こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

オタク心を満たす舞台@宝塚月組「エドワード8世」

 

『エドワード8世』『Misty Station』 [DVD]

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ものすごく好みの舞台というのがあるのだと思った。
ものすごく好みの美しい色合いのセットと衣装。
ものすごく好みのキャラクター設定と舞台。
そして、それを持て余すところなく表現してくれる信頼の主演カップル。
あまりに何もかもが好きすぎて、これがいい舞台かどうかというのはどうでも良くなった。
何より最も好みだったのは、転換と音楽。それに乗せて描き出された絵。とりわけジョージ5世のジュビリーのシーンは、憧れのMGMミュージカル映画の世界が久々に目の前に現れて(それになんと言ってもフレッド・アステアも登場する!)、ペアダンス、回る盆、そしてビギン・ザ・ビギンの三つ巴にただただ見とれた。
個人的には、ラジオDJという設定のガイが狂言回しとして置かれているのも、とても好きだった。そして、その設定を活かしたこだわりの開演挨拶も、最後のセリフも楽しい。デイビットが歌ったあと、「若き日のデイビットが歌う「プリンス・チャーミング」をお聞きいただきました」と入るのもとても好みだ。芝居とショー、現実と虚構の境界線の曖昧さ。そういうものを作られるからこそ、舞台が好きで、ただ一言、好きな舞台、それが「エドワード8世」だった。

ドラマとしても、私は描きすぎていないのが好ましかった。大人の会話のかけあいであるセリフはテンポとリズムもよく心地よいし、何より、大人で英国人の登場人物が多いからこそ、それがとても作品に似合っていた。ドラマティックなものを好む方には地味で物足りないと思われるかもしれないけれど、私にとってはとても洒脱で軽妙なロマンチック・ミュージカルだった。
一つだけ残念なことがあるとすれば、ジュビリーのシーンで主役カップルがもう少し長くデュエットダンスを見せてくれれば、と思ったことくらい。

それにしても、ダンスの使い方も非常に良かった。振り付け自体は王道だったけれど、二人が踊るシーンは常に「踊る」ことが自然なシーンで、そして、二人が物語の中でその役として踊る姿が、いい感じにリアリティーがあった。振り付けを受けて踊るのではなく、教養として身につけたものをお互いを感じて踊る、その感じがほとんど言葉で語られることのない二人の関係を物語るようでときめく。

ドラマティックではなかったけれど、会話の中でいいなと思うセリフも多く、とりわけ好きだったのは、ウォリスに愛人のふりをしないかと打診するデイビットに「セールスマンの目になっているわ。いいの?」と聞き、「何を言う。これはプリンス・チャーミングの目だよ、ウォリス」と返すところ。大人でユーモアのある会話。それを交わすことが何より二人は好きだったのじゃないかと感じるのだ。
また、そんな二人を美化しすぎないところも好みだった理由の一つだった。ウォリス・シンプソンはかなりの脚色をされているとのことだけれど、デイビットのその選択は、彼の生まれと身分からするとやはり愚かで無責任であって、それを真っ向から肯定しないところも、良いドラマだと感じた部分でもある。

ただ、その地位は孤独の王冠を被ることであること、というのを、私はとりわけ映画「The Queen」を見たときに痛感した。だから、それをこうやって投げてしまう弱さを描き、一人ではそれを被って生きてはいけないのだということも見せているのも、とても人間らしく、だから、立場や環境は恐ろしいほど違うにしろ、この舞台で描かれるデイビットという人に共感してしまえるのだと思う。宮殿よ、というウォリスにただの実家のリビングルームだと語り、でも「こんなリビング・ルームじゃあまりくつろげないな」という彼の言葉が実は一番胸に響いた。どれだけ、彼は「普通」に憧れたのだろう。別に霧矢大夢はこれをしんみりとは言わない。淡々と飄々と言う。それがまた英国人らしくてぐっとくる。

最初、デイビットの葬式のシーンから始まるので、話は巡ってどう終わるのかとドキドキしていたところへ、あの終わり方がまたやられた。MGMミュージカルはハッピーエンドがお約束。その古典的な手法が巡り巡るとこれほどわっとなるのかと思うほど気持ちを持っていかれた。本当に何度でも見たい、大好きな作品である。