こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ココロに残る場面。

昨日、寝る前にふっと、ずっと前に日記に書こうかなと思ったことを思い出したので、なんとなく、書いてみる。
ちょっと前に「SEX AND THE CITY」を見ていて、何シーズンの何話目かは忘れたけれど、ミランダの母親のお葬式があった回があった。あれを見ながら、今まで見たドラマや映画の中で一番、個人的に心にせまる葬式シーンだと感じ、なんとなく、泣いてしまったりした。別に悲しかったり、感動したりしたわけではない。私にとっての父親の葬式も、ミランダの母親の葬式のようだったから。あの時の感情ほど、なんとも言えない複雑なものはなかった。そうして、肉親の「死」を描いたものとして、私の中では最もリアリティのあったドラマのシーンだった。

「TABOO」の「IL ADORE」という歌詞の中で、「どうして死んでいくことができるの。なんてわがままなんだろう」という部分がある。ビッグ・スーがエイズで死んでいくリー・バウリーの病室でたんたんと歌うシーン。ビッグ・スーの自己愛を通して、リーへの愛を感じられるところが、なんとも言えなかった。

ドラマを作る中で、簡単に感動を取れる「死」の場面は多用されている。天邪鬼な私はどうしてもそういうシーンに作為を感じて、毛嫌いしてしまう傾向があるけれど、この二つのシーンは作為的でも、ココロに残った。私にとってココロに残るものは、自分の中にあるものと合致するときなんだなあと改めて思った。そう思うと許容範囲の狭い、想像力の薄い人間だけれども、それでもこういう瞬間のために、やっぱりドラマや舞台を見てしまうのだと思う。

因みに、「ココロの代弁」的な歌に夢中になる人も多いけれど、私にとって、ああ、これは、私の歌だあと思ったのがやっぱり「TABOO」の「PRETTYLIES」(ロンドンのキムバージョン)。この先「TABOO」以上に夢中になれるミュージカルが出来るのか、昨日サントラを聞きながら、ちょっと心配になった。でも返せば、これだと思う一本に出会えたことが何よりも幸せなのだとも思った。