こんなことを思ったり。ぼちぼちかんげき。

保護猫と同居人と暮らすアラフィフがビンボーと戦いながら、観劇したものなんかを感激しながら記録。

美の基準。

子供の頃、「小公子」が大好きで何度も何度も繰り返し読んだのだけど、その中でも一番心に残っているのが、とある貴族の令嬢の描写で「白魚のような手」とあった部分だ。なぜなら、私は父方の血を引いて、色白とは程遠い肌をしていたからだった。私の子供時分なので、紫外線対策よりも、子供は太陽にどんどん当てて育てなさい、という風潮のあった頃。地黒の肌は太陽の下で、どんどん光を吸収し、夏になると、海に行ってないのに、近所の人から「海水浴に行ったの?よく焼けてるわねえ」と言われ続け、子供心によく傷ついたものだった。また、幼稚園から仲良しだった(そして今も仲良しなのだ←自慢)友達が、私と全く正反対の容姿をした、華奢で色白の子だったので、その対比で当時二人とも良くからかわれたのだが、子供心にどう見ても白い方がキレイだな、と思って、これまた、こっそり傷ついたりもしていた。
大人になるにつれ、日射時間が短くなり、私の地黒もめちゃくちゃ目立つレベルではなくなったのだけど、幼少時に形成されたメラニン色素は顕在で、今でもちょっと太陽の下にいると、他の人はそこまで焼けないのに、すぐ焼ける。去年までは、実家が駅前1分(走れば30秒)会社も駅から徒歩3分、しかもほとんど屋根の下(商店街だったから)のため、特に日焼け対策を気にしたことはなかったのだけど、今は駅から会社まで10分強歩くため、久しぶりにすっかりいい感じに焼けてしまった肌をみて、ちょっと悲しくなっている。
そして、大人になった今でも、ぬけるような白い肌は私の中で、最も美しいものの一つで、永遠の憧れでもある。

別の話になるけれど、子供の頃は近所のおばさんたちに「良く焼けてるわね」と言われて、傷ついたが、大人になって初対面の人に言われて傷つくのが「何かスポーツでもやってた?」のセリフ。言ってくれた人に悪気はないから申し訳ないのだけど、やっぱりグッサリくる。見た目のイメージで語るのは、結構危険なんだな、と身をもって知ってはいるものの、いざ自分を振り返ると、なかなか勝手なイメージで推察せずに会話をしていくというのは難しいもんだな、と改めて思う。