こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

語学の苦労

ダーリンの頭ン中 英語と語学

ダーリンの頭ン中 英語と語学

をやっと購入。
単純な面白さでは「ダーリンは外国人」に劣るかなという印象。何しろ、トニーさんが真面目な分、ちょっと中身も難しくはなっている。テーマはズバリ「語学」。その中で、トニーさんは日本人は気づいていないだけで、色んな発音をしている、と言って、「ん」の例を出してくれるのだけど、こんなに違った発音をしていたのか(私はnとmの2種類と思ってた…)という発見はあったものの、だからといって日本人の問題は解決しないなあと思った。なぜなら、例え「ん」を5種類もの発音の仕分けをしていても、私の耳には「ん」という1つの発音としてしか聞き取れてないからだ。
トニーさんは、日本人は気づいていないだけで、こんなに色んな発音をしているから、外国人が日本語を学ぶ時に、聞き取りの難しい一つ、だと仰るが、それは、それだけ違う音、として聞き取れるからであって、これを逆返せば、日本人には(少なくとも私には)そこが、他の言語の聞き取りが苦手なポイントなのである。

昔、劇団の授業で、とある脚本の解釈についてみんなで意見を言い合うとのを良くやった。私は役者ではなかったので、傍聴していれば良かったから、まあなんとかなっていたのだが、取り合えず、意味のわからなかった聞き取れた単語をカタカナでメモしておいて、家に戻ってから、思いつく限りの綴りで辞書で調べたりしていた。ここで、本当に聞き取り能力の低さを実感したものだった。たとえば「リンス」、とメモして帰ってくる。綴りは「lince」「rince」「limth」「rinse」など思いつくものが無限にある。これも私が「r」と「l」、「c」「th」「s」、「n」と「m」の聞き分けが出来ないからであって、これらが全て聞き分けられていたら、正解に辿り着く可能性がもっとあったなあとシミジミ思ったのだ。

ただ、この演劇は、ずいぶんと私のボキャブラリーを増やしてくれた。台本をもらうともちろんすぐに分からない単語をチェックして調べるのだけど、この段階では頭に入らない。でも、毎日同じ芝居を3週間から1ヶ月見続けると、場面とセリフとしてすーっと身体に入ってくるのだ。(ただここまでが大変。とにかく何を言っているのか、どこまで進んだのか、常に台本をチェックしないと分からない。その聞き取れない言語の最中に、ライトを変えたり、音楽を入れたりする緊張感は、とにかく凄かった。その前にもっと言葉の勉強しろって話なんですけどね…)そして、そこで自然に覚えた単語が、今度は映画やドラマで使われると聞き取れて、完全になる、感じがする。ここが、単語帳で覚えた言葉との一番の違いだった。でも、これが話す時に使えるか、というと、これはまた別の訓練、しかも私が最も苦手とする分野の訓練が必要だ。

語学の勉強は、本当に継続あるのみ。だからこそ、トニーさんのような、自分の出来ない努力をやってのける人を、単純に凄い、と思う。