少しでも楽しく、という心意気が伝わって感激しました。

 

さて昼の部最初の演目「播州皿屋敷」ですが、姫路城内にも縁のお菊井戸があるので、ここで姫路城を見せるのかなと思っていたら、この仕掛けはその部の最終演目に限るっぽいですね。

Jホラー歌舞伎で見たときの方が浅山鉄山の痛めつけっぷりが酷かったので、そこは敢えてマイルドに演出しているのかなと思います。

Jホラー歌舞伎のときは、浅山鉄山が成敗されるところまで描かれたのですが、そこまで行かずに、有名な「井戸から幽霊となったお菊さんが登場する」シーンまで。

そのシーンにこれまた独特の演出を入れているので、そこまでの見ててもしんどい折檻シーンが吹き飛んで、完全アトラクション気分で見終えさせるの、さすがです!

 

そして二幕目が、三島由紀夫ってこんな大らかでハッピーな作品も書けたのね、という、とにかく登場人物がみんなかわいくて楽しいラブコメ「鰯賣戀曳網」です。

三島由紀夫作、ですから、まだまだ歌舞伎の演目としては新しいので、セリフも聞き取りやすく、本当に初心者にもオススメ!

内容も鰯売りの主人公・猿源治が高級遊女・蛍火に恋をして、仕事に身が入らないのをなんとかしようと、父親が猿源治を大名に仕立て上げて蛍火に会わせてあげたら、いろいろあっての大団円というわっかりやすい物語を、お座敷遊びの「軍物語」の舞で魅せたり、身の上話を女形のクドキで魅せたりと「歌舞伎」の魅力もたっぷりです。

そしてお装束もパステルカラーでかわいい!


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シネマ歌舞伎勘三郎さんと玉三郎さんの映像で、残念ながら見たことはないのですが、勘九郎さん、七之助さんにもピッタリの役柄だと思っています。

勘九郎さんの「陽」のオーラが明るく場内を照らし、七之助さんのチャーミングな女形が光る。そして笑いもたっぷり。

その上で勘九郎さんの「軍物語」の踊りは本当に迫力で素晴らしかったし、最後のキリッとした七之助さんのお姫様ぶりもステキでした。

(そして昼の部は2作品とも片岡亀蔵さんが大活躍!)

でもどうやって平成中村座ならではのラストシーンにつなげるんだろうと思っていたら、まさかの新婚旅行!

いやあもうハッピーがこんな溢れだしている場所がこの世にあるなんて、くらい幸福感に包まれました。

 

賛否両論あるかと思いますが、幕間の座席での飲食も可に戻っていて、かつての芝居小屋気分を満喫。

幕間飲食中の喚起対策もばっちりでした。小屋の窓が開くのでね。

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未見でかつ七之助さんにとっての初役である夜の部の「天守物語」も心の底から見たかったですが、「鰯賣戀曳網」をぜひ和歌山城で「平成中村座」で見たいなと思います。

一応舞台設定は室町時代で、蛍火の出身地は紀国丹鶴城(新宮市)で、和歌山城には関係ないと言えばないのですが、大きく「紀国」ってことでもう蛍火の故郷にしちゃって、上演してもいいんじゃないですか?

ラストシーンで蛍火の両親いる設定で和歌山城に手を振る二人が見たい!

和歌山市観光局の方、ぜひとも観光促進のために「平成中村座」を和歌山城に招きませんか?真剣に。その時は松席をがんばって取ります!

そして桜席も気になるので少なくとも2回見たい!

 

本当にそんなお願いをしたくなるくらい、何度でも見たかったし、「平成中村座」をまた体感してみたくなる公演でした。

キュリー夫人をマリー・キュリーに戻す意義@ミュージカル「マリー・キュリー」

4/22 18:00~ @シアター・ドラマシティ

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スタッフ

脚本 チョン・セウン

作曲 チェ・ジョンユン

演出 鈴木裕美

翻訳・訳詞 高橋亜子

振付 松田尚子

 

キャスト

マリー・キュリー 愛希れいか

ピエール・キュリー 上山竜治

アンヌ 清水くるみ

ルーベン 屋良朝幸

 

先行された東京での公演の評判が非常によく、なんとなく「見ておかなくては」な気分になって、見に行った作品ですが、残念ながら私には合いませんでした。

ということで、この作品に涙するほど心揺さぶられた方はぜひ、そっとこのページを閉じてください。

と言っても別に「こういうところが受け付けないんだよ!(怒)」みたいなことはないですし、そもそも見に行こうと思った要因の一つは「フェミニズム的要素」が高いと聞いていたからだったので、こういう作品で「今まで当たり前のように受け取っていたけれど、考えたらそうだよね」と気づかせてくれるのは、とても意味があったと思っています。

 

この作品は

Fact(歴史的事実)とFiction(虚構)を織り交ぜたファクション・ミュージカル

だと説明されていました。

しかしながら、私の「マリー・キュリー」についての知識といえば「原爆の材料となったものを発見した人だっけ???」くらいの、ほぼ無知に近い状態でした。

なので、どこまでが「歴史的事実」でどこまでが「虚構」なのかは見ていてさっぱり分からなかったのですが、朝ドラや大河ドラマしかり、歴史的な人物や事実を扱った多くの作品が、事実と虚構を混ぜているのは普通なので、とりわけて強調する必要があるのだろうか、とも思いました。

でも後からインターネットで分かる限り調べて思ったのは、このミュージカルをまるっと「マリー・キュリーの生涯」だと信じてしまうと危ういなということでした。

つまり「マリー・キュリー」は一般的にその人物像はよく知られていない。

そして朝ドラや大河ドラマと違って、何も謳わず上演したら「これはドラマとして脚色しているもの」という意識を持たずに見てしまう可能性が非常に高い。

だから上記の肩書は必要だったのだと思います。

 

