こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

私のとっての夏と言えば。

7月に歌舞伎座に行こうと画策中。
というのも、蜷川演出で「十二夜」の歌舞伎版が上演されるからだ。
今までに歌舞伎を見たのは計3回。平家物語にも興味がなく、高校の時の選択は「世界史」だったのもあって、歌舞伎や能を見に行く前は、WEBで簡単にだけれども、ストーリーなどを勉強して見に行っていた。
しかし、今回はシェイクスピア。日本育ちの生粋の日本人だけど、私にとっては、源氏物語平家物語よりも身近で良く知っているストーリー。勉強なし、で見に行ける気楽さ。そして、何より、分かりづらいとは言え、日本語で演じられるものなので、気楽さは倍増。楽しみである。(因みに小田島雄志さん訳。上演するなら、小田島先生の訳が分かりやすくて好きなので、ウレシイ)

特に「十二夜」は双子の兄妹が織り成すラブ・コメディーだけに、双子をどう処理するか、という演出を見に行く楽しみがある作品。
テレビも含め、同じ役者さんが、兄も妹も演じる版、普通に男優が兄を女優が妹を演じる版、兄も妹も女優が演じる版(これは出演者全てが女優さんだった)など見たことがあるが、どれも実は双子の違和感を感じていた。
男女で演じられる場合、どうしても体格差があって、入れ替わり、なんて有り得ないだろう、と舞台とはわかっているもののなんだか納得できない部分が残り、同じ役者さんで演じる場合はクライマックスの兄妹が対面する場面で不自然さが残るのだ。そうすると、全て女性でやったものが一番良かったのだが、これがあんまり良い印象が残っていない。

なので、「十二夜」と聞くと、どうしても見たいという気持ちが抑えきれないなくなってしまう、私にとっては魔性の作品。
特に今回、この歌舞伎版が見たいと思ったのは、ロンドンのグローブ座で見た「十二夜」がすごく良かったからだった。
ロンドン・グローブ座では、シェイクスピアの時代のまま、で上演される。なので、もちろん、出演者は全員男優。日本人の私にとって、濃い舞台化粧を施した白人男優が同じ衣装を着ると、ほぼ見分けはつかなくなる。だから、双子の設定がすんなり見れてしまったのだ。またごつい男優が悲しみにくれる女性を演じたりするものだから、喜劇部分が強調されて、なるほど、やはりこの作品はシェイクスピアの時代で完璧だったのだな、と心底思ったのだ。
シェイクスピアの魅力の一つは、戯曲にト書きが少なくて、とにかく演出が自由なこと。だから、現在でも様々な演出で世界中で愛されているのだと思うけれど、この「十二夜」に関してだけは、オリジナルスタイルで活きる作品だったのだと目の覚めるような気がした。

そこへ、今回の歌舞伎版である。歌舞伎も当たり前だけど、全員男優。そして、私のような2,3回しか見たことのない素人観客には個々の見分けのつかない歌舞伎メイク。ロンドン・クローブ座で見たような違和感のない「十二夜」が見れるかもしれない。さらに、女形という女役に熟練した俳優が見せる女役には、ロンドンの時に感じた抵抗感が少なく、滑稽さの中にも美しさを見つけることができるかもしれない。そう思うと期待も高まる。だから、どうか神様。チケットが取れなかったというオチだけはご勘弁を。