こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

舞踏会と恋のはじまり@ロミオとジュリエット

今回のロミジュリで私が一番好きなシーンは仮面舞踏会である。
なにせここのシーンがめちゃ格好良い。
音楽はテクノロック。
白を基調にした今っぽくキラキラした衣装。ジュリエットもミニスカ!
これを見て、あ、普通に今のクラブの風景みたい、と思ったのだ。

ロミオとジュリエット」はご存じのとおり、一目ぼれから始まる。
二人は仮面舞踏会ではじめて出会って恋に落ちる。

なんというか、若い頃、これを読んだとき、この部分が最もフィクション、物語だと感じたのだけど、今回のそういうシーンと演出を見てみて、これは起こりうる人には起こりうる出会いじゃないかと思ったことが収穫だった。

パリス(嫌な相手)から逃げるようにジュリエットは大勢の人が踊るフロアを泳ぐ。
パリスの目に留まらないよう、次から次へと相手を変えて踊る。
その何番目かの相手がロミオだ。
しかし、ジュリエットはパリスの目から逃れることに必死。
ロミオも無理やり誘われて行ったパーティー(ここは原作と違う点。原作は失恋のウサ晴らしにパーティーに潜り込むけど、とりあえず、今回のミュージカルでは、ロミオはとにかく「ウブ」設定)なので、飛び込んできた少女に驚いている感じ。
曲の切れ目でようやくジュリエットは今踊っていた相手を意識する。
つないでいた手から、何かを感じる。
そして、その感覚に驚いて、離れていく。
ダンスフロアから離れて、息をついていると、たまたまロミオもそこに来て、すれ違う。
そして、再びダンスフロアに戻ったとき、また二人はぶつかる。
一緒に踊る。何かを感じる。意識する。顔を見る。恋に落ちる。

クラブではあるかもしれない、出会い。言葉なく踊りや感覚が全ての世界。
その中で何かを感じる相手に出会うことは、ある、のだ。
フィクションの中に挟まれる僅かなリアリティー
これがあるかないかで、創作はより深みを持つ、ような気がする。

何かを感じた二人が仮面を取って、顔を見る。
二人ともぴかぴかの美少年と美少女だ。

二人が恋に落ちることが納得がいくから、その先の物語を楽しめる。
これはとてもいい演出だったと個人的に思う。


ところで、それとは別に、西洋ではこういった「舞踏会」なるものが昔むかしから面々と「出会いの場」として存在したこと、そして、それが今のクラブ文化に繋がっていることを感じた。
私は残念ながら、10代の終わりから20代の前半、夜遊びに置いて「若い」と認識される頃、こういった「クラブ遊び」なるものをしたことがなかった。
そのままロンドンに行き、向こうでこの文化に触れ合ったとき、それが日本に置ける居酒屋でのコミュニケーションと同等のものであると認識するまで時間を要した。
当時私の中で「クラビング」というのは、とても特別なことに感じていたからだ。
けれど、向こうは老いも若きもああやって遊ぶ。
劇団仲間が普通に両親連れでクラブに来ていたときは当時心底驚いたけれど、音楽と踊りのある場でコミュニケーションを取る、というのは西洋の人にとっては、シェイクスピアの昔から「当たり前」のことなのだな、と今回のロミジュリを見て改めて思ったのだ。

よく知った物語でも、自分の中の引出しが増えれば、発見がある。
また違う角度から、見えることがある。
だから、経験は何事も無駄にはならないと、改めてそう思う。

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