こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

バディもの、にしたらよかったのに@宝塚月組「応天の門」「Deep Sea」

平安朝クライム
応天の門』-若き日の菅原道真の事-
原作/灰原 薬「応天の門」(新潮社バンチコミックス刊)
脚本・演出/田渕 大輔  

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キャスト 

菅原道真 月城 かなと        
昭姫 海乃 美月        
在原業平 鳳月 杏        
桂木 梨花 ますみ    
藤原良房 光月 るう    
清和帝    千海 華蘭        
黒炎    朝霧 真    
白梅    彩 みちる        
藤原基経 風間 柚乃    
藤原高子 天紫 珠李
吉祥丸    瑠皇 りあ    
藤原多美子 花妃 舞音

 

原作はこちらです。

今回、はじめて原作ファンの方とご一緒することになったため、あえての原作未読でいきました。そして原作未読でも内容は十分にわかりました。
原作ファンの方曰く、7巻くらいまでの内容をかいつまんで一つのお話にしているとのことです。

 

あ、もしかして原作ファンで見てみたかったけれど、チケットどうしたら取れるのかわからなかったという方がいらっしゃいましたら、東京近郊の方は今からでも、身近な宝塚ファンに言ってみるのがよいかと思います。

わたしも今回見るつもりなかったのですが、公演はじまってから、原作ファンの方から見てみたいというお声をいただき、いろいろ駆使してチケットゲットしましたので、身近な宝塚ファンの方はきっと力になってくれると思います。

 

そして東京まで行けないよー、という方は配信で見る方法があります。

ディレイ配信がないライブ配信のため、その日時に配信を見られる環境にいることが必須ですが、よければ下記を参考にしてください。

宝塚歌劇LIVE(ライブ)配信 | 楽天TV

宝塚歌劇の人気公演をU-NEXTでライブ配信!

ちなみにこの「応天の門」は

●3/6(月)13:00〜

●4/30(日)13:30〜(予定)

に配信されます。

 

見終わってから1巻だけ借りて読んだのですが、オープニングの原作再現度は高く、あそこは原作ファンならワクワクしたかなと思うので、その後が続かなかったことが残念でなりません。

個人的には、いろいろ起こるわりにとっ散らかっていて、見せ所がはっきりせず、単調だなという印象を受けました。
原作を1巻しか読んでいないので分からないのですが、おそらく「百鬼夜行」を選んだのは、その絵面がよかったからなんじゃないかと思うのです。
それならば、「百鬼夜行」をやっている現場だけでなくその裏側や、被害者の様子などももっとダンス等を使って「魅せて」しまってよかったんじゃないかと思います。
道真と業平と基経の過去振り返りが多すぎて、その部分がどうしても飽きてくる。
業平と高子にあったことは、いっぱいセリフで説明されているのでそこはカット(原作でも現時点では業平と高子について詳細は明らかになっていないと聞いたので余計に現状説明のみでいいかと)、道真と基経の過去振り返りは、二人の共通点のみをいっぺんにやってしまった方がすっきりしたと思います。
むしろそれよりも、さらっと一つ道真が難事件(できれば原作2話目の白梅とお姫様の話し。彩みちるちゃんの立ち位置と身なりがナゾだったので)を解決して、それから「百鬼夜行」に向かう、その間に道真の変化を丁寧に描いて、道真と業平の「バディもの」という側面を強く出した方が面白くなった気がするので、いろいろ惜しい!
しかもその方が月城さんの個性にもあったと思うのですよ。

道真は頭がよくてだからひねくれもの、なのですが、その部分がやはり月城さんの弱みというか、本当にこの方、いい人なんだろうな、と感じさせる人柄がどうしても見えてしまって、鼻につく上から目線の感じが弱い。
見ながら、見た目はともかくこの役、カンバーバッチが演じたら完璧だろうなと思ってしまったので、少しずつ業平や昭姫に心許していくさまを丁寧にわかりやすく描いた方が、月城さんにはあっていたと思うのです。
(原作漫画はそうだとききました)
そして風間くんが、これまたなかなか複雑な基経をよく演じていただけに、基経を分かりやすく敵役として置いてその動きもしっかり見せ、道真、業平、昭姫で倒しに行く方向のエンタメミュージカルにしてしまった方が、ありきたりだけどワクワクドキドキ楽しめたのではないかと思わずにはいられませんでした。
みんなよく演じていただけに、この仕上がりはちょっと残念で、セットも日本物だから舞台の床に座ってしまって、床に違和感を抱くのはしょうがないけれど、せめて帝の座るところくらい、ござっぽいペラペラなものではなくて、豪華な畳的なものにできなかったでしょうか(涙)
帝の華蘭ちゃんが声のトーン、柔らかな演技、美しい所作と集大成のような完璧な演技を見せていただけに、ものすごい気になりました。

 

原作ファンの方にはどうだったのかは分かりませんが、宝塚ファンにはそれでもショーがある!

 

ラテン グルーヴ
『Deep Sea -海神たちのカルナバル-』
作・演出/稲葉 太地  

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いやーラテンショーでまさかのチョンパ!
いいです!
目がつぶれる感じがめちゃくちゃいい!
内容もこれでもか!てくらいモリモリで、スピーディーで楽しいし、フィナーレ前のマグマのようなコンテダンスは振付もよく迫力あって楽しかったです。
とくにこのシーンの海乃美月ちゃんが、衣装も巫女っぽくて世界観を広げてくれました。
アルタン風のデュエットダンスもこのトップコンビらしく、大人っぽくて大満足。

あと真珠のお姫様さまみたいな衣装のシーンは舞台写真、買いに行きますね!ほしい!
芝居が長く感じただけに、わたしのショーの体感時間は秒でした笑!