子どもの頃、下記のような漫画の伝記で読んだきりだった「キュリー夫人」。

Amazonで検索する限りでは、「キュリー夫人」と「マリー・キュリー」とどちらも出てきますが、私が子どもの頃は「キュリー夫人」しかなかったような気がします。

ヘレン・ケラー」、「ナイチンゲール」、「アンネ・フランク」・・・

みんな個人の名前なのに彼女だけ「キュリー夫人」であることに違和感を覚えたことすらなかった事実が突き刺さりました。

これには、最初のノーベル賞受賞が夫ピエール・キュリーアンリ・ベクレルと共だったことも多いに影響している気はします。

それこそ彼らの研究がどのような比率で行われていたのか、最初のノーベル賞受賞の際にマリーがどのような気持ちを抱いていたのか、真実は分かりません。

そしてそれを提示したことが、このミュージカルの意義だったのかもしれない、とも思います。

 

一方で「虚構」として「アンヌ」という人物が登場します。

アンヌとともに働く人々は「ラジウム・ガールズ」と呼ばれた女性たちをモデルにしていることを後から認識したわけですが、これをミックスしたことによって「科学がもたらす恩恵と被害」とそれを「発見する者の覚悟と孤独」みたいなところは、よく伝わりました。

が、ここをミックスしなくても、そこのところは伝えらえたのじゃないのかなと思います。

アンヌとの友情、がこの作品の見せ場で感動ポイントであったことはよく分かったのですが、そうしたことによって個人的には物語としてまとまりを欠いたように思えたのです。

とりわけ最後、アンヌがマリーを許し称え、そしてラジウム・ガールズ的な人々も彼女を称えるのが違和感を覚えてしまいました。

ラジウム・ガールズ問題は、本来マリーの晩年、遠く離れたアメリカで起こっています。これについての責任は、すでに危険性を知っていながらそのような作業をさせた雇用主にあって、マリー自身の問題とは少し違う気がするのです。

けれどもこの作品の中ではミックスさせることにより、マリーも危険性を知りながら確実に工場を止める努力を怠ったように見えてしまう。

この作品には、マリーが女性であることによる差別とともに、ポーランド人で移民であることによる差別も描かれ、ラジウム・ガールズ的な人々は同じポーランドからの移民であることが示されてもいます。

だから「マリーが彼らを見殺しにしたのに、彼らがマリーをポーランドの星と称えている」ように私は見えてしまい、この部分が個人的に受け入れるのが難しく、本来最も力のあるシーンだったはずのところで気持ちが付いていかなくなってしまったのが、合わない一番の原因だったと思います。

 

この作品を見る限り、マリーにとってピエールはとても良きパートナーに見えました。

なので、どちらかというと科学オタク同士の運命的で幸せなパートナーシップや、科学オタクゆえに色眼鏡を持たないピエール、を描いてくれた方が、私は楽しく見れたのかなあと思います。

何より最初マリーがピエールに「なぜ科学を学ぶのか」みたいなことを聞かれたときのマリーの返答を歌で聴きたかったのです・・・!

それこそがマリーの「情熱」であり、「心」であり、ミュージカルとして「歌になる部分」だと私個人は思いました。でもこの作品は、そこをまるっと敢えてミュートしていたのです。それはこのミュージカルの新しい表現方法であったとは思います。

でも「私の中のミュージカルの気持ちいいあり方」とこの作品は微妙にずれていて、そこが見ていて乗らなかったのだなと感じました。

ピエールがマリーに惹かれるきっかけとかも「キミの天才的な答えの導き方が好き」とか「元素への情熱が素晴らしい」とか歌ってくれたら面白かっただろうなとか、ちょっと考えてしまいました。

でもそんなピエールでも、マリー主導の研究成果がノーベル賞を獲得したときには、自分が先導で呼ばれるのは当然、みたいな感じで、授賞式出席を巡っての二人の対決みたいなものとかも見たかったな、とか、やっぱり題材としてはとても興味深いものだっただけに「また違うあったかもしれないマリーの物語」の方を見たかったな、と思ってしまいました。

そしてそれには、もう少しセリフと歌詞の重複のバランス、歌とダンスのバランス、そして振付も変えたものが見たいなと思っています。

そして音楽も。韓国の方が世界で通用する音楽を発信しているイメージがあったので、少し期待していたのですが、ミュージカル曲としてはまだそこまで強くないのだなという感想を抱いてしまいました。

(ただ放射能の未来として原爆の示唆があったのには驚きましたし、そこまで描くのは凄いなと感じ入りました)

 

作品自体には思うところあれ、マリー・キュリーを演じた愛希れいかさんは、冒頭のシーンから演技スキルを「これでもかっ!」と魅せつけて本当に素晴らしかったですし、ばっさりと切り捨てられていてもピエールを魅力的な人物に魅せた上山竜治さんも、本当によかったです。

ピエールがステキに見えたからこそ、私も思わず上記のような妄想を抱いてしまいました。

そしてソルボンヌ大学の学生から工場で働く人々まで、8人で演じ歌い踊ったアンサンブルの皆さんも素晴らしい!

