こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

ハロルドとモード

6/22(日)16:30~ 銀河劇場
モード:浅丘ルリ子
ハロルド:西島隆弘
ハロルドの母:杜けあき
村上幸平川久保拓司本田有花/小野香織/ 増田雄一/大堀こういち/

多分「生きる」ということがとても不透明で、自殺を繰返し、母親を動揺させることだけが「生きている」楽しみとなっている19歳の少年が、自分のルールを作り上げ、奔放に日々を暮らしている79歳のモードと出会い、刺激を受け、尊敬し、理解し理解され、愛し合うようになる、という物語。

ハロルドを演じた西島隆弘が若いアイドルであり、そのファン層と見える女子高生たちが多く詰め掛けていたけれども、彼女たちが見るには良い舞台で、彼をキャスティングした意味は多いにあったと思う。

もちろん、大人が見てもいい舞台だった。
モードの生き方、そしてその人生の選び方が眩しく、最後の決断は憧れで、そう出来るなら1人で生きていくことも恐くない気さえした。さらに、その決断の場に、自分を愛してくれる若く可愛い男の子がいるなんて、まさに夢物語だ。
モードの視点から見ると、甘さと辛さがバランスよく散りばめられた、ロマンティックな作品とも思える。

逆にハロルド側から見ると「有り得ない」、奇しくも神父のセリフどおり、年配の女性と愛し合うなんて、具体的に想像するとおぞましい部分も持った話である。
けれども、西島隆弘を目当てに見に来た世代には、ハロルドの空虚さ、世間の不合理さ、「1人1人違うものとして見てもらいたい」という希望と諦めに共感しえたと思うし、またハロルドのそういう気持ちに対するモードの回答から、ハロルドと同じくして何かを得れたのではないか、それは私がモードのロマンに酔うよりも、何か意味のあるものではないかと思ったのだ。
そして、それを伝えられるくらいには、西島隆弘は技術的には未熟ながら、個性と魅力を放っていたと思う。

残念だったのは、全体にセットが粗末だったことと、暗転⇒転換というオーソゾックス手法だった。暗がりも、物語が盛り上がっていく2部では、いい余韻となったが、人物像の紹介とモードとハロルドの出会いが描かれる1部では若干テンポが遅く、退屈だった。1部と2部のメリハリをつける意味でも、もう少し1部の展開や演出に工夫が欲しかった。
ハロルドがモードにぐっと惹かれる大きなポイントである、木の上のシーンなどは、学校の文化祭的な木を模したセットで、シーンがとてもいいだけにセットが気になって入り込めなかったのが心残りである。
脚本やテーマも良いものがあるからこそ、いっそ「大衆演劇的」なセットを捨てて、ミニマルに、前衛的で象徴的なセットにした方が、転換もスムーズでより良質の舞台になったのではないかと思う。

浅丘ルリ子さんは、若干セリフを噛む場面が見られたが、素晴らしくチャーミングなモードで、衣装もお似合いで美しかったし、母親役の杜けあきは、ファンの欲目もあるだろうけれども、素晴らしい演技だった。