 

ご一緒した原作ファンの方は、ほぼ帝の賛美で終わっただけに、他の原作ファンの方のこの観劇体験が気になるところです…。
そして田渕先生には「アウグストゥス」の時も同じような感想を抱いたので、物語の何を軸にして「見せ場」を作るか、というのを意識していただけると嬉しいなと思っています。

今ごろ2022年かんげき振り返り

自分用の記録としてやらなければやらねばと思いながら今になりました。

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★3月

unrato#8「薔薇と海賊

★4月

宝塚雪組「夢介千両みやげ」「SEnsational!」

宝塚花組「TOP HAT」

東宝「next to normal」

★5月

ミュージカル「メリー・ポピンズ

★6月

宝塚花組「巡礼の年」「Fashionable Empire

★7月

ミュージカル「スワンキング」

大阪松竹座「七月大歌舞伎」

★8月

宝塚月組グレート・ギャツビー

★9月

梅芸「8人の女たち」

シアターコクーン+キューブ「世界は笑う」

★10月

宝塚雪組蒼穹の昴」(×3回)

大阪松竹座「日本怪談歌舞伎(Jホラーかぶき) 貞子×皿屋敷

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★11月

シス・カンパニー公演「ショウ・マスト・ゴー・オン」

宝塚星組「ディミトリ~曙光に散る、紫の花」「ジャガービート」

 

★12月

東宝天使にラブソングを~シスター・アクト~」

KERA MAP#010「しびれ雲」

 

Jホラー歌舞伎だけ感想かけてなかったので、自分の思い出にツイートを貼り付けておきます。

 

ということで、今年は15本、18回観劇なので、まあまあ抑えられた方かなと汗

とはいえ「蒼穹の昴」東京千秋楽まで行っちゃったので、その辺りの交通費とか入れると、そこそこな出費ですよね・・・。

そしてライブ配信というワナにもひっかかりまくりでしたしね。

あと久々にNTLiveで「プライマ・フェイシィ」を見て、自分のレイプへの認識の甘さを知らされました。また上映されることがあったら、ぜひ見ていただきたい作品です。

 

ケラさまの作品2本、どちらも好きだったけれど、2022年は「蒼穹の昴」だったなあと思います。

演出・装置・衣装・役者の総合芸術を見た、と思っています。

本当に素晴らしかったので、変な週刊誌のせいで、この作品が封印されてしまわないことを祈りたいです。千秋楽の朝月希和サヨナラショーも本当によかっただけに、千秋楽付きの放映が取りやめにならないことを願っています。

 

個人的には「グレート・ギャツビー」の改訂再演と「next to narmal」再演も嬉しい出来事でした。

ただ「next to narmal」の演出とセットが変わっていたことは残念でしたね、オリジナルが素晴らしかっただけに。

でも今年助演俳優賞を個人的にあげるなら、この作品の昆夏美さんです!

昆さんにとっても、ご本人の個性を強みに変えられる当たり役だった気がします。

グレート・ギャツビー」は大劇場のコロナによる公演中止が非常に厳しかった作品の一つです。

特に初演「華麗なるギャツビー」も同じ夏の時期に上演されていただけに、どうしても大劇場で8月に見たかったので、いろんな方々のご尽力を得て、数少ない大劇場公演を見られたのは本当に感謝しかありません。

 

2023年もいろんな作品が楽しみなんですが、再演ものでいうと、ずっと早い段階の再演をと願っていた「Factory Girls」の再演を心待ちにしています。

そして、この作品が本当にブラッシュアップされていることも、心から願っています。

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沈みゆく船にともに乗る@宝塚花組「うたかたの恋」「ENCHANTEMENT」

1/22(日)15:30~ 宝塚大劇場

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スタッフ

原作/クロード・アネ

脚本/柴田 侑宏

潤色・演出/小柳 奈穂子

装置/二村 周作

 

キャスト

ルドルフ    柚香 光        
マリー・ヴェッツェラ    星風 まどか        

ジャン・サルヴァドル    水美 舞斗        
ロシェック    航琉 ひびき
ゼップス    和海 しょう        
エリザベート    華雅 りりか            

フェルディナンド大公 永久輝 せあ
ステファニー    春妃 うらら
フランツ・ヨーゼフ    峰果 とわ        
シュラット夫人    糸月 雪羽
ブラットフィッシュ    聖乃 あすか        
マリンカ    咲乃 深音    
ラリッシュ伯爵夫人    朝葉 ことの        
ミッツィ    詩希 すみれ    
ソフィー・ホテック 美羽 愛    
ミリー・ステュベル    星空 美咲

 

改めてこの作品って原作があったのだなあと書きながら思いました。

わたしが初めて宝塚歌劇の「うたかたの恋」を見たのは1993年星組の大劇場公演でした。

そしてその後「エリザベート」が上演され、「ルドルフ 〜ザ・ラスト・キス〜」が上演され、もろもろ知識を得たあとに、久々に見た小柳先生による新演出「うたかたの恋」が非常に面白かったので、今、基本に戻って原作小説を読みたいなという気分になっています。

 

ちなみに2013年に宙組バージョンも見ています。

ということで、今10年おきに宝塚歌劇うたかたの恋」を見ている事実を把握しました(汗)

 

10年経つといい感じに記憶も薄れていたのですが、今までと「違う」ことだけは、さまざまなところで感じました。

もちろん記憶と同じシーンもちゃんとありつつ、記憶のあるセリフをこういう風に見せるんだ!というシーンもありました。

全体に言えるのは、この新演出は「エリザベート」と同じく「ハプスブルク帝国の黄昏」を内容、照明、セットで強く感じさせています。

(でもハプスブルク家の紋章付き赤い布で覆われた大階段のプロローグはちゃんとありますよ!あの前奏が鳴ってミラーボールが回って、幕開いて赤い大階段に白い衣装のトップコンビというのは、「うたかたの恋」気分がやっぱり盛り上がります!)