アンヌの清水くるみさんは、架空の人物だけに、そしてその立ち位置が微妙なだけに、落としどころが難しかったのではと感じました。でもスキルは文句なしだし、かわいい!だからこそ、脚本と演出が「アンヌ」を見せられるとよかったのになと思います。

いや多分多くの人がちゃんと「アンヌ」を見れていたけれど、私の方が曇っていたのだとは思いますが、そんな私にも見える「アンヌ」だと、もっとよい作品になっていたんじゃないかなと、ちょっとだけ思わずにはいられない、そんな作品でした。

虐げられたものたちの反逆@ナイロン100℃「Don't freak out」

4/1(土)18:00~ @近鉄アート館

スタッフ

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

美術:秋山光洋


出演及び配役
妹(あめ) 松永玲子

姉(くも) 村岡希美
天房征太郎 みのすけ 

天房雅代(奥様)安澤千草 

天房清(お坊ちゃま)新谷真弓 

屋敷を訪れる男/年嵩の警官 廣川三憲 

カブラギ(警官)藤田秀世
天房せん(大奥様)吉増裕士 

てる/身重の女房 小園茉奈 

若い警官/ヤマネ先生/女房を寝取られた男 大石将弘
天房颯子(お嬢様)松本まりか 

ソネ 尾上寛之 

天房茂次郎 岩谷健司 

カガミ/クグツ 入江雅人

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近鉄アート館の舞台を見た瞬間、思ったのは「狭い!」でした。
HEPホールと同じ感じという記憶があったし、実際、劇場や客席の感じはHEPホールとほぼ同じなのですが、舞台だけが小さく思えたのです。

 

舞台上には昭和初期くらいかなと思われる古びた狭い部屋があって、どこまでがセットでどこまでがプロジェクションマッピングなのか、その境目さえも曖昧で、だからこそこの作品が持つ閉塞感と不思議で怪しげな雰囲気を醸し出していたように思えました。

そこは「くもさん」と「あめさん」という姉妹の女中部屋でした。
冒頭の「あめさん」の過去シーンで、気づいたら部屋の隅から黒い影が侵食して覆いつくしていき、人が飲み込まれたように見えるプロジェクションマッピングが、得に素晴らしかったです。
そしてその女中部屋にある奇妙などこかへ続いている「蓋のついた穴」の世界、女中部屋の外の世界が、そのセットの向こう側にあって、これがより効果的に舞台を狭く見せていた原因だと思うと、本当によく考えられたセットでした。

(そしてリハーサルの時点で舞台が見えにくい席をチェックし、座席の振り替えを行った制作陣のプロ意識にも感動!)

 

物語は精神病院の院長の家で女中として働く「くもさん・あめさん」姉妹を中心に動きます。
そしてセリフの中で、そこは精神病棟以外は何もないような山の中にある、ということが提示されます。
さらに院長一家の在り方が、とても因習的で、舞台の設定をイメージした時代には当たり前だったかもしれないけれど、今から思うと辛いし、痛い。
そんな一家に仕える二人の姉妹の生活は楽しいようには見えないけれど、住めば都のような「慣れ」と「諦め」がほんのりそこにあるのです。

でも人が住んでいるということは、同じ毎日が続くわけではなくて、院長一家からして、変化して現在の形を作っていることが、だんだんと明らかになっていきます。
変化したからある現在の「くもさん」と、悲しい過去を引きずった「あめさん」の姉妹が、ほぼ同じくして「希望」を見出す状況になった途端、それぞれに違う方法で「現実」を突きつけられるのが、残酷だけどリアルで切ない。
けれどもそこからの二人の反逆が、これまた残酷極まりないけれど、そこまでの二人のことを思うと「痛快」に思えたのです。

 

そして「二人」だから強いのかな、と思ったのは、院長夫人の物語も一緒にそこにあったからです。
女中、というのは立場としては弱い、虐げられた存在です。
でも院長夫人も当時としては当たり前だったかもしれないけれど、その婚姻の成り立ちからも尊厳を奪われ、姑と夫に虐げられています。唯一の希望である「息子」も奪われたときの選択は、弱さから派生した混乱から来ているとはいえ、直接的な対象を選べない辺りに結果として、くもさんあめさんの選んだそれより最終形態は同じでも「残酷性」が高まっている気がして、それがとても哀しくも思えたりしました。

 

この「人間の残虐性」と「閉塞感」が「恐怖」を見せていたのかもしれないのですが、わたし個人は、全体的にこのちょっとしたホラー味も含めて、大変面白いエンターテインメント作品に感じました。
珍しく提示されたナゾは全部解き明かされたのもあって、見終わったあとは爽快感さえありました。

 

ほとんど全員が仄暗く湿っていて、心が曇っている中で、てるを演じた小園茉奈さんが一人だけトーンが違って健康的でかわいらしく見えたのも面白い。

(「くも」さん、「あめ」さんと「てる」という名前からも示されていることに今気づきました!)


劇団の30周年公演ということで、ゲストとして登場した松本まりかさん。
今回の役柄も演技もテレビのイメージと大きく変わらなかったのですが、彼女が出てきたとたん、舞台が華やいだ雰囲気になったのがステキでした。
だからこそ、彼女の役は「嗜虐」側だったから、今回の流れでいくとそうなるのはある意味自然ではあるのだけど、それでも彼女の役はそのまま「嗜虐性を持つ人」として支配してくれたら、それはそれで痛快だったろうなとかも思いました。

 

そして改めて「INU-KERA OSAKA VOL.4」、行きたかったなーと思います。
日曜日に観劇してたらそのまま行っただろうな。
我ながら最近の体力のなさというか、土日の一日くらいゆっくりしたい欲に勝てなくて見送ったのですが、配信を見たらますます行きたくなりました!

てか、松本まりかさんが可愛すぎる!2026年本多劇場での「Don't freak out 2」(上演時間は休憩入れて3時間半バージョン)お待ちしています!笑

twitcasting.tv

ところで、タイトルの「Don't freak out」はどんな意味だったのでしょうか。
・パニくるな!
・怖がるな!
・怒りを爆発させるな!
・(頭が)おかしくなるな!
もちろんどれも当てはまる。
そして日本語にしにくい英語タイトルがこれまた興味深いな、と思ったりしました。

 

4月17日〜23日はオンデマンド配信もあるそうです!

