こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

溶け込む時間。

土曜日に、だから私はスポーツが苦手だ、というような頭の硬い、天邪鬼なところを思わず披露してしまったのだけど(その場の皆様ごめんなさい)、その際に私はエラそうにも「感動は共感だと思う」と話したりなんかしたが、昨日

花よりも花の如く (3) (花とゆめCOMICS (2743))

花よりも花の如く (3) (花とゆめCOMICS (2743))

を読み返していて、改めてそう思った。この漫画、もちろん「NATURAL」の最終巻からどのエピソードも好きなのだが、とりわけこの三巻の最後の野外舞台で国土創生を憲人が語り舞うシーンが大好きで、何度も読んでしまう。そして西門の「木霊する囃子の音とか暮れていく空とか、地平線、星も見え始めて すべてがカンペキだ!止めたくない!と思っちまったのよ」というセリフに思いっきり共感するのだ。ここで私の脳裏に蘇るのは、京都の蝋燭能とロンドンの「夏の夜の夢」の野外公園の舞台。暮れていく空とか木々を渡る風の音とか、単品では決して私の心に残らないだろうものも、人間が生み出した芝居と溶け合うことによって、宇宙を感じさせてくれる、一大スペクタクルに変貌する、あの感動はなんとも言えない。でもこれも、私が、野外舞台を見た経験があって、それに感動したからこそ、このシーンがぐっとくるのだと思う。またこのエピソードでは、小道具屋さんが登場するのだけど、彼のこのセリフも、ぐっとくる。「舞台好きなんで、自分でやるのはあきらめたけど、お役に立つの嬉しいんですよ」ライティング・デザイナーやサウンド・クリエーターでもない、素人のオペレーターである私が、それでもどうしてやったかというと、やっぱり芝居が好きで、彼らの演技のファンで、それに少しでも携わることができるのが嬉しかったからに他ならない。でも基本的に俗物なので、自分に金銭的な余裕があったら、という条件付で、いつかまた、魅了する演技をしてくれる役者たちと、興味深い舞台を生み出す演出家と一緒に芝居に関わりたいなあと、夢見るように思う。