こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

支配下の自由@世田谷パブリックシアター音楽劇「ある馬の物語」

7/22(土)13:00~ 兵庫県立芸術文化センター 中ホール

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【原作】レフ・トルストイ
【脚本・音楽】マルク・ロゾフスキー
【詞】ユーリー・リャシェンツェフ
【翻訳】堀江新二
【訳詞・音楽監督】国広和毅

【上演台本・演出】白井晃

【出演】
ホルストメール 成河 
セルプホフスキー公爵 別所哲也 
牡馬/伯爵他 小西遼生 
牝馬/マチエ他 音月桂
大森博史 小宮孝泰 春海四方 小柳友
浅川文也 吉﨑裕哉 山口将太朗 天野勝仁 須田拓未
穴田有里 山根海音 小林風花 永石千尋 熊澤沙穂

【演奏】
小森慶子(S.sax.)ハラナツコ(A.sax.) 村上大輔(T.sax.) 上原弘子(B.sax.)

【美術】松井るみ
【照明】齋藤茂男
【音響】井上正弘
【振付】山田うん

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トルストイ原作の「ホルストメール」を1975年にレニングラード(現サンクトペテルブルグ)で上演された作品の潤色とのことでしたが、トルストイが生きたのが帝政ロシア時代から第一次ロシア革命、そして上演されたのがソビエト連邦だった時代、ということも思うと、さらに終わっていろいろなことを考える作品だったなと思います。


本来2020年東京オリンピックで世田谷区にある「馬事公苑」が馬術競技の会場だったため、オリンピックへのカウンターパンチという意味を込めて上演しようと考えられていたというこの公演。
コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻が続く中、当初とは違う気持ちで一から作られたと演出の白井晃さんがおっしゃっていました。

 

物語は一匹の年老いた牡馬の過去への振り語りというカタチで始まります。
その馬は俊足だったけれど生まれつきまだら模様だったため、冷遇されて育ちます。
けれども同じ馬場の牝馬に恋し、それがきっかけで去勢されてしまい、それから周囲を見つめ考えるということを始めます。
そんな彼を見初めた公爵との生活、その後の生き様が描かれる作品でした。

 

これも何度も書いているのですが、「最初のシーンで客席をその世界観に取り込むこと」というのはとても重要だと私は思っています。
この作品はそれが、とても強烈で素晴らしかったのです。
工事現場のようなセット、働く人々から、ビニール袋に包まれる成河さん。
それがクレーンで持ち上げられて、それを破って飛び出す一匹の馬のヴィジュアルは生誕のようでもあり驚きに満ちていて、一瞬にして物語に引き込まれました。
そしてこれはホルストメールを成河さんが演じたからこそ、できたものだとも思いました。

老いたホルストメールが、過去を語ると若返り、また語るときに老いる。
その語り、若さと老いの演じ分けのスキルのすばらしさ。
馬を魅せる身体能力の高さ。
そこになんの無理もないからこそ、ホルストメールの生き様を鮮やかに受け取ることができるのです。

多くと違った容姿に生まれついたものがいじめられる構造の部分は、まだホルストメールが若くイキイキと演じられているがゆえに、心に沁みる部分がありました。
美しい牝馬・ビャゾクリファがホルストメールに友情を抱いても恋心は抱かない、彼女が魅せられるのは一番美しい牡馬なのもとてもリアルでした。
だからもちろん、ホルストメールが彼女を犯していい理由にはならない。
そしてその罰としてホルストメールが去勢されるところは、現在の人間の世界にも早く取り入れてほしいと思いました。
(現にカナダは性犯罪者に化学的去勢を実施しているそうですね。
 「8人に性的暴行」EXO元メンバーのクリス、拘置所収監…化学的去勢の可能性も | Joongang Ilbo | 中央日報

だってそこからホルストメールは「生きるということ」を考えるからです。
アフタートークで稽古中にカンパニーで馬の見学に行かれたことが紹介されましたが、「去勢された牡馬とされていない馬の目が素人でもわかるくらい違う」と語られていました。
私にとっては全く理解できませんが、男性性という性を生きる者にとっては恐らくとても大切なものを失った後というのは、世界が違って見えるのだろうことは想像できました。