フェルディナンド大公は今までも登場していたのですが、そのパートナーであるソフィー・ホテックも登場させることによって(ちゃんとボヘミア人であることの紹介もあります)、この物語の先に待ち受けるさらなる悲劇を匂わせてくるのが、とても興味深いです。

 

そして今までの「うたかたの恋」は刹那の恋、宝塚歌劇らしいラブロマンスの印象が強かったのですが、この「うたかたの恋」は動乱の時代を生き抜くには辛かった皇太子の物語になっています。

ジャン・サルヴァドルが政治を語るシーンを街中のカフェに変更することで政治色がなぜか際立ち、だからそれに対応するルドルフの聡明さも見えやすいのも面白い。

そのため柚香ルドルフは上記の漫画に近いイメージのルドルフでした。

見ていて彼と同じ旧式の沈みゆく船に乗っている気持ちになったのです。

シーン毎に幕が降りて暗転になるという、古典的な進行具合も物語がゆったりと、でも確実に危険な方向へ進んでいる感じがして、緊張感を増したように思います。

でもその幕おり暗転も照明をゆっくりと1点に絞っていくとか、ほんのり残す部分は残すとかしてあって、個人的には古典的な手法をよく工夫して使っていた気がしました。

 

先述したようにマリー・ホテックなど、新キャラも登場させていますし、割愛しながらも理解しやすいよう足されているので、結果として活躍を期待したミッツィや二番手娘役格のはずのミリーも、かっこいい悪役女役ツェヴェッカ伯爵夫人、そして皇太子妃ステファニーも今までよりはセリフや出番が少なくなり存在感が薄く、その点は残念ではありました。

 

が、過度なストレスと精神的なもろさで苦悩する柚香ルドルフは「絶品」以外、何を言えましょう!

とにかく理屈なしに、マリー・ヴェッツェラが癒しとして必要で、それを取り上げられて、対外的に過剰なストレスがのしかかって来たときに、もうどうにもできなくて、軍服を乱して飲み暴れる柚香ルドルフが、美しすぎてこんな感じで心の中で発狂してました。

そんなルドルフの元に駆けつけてくれるマリー・ヴェッツェラに取りすがり、今まで見ながら「こっぱずかしい」と思っていた初夜シーンへのセリフを、あんなにナチュラルに聞かせる辺り、小柳先生も柚香さんもさすがだと思います。

(マリー・ヴェッツェラが自然と殿下からルドルフと呼ぶのがいい!「お前」呼びをなくしてくれたのと、指輪の日付をなくしてくれたのは心から感謝!)

 

でもこうなるとマリー・ヴェッツェラという役が本当に難しいなあと思わざるをえませんでした。

はじめて見たときには白城あやかさんのファンだったのでその美しさと可愛らしさにただただ魅せられ、あまりそのあり方のことは考えず、宙組版では凰稀かなめルドルフのたらしでダメなところに惹かれたダメンズ好きの女子なんだなあとか勝手な解釈をしていたのですが、ここまで「ルドルフ」という役をしっかり見せられると、マリー・ヴェッツェラのからっぽ感が逆に浮きだってしまったのです。

星風まどかさんはどちらかというと現代的なかわいらしさが漂う方で、「ルドルフ 〜ザ・ラスト・キス〜」で描かれたマリー・ヴェッツェラ像に近く見えたので、「皇太子という特別な存在に憧れるミーハー女子」として描いてしまってもよかったと思うのですが、そうもいかないのが宝塚歌劇のヒロインの難しさだなあと改めて思いました。

本当の意味の「小さな青い花」、つまりルドルフが「恋焦がれる何か」、「憧れ追い求める何か」のような象徴として、透明感を漂わせてただそこにいる、のが個人的には期待した方向の作り方なのですが、透明感というのはもう努力ではどうにもならないので、ニンでない役をきっちり仕上げてきたのは、さすがだと思いました。

 

他は華雅りりかエリザベートがステキだっただけに、峰果とわフランツ・ヨーゼフはもうちょっとがんばろうか、と思いましたが、シュラット夫人が歌の見せ場があって美味しく、マリンカとは違うオペラ系「歌うま枠」としてこういう役が継承されていくといいなと感じました。

ハムレットがバレエ版になっていて、そこでダンスの得意な人が活躍できるのもよかったし、妙なバランスに成り立っている両親の間で辟易と観劇している最中に社交界デビューしたばかりのマリー・ヴェッツェラを見初めたのが、分かりやすく描かれたのも面白い。

(ただかつてルドルフとハムレットが二役になっていたのは、あれはあれで好きでした。

あそこでハムレットの悩みを芝居で見ながら、マリー・ヴェッツェラの独白で彼女の思い的なものを語らせたのも、マリー・ヴェッツェラがからっぽに見えづらかった一因かも。でも「悩みに狂う王子と無垢な乙女」に憧れられる時代ではなくなったので、必要な改変だと思いました。)

このあたりは下記の本で描かれた内容を思い出しました。

マイヤーリンクの、これまた見ていて恥ずかしかった「キャッキャッウフフ」シーンも触りだけでさらっと流し、心中シーンにフェルディナンド大公を登場させてより政治色と皇室の悲劇感を強めてきたので、想像以上にズドーンと重苦しい気持ちで見終えました。

この本もぜひ読んでみたい!

ぜひとも電子化も検討していただけると嬉しいです。

 

そして、ズドーンと落ちた後の、ショー、楽しかったです!

「ENCHANTEMENT(アンシャントマン) -華麗なる香水(パルファン)-」

作・演出/野口 幸作

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星風まどかさんはやっぱりもう大人っぽい感じの方が似合う!

マリリン・モンロー、かわいい!

そして柚香さんも水美さんも、シルクハットとステッキが似合う!

可もなく不可もないレビュー的なショーでしたが楽しかったし(グッズの扇で一緒に踊るシーンはもうちょっと欲しかったけど)、2段のショーケース的セットが、最後の大階段横にも置かれてそこにショーガールたちが立ってくれていたのが華やかでよかったし、何よりフィナーレが「君住む街角で」からのデュエットダンスが「魅惑の宵」とミュージカルオタクに嬉しい選曲で満喫しました。

 

ただ芝居も新演出とはいえ、クラシカルな宝塚歌劇ですし、ショーもレビュー感あってクラシカルさが漂うので、わたしみたいな観客には楽しいのですが若い方は大丈夫かな、とかはちょっと心配にはなりました。

魂のさすらい@東宝「エリザベート」

1/3(水)12:00~ 梅田芸術劇場

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スタッフ

脚本/歌詞 ミヒャエル・クンツェ
音楽/編曲 シルヴェスター・リーヴァイ
演出/訳詞 小池修一郎    

キャスト

エリザベート 愛希れいか
トート 古川雄大
フランツ・ヨーゼフ 佐藤隆紀
ルドルフ 甲斐翔真
ゾフィー 涼風真世
ルキー二 上山竜治

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知らぬ間に「チケットが非常に取りにくい演目」の一つになっていた「エリザベート」。

