こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

tick,tick...BOOM!

11/5 13:00~世田谷パブリックシアター
[作詞・作曲・脚本] ジョナサン・ラーソン
[翻訳・訳詞・演出] 吉川徹
[出演]山本耕史愛内里菜/ゲイリー・アドキンス

内容も曲もまだまだ荒削りの作品をよりパワーアップできなかった、初演の演出やセットに比べて、今回は予算も出たのか、ずいぶんとセットやライト、小道具の点で改善されていた。また、愛内里菜やゲイリー・アドキンスの歌唱力が、初演キャストよりも大幅にアップしていたし、また演出自体もゲイリーに合わせて、一曲丸ごと英語にしてみたり、セリフの一部を英語にしてみたりと、変化をつけていて、純粋に歌を楽しめるショーに仕上がっていて、まずまず。
既に、「RENT」の映画版が公開されて、このミュージカルの位置付けがより「RENT」の寄りかかったことにより、この演出の変化は、よりRENTの世界を楽しめるものとして、正解であったとは思う。

ただ、こういう状況の変化がないならば、初演時にこのような感想「個人的にジョナサン・ラーソンの自伝という枠を外して、ジョナサンの設定をミュージカル作曲家から何かもっと日本で身近なものにして、まるっきり日本のミュージカルに書き換えてしまってはどうだろうと思う。音楽はまだ古くはなっていないし、アメリカ人でないと共感できないようなネタがいくつか出てきたが、似たようなネタは幾らでも日本に置きかえられる(駄菓子のくだりなんて特に、日本の何かだったら、共感できたし、笑えたと思う)。そうすれば、20代後半の共感を呼べる、新しいミュージカルとして、日本で受け入れられる可能性が充分にあるだろう。」を書いていたのだけど、日本語にすることで、自由にこのミュージカルの持つ潜在能力と可能性を引き出すことはできるのではないだろうか、とは、やはり思った。

愛内里菜、ゲイリー・アドキンスは本当に素晴らしい歌唱力だったのだけど、演技力が劣り台詞回しも舞台上での動きも学芸会レベルで、それだけが残念である。舞台用に三拍子全てが訓練された役者を探すのが難しく、日本の層の薄さを感じずには入られなかった。
その点、やはり、山本耕史はプロフェッショナルである。華や役の魅力を作り上げるという意味では、受け取り手の個人差や才能の問題でもあるだろうけれど、舞台人としての訓練ときっちりとしており、ある一定のレベルを常に保っている。そして、初演の時にも感じたけれど、この舞台では特にその彼の実力を感じるのだ。ほぼ一人舞台と言っていいような容量の膨大なセリフと歌。これをなんなくこなしてしまう力は、今の日本にそうある技術ではない。