気になられた方はぜひ見てみてください。

ナイロン100℃ 48th SESSION 「Don’t freak out」 | PIA LIVE STREAM(ぴあライブストリーム)

愛だけが幸せを作るのか@COCOON PRODUCTION 2023 DISCOVER WORLD THEATRE vol.13「アンナ・カレーニナ」

3/26(日)17:00~ 森ノ宮ピロティ―ホール

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スタッフ

上演脚本・演出 フィリップ・ブリーン

キャスト

アンナ・カレーニナ 宮沢りえ

コンスタンチン・リョーヴィン 浅香航大

アレクセイ・ヴロンスキー 渡邊圭祐

カテリーナ・シチェルバツカヤ(キティ) 土居志央梨

ダリヤ・オブロンスカヤ(ドリー) 大空ゆうひ

シチェルバツカ侯爵夫人 梅沢昌代

ステパン・オブロンスキー 梶原善

アレクセイ・カレーニン 小日向文世

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若かりし頃から現在にいたるまで、何度かロシア文学に手を出したものの、全て第1章くらいしか読めず、実家の本棚に眠っています。

それでも舞台やら映画やらを見たことはある作品もあるのに、この何度も色んな人で映画化、ドラマ化、バレエ化、ミュージカル化もされている「アンナ・カレーニナ」には全く触れることなく生きてきました。

そのため今回、知人からのお誘いがあり、これがこの作品にふれるチャンスと乗っかったのですが、乗っかってよかったと心から思う公演でした。

 

一応「アンナ・カレーニナという人妻が若い男性と恋に落ちる」という最低限の情報は持っていたのですが、あえてそれ以上は何も知らないまま赴きました。

ということで下記の感想は、全てこの公演から感じたものになります。

 

まず舞台上に敷き詰められたと表現してもいいような小道具の数々に驚きました。

木馬、ドールハウス、陶器、子どもサイズのベッド・・・。

小さなこれらをどうやって使うのだろうと思っていたのですが、見事に普通に馬の見立てとして、普通のベッドとして、そして屋敷の外観として、シーンごとに自然に存在しているのです。

大道具らしい大道具はない中で、この壁がそうだったのですが、

これが照明によって重厚感を醸し出し、19世紀後半のロシアを表現していたように思います。

その中で繰り広げられるのは、ラブロマンスかと思っていたら、なんというか「生きていくために必要なものは何か」という問いだったような気がします。

 

大前提として、日本人の庶民のわたしにとって勝手な想像はするけれども決してわからない「ロシア貴族社会」がありました。ここはもう本当に想像でしかないのですが、恐らくに家名と家名のバランスを取った婚姻がなされるものでしょうし、その結婚生活の下で女性に許されることは少なかったのだと思います。

今回の芝居では、冒頭からドリーによるその結婚生活の不幸と不満を提示されます。

そしてドリーの夫・オブロンスキーは、ああいう社会では普通なのかもしれないけれど、現代感覚からするとはっきり言って「最低の夫」です。妻をないがしろにして不倫三昧、放蕩三昧。この夫婦の仲裁のためにアンナ・カレーニナはやってくるわけですが、ここで若きイケメン将校ヴロンスキーと出会ってしまうのが、彼女の転落のはじまりでした。

 

オブロンスキーに比べたら、アンナの夫・カレーニンはちゃんとアンナと家庭を愛している良き夫に見えました。アンナ自身もカレーニンを「夫」としてそれなりに愛していた。それでもアンナはヴロンスキーと恋に落ちてしまう。この辺りで、アンナの過去を考えてしまいました。

恐らく恋も知らず、良き妻・良き母となるよう教育を受け、それだけを人生の目標として育てられたのではないか。でもヴロンスキーと出会い、求愛を受けたことにより、アンナは今まで知らなかった世界に魅せられてしまったのではないか、と思ったのです。

 

これがドリーの方ならもっと「恋」に納得できたでしょう。

どう見ても今の、現状の彼女の生活が幸せには見えない。

けれどアンナは現状の生活をそれなりに享受しているように見える。

そして母であるという責務と愛を当然のように抱えている。

なのにドリーは「我慢」を選び、アンナは「誘惑」を選んだ。

その二人の対比も大変興味深かったです。

 

そして選んだ後「女性が一人で生きていく」なんて考えもしなかった上流階級の奥方が、恋だけを頼りにどうやって人生を乗り越えていくか、というのは、かなりの難題であることが見ていても辛かったのです。

 

アンナが飛び出した世界に適応できず、どんどんと壊れていく一方で、描かれたのがリョーヴィンとキティの結婚と生活でした。

最初ヴロンスキーとちょっとあったけれど、最終的にリョーヴィンに愛され結婚したキティ。アンナと同様に相手の愛情を疑うことはあるけれど、リョーヴィンはキティ一筋で揺るぎなく、キティの存在が彼の領地で生きる意味さえも強くするのです。

そして田舎だろうリョーヴィンの領地で、動じることなく彼の家族を手厚く看護するキティの強さ。

本質的なものか、後天的(リョーヴィンに愛されているという自信)なものか、その辺りも考えずにはいられませんでした。

 

ただ分かったのは、人は苦しんでいる最中に死を選ぶのではなく、全てを悟り自分を顧みたときに、それを選ぶのだなということでした。

そしてそのアンナの苦しみ、悩み、惑い、悟りを見事に演じた宮沢りえさんの素晴らしさ。タイトルロールを演じるということはこういうことなのだと痛感しました。アンナが分からなくても、観客をアンナに心を寄せさせる、見事なアンナだったと思います。