わたしが最後に見たのは宝塚月組版でした。

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この時も実はもう一度見る予定だったのですが、台風で公演が中止になり、その後の東宝版もコロナで中止になり、「ちゃぴ(愛希れいかさん)のシシィに嫌われているのか・・・(涙)」となっていたので、念願かなって、やっとの観劇が壮絶な大阪公演の千秋楽で、感慨深いものはありました。

 

でもそれ以上に「新演出版」初体験で、「おおう、ここまで変わっているのか!」と驚きが多く、非常に興味深い公演だったのです。

前回東宝版を見たのがいつかな、と思っていたら13年も前でした。

そりゃあ色々変わってて当然です(汗)

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しかも梅田芸術劇場で「エリザベート」を見るのは15年前の来日公演ぶりという新鮮さ!

そんなわけで過去の記憶との差異を楽しむ形にはなってしまったのですが、新演出版の方がよりマニアックになっている気がします。

個人的にはそれが楽しかったわけですが、日本ではもはやミュージカル観賞の入り口的演目にもなってしまった作品で、ここまでハプスブルク家ヴィッテルスバッハ家を「濃く」描くのは、いいのか悪いのか惑うところでもあるなと思いました。

 

宝塚版は「トートとシシィの恋愛」を軸にするという大いなる脚色があるのですが、今回の東宝版ではその脚色をかなり取っ払っています。

その結果、そもそも宝塚版初演のために追加された「愛と死の輪舞」が少し浮いている感じを受けました。

ルキーニが「エリザベートを殺した」動機を聞かれるオープニングで、「グランデ・アモーレ」という言葉は口にするのですが、日本語での「大いなる愛だ」というセリフはありません。

さらに最後にもう一度問われるところでは「偉そうなヤツなら誰でもよかったんだ」というようなセリフに変わるので、じわじわと最初の「グランデ・アモーレ」はルキーニの狂乱じみたところを見せていたのかもな、と思わせてくれます。

音楽は一緒ですが、微妙に追加&変更された歌詞やシーンの変更、順番の変更があって、個人的にはより「エリザベート死への逃避行」の物語に見えましたし、それが正解だとも思うのです。

宝塚月組版で愛希シシィを見たときに、上にリンクしたタイトルどおり「世間と自分との孤独な闘い」を繰り返す人物だなあと思ったのですが、新演出版はそこをもう少し、この人はこういう人なんだと受け取りやすくしてくれています。

お見合いシーンの後のフランツ・ヨーゼフのデュエット「あなたが側にいれば」で、「二人で世界中を気ままに旅しましょう」とか歌っちゃうので、「ああこの人はオーストリア皇后になること」も理解していない子どもで、とにかく「自由に生きたいのだ」ということがストレートに伝わってきます。

バイエルン王女を母に持つ、王家に近い貴族の娘という立場さえ窮屈だった子どもにとって、オーストリア皇后の義務と責務は非常にストレスであることも、より明確になります。

強いストレス環境の中で、「自分」を捨てることもできず、ストレスを解消するものすら禁止されている場合、「死」に希望を見出すのは非常によくわかるのです。

そして古川トートがまた純粋で、そこにある「死」そのもののように存在が弱くなったり強くなったりしながら「いる」ので、何であれ「死」が近いときに見えるほどに強く現れ、そうでないときは「ただいる」、そのバランスがすごく好みでした。またダンス力も発揮されて、その身体能力が「人物」ではないことをよく見せていたように思います。

元々がクラシック要素も高い楽曲な分、声楽畑のキャストが歌うとどうしても「ロック」の部分が弱くなるので、この演出版での「トート」は古川雄大の良さを発揮できる当たり役なんじゃないかと思いました。

 

自分の存在価値が見いだせない愛希シシィが、ハンガリー訪問で得た賞賛と国民からの愛に興奮し感激するシーンは、ここから彼女がハンガリーを愛することになるのも納得でしたし、最後通告を突きつけながら傷ついて、それでも可能性を信じて一旦「死」を追い払うのも、とても自然に見えました。

そこからの一幕最後の勝ち誇った愛希シシィの表情と存在が圧巻!

続く二幕の完全に「死」が見えていない、デュエットになっていない「私が踊るとき」がまた素晴らしくいい。死なずにそれを勝ち得たことの陶酔感がいい。でも独りよがりだったのだと、本当に一人で踊っていただけでそれでは満たされない思いから、この後の放浪生活にいたるのがスムーズでした。

その中でも特に精神病棟のシーンは、彩花まりさんヴィンディッシュ嬢の好演もあり、本当に「心が自由になりたい、このしがらみから解放されたい」という愛希シシィの魂の叫びのようでもありました。

ところで、うつ病の方が「本当に死ぬんじゃないかと思った瞬間」の一例を漫画で読んだことがあるのですが、そこには、本当に平穏で気持ちよくて飛び降りようとしていた、と描かれていました。

症状はそれぞれ違うと思うのですが、そうであるならば、ルドルフの死という哀しみの深淵にいるときは「死ぬ気力」すらわかなくて、そもそもシシィは「自殺」ができなくて、ルキーニのナイフを見たときに「今、この瞬間をとらえたら死ねる、つまりこの世のしがらみやややこしい自分の心から解放されるのだ」と思ったように見えたのです。

だからこのシシィは最後、自らトートに口づける。

死を自分から選び取り、解放されたのがよくわかるのが新演出版が面白さだと思います。

 

かつてあった「美女コレクション」などがなくなっている代わりに、ハプスブルク家ヴィッテルスバッハ家の不幸を見せるシーンがあって、これもハプスブルク家の黄昏、狂乱の血筋のヴィッテルスバッハ家を印象づけて面白かったです。

またフランツ・ヨーゼフがオーストリア帝国を継承したときには、もう度重なる戦乱で国は貧しくて、一般市民も自分たちのその日の生活のことで精いっぱいで、この先の第一次世界大戦第二次世界大戦へ流れていく予兆が差し込まれたのも、今、実際にわたしたちが「そこ」にいるのではないだろうか、という恐怖感もあり、とても興味深い改変でした。

