こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ

7/13(月)19:00~ PARCO劇場
作曲・作詞/スティーヴン・ソンドハイム
台本/ジェームス・ラパイン
演出/宮本亜門

ジョージ 石丸幹二
ドット 戸田恵子
老婦人 諏訪マリー
ジュール 山路和弘
イヴォンヌ 春風ひとみ
フランツ 畠中洋
ボート屋 野仲イサオ
看護婦 花山佳子
セレステ1 鈴木蘭々
セレステ2 冨平安希子
兵隊1 岸祐二
兵隊2 石井一彰
ミスター 岡田誠
ミセス 南智子
ルイ 中西勝之
フリーダ 堂ノ脇恭子

残念ながら、開演時間に間に合わず、素晴らしいと噂の導入部分を見逃したのもあるかもしれないけれど、見ている最中から、一体どのような観客がこの作品を100%共感し楽しめるのだろう、ということを考えてしまった。
実のところ、昨年のトニー賞でこの作品「move on」という曲を聞き、その旋律と歌詞の素晴らしさに感動してぜひ見たかった作品ではあったのだけど、実際見てみると、まだまだ私には敷居が高い内容だった。
この作品を楽しめるのは、きっと、ある一定の評価を得た後、より前に進もうと苦悶する芸術家、もしくは音フェチ、そして、芸術品をちゃんと楽しめる感性を持った人。
私は残念ながら良い観客と成得なかった。美術館に並んだ壮大な絵画の前を、そこに描かれている風景や人物以上の何かを受け取れず、凄いんだろうけれど、退屈だなあと 次々通り過ぎる時と似た感覚。

ジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」という一枚の絵画からソンドハイムとラパインがインスピレーションを得た創作、というこの作品。
ソンドハイムのオタク的に技巧を凝らした音の繋がりと重なり、その音に乗る言葉、セリフとしてちりばめられる言葉、そして書き込まれ過ぎず、ある一定の状況の中での会話だけが通り過ぎる主役以外の登場人物たちもが、点の繋がりで一つの作品を織り上げていく様も、スーラの絵画からの創造で、それは本当にもう唖然とするほどの緻密な芸術だった。
けれども、芸術とは時に退屈で、そこが娯楽との違いなんだろう。

ということで、個人的には二人が音と言葉と人によって再編成したスーラの絵画や二人が作り上げたジョージ(ジョルジュ)・スーラという芸術家の苦悩を描いた一部より、この作品のもう一つのテーマであった、次のステージ、新しい創造への挑戦を描いた二部の方が実に面白かった。

音楽と歌と芝居と踊りが融合してきたミュージカルに、新たに絵画と先進のハイテクビジュアルアートとの融合は、新しいミュージカルの可能性や表現力を広げてくれた。
まだまだ粗削りで、特にハイテクヴィジュアルアートの方が陳腐で稚拙なんだけれど、でもこれを、ミュージカル界の大御所が生み出したのだから凄い。そしてそのチャレンジ精神こそが、最後の名曲を生み出すのだろう。
新しい世界を見てからのこの一曲はより壮大に、そして一部の技巧的な曲よりもちょっとだけ身近に響き感動的だった。

多分二度三度見ればその時々に違う表情を見せる作品だろう。
けれども残念ながら、私個人はどうしても二回目を見たい程には嵌まれなかった。
人間の本能的な「存在が消える恐怖」「そこへ立ち向かう最後の力」そして「生きる喜び」を描き、訴えてきた「ニュー・ブレイン」に比べると、やはりこれは良くも悪くも高尚すぎた。
ただ、本当に今ある程度何かを成し遂げて、次の道を模索してるようなクリエーターの方とかには、本当に勇気をくれる作品じゃないかなあと思うし、とにかくソンドハイムの技巧的な音が好きなのよ、て方にはマニアックに面白いと思うので、オススメかもしれない。