けれどもここからホルストメールは別所哲也さん演じる公爵に買われて、そこで「一生で一番楽しい時期」を過ごすのです。
公爵にとっては「自分が所有する馬」ではあったけれど、そこに信頼と尊敬と愛があって、快適に過ごせる待遇と自分の価値と能力を誇れる仕事があることが「幸せ」につながる、というのは、生き物として共通なのだなと感じたのです。
アフタートークでは、このホルストメールの在り方が「ロシアの民族性を描いているのかもしれない」と語られました。

ロシアの「革命で帝政が破れ、強権の政治家が生まれ、ペレストロイカで自由になっても、現在の大統領が生まれてくる中で自由を得る国民性。」

支配されているからこそ、安心して自由を謳歌できるというところは、私個人は特に日本人にも通ずるところがあるかもしれないと思いました。
とりわけ終身雇用制度はこういう考え方から生まれたもののように思います。

ただ世界は日々変わりながらも、大きな歴史の流れは繰り返しているからこそ、こういう作品を見て、考える時間はとても貴重だなと感じました。

ホルストメールも公爵も幸せな時間はあっという間に過ぎ去ります。若く美しいものたちが公爵からも幸福な時間を奪っていくのです。金で所有することの現実が描かれます。そしてホルストメールは再び過酷な運命にさらされます。それでもホルストメールは生きていく。そして老いてその生き様を語り終えるとき、同じく老いさらばえた公爵と再会します。
ホルストメールはすぐに公爵だとわかるけれど、公爵にはわからない。
ただ「たくさんのものを持っていて人生を謳歌していた頃に出会った素晴らしい馬」のことしか思い出せない。それが今目の前にいる彼とは気づかない。
それでもホルストメールが公爵に顔を近づけていななくとき、なんとも言えない気持ちになって涙しました。哀れみなのか、馬の優しさなのか、自分でもあそこで感じた気持ちが何なのかわからないのですが、とても心に触れたのです。

今や公爵は周囲の人間にとって「やっかいもの」、ホルストメールも同じです。
でもホルストメールにとっては「幸せな時間を与えてくれた人間」であり、飼い馬ではなく「友」と呼んでくれたたった一人の人間だったわけです。
それが分かるホルストメールと、それを思い出せない公爵を見ると、無敵だった若き頃は過ぎ去り老いた今、一体幸せとはなんだろうと考えてしまう。そういう作品でした。
(老いた公爵の別所さんの演技がまた素晴らしかったことを添えておきます。)

 

そしてこれは、ぜひ一階席で見たかった!と思いました。
半円形のせり出したステージがあって、登場人物・馬たちが出番でないときは、観客と同じようにホルストメールの話を聞いている。
いわゆるイマーシブシアターに近い形式の演出だったからこそ、もちろん収益という現実が大事なのは重々に承知な上で、「平成中村座」みたいなどこでも一体感を味わえるような専用仮設劇場みたいなところで、この演出で見てみたいと思わずにはいられませんでした。
多分そうすればまた感じることは違うような気がするのです。

 

4本の種類の違ったサックスのみで奏でられる音楽も素晴らしく(脚本のロゾフスキー氏が作られた音楽を使用し、それとうまく融合する音楽を追加されたとのことでした)、ミュージシャンと演者の垣根がないのもまた魅力的でした。


そして舞踏家でいらした山田うんさんの振付は、心が動いてから身体が動くことを重視されたということで、馬っぽい動きとそうでない動きの融合具合が素晴らしく、メインキャスト以外の登場人物も個々の魅力を発揮していました。

本当に素晴らしい舞台だったからこそ、ラストシーンだけが気になりました。
最後のモノローグの前に、成河さんが馬のメイクを落とす時間の「間」があったのです。
しかし私をはじめ、初めて見る観客はこの後にモノローグはあることを知らないため、終わったと思って拍手してしまったのですよね。
そこで拍手を止めてモノローグを言うカタチになってしまったのはとても残念だなと思います。
あのモノローグは「伝えたいこと」であったと思うだけに、妙なカタチで不自然に浮きだってしまったのが残念です。

(そしてその伝えたいことは、一体どちらの死に様が、生き様が価値があるか的なことだとは思うのですが、多分このままでいくと私の死に様はホルストメール側になる可能性が多いにあるため、ちょっと希望を抱きました)

本来レニングラード(現サンクトペテルブルグ)で上演された際は、国立劇場の老齢の専属俳優が演じた役だからこそ、10年後、20年後にもホルストメールを演じてみたいと成河さんはおっしゃっていました。
だから再演があることを期待して、その再演の際にはあのモノローグまで自然に流れる演出になっているといいなと思います。