このシーンの前に美しいギリシャ・コルフ島でハイネの詩を読み、孤独感に苛まれるシシィが描かれたのも印象的でした。

 

これだけ改変されているのですから、もう「愛と死の輪舞」は割愛、シシィが「死なせて」とトートにすがったときに「まだわたしを愛してはいない」と拒絶するのも割愛(トートが何も言わず去るとか)してくれてると、もっと一貫性があるようにすら思ってしまいました。

 

それからこれは13年前もそうだった記憶なのですが、一幕のシシィは「子どもの教育権を自分に取り戻す」ことを要求し闘っているのですが、取り戻したことに満足してその後は放置した、とルキーニに紹介される部分があります。

これがあると、やはりルドルフの「愛情への渇望」が伝わりやすいなと改めて思いました。

ルドルフは甲斐翔真さんだったのですが、美しくスタイルも歌声もよくて大満足。ハンガリー反乱軍の若者たちも見栄えする方が多かったので、今後のミュージカル界が楽しみです。

このようなコスチュームプレイの場合、やはりスタイルの良さというのは顕著にでるので、大阪ではなかった(恐らくしびれ雲に出演中だったため)井上芳雄さんの出演ですが、トートでなく彼のフランツ・ヨーゼフの方をぜひ見たいなと思ってしまいました。

佐藤隆紀さん、昔グランドホテルで拝見したときはスラっとしていらしたイメージだったのですが、ちょっと違っていて、壮年後のフランツ・ヨーゼフはいいのですが、16歳のシシィが結婚を申し込まれてポーっと結婚しちゃう説得力がほしかったなと思ってしまいました、すみません。

あ、涼風ゾフィー、きれいでしたし、歌は抜群にうまかったです。

それだけを求めて涼風ゾフィーを選んだので満足です。

あと今までも何度も見ているはずなのに、はじめてマデレーネで美麗さんの美貌に虜になってしまいました。今まで何を見ていたんだわたし、ってくらい妖艶で美しくて釘付け。フランツ・ヨーゼフが浮気するのも納得。

そして8人いたはずのトートダンサーは6人でがんばってくれて感涙。

1/31の博多座大千秋楽まで、無事の完走を心より祈っています。

ちなみに博多座千秋楽は配信が決まっています。

フランツ・ヨーゼフが見たいと書いた井上芳雄さんですが、トートとしてこの愛希シシィとどう対峙するのか、古川トートがとても相性よく見えただけに、配信で見てみたいな、とか思わせるあたり、やっぱりこの演目は面白い、です、わたしには。

帝国劇場 ミュージカル『エリザベート』

謝罪と感謝でゆったりと生きていく@KERA MAP#010「しびれ雲」

12/11(日)13:00~ @兵庫県立芸術文化センター

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[作・演出]
ケラリーノ・サンドロヴィッチ 
[出演]
フジオ 井上芳雄 

石持波子 緒川たまき 

門崎千夏 ともさかりえ

占部慎太郎他 松尾諭 

石持勝子 安澤千草 

繩手万作/坊主他 菅原永二

繩手やよい他 清水葉月 

菊池柿造 富田望生

石持明彦 尾方宣久

石持伸男 森準人 

石持一男/輝彦 石住昭彦

佐久間一介 三宅弘城

石持竹男/権藤 三上市朗 

門崎文吉 萩原聖人

 

「キネマと恋人」の舞台だった梟島の物語なのですが、これは梟島という設定以外は全く別のお話しでした。

梟島にしびれ雲が出た日、記憶をなくした男が流れ着く。「フジオ」という名前を与えられ、仕事も世話してもらった男は、梟島での新しい人生をはじめる。

 

のを基軸に千夏・文吉夫婦のケンカや波子・勝子の親子関係をはじめ、梟島で生きる人々の日常が淡々とそこに描かれていました。

「キネマと恋人」で使われた梟島弁はそのままに、そこにあったのは普通の人々の生活でした。

思いがすれ違っていったり、思う方向がねじ曲がってしまったり、思うからこそ言い出せなくて誤解を生んでしまったりしながら、それでも「ごめんちゃい」と「ありがとさん」をちゃんと口にして伝えれば、ちょっぴり幸せを感じながら、きっと明日も生きていけるのだと、そういう当たり前のことをしみじみ感じる作品でした。

一方でフジオは、自殺をしようとしていたことまでは島民の証言でわかる。けれども記憶は戻らない。その中で「新しい自分」を生きていく。

過去の記憶をなくし、梟島にどんどんと馴染んで、梟島の人々を好きになって生きていく彼の姿は幸せそうで、辛いことがあってもこうやって生きていけるならいいのかもしれない、と思うと、生きていくなかで何か本当に辛いことがあってダメだと思ったときに、こんな「リセットボタン」があれば、やり直せるかもしれない可能性が見えることは救いのようでもありました。

 

潮目が変わるときに発生すると伝えられている「しびれ雲」。

本当のところは誰にも分からないけれど、生きていく中で「潮目が変わる」ことは多分あって、その潮目をどう受け止めて、何を選択し、どう伝えるか、みたいなことも大切なんだろうな、と千夏・文吉夫婦を見ながら思ったりもしました。

色んな小さな問題や出来事があって、それがほどけていく中で、唯一これからこの島でどう生きるのだろうと思わすのが伸夫の存在でした。

昭和のはじめの大らかなで小さい梟島。

勝子のお見合いなんかが島中で取り沙汰されるような、そんな価値観が一般的だと流れる中で、彼がどう生きていくのかを見たい気持ちも持ちながら、物語は日常と同じように続くように終わっていきます。

「先のことはわからないから」という波子の言葉に支えられるような気持ちになりながら、じんわり勇気づけられるような、でもどこかでひっかかるような、そんな作品でした。

 

