こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

そうやって年を取る。

「最悪な人生のためのガイドブック」を見に行った。詳しい感想は本ページにUPする予定。
これを見に行った目的は、今回こそ、森山未來くんだった。で、今回彼を見て思ったこと。
やっぱり「BAT BOY」は頑張っていたんだなあ、ということ。とにかく、舞台で、自然で力みがなく、楽しそう。主演ではないし、等身大の役だし、歌も少なく、得意のダンスも披露できる、という表面上だけで考えても、良い条件だったのだと思う。「BAT BOY」の時も、すっごいなあ、成長したなあ、頑張ってるなあと感心はしたのだが、彼の熱さや頑張りが、それなりに「見る」私を疲れさせていたのだと、今回のを見ながら思った。舞台上で、頑張っていること、を誉められるのは、まだ「魅せる」プロ、の仕事ではなかったのだと、今更ながら痛感。それぐらい、今回の舞台で、彼はプロだったと思う。(歌は前ほど、感情を乗せて歌うわけではなかったので、心に訴えかけることができなくて、技術的な下手さが前よりは出てしまったところはあるが・・・)
とりわけ、ダンスシーン。とにかく、バランスがいい。基礎がしっかりあるので、重心がきっちり取れていて、だから、重力を感じさせない。大きく足を振り上げて下ろしても、跳んで着地しても、とにかく重さを感じなく、軽やかで美しく、やっぱりこの人はダンスで魅せる人なんだと心底思ったし、この人をダンス公演をどうしても見たい、と思わずにいられなかった。未來くんのダンスシーンは、久々に「魅せられた」ダンスだった。
たまたま、というか、これを見に行くから、ふと思い出して、未來くんのホームページを久しぶりに見て、彼の日記を読むと(日記がこれまた、なかなか、よい。賢いんだろうな)、「見せる」側としての難しさ、みたいなものを感じた。私は常に「見る」側であって、「見せる」側のことなんて考えもしないので、自分にはないサイドの視点がとても興味深く読んだ。
「見せる」側としての難しさは私には一生分かることはない。ただ、観客ではなく、一緒に舞台を作る上で、「見せる」側に羨望を抱くことは多々ある。それは、彼らが誰かを感動させ、拍手をもらうこと。「支える」側の私に「見せる」側の人たちからの賞賛や感謝はあっても(でもそれが嬉しいから、また「見せる」側の彼らの演技を心底尊敬しているから、やるんだけど)、目に見えて、観客を感動させることは出来ないのだ。それは「見せる」側の特権で、だからこそ、難しくて大変でも、彼らはやるのだと思う。
特に私の場合は、杜ちゃんを見た時に一番「見せる」側の「見せる」ことの素晴らしさを感じる。杜ちゃんの芝居で、歌で、私は本当に幸せになることができるから。そうして、そういうことが出来るのが、本当にすごく感じてしまう。だから、未來くんも、時折「見せる」ことが難しくても、自分には誰かを幸せにするパワーがあるんだということを、絶対に忘れないで、この先の舞台も頑張ってもらいたいなあ、と客席の一端で思っていた。

だけれども、この日、この舞台を見に行って、最も私がときめいて、自分を忘れてしまったことは、「杜ちゃんから未來くんに送られたお花」を見た時。思わず写真に収めてしまったりした。