宮沢りえさんがアンナとして素晴らしかったからこそ、やはりヴロンスキーの足りなさは気になりました。

でも宮沢りえさんより顔小さいのでは?と感じるほどのスタイルの良さと美貌は得難く、また後半どんどん調子を上げていったように見えたので、渡邊圭祐さんには今後ともぜひぜひ舞台へ出演していただきたいと思います。

着こなしがともなっていないのに、あの軍服がちゃんと着られてそれなりに格好良く見える、というのは個人的には貴重!ぜひ衣装の着こなしや動き方なども勉強されて、パワーアップされたころに、再度このヴロンスキー役を見たいと思いました。

一方のカレーニン、小日向さんは優しさと尊大さのバランスが本当に見事でした。

ドリーの大空ゆうひさんは、宝塚時代に一度拝見しただけですが、男役よりもずっと個人的にはステキだったと思いました。男役時代に気になっていた発声や滑舌も無理がなく、男役時代は声質的に無理をされていたのかなと思ったくらいです。

ドリーともわたしは分かり合えないけれど、結局あの生き方を選ぶ彼女の気持ちと人となりは十分に伝わりました。そして思わずドリーに同情させるオブロンスキーの梶原善さん。なんか嫌な奴なのに憎み切れないのが上手い!

 

そして辛いパートの多いこの作品の中で、強さと希望を見せてくれたキティ・土居志央梨さんのかわいらしさと動きの美しさ。彼女のこれからの活躍も楽しみです。てか、バレエも歌もできるなら、ミュージカル、やりませんか?

浅香航大さんはテレビとの印象が違って一番驚いたかもしれません。でも純朴で温かみのあるリョーヴィン、ステキでした。

 

音楽と溶け合う演出と、繰り返しになりますがセットも大変ステキだったのですが、

(特にこの電気が表現されるセットが印象的でした!)

1点気になった点がありました。

たしかリョーヴィンとキティの結婚式だったと思うのですが、教会的な空間が上手方向奥に作られていて、そこにキリスト像があったのですよね。

ロシア正教というと像じゃなくイコンが飾られているイメージだったので、驚いたのですが、教会にはキリスト像はあるものなのでしょうか。

そしてアンナやキティを取り巻く貴族社会の噂と閉塞感が、なんとなく英国ドラマの「ブリジャートン家」

を思い出させたので、(ブリジャートン家はいい感じのハーレクインロマンスでエンタメですが)演出家のフィリップ・ブリーン氏の意図か、貴族社会というもの自体がどこの国でも同じ感じなのか、確かめるためにも、原作、読みたい、と思ってしまいました。

 

しかし今までのロシア文学への挫折感からのためらいが・・・。

しかも長い・・・。

そんなわけで時間ができたら、トム・ストッパードが脚本のこの映画あたりから見てみたいと思います。。。

ふれる、感じる、そういう作品@ホリプロ「バンズ・ヴィジット」

3/6(月)17:00~ @シアター・ドラマシティ 

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スタッフ
原作:エラン・コリリンによる映画脚本
音楽・作詞:デヴィッド・ヤズベック
台本:イタマール・モーゼス
翻訳:常田景子
訳詞:高橋亜子
演出:森 新太郎
美術:堀尾幸男

キャスト
風間杜夫:トゥフィーク(指揮者)
濱田めぐみ:ディナ
新納慎也:カーレド(トランペット)
矢崎 広:イツィック
渡辺大輔:サミー
永田崇人:パピ
エリアンナ:イリス
青柳塁斗:ツェルゲル
中平良夫:シモン(クラリネット
こがけん:電話男
岸 祐二:アヴラム
辰巳智秋:警備員
山﨑 薫:ジュリア
髙田実那 :アナ
友部柚里:サミーの妻
太田惠資:カマール(バイオリン)
梅津和時警察音楽隊(マルチリード)
星 衛:警察音楽隊(チェロ)
常味裕司:警察音楽隊(ウード)
立岩潤三:警察音楽隊(ダルブッカ)

竹内大樹(スウィング)
若泉亮(スウィング)

原作の映画はこちらになります。

迷子の警察音楽隊 Bands Visit

迷子の警察音楽隊 Bands Visit

  • サッソン・ガーベイ
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わたしは「何も起こらない物語」ということ以外は、あえて何も情報を入れずに見に行きました。先行している東京公演で「良作だけどコスパが悪い」という意見が多数あるのは知っていましたが、何をコスパというのかは人によって違うな、と実際見て改めて思いました。
もちろんこれは、大阪の「シアター・ドラマシティ」という劇場がこの作品を見るのにちょうどよいサイズだったということも大きいと思います。
なので、作品とハコの相性は本当に大切、ということを、製作のホリプロさんに強く訴えたいところではあります。

2018年にトニー賞10冠に輝いた作品なんですが、当時の授賞式の記憶が「frozen」しかなくて、この作品は完全に、はじめまして、でした。
そしてトニー賞10冠の意味を痛感しました。

本当に、本当に素晴らしい作品でした。

なんてことない話しなんです。
エジプトのアレキサンドリア警察音楽隊が文化交流のため、イスラエルのとある町(ペタハ・ティクヴァ)のアラブ文化センターに行く予定が、空港でバスを乗り間違えて、見知らぬ町(ベイト・ハティクヴァ)に着いてしまった。
そこは何もない砂漠の中の町で、そこで一夜を明かす、それだけの話しなんです。
アレキサンドリア警察音楽隊アラビア語イスラエルの町の人々はヘブライ語
アレキサンドリア警察音楽隊とベイト・ハティクヴァの人々は、意思疎通を図るときはお互いカタコトの英語(を日本語に変更)で話し合います。
言ってみれば「旅の途中の一夜の出来事」なんです。

 