名前も性格も設定も変わってしまったけれど、それでも緒川たまきさんとともさかりえさんの姉妹関係がいいのです。かわいい。

梟島の人々もみんなステキでしたが、ここはやはり井上芳雄さんにふれたいと思います。

というのも、一応わたしの観劇傾向の軸は「ミュージカル」で、井上芳雄さんの出演作品は、それこそ東宝初演「エリザベート」のルドルフデビュー時から、自然とそれなりの数を見てきました。

黒蜥蜴ではストレートプレイでのお芝居も見ていたのですが、今回はじめて、井上芳雄さんが本当にいい、と思ったのです。

多分このフジオという役は、素の井上芳雄さんに近いのでは、と思います。優しくて気遣い屋さんで、ちょっぴりおせっかいで、おぼっちゃまっぽい鷹揚さが本当に魅力的でした。

その上で彼の持つスタイルの良さが光って、梟島の人々とは違う場所から来たんだ、という違和感を放っていたのです。

ミュージカルで王子様的な役を演じている井上芳雄さんが好きな方には向かないかもしれないですが、わたしはこの井上芳雄さんが本当に好きでした。

現代ミュージカルにも出演されている彼も見ましたが、こういう感じの役をミュージカルの舞台で見られたら楽しいだろうなと思うと、ケラさまご本人は苦手意識がある的なことを聞いた気がするのですが、ケラさまに舞台は日本で、一度ミュージカルを作ってもらいたいな、と思ったりしていまいました。

ハッピーエンタメの力業@東宝「天使にラブソングを~シスター・アクト~」

12/10(土) 12:00~ @梅田芸術劇場

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スタッフ

音楽    アラン・メンケン
歌詞    グレン・スレイター
脚本    シェリ・シュタインケルナー&ビル・シュタインケルナー

演出    山田和也

キャスト
デロリス・ヴァン・カルティエ:森 公美子
エディ:石井一孝
カーティス:大澄賢也
シスター・メアリー・ラザールス:春風ひとみ
シスター・メアリー・パトリック:谷口ゆうな
シスター・メアリー・ロバート:真彩希帆
TJ:泉見洋平
ジョーイ:KENTARO
パブロ:木内健人
オハラ神父:太川陽介
修道院長:鳳 蘭 ほか

 

映画原作    タッチストーン・ピクチャーズ映画「天使にラブ・ソングを…」(脚本:ジョセフ・ハワード)

1992年に公開されたこの映画ですが、みなさまはいつご覧になられたでしょうか。

実はわたしは、再放送の波をかいくぐり、数年前まで見たことがありませんでした。

そして初めて映画を見たときの感想は「なんて素晴らしいエンターテインメントなんだ!なぜこれを!わたしは!今まで見なかった・・・!」と心から思いました。

本当に心温まるシスターフッドのお話しなんですよね。

2もいいけれど、徹底してエンターテインメントな1が特に大好きです。

 

そしてこれが2009年、主演していたウーピー・ゴールドバーグをはじめとしたメンバーでミュージカルとしてプロデュースされ、2011年にはブロードウェイで公演、そして2014年に日本版が上演されました。

それから今回は4回目の再演となるわけですが、実は過去2回の再演も見たくてずっとチケットを取ろうと努力はしていたのですが、見たいモリクミさん回は常にソールドアウト!今回4回目にして念願かなって見ることができました。

 

映画は1時間40分と実に見やすく気軽に楽しめる長さなのですが、これをミュージカル化することによって、2時間30分程度に伸びています。

そうすると結果、起こったことはそれぞれのキャラクターの長尺なソロ歌唱がたくさん入る、ということでした。

いや、天下のアラン・メンケン先生ですから、曲はいいのです。

でもミュージカル版は残念ながら映画の軽快さはありません。

 

それでもです!

シスターたちとデロリスが「みんなで歌うこと」に目覚めていくシーンを、目の前で繰り広げられると、もうなんていうか、それだけで幸福感に包まれるのです。

久々にめちゃくちゃ盛り上がった気持ちのまま迎える幕間を体験しました。

そしてデロリス率いる聖歌隊が成功した後は、なぜか神父も聖歌隊の衣裳もどんどんド派手になっていくという、舞台版ならではのゴージャスさも楽しい♪

そして指揮が塩田先生だったので、法皇もノリノリでやってくれちゃう!

本当にカーテンコールまでしっかり演出されたエンターテインメントでめちゃくちゃ楽しい作品でした。

ブロードウェイで改定されているので、元の脚本を触ることはできないことは重々承知の上で、この作品、もっと整理してせめて2時間くらいのスピード感も持ったものに改編できたら、本当に一級の娯楽ショーとなりうるのにな、と思います。

 

モリクミさんのデロリスは、持ち前の明るさがパーンと出ていて、本当にデロリスそのもの、でした。モリクミさんだから笑える、みたいなシーンもあったので、朝夏まなとさんだとどうだったのか、気になります。

オリジナルキャストはパティーナ・ミラーなので、朝夏まなとさんはそちらのイメージに近いかもしれないですね。


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今回、この再演まで見ることができなくてよかったな、と思えた一つが、真彩希帆ちゃんのシスター・メアリー・ロバートが見られたこと。

いや絶対日本版初演の宮澤エマちゃんだって上手かったし、可愛かったと思いますし、それも見たかった!

でもトップ娘役時代にはなかなかできなかった、本当に純粋でかわいい役がピッタリで

ミラーボールの光を「小さな天使!小さな天使!」って追っかけるシーンは、思わず「かわいい」とマスクの下で小さく声に出てしまいました。

もちろん歌は絶品。

他の男性キャストの皆さんもよかったですし、修道院長の鳳蘭さんが、最後のシーンで、さすがの元トップスターのあの衣裳の着こなしと袖裁きを魅せてくださって、大満足。

 

ただデロリスの黒人設定はいるかなと思ったのと、本当にもっとコンパクトにまとめられていたら、通いたくなる作品なのに、やっぱり改めてもったいないなと思いました。

君主とロマンス、好みの難しさ@宝塚星組「ディミトリ~曙光に散る、紫の花」「ジャガービート」

11/24 11:00~ @宝塚大劇場

浪漫楽劇
『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』

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スタッフ

原作 並木陽「斜陽の国のルスダン」
脚本・演出 生田大和
作曲・編曲 太田健

キャスト

ディミトリ    礼 真琴        
ルスダン    舞空 瞳        
ジャラルッディーン    瀬央 ゆりあ        
アヴァク・ザカリアン    暁 千星        
物乞い    美稀 千種        
タマラ女王    白妙 なつ        
チンギス・ハン    輝咲 玲央        
イヴァネ・ザカリアン    ひろ香 祐        
ギオルギ    綺城 ひか理        
バテシバ    有沙 瞳        
ミヘイル    極美 慎        

