こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

さくらさくら

インスピレーションを喚起するもの、がある。私の場合は桜もその一つ。特に夜桜が、何をおいても美しいと思い、なんだか無償に創作をしたくなったりするのだ。かと言って、毎年花見に行くかというと、そうではない。でも桜は実家の前の人工川の周りとか、もう一つ先の駅へ行く道とか、住んでいたところの周りで、普通に見ることが出来たし、それが当たり前だった。小学校だって、名前のとおり、桜並木が校庭にあって、樹齢は短いものばかりだけど、それなりに私にとって、桜は密着した存在だった、ということを、ふと思った。
というのも、今住んでいる東京の家の周りでは桜らしい樹木を見ないのだ。会社の周りでもあんまり見ない。ということは、どこかにわざわざ見に行かなくてはならない、ということに気づいて、なんとなく、残念な気持ちになっている。

今朝、弁当らしきもの(といってもおかずなしの丼状のもの)を作っていたら、やけどをした。一瞬の熱さよりも、その後流水で冷やしていく過程が辛い。そして、いつもこの行動を取るときに、「スカーレット」を読んだ時に、スカーレットの子供がやけどをして、なんだかうさんくさげなおばあさんに、やけどしたら冷やすんだ、と叱られるシーンを思い出す。文章からわかるようにこの本の内容ももうあやふやにしか思い出せないのに、何故だかこのシーンだけ、脳裏に焼きついている。不思議。