こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ファンタスティックス

10/26(火)19:00~ シアターコクーン
脚本・作詞: トム・ジョーンズ
作曲: ハーヴェイ・シュミット
演出・振付: 宮本亜門

ナレーター (エル・ガヨ):鹿賀丈史
青年 (マット):田代万里生
少女 (ルイザ):神田沙也加
青年の父 (ハックルビー):斉藤 暁
旅芸人、死ぬ男 (モーティマー):矢部太郎カラテカ
黙者 (ミュート):蔡 暁強(ツァイ シャオチャン)
旅芸人、老俳優 (ヘンリー):二瓶鮫一
少女の父 (ベロミー):モト冬樹

仕事で若干遅刻をして、自己紹介をしながら登場、着替えまでしたという入場シーンが見れなかったのは大変残念ではあったけれど、ストーリーのはじまりにはなんとか間に合った。
ずっとずっとタイトルだけは聞いていた作品ではあったのだけど、何の前知識もなく、初めて見てみて思ったこと。

オフ・ブロードウェイ作品で生き残る、ということは、名作であり、それは素晴らしいのだ。

ストーリー自体はなんてことはない。
大人も子どもも親も他人も、時間の分だけ年を取り、傷ついた分だけ、ちょっぴり成長する。
そういう話だ。
だけど、そういう普遍のテーマだからこそ、今見てももの凄く琴線に触れる素晴らしい作品になっている気がする。

そして、何より、私はこういう割と小さめの劇場で上演される宮本亜門演出作品がものすごく好きだということを痛感した。
舞台と客席のボーダーラインの絶妙な曖昧さ。
シンプルでかつ、てらいもないけれど、絶対的に作り込まれたヴィジュアル。
ミュージカルが、歌と芝居とダンスが組み合わさって、空間の中で動くもの、である、ということ、オペラグラスから覗くのではなくて、その空間全体を見て、体感して楽しむもの、それがこのエンターテインメントなのだ、ということを、しみじみと感じた。

舞台は総合的な娯楽であるから、楽しみ方も千差万別で、歌を中心に見る人も、細かな演技を楽しむ人も、美しい動きを楽しむ人もいるだろう。その中では私はやはり空間全体を見ることが好きで、劇場の大きさ、全体のリズム、照明、転換、衣装やセットの色合わせ、そういうものが、宮本亜門演出では、私個人にとって、とても心地よく流れるのだ。
正直、歌詞は全体に聞きづらかったし、セリフさえも早くて聞き取れない部分もあった。
けれど、聞き取れてもあのリズムを崩すなら、聞き取れなくてもリズムと流れに乗っていた方が、私は好きで、だから、本当に楽しい舞台だった。

とりわけ、物語のエンディングシーンが秀逸。
いびつな五角形のそれだけの舞台で、その中で物語りが巡り巡って、ああいう結末を迎えたとき、そのシーンをああいう風な、とても古典的で誰でもできる方法で飾る、そして、たったそれだけのことで、とても美しいシーンに変化させる、そのことがとにかくとても感動だった。
誰にでもできる方法で、誰にも出来ないことをする、それが演出家の魔法だと思う。

キャストは全体に歌は弱かったけれど、キャラクタが際立ち、それぞれとても魅力的だった。