 

原作はこちらになります。

前回の雪組の際に、原作を見る前に読むか、見てから読むか問題があると書いたのですが、今回は正直、原作は読まなくていいかなと思っていたのです。

しかし読もうと思ったのは、この作品を見たときに、あまりにも人物造形が浅くないか、と感じたからです。

これが原作もそうならば仕方ない。

そして読んでみて思いました。

これは、わたしが大事にしたいところと生田先生が大事にしたいところが違った結果なのではないか、と。

ちなみに原作は短く、読みやすいのでおススメです。

少なくとも著者が膨大な資料を読んで作り上げたお話しであることは確かです。

そして書かれていることは、今現実に起こっているロシアのウクライナ侵攻に重なる部分もあるし、ジョージアの国そのものが再び第2のウクライナとなる可能性も無きにしも非ずなので、その辺も巻末のジョージア大使などの対談でも読み取れて、なかなか勉強になる一冊でした。

 

ところでこのお話しは13世紀のジョージア(旧グルジア)が舞台なのですが、皆さんはジョージア(旧グルジア)の存在をいつ知ったでしょうか。

実はわたしは旧グルジアフィギュアスケーター・ゲデヴァ二シビリ選手が好きで、彼女の名前や練習環境から、ロシアの境目にある東ヨーロッパの国なんだろうなあと、なんとなく感じていました。

それ自体は間違っていなかったんですが、黒海に接したトルコとロシアの狭間の国とは知りませんでした。

この地理が頭に入っているかどうか、というのも今回のこの話をどう把握するか、に関わるような気がするので、古典的な手法ですけれど、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」でやったような緞帳に地図などを見せていくというのも有効だったのではないかと個人的には思いました。

 

今回、宝塚歌劇化されることによって、当たり前ですが主役はルスダンからディミトリに変更されています。

そのディミトリはルーム・セルジュークという国の王子で、友好関係を保つための人質としてジョージアに預けられています。ルーム・セルジュークはイスラム教でジョージアキリスト教の国。ルスダンの兄ギオルギ王は、モンゴルのチンギス・ハンの侵攻を受け負傷し、王位を妹ルスダンに譲り、ディミトリを夫をするよう言い残し亡くなります。他国に嫁がされるはずだった王女ルスダンの肩に、急に一国の運命が乗りかかるのです。しかも、モンゴルだけではなくイスラム教圏からジャラルッディーンというホラズム朝の皇帝もジョージアに攻めてくる。

そんな中、必死に愛を貫き、国を守ろうとするディミトリとルスダンを描いた物語だからこそ、ジョージア王国を取り巻く地理的環境というのは分かりやすい方が親切かなと思いました。

 

そしてそれ以上に気になったのが、ルスダンの「突然であれ王位を抱くもの」としての視野の狭さでした。もちろんルスダンは帝王教育は受けていないし、兄の死に際に治世のための大量の資料を渡されるシーンはあるのですが、それを勉強したシーンはないので、舞台版は「急に大好きだったディミトリと結婚できて喜んでいる王女」にしか見えなかったのが残念なのです。

小説にはしっかりと必死に二人で勉強している様子が描かれているので余計に、いくらディミトリ主役とはいえ、原作にあった

「・・・この国に生きるあらゆる者の運命が、わたくしにかかっているんだわ」

夜、ようやく二人きりになった寝台の上で、ルスダンはそう漏らした。

「ディミトリ、怖い。わたくし怖い」

というセリフは入れてよかったんじゃないかと思います。

また夫となったディミトリに、共同統治者に準ずるものとしての権力を持たせない方がいいと宰相に言われるシーンで、舞台ではルスダンがカッと怒るだけだったのも、ルスダンの人間的未熟さを見せていて、もうちょっと言いようないだろうか、と思っていたら、原作ではちゃんと怒ったあとに反省し、

イヴァネ・ザカリアン、どうかわかってください。未熟なわたくしが女王としてこの国を治めるのに、一人ではあまりにも心許ないのです。私心無く共にこの国のことを考えてくれる者、隣に立ってくれる者が必要です。我が兄ギオルギが死に臨んで彼(ディミトリ)を窓辺に呼んだのも、そのあたりを鑑みてのことだと思います。

と、自分が国を治める者として、そして人として未熟であること、ディミトリとの結婚は兄の意志でもあることを、臣下にしっかり告げるシーンがあるのですよ。

これがあるだけで、観客にも臣下にもルスダンの印象はずいぶん変わるし、この3つのセリフを入れるのはそれほど難しいことでもないと思うので、どうしてそうしなかったかなあと、ただただ疑問です。

 

またアヴァク・ザカリアンも副宰相なのに視野の狭さも気になりました。

ディミトリの出自ゆえに疑う臣下がいることはもちろん納得で、劇中アヴァク・ザカリアンがなすことを、小説では名もなき臣下がやっているのです。

そのくらい小説ではアヴァク・ザカリアンに出番はあまりないため、このような形に描いたのだろうなとは思うのですが、副宰相という立場で私欲を肥やすような人物ならともかく、そういうわけでもないので、これが非常にアンバランス。

ルスダンと違って父親が宰相で政治家たる教育も受けているだろう人だからこそ、「ルスダンは自分が尊敬し仕える主君ではない。さらに夫はルーム・セルジュークの人質だから裏切るはず」という決めつけ思考回路になるのが、まずよく分からない。「ルスダンが未熟だからこそ、思わぬ侵攻から国を守ろうとして亡くなった尊敬するギオルギ王のため、ジョージア国のため、国民のために自分が支えねば」とならないナゾ。

