こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

エリザベート

4月28日(土)17:00~ 梅田芸術劇場
エリザベート:Ruth Kraus
ルキーニ:Bruno Grassin
トート:Mate Kamaras
フランツ・ヨーゼフ:未確認・・・。
ルドルフ:Lukas Perman

センスのいいセットか、と言われるとそうである、とは言えない。けれども、とにかく激しく好みのセットであり、いかに程良く悪趣味でゴテゴテして華美だけれども、妖しくて暗くて重い装飾が大きな大戦前のヨーロッパ内陸のイメージを掻き立て、本場エリザベートの世界観にとてもマッチしていた。作品のテーマを的確に伝えるという意味では、本当にすばらしいセットだった。
黄泉の国と現実をつなぐ、舞台を斜めに切り取る滑り台のようなセットも、俗悪で怠惰な夜のプラター公園を思い起こすようなクルクル回るゴーカートのようなカフェのセットも、マダム・ヴォルフの安っぽいピンク映画なイメージのカラー蛍光灯をまとった娼婦たちの展示台も印象に残ったけれども、何より、黄泉の国の馬車が良かった。上部の一部が繋がっておらず、そこにトートが納まるとまるで一枚の絵のようなで、全体に錆びた金色っぽい色合いに下手側から青いライトが反射すると美しくさえあった。あれほヨーロッパのあの時代の装飾を上手く作品にのせたセットはないだろうし、アメリカやましてや日本では決して生み出せない、ヨーロッパならではのセンスだと思う。RENTのメーシーズの紙バッグや、TABOOのSOHOのセットしかり、本場で作られた本物を見るというのはこういうことなのだと思う。
衣装も見た目のゴージャスさで言うと宝塚版には適わないのだけど、本物の在りし日のドレスであることと薄暗い彩りがこの作品の一種の重みを伝えているように感じた(とは言え、最初のトートのプレスリーみたいな衣装だけは本当にどうかと思うけれど)。
そして、特筆すべきは照明だった。危うくて微妙な色使い。どこからどうやって光を重ねればあの不安を掻き立てるイメージが出来るのか分からなくて、久々に美しいだけじゃない、印象的な照明を見た気がした。
また「夜のボード」の夜が明けていく背景映像は明けていくのに陰鬱で、二人のどうしようもない心の中の暗さを感じ、はじめてこのシーンを見た気もした。
一方で「私だけに」は小池演出の最も素晴らしい部分であると思ったが、本物を見てもそれは変わらなかったり、初演を見てから10年という歳月の中でこそまた楽しめるところもあったりして、本当に得るものの多い観劇だったと思う。

初めて字幕付で見てみて、如何に小池演出がこのエリザベートという作品を日本人が楽しめるファンタジーに仕上げたのかを実感し、その手腕に改めて感服した次第でもある。小池演出のエリザベートと本物はストーリーも登場人物も音楽も一緒だけれど、全くの別物と言っていい。演出の違いにより作品が変わるその演劇の可能性の幅を改めて感じた。

本物のエリザベートは本当に暗い。救いがない。エリザベートもかなりエゴイストな部分を恐らく適度にドラマティックに誇張して描かれているけれども、エリザベートだけでなく、そのほかの登場人物もとにかくエゴイストで、他人を思いやるということをしない。自分の感情と苦しみのみが全てであって、それでお互いに傷つけて、より苦しみ、死に自由を求めていく。エリザベートに愛をささげ続けたフランツ・ヨーゼフでさえ、この作品を見ていると、「自分の良いと思う方法」でしか、エリザベートを愛さず、その愛はエリザベートの望む形をとろうとはしないのだ。だからこそ、二人の「夜のボード」の歌詞が一段と重くのしかかる。自由の象徴であるトートも、エリザベートを最後に手に入れてしまったら、そこでお終い。他の人と同じようにあっさりと黄泉に一人で送り出してしまう。死は救いでも自由でもなく、単なる人生の終わりであるということを思い知らされたようだった。そう思うとファンタジーで程よく怪しげで美しくうっとりと酔えるメロドラマが小池版だとすると、本物は暗いこの時代の哲学的な書物を思い起こさせた。もちろん、現実的にこの後暗い時代がやってくることも、本物の舞台ではファシズムの台頭のシーンを入れることで表現される。日本人でもこの後来るべき二つの大戦を頭に浮かべるからこそ、更に見た後に残るものは暗く重い。

それでもこの作品が素晴らしいのは何よりも音楽で、そしてそれを表現できる役者とオーケストラなのだ。特にオーケストラは単なる舞台のオケとは思えない上手さ。素人耳でもいつも見ている舞台のオケとの違いを感じた。そして、トート役のMATEの声質と歌が本当に素晴らしく、改めて「最後のダンス」の旋律の格好良さを堪能した。他も素晴らしかったが、唯一エリザベートがもちろん歌は上手なのだけど、若く、とりわけ後半のエリザベートを表現するに至らなかったところが、心残りと言えば心残りではあった。