ただエジプトとイスラエルが微妙な関係性であることは、さすがにわたしでも知っています。
特にこの漫画で学びました。

そしてポスターコピーの「ブロードウェイの願いが託された」というのは、そういう国々の人々がふれあうことにあると思いますし、舞台上に生きる人々も、それを見ている観客もこういう日常を送れることこそが、平和を享受していることだということは、今現実に戦争時下の国があるからこそ、よく分かります。

でも今のところ、ありがたくもそうではない日本で見る場合、国と国、宗教と宗教、過去から今は続く歴史と、一般庶民が今ここで普通に生きていることは、また次元が別な気がして、だからそんなエジプトとイスラエルの関係性とか知らなくてもこの作品のよいところは十分に伝わると思います。

(そして、そこから踏み込むかどうかは観客に委ねられた自由だとも思います。制作者のメッセージ全てを受け取らなくてもよいとわたしは考えています。)


困っている旅人と、そこに住んで生きている人が「ふれあう」のは、それほど特別な体験ではないと思うのです。
わたしの場合、見ている間、いろんな旅の記憶とそこで親切にしてくれた人たち、自分の住む町でカタコトの英語でふれあった記憶が、とても愛おしい瞬間のように蘇りました。
(特に公衆電話に電話をかけ直してもらうくだりは本当に懐かしかったです)

 

そして言葉で通じ合うことに限界があるときに、この作品では、活躍するのが音楽なのです。
音楽が同じ感動を共有し、聴く人を癒し、助ける。

何もない砂漠の町ベイト・ハティクヴァではありますが、まあ最低限の娯楽場所はあって、レストランやカフェ、夜遊びするところなんかに、町の人と一緒に出掛ける隊員もいれば、泊めてくれた家に滞在し、ぎごちなく過ごす隊員もいる。
そんな隊員たちとは別に、町の人たちには普通の毎日があって、家庭生活や仕事、恋がうまくいったり、いっていなかったりする。
隊員が来ただけで「いつもの一日」がそこにはあるわけです。
でも隊員たちが来たことで、ちょっとだけ変化がある。

 

自分の誕生日の晩に、突然夫が隊員を泊めにつれてきて、怒り出し乳飲み子を置いて家を飛び出す妻。でも心配で帰ってきたら、夫が扉をあけた向こうで赤ちゃん泣き声とクラリネットの音が聴こえる。「知らない人に子どもを預けるなんて」と怒り、泣いている部屋を開けると、優しいクラリネットの音色が赤ちゃんを癒し眠りにいざない、それを見て泣き出す妻。
ここでわたしの涙腺も崩壊しました。
ああ、彼女はもう「筒いっぱい」だったんだ...。夫は失業中で不安いっぱいなのに、赤ちゃんのお世話は大変で、自分の誕生日は変なことになって、誰かに助けてもらいたくて、でも助けてくれる人なんていなくて。

でもそんなときに誕生日を台無しにした言葉もよく通じない訳の分からないおじいちゃんの一生懸命なクラリネットの音色が赤ちゃんをあやし、彼女の感情をあふれ出させてくれた。
たったそれだけのことなんです。
でも「たったそれだけのこと」が時々ずっと一緒にいる人には難しいことがある。
通りがかりの旅人が、赤ちゃんが泣きだしてどうしたらいいか分からくて、唯一できることを一所懸命やってみたら、作りはじめたものの進まなかった曲の続きができて、それがたまたまそこにいる人の心にふれた。そういうことは、あるのだと、そう思います。

(ちなみに後日、映画を見たのですが、映画にはこのくだりはなく、別の表現で作りかけの曲の続きを思いつく感じになっていました。でも大きくは同じで、ただ歌がない分、映画はとても静かないい映画でした)

 

一応主人公っぽい楽隊体調のトゥフィークとカフェのオーナー・ディナも同じことで、異国の地のほとんど知らない人だから話せることもあれば、分かり合えなくても聞くことができる。

見知らぬ人と人のたどたどしい会話が笑いを起こすこともあれば、妙に心に響くこともある。
そして「ちょっとだけ違う一日」が、ちょっとだけ幸せにしてくれたりもする。
そんな暖かな人と人のふれあいを、エキゾチックで魅力的な音楽が彩る本当にステキな作品でした。
さらにぐるぐる回る舞台セットは印象的かつ効果的ですばらしく、キャスト陣も適材適所で的確な演技と歌を披露するという充実の内容。
風間さん、濱田さん、新納さんのアフタートークに爆笑しながらも、ひさびさに劇場を出てもまだ心がこの作品の世界から抜け出すことができず、ふわふわとした気持ちで数日を過ごしました。

 

ちなみに上演時間は写真のとおり1時間45分です。
そしてシアター・ドラマシティの料金は一律13,500円でした。
でもわたしにとってはミュージカル作品では「ニュー・ブレイン」初演以来、10数年ぶりの感動体験だったのです。
もし会社に休む要求せずに見に行ける状況であるならば、大阪千秋楽まで通いたかったくらいです。
あまりに心を持っていかれてしまって、後から確認したいところが山ほどあったし、席が近すぎて見えなかったところも見たいし、何よりここまで好きになれる作品は10年に一度、あるかないかだからです。

だからこそホリプロさんには、夜公演の上演を真剣に検討していただきたいです。
1時間45分ですよ!今どき映画より短いですよ!
19時半スタートでも21時前には終わるんですよ!
そしてこんなにタッチングな作品です。
会社終わりに見たらどんなに癒されることでしょう。
千秋楽は劇場撤退の時間が必要だとしても、初日と中日は19時半の設定が可能だと思うんです。
そしてその時間だったら「見に行けたのに」勢も多いと思うんです。
さらに作品的に「日常の地続き」で見た方が、入り込みやすくもあると思っています。しかもほぼ夜の物語だから、夜に見る方が感覚的にもマッチします。

(さらに個人的な好みでは、19時半スタートなら、仕事終わりに軽く食べて飲んだ後に見てみたい作品でもあります)

この作品を見て、帰りの電車で困っている旅人がいれば、きっと一声かけるでしょう。
そういう優しい力のある作品なのだから、「日常の地続き」に見られる時間帯の上演を導入した再演を、心よりお待ちしています!

