こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

25年間の終結。

仕事が一段落したので、社長と二人で隙をついて、「スターウォーズ エピソードⅢ」を見に行った。基本的にSFが苦手なので、スターウォーズも見始めたのは最近、それもユアン・マクレガーがエピソードⅠに出ているから、というかなりミーハーな理由だったのだけど、Ⅱはちゃんと公開日に映画館に見に行ったし、世間の熱いファンの足元には及ばないけれど、それなりに、私なりにⅢの公開を楽しみにしていたのだ。
感想は、すっごく面白く、満足。映画館で見る楽しみもあり、エンターテインメント性も十分。その上、やっぱりそれなりに色々思うこともあり、やっぱりジョージ・ルーカスってすごいな、と思わずにいられなかった。
Ⅱの時は、まるでキリスト教の起源の物語のようだな、と思ったのだが、Ⅲはなんというか、「子供」の難しさ、「大人」の責任ということを個人的に感じた。特に、ジェダイたちはアナキンが「子供」であるがゆえの精神の未熟さを指摘し、彼をマスターに昇格させなかったのに、彼の悩みや迷いには彼を「大人」として、全く手を差し伸べない。アナキンがダークサイドへ堕ちてしまったのは、オビ=ワンだけの「指導力不足」のせいではなく、「大人」が大人として、きちんと「子供」と向き合わなかった報いのような気がした。一方的な教えや、規則ではやっぱり子供は納得しない。子供をあなどらず、全てのことをきちんと説明し、その判断に委ねれば、そして、導けば、アナキンのような優秀な子供は絶対に理解し、成長しただろうに、と思うと憤りさえ感じた。しかしながら、エピソード4〜6で、結局アナキンは自分の息子に救われることを思うと、やっぱり上手く作ってあるな、とただ感心。
あとはミーハー的な観点から、ⅡよりもⅢはオビ=ワンがステキで、ユアン・マクレガーの優しそうな目元を堪能。ヘイデン・クリステンセンの美貌もダークサイドに堕ちてから凄みを増して、堪能。「スターウォーズ」やっぱり、社会現象になるだけあって、あなどれない。

ついでに関係ないし、どうでもいいけど、スターウォーズというと私の頭の中に成田美名子さんの「エイリアン通り」のワンシーンを思い出す。
シャールくんの映画のオーディションシーンなんだけど、反発していた父親が急死したかなにかで病院にかけつけて、父親が横たわる白いシートをのけると、ダースベイターが出てくる、というシーン。ここで吹き出したらオーディションは失格なんだけど、シャールくんは見事演じきり、看護婦さんに「息子さんですね、こちらにサインを」と言われて、「ルーク・スカイウォーカー」とサインして帰る、という部分がどうしても脳裏に蘇り、ちょっと笑ってしまう。シャールくんの大物っぷりとユーモアのセンスが端的に表現されていて、大好きなのだ。でもこれもスターウォーズを知らないと笑えないから、やっぱり色んな意味でスターウォーズは見ると世界が広がる。