こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

私にとっての「幸せ」の源@東宝「グレート・ギャツビー」から思い出し。

とうとう、小池修一郎先生演出、井上芳雄さん主演の「グレート・ギャツビー」のキャストが発表になりましたね!
http://www.tohostage.com/gatsby/cast.html

夢咲ねねデイジー(赤根那奈から芸名の方に戻されたのですね!)楽しみに待っています
ディカプリオ版のようなイメージのデイジーになるかな?

華麗なるギャツビー [DVD]
レオナルド・ディカプリオ,トビー・マグワイア,キャリー・マリガン,ジョエル・エドガートン,アイラ・フィッシャー
ワーナー・ホーム・ビデオ



そして、この東宝版に期待することは1つです!
シルクシャツが舞うシーンで、ちゃんとシャツがひらひらと舞ってほしい。
 (月組版のグレート・ギャツビーはここが最大の残念点だった)

お願いしますよ、小池先生!
後は作曲家の方を知らないので、どんな音楽になるのか、そこが未知数ですね。
そこも、期待しながら待っています。

ということで、2008年に月組「グレート・ギャツビー」

『グレート・ギャツビー』 [DVD]
宝塚歌劇団
宝塚クリエイティブアーツ

を見たときに考えたことを思い出し書き。

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グレート・ギャツビー」と言えば、アメリカ文学の傑作中の傑作の一つである。
私は1991年に宝塚で舞台化すると決まったときに、予習と称して(あの頃はそういうこともやっていたなあ^^;)、原作本を手に取った。
がしかし、当時中学生だった私にとって、繰り広げられる異国の昔の大人のメロドラマは敷居が高く、読みきったものの、何が何だか分からず、舞台でああそういう話だったのか、と思った記憶がある。
だから、その原作の村上春樹訳が出たときに、改めて読み直してみて、今更ながらなんて傑作なんだろうと気づいた始末。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
Francis Scott Fitzgerald,村上 春樹
中央公論新社



この物語から感じることは色々あれど、一番はやっぱり「ギャツビーのロマン」なんじゃないかと思う。
ギャツビーはデイジーという美しい幻を追い求め、それがゆえに命を落とす。
さて、この人生を幸せというか、不幸というか。そういうことを思わず考えてしまうのだ。

「命をかけるほどの何かがあること」というのは、人間としての幸せのカタチの一つだという。
だから、原作を読んでも、舞台を見ても、ギャツビーの死を目にして、幸せ者だなと思う。
デイジーがやはり夫のトムを選んだ時点で、彼の幻想は既に破綻した。
デイジーと再びめぐり合い、共に生きることだけが彼の人生の全てだったから、寧ろデイジーという幻なしで生きていく方が難しかっただろう。
そういう中で、運命に導かれるように、デイジーを守り殺されるという最期は、彼にとって完璧だったと思う。
(小池先生のバウデビュー作が「ヴァレンチノ」という、往年の二枚目俳優の伝記だったのだけど、俳優として成功し、豊かな生活も名声も美しい妻も手に入れたのに、彼の最後は逆に不幸だったと思うあたりの比較も面白い)

で、一方でデイジーはどうなんだろうとも毎回思う。
原作のデイジーはよりドライでしたたかだ。
だから、ギャツビーの死さえも、他の石よりもちょっと重く存在感はあったけど、彼女の人生で足蹴にしてきた道端の石の一つかもしれない。
けれども、小池先生の演出では、デイジーはギャツビーの葬儀に現れて、物言わず、花だけ投げ込んで立ち去る。
例えあのままギャツビーと再婚したとしても、彼女は果たして幸せだったか。
そして、過去も未来も彼女は幸せなのか。
裕福な家の娘に産まれ、美貌に恵まれ、心通わないけれども、豪華な暮らしを与えてくれる夫がいる生活。
小池先生のデイジーを見るたびに、ふと「アンナ・カレーニナ」の冒頭の一文を思い出す。

幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである。

「幸せ。そうね、幸せすぎて幸福に麻痺しちゃったわ」
というニックと再会したときのデイジーのセリフが、頭の中でこだまする。
そして、そういう思いを抱くから、やっぱりこの舞台は名作なんだと思う。
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ディカプリオの映画を見たときにも色々考えたはずなのに、残しておかなかったのが残念。
そして、来年、この「グレート・ギャツビー」を見るときに、何を考えるのか、また楽しみ。
そういう作品があることが、私の幸せのなのだと感じます。