ルスダンが真の女王として立ってからも側に仕える役なので、暁 千星さんなら口数の少ない片腕としてそこにいるだけで存在感を放つこともできたと思うし、それがまた暁 千星さんの新しい魅力を魅せるきっかけにもなったんじゃないかと思うだけに、単に狭量で愚かな臣下に見えてしまったのが、ただただ残念。

いやギオルギ王に忠誠以上の気持ちを抱いていたとか、ルスダンに片思いしてたとか、想像を広げようと思ったらいろんな方向に広げることはできるんですけど、ジョージア国存亡の危機時に、そんな感情で副宰相として行動されるのは個人的にはちょっと広げたくない方の想像なので、無口でできる臣下、として描いてほしかったなあと、わたしは思ってしまいました。

てかアヴァクをそんな狭量な人物に変換するなら、ギオルギ王の死に際に宰相2人も呼んでくれた方がよっぽどいい!ルスダンが未熟だから、国政マニュアルも宰相2人も知ってた方がいいでしょう。劇中の設定なら王族にしか伝えられない秘密的なものは感じなかったので、ディミトリと別れた後、王として変化するルスダンとそれを支えるアヴァク、の方が見たかったのですよ。

 

幼馴染じみでお互いに好きあった者同士の恋、女王を支える夫(王配て呼称いいですね!今後、全ての王の配偶者には性別関係なく「王配」って使うといいのになあ。因みに小説巻末の対談によるとジョージアには女王という言葉はなくて、女性が王位についてもただ「王」と呼ばれたんだそうですよ、ステキ!)、愛ゆえの盲目さとか、モチーフは好きだっただけに、政治というか、民のために「私」をどうするか、という点もきっちり描いてくれたらよかったのになあ、と思います。

特に原作にあった「十字軍招聘」についてディミトリと相談するシーンは、観客に歴史的背景の理解の助けにもなったと思うのであってほしかったです。

 

そして「巡礼の年」は少なくとも演出では面白い点が多かったのに、今回は演出的にも目新しいところはなく、冒頭からリラの花と語るところまでのオープニング部分が、とても宝塚歌劇的で、少し古く見えてしまったのも残念です。

 

今回、一番の話題はジョージアンダンスが入る、という点だったかと思うのですが、これもそれほどうまく作用していたと思えないんですよね。

ジョージアンダンスについて、何にも知らなかったわたしですが、下記サイトによると、

超人的なステップが魅力!ジョージアンダンスの特徴と種類について紹介-ジャパンダンスユースフェスティバル:主催ユースシアタージャパン(YTJ)

戦争をテーマにしたダンスもあるとのことで、それで主に戦闘シーンでジョージアンダンスが使われたのだと思いますが、戦争がテーマでも戦争そのものを表しているわけではないので、戦闘シーンとして消費されたのがもったいなく感じました。

2人の婚礼シーンでも婚礼のダンスはあるわけですが、ここは初演「ヴェネチアの紋章」のモレッカのシーンのように、二人が躊躇と不安のまなざしを交し合いながらも「踊っている」ことに集中させるような演出であった方が、踊りそのものも際立った気がしています。

 

個人的にはリラの花や物乞いに話させなくてよいから、原作にあった君主となったルスダンが子どもの頃にように庶民に化けて、ディミトリと祭りに参加して踊るシーンを「ジョージアンダンス」を入れて見たかったなと思います。

国民と気さくに混じあう女王夫妻は、国民がそれと知らなくとも、王国の危機に国民を思っていることを印象づけられたように思いますし、それはそれとして「ジョージアンダンス」の見せ場にもなりえた気がします。

 

とはいえ、今からどうこうはできないので、引用した3つのセリフだけでも増えないかなあと思ったりしています。

(とか言って入っていたらごめんなさい!ルサンクで確認したいけれど、これだけのためにルサンクを買うのもなあ汗)

美しい衣装を着てなお輝く舞空瞳さんにピッタリの役柄だと思いますし、礼 真琴さんはじめ、ジャラルッディーン・瀬央 ゆりあさんの風格、ギオルギ・綺城 ひか理 さんの勇敢で奔放だけども優しさを感じる王の在り方もステキでした。

でも一番はミヘイル・極美 慎さんでしょう!

いやーもう、正しい極美 慎の美貌の使い方!

わたしがルスダンでもそうなるわ、と妙に納得させたのが本当に素晴らしい(笑)

 

そんなわけで、生田先生の作品の時はたいてい「ちょっと惜しい」という感想が多いのですが、今回はこの「極美 慎の美貌の使い方」以外は、もっと工夫がほしかった、と思います。

てか、「巡礼の年」から2作しか開いてないですよね?

その辺のスケジュール感も気になるので、劇団の制作陣の作品プロデュースももう少し考えた方がいいのではと思いました。

 

ところで、冒頭にお名前を出したフィギュアスケーター・ゲデヴァ二シビリ選手ですが、2006年のオリンピックフリーでこんなプログラムを披露していました。

曲は恐らく「アルメニア狂詩曲」。衣装もジョージア含むこのエリアの民族衣装ぽくてステキです。


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しかし翌2007年には政情不安が続き、2006-2007年のシーズン中にロシアとの関係悪化に彼女自身も巻き込まれたことを今頃知りました。

だから、こういう作品を上演することはやはりある程度、意味のあることだなと感じています。ただ上演する以上、いい作品であってほしいと心から願っています。

 

で、ショーですね。

メガファンタジー
JAGUAR BEAT-ジャガービート-』

作・演出 齊藤吉正

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わたしにとっては久々のショー観劇ではあったのですが、作・演出が齊藤吉正さんであることで、全く期待しないで行って、やっぱり好きじゃありませんでした。

いやもう単にわたしがサイトーくんと、いろいろなものが合わないだけなので、楽しめる観客は楽しめるんでは?と思っていただけに、Twitterで12/5辺りから照明、音楽などが変更になっていると知り驚きました!

わたしの「ジャガービート」の感想は「スーパー玉出」だったのですが、そんな「スーパー玉出」本社の隣の区出身者ゆえに「変更するほど大事」とは気づかなかったのかもしれません(汗)

でも変更になったこのショーを確かめにいきたい、とは思わないくらい、やはりわたしはサイトー先生のショーは苦手みたいです。