こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

少数意見の違和感

劇団スタジオライフの「

OZ 完全収録版1

OZ 完全収録版1

」を昨晩見に行った。
近未来ものが苦手な私がこれを見に行った理由はただ一つ。新納慎也さんが客演されるからだった。
新納さんは、最高だった。これまで意識して見た彼の役の中では、一番と言っていいくらい。特に女性人格のところが良くて、ダブルキャストなので、完全に女性役を演じる方も思わず見たくなってしまったくらい。
やっぱり新納さんに「TABOO」のマリリン役をやってもらいたい。
(「The Boy From OZ」も「プロデューサーズ」も同じ年のトニー賞のもので日本版が今年上陸するのに、「TABOO」がこれなかったのは賞を取れなかったからか、たった100日でクローズしたからだろうか。でも「The Boy From OZ」だって、ヒュー・ジャックマンじゃなかったら、賞には何も関係のないショーなのに…)
原作を知らなかったので(というか近未来ものが苦手なので、手をつけなかった)、それなりに展開は楽しめたが、今までの見たスタジオライフの「トーマの心臓」や「LILIES」に比べると、ぐっと浅く、エンターテインメント、という感じ。だから、私は娯楽作として十分に楽しんで、クライマックスの場面なんかも良かったね、ニコニコ、という感じで観劇していたのだが、周りからは涙で感極まっている音が…。
友達の劇団を見に行く時もこの感覚に襲われるのだが、正直、周りは大泣きなのに、自分は白けてしまっているのは、本当に怖い。
特にこういった所に泣きのポイントが入る人は多く、それはそれで全く構わないのだが、多いだけに、自分の感覚を全ての人が持っていると思っている方が多いようなのが、ちょっぴり苦手。これと同じで、サッカーの試合とか、見ていないと日本人じゃない、とかコメントされてしまったり、日本中が注目した、とか言われると、アンチスポーツに拍車がかかってしまう。大多数意見の人も、少数意見の人間もいるんだ、ということを認識してもらえるといいのに、と常々自分の感じ方は少数派だと思っている私としては、思ってしまう。
衣装や見た目も日本人男性が演じるにあたって、「トーマ」程の違和感がないので、超娯楽作として楽しめる「OZ」。でも、人間の複雑さというのが一つのテーマだったのに、複雑さにおいて「トーマ」や「LILIES」に及びもつかなかったところが、ちょっとばかり残念だった。