三つ子の魂は死ぬまで変わらず@宝塚雪組「ボニー&クライド」

2/25(土)16:00~ @御園座

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Musical
『BONNIE & CLYDE』
Book by IVAN MENCHELL
Lyrics by DON BLACK
Music by FRANK WILDHORN
BONNIE & CLYDE is presented through special arrangement with Music Theatre International (MTI).
All authorized performance materials are also supplied by MTI.
423 West 55th Street, 2nd Floor, New York, New York 10019 USA www.mtishows.com
潤色・演出/大野 拓史 

キャスト

クライド・バロウ 彩風 咲奈
ボニー・パーカー 夢白 あや
牧師 久城 あす
エマ・パーカー    杏野 このみ
特別捜査官フランク・ハマー 桜路 薫
バック・バロウ    和希 そら
ブランチ・バロウ 野々花 ひまり
ビリー・ザ・キッド 星加 梨杏
テッド・ヒントン 咲城 けい
ミリアム・ファガーソン知事 愛羽 あやね
ボニー(少女)    愛陽 みち
クライド(少年) 夢翔 みわ 

 

この映画で有名だというボニー&クライド。

宝塚歌劇でも荻田浩一さん作・演出により「凍てついた明日」という題名で、かつて2度公演されたことがありました。

また2012年はホリプロ制作で、今回の作詞&作曲家コンビの作品が、上演台本・演出、田尾下 哲さん、訳詞、小林 香さんで上演されています。
田尾下さんの当時のインタビューを読むと、オリジナル脚本家に相談しながら、シーンなどを入れ替えて作ったとのことなので、今回の宝塚歌劇版とは違うのかもしれません。

田尾下哲さん(おけぴ管理人インタビュー)

残念ながら、わたしは映画や「凍てついた明日」、2012年ホリプロ版も見たことなく、終わってから「これって大恐慌時代の話?」と同行者に聞くほど、わたしは彼ら二人について全く知識がありませんでした。
(一応舞台上には1934年ルイジアナ、とか表示されますけど、大恐慌がはじまった年が1929年とかちゃんと知らなかったもので…、すみません…)
ましてや作曲はワイルドホーン先生です。
いい作曲家と自分の好みは違うというかなんというか、ともかく、わたしはワイルドホーン先生の重たーいメインディッシュばかりドーンと続く作品が苦手だったため、なんの期待もなしに見に行きました。
そして期待はいい方に裏切られました!

てか、ワイルドホーン先生、こういうナンバーも作れるんじゃないですか!
なぜ、なぜ、今までこういうのも混ざてくれなかった。
音楽がとにかくブルース、カントリー調、ゴスペル調、ロカビリー調とさまざまなジャンルが混ざっていて、聴いていて楽しい!
これ、わたしはミュージカルで重要視しているところで、多様な音楽を作れる作曲家の方が好きなんですよね。
音楽は決して新しいものではないけれど、だから逆にこの時代感を表現できていて、毎回書いていますが、音楽がよければミュージカルとしては8割方成功しているわけです。

しかしながら肝心のブロードウェイではプレビュー入れて2か月ほどでクローズしているというその理由はどこにあったんだろう、と考えてしまうくらい、非常に興味深い作品になっていました。

 

インターネットを漂えば英語台本くらいは見つかる時代で、それを見てみても今回のものと大きく変わっている感じはせず、逆に特にラストシーンはうまい超訳にしているな、そして訳詞もうまいな、と思っただけに、今回の上演台本と訳詞がどなたのものだったのか、さらに上記にクレジットされている「MITによる特別なアレンジ版」というのはどういうことなのだろうとスタッフゾーンにナゾが飛び交うばかりなので、その辺、宝塚歌劇団さまにははっきり記載していただけたら嬉しいなと思います。

 

今回の演出は大野先生です。
そしてわたしは大野先生の演出、セット、衣装が大好きです。
そんなわけで今回の一番上段にオーケストラがあって、舞台まで階段がつながって、というセットがさまざまな雰囲気を醸し出して大好きでした。
それだけにオーケストラが休演していたときのセットはどんな感じだったのか気になります。

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というのも本当に一番上にオーケストラがあるからこそ、とりわけボニーのテーマ曲「How ‘Bout A Dance」が月のセットも美しく、照明が柔らかく照らすオーケストラがナイトクラブのイメージを増幅させて色気あるシーンになっていたからです。

 

さてボニー&クライドについて「強盗殺人犯のカップル」くらいしか知識のなかったわたしですが、今回このミュージカルで描かれたボニー&クライドは「心は子どものまま成長できなかった二人」に見えました。
その辺りは象徴的に登場する少女のボニー、少年のクライド、そして歌われる「Picture Show」が雄弁に語っていると思います。

(少年クライドもよかったけれも、少女ボニーの愛陽 みちちゃんがこの歌がめちゃくちゃ似合っていて素晴らしかったです!)

ダークヒーローという言葉があるくらいに、ピストルでターゲットを撃つゲームがあるくらいに、そういった人物像や行為に憧れるのはなんとなく理解できるし、女優にいたっては小学生くらいまでは、わたしだって憧れていました。

でも世間と現実を理解してそれは無理だと理解する方が多いと思います。
(ちなみに少女のボニーがなりたいと願う「クララ・ボウ」という女優についても全く知らなくて、まあきれいな人なんだろうな、くらいに思っていたら、Wikipediaの情報の限り、彼女もなかなかな人生で、知っていたらより少女のボニーの憧れが危なく思える気がします)

でも二人は違った。
二人に追い打ちをかけたのが環境の変化と貧困で、特にクライドの方は幼少期、引越し先の差別の中で暴力とともに育ち、教育らしい教育も受けずにそのまま成長してしまっています。

ボニーも幼い頃に父親と死別し、母親とともにど田舎と思われるダラスに移住し、そこで軽はずみな結婚をして、高校をたぶんドロップアウトしています。
もちろん同じ条件だったとしても、多くの人は一所懸命、真面目に生きることでしょう。ブランチがそうであったように。そしてバックがそうあろうとしたように。
でもクライドは現実を見ていなかった気がするのです。ゲームの世界から抜け出せない人のように。そして彼を更生する機能がなく、寧ろ監獄で虐待を受けてより世の中への反逆心を強くしてしまうのです。
このときに我々が彼を「犯罪者」と切り捨ててしまうのは簡単だけれども、それでいいのだろうか、とも考えてしまいました。
特にどんどん武装して、ヒーロー視されていく「バロウギャング」たちの姿を見せられると、銃社会への問題も投げかけている気がしました。

 

と書くとかなり陰惨な舞台なように思えるのですが、これが内容に対してこの表現を使っていいのかためらう部分なんですが、おしゃれ、なんですよ!
おしゃれな中に、神への欺瞞や、貧困にあえぐ民衆なども描かれるすごさ。
Made In America」なんかはゴスペル調の陽気なリズムに乗せた生々しい歌詞で、民衆を狂気へ導いているんじゃないのか、と思わせるのです。

(神父役・久城あすくんの歌唱も存在感も素晴らしかった!)


そして興味深いのが、ボニーもクライドも、わかりあえなくても家族のことを大切に思っているんですよね。

この辺りに二人のピュアさがあって、極悪非道な凶悪犯なだけが彼らではなくて、人間なのだなと思うのです。

あれほどはっきりと神は生活を救ってくれないことを表示されて、わたしたちが彼らと同じ境遇にいた場合、どれくらい彼らと違うのか、ということも考えてしまいました。

 

特に彩風咲奈クライドが、あれだけのことを平然と行っておきながら、兄のバックや両親の前ではあどけなさを見せるので、「ああーこの人はビリーザキッドに憧れるただの少年のまま成長していないんだ」と感じさせて哀しい。

一方の和希そらバックは兄らしく、もう少しオトナなんですが、根っこのところに「リッチになりたい」という分かりやすい欲望があって、そこに兄弟愛を交えてクライドに引っ張られていくのもツラい。

でもこの二人で歌う「When I Drive」はむじゃきに楽しく可愛くて、さらにバロウギャングになって車に乗り込む姿が格好よくて、ああこうやって当時の民衆も彼らに騙されたんだろうなと実感しました。

 

そのバックの妻ブランチが最も我々と共感しやすい人物じゃないかと思います。

そしてそのブランチを野々花ひまりちゃんが熱演!

美容師という職業柄、貧しくても美しく装い、身の丈にあったささやかな幸せを得ようと一所懸命に生きているその姿が、他がめちゃくちゃなだけに余計、心を打つのです。

歌も芝居も素晴らしくて、バックだけじゃなくて、この演目自体をひまりブランチが支えていたように見えました。

だからひまりブランチがどんなに説得を重ねても、止めることができなかったそらバックにそれでも着いていくとき、いろんな見方はあるでしょうが、彼女は最後の最後までバックを救うためにそこにいたのではないのか、と思ったのです。

だからブランチの絶叫が、何より心に響く。涙

(またこのシーンのそらバックの演技も切なくすごい!)

それこそ見ているこちら側も神と運命を恨むときに、あす神父の歌が本当に空々しく聞こえる辺り、この作品、うまいです。

 

あと描き方としてすごく興味深いなと思ったのが、テッドでした。

ボニーの幼なじみでボニーに片思いしている役なのですが、初めはいい人に見えるんです。でも物語が進むに連れて、彼が「理想のボニー」を自分の中で育てているだけということが分かるのですね。これが非常に怖い。

だからもう少しその変化というか、メッキの剥がれていくさまを丁寧に見せてもらえたらよかったかなあと思います。

 

で、ボニーですよね。

夢白さんがどうというより、なんというか、この役は非常に難しいなあと思いました。

ずっとどんなボニーだったら、わたし自身は納得したのだろうと考えているのですが、答えがない。

そんな中で夢白さんはよく演じていたと思います。

ただひまりブランチが、いじわるで「ボッサボサの髪型で」というようなセリフがあるんですけれど、ほんとボッサボサに見えたのがよいのか、悪いのか。汗

とりあえずヘアスタイルとメイクについては、せっかく美しいのだから、もうひと頑張りお願いしたいところかなあと思いました。

 

ボニーが詩を詠むシーンがいくつかあるんですが、ここがやっぱり英語脚本を見ると、日本語にするのが難しいところだなあと思います。

ただ詩作が好きなボニーが、その語感にこだわったというところで、あの最後のシーンのセリフになるのがステキでしたし、よくぞ元の英語のセリフからあそこまで超訳したな、とも思うので、繰り返しますが上演脚本のクレジットの掲載をぜひ今からでもお願いしたいです。

 

蛇足ですが、フィナーレが、最後のクライドの登場が、めっちゃくちゃ格好よかったことも記しておきます。

本作の終わり方がよかったので、フィナーレいらなくない?と思ったのですが、あの最後の登場は欲しい!

そしてあの最後の登場があるから余計に、この作品を別箱でやる